軍医さんの奮闘



「わ、悪ぃ。もうやめだ」
「はい?」
ビジュの言葉にアティは間の抜けた返答しかできない。
(ええと…どうしてこうなったんだっけ……)
混乱する頭を抱えて、とりあえず状況把握を試みる。

海軍官舎は、夜十時以降の入居者以外の訪問を禁止している。
だがこの規則は有名無実で、上官にもよるが大体の場合お目こぼしされる。
常識と良識の範囲内なら女引っ張り込もうが男誘おうがお咎めなし、というわけだ。
というわけでアパート住まいのアティが夜中に官舎にいても問題はない。
ああそうだ。夜に男の部屋にいるのだ。ちなみに服はだけた状態でベッドの上。
となればヤってることはひとつ。なのだが。
沈黙が重い。
戸惑いが苦痛になり、アティは紛らわそうとシーツを乱しては直す。
「……別に、テメエのせいじゃねェ。だから帰っちまえ」
ぶっきらぼうな台詞は困惑を深めこそすれ晴らしはしなかった。
縋るような視線をひしひしと感じ、ついにプレッシャーに屈した。
「勃たねェんだよ」
「え」
二度は言えない。絶対言えない。
「ああ分かったならとっとと帰れ」
微妙に逆切れっぽいのが我ながら情けないが、このままアティに不甲斐なさ晒すよりはましだった。
急に、何事か考えていたアティがビジュの手を握り、
「―――私に任せて頂けませんか」
おずおずとした口調で話しかける。
「こういう場合って手とか口とかでするんです……よね?」
あまりの内容にビジュが体勢を崩す。
アティ自身、提案はしたもののいまいち自信がない。
こんな事なら同級生の猥談真面目に聞いておくんだったと後悔しきりだ。

「学生の頃本で見たことありますから、おそらく大丈夫かと……」
「……本?」
「ほ、本当にそこそこ出来ると思いますよ多分。テーブルマナーだって教則本だけで覚えた実績あるし」
「いやテーブルマナーとは根本的に違うだろ」
「あう……駄目ですか?」
「駄目っつーかなんつーか」
すいとアティが膝をつめる。
「頑張りますから」
繋がる手が強張っているのに気づく。緊張する位ならやめとけ―――とは言えなかった。
「途中でやめるのはなしだ」
「勿論ですとも」

ベッドに座るビジュの前にうつ伏せになり、肘をついて上半身を起こす。
両の手を伸ばしそうっと包んでみる。
「あ、軟らかい」
男性の急所ですものねえ、と妙なところで納得する。
「……」
「どうしたんですか」
「……何でもねェ」
首を傾げつつ、掌全体でゆっくり、というかおそるおそる擦る。
加減が良く分からないのでじれったい程の慎重さになってしまうのはこの際仕方ない。
丸めた人差し指の背で裏を撫ぜ上げてみる。もう片方の手は強弱をつけるようにして握った。
そこで一旦手を止め深呼吸し、指を添えたまま先端を舌先でつつき滲み出る体液をすくう。
苦い。男のにおいと合わせて今更ながらやるんじゃなかったと挫折しそうになった。
(ええいここまで来たら最後までっ。第一途中退場なんてしたら絶対馬鹿にされるでしょうし)
根元まで手をずらし、かぷっと咥えこんだ。
……かぷ?

「――〜っ」
「―――ごめんなさい大丈夫ですか?!」
焦って顔を上げ謝る。思いっきり歯を立ててしまった。
「……わざとか」
「事故です」
恨みがましい声調をきっぱり振り払い、詫び代わりなのか怪我した子どもがするように噛んでしまった箇所へ唾液をなすりつける。
心なしかへこんでいる気がするのは罪悪感のなせるわざか。
舌も添えた手も先走りでべたべたになった。
幸い不能に突き落とすことはなかったらしくそれなりに反応を示した。
今度は失敗しないよう丁寧に唇で咥える。全部入れるには躊躇いがあるので半ばまで。
亀頭が上顎を擦る。ぎこちなく絡めればその度に動く。
先程歯を当てたことから知れる通りぶっちゃけ下手なのだが、何と言うか、腹にアティの頭が擦れる感触が、苦しげな中に一抹の甘さを含んだ息遣いが、
「ん……ふくっ……」
経験不足は熱意で補おうとでもいうのか、以前読んだ本の内容を必死で反芻しつつ舐るさまが。
その行為こそが情欲を煽りたてる。
腔内のものが硬度を増す。自分と他人の体液が混ざり口の端から零れてじゅくじゅくと白い頤を濡らした。
「お、おい、そろそろ……」
だが、アティの動きは止まらない。一生懸命なあまり耳に入らないらしい。
(ど、どこまでやったらイイんでしょう…あ、ええと、次、次は)
「だから待てって―――」
きゅ、と吸い込んでみた。
それが止め。

「……っ?!」
咥えたそれが大きく跳ね柔らかい肉を叩く。蠕動に驚いて離そうとして。
突然、後頭部に圧力がかかる。動きを封じられたところに熱が流し込まれた。
口腔を犯す質量に思考が刹那遮断され、隙を吐気が埋め尽くし視界が霞む。
「……っううくはっ…え、うえっく、げほっ」
ビジュが慌てて手を離し、やっと解放された。
「お、おい、大丈夫か?」
涙目で幾度も咳込む。唾液とは異なる粘り気のある白濁がとろりと落ちてシーツを汚す。
「い……」
「?」
「いきなり何するんですか貴方はあっ!」
至近距離から怒鳴りつけられて思わず仰け反ってしまう。
「ちょっと飲んじゃったじゃないですか気色悪っ」
「待てと俺は言っただろうが」
「頭押さえたら何にもならないでしょう!」
「テメエからやるって言ったんだからそのくれえ覚悟しとけよ!」
「……………………ほほう」
妙に長い沈黙の後、アティは微笑む。愛らしい顔にそぐわぬ腹に一物ある笑い方だった。
前触れもなく、汗ばんだ細腕がビジュを捕らえ、柔らかい唇が押し当てられ、熱い舌が口内に割り入り、
―――
しばし意識がどこかに飛び、
思いっきりむせた。
生臭い。ついでに触感最悪。『同僚との初めてのキスは精液味でした。』 うわすげえ嫌だ。
「これでちょっとは私の気持ち分かりました?」
「……このクソ女やるに事欠いて口移しかよ!」
「人にぶちまけといてその台詞ですか?! 初めてだったのに!」
「テメエの事情なんぞ知ったことか!」
「……っ最低男ー!」
『うるさいぞ何時だと思ってるんだ!!』
ドア越しの怒鳴り声がなければ言い争いは朝まで続いていたかもしれない。

「―――俺もアズリア隊長も、部下の私事にまで口を出す気はない」
呼び出されたギャレオは、当然ながら不機嫌そうだった。
夜中に「お宅さんの部下が騒いでるんですけどー」と嫌味ったらしく注進されれば誰だってそうなる。
ギャレオの前でアティは正座、ビジュは不良座りしている。
念のため言っておくが、身なりはきちんと整えている。
「だが隊の評判を下げるとなれば話は別だ。それに軍医殿、お前まで馬鹿な真似してどうする―――」
説教の合間を縫い、
「……ったく、誰かさんが大騒ぎしやがるから」
ぼそっと呟く。
「……ビジュさんが早いせいです」
返事はやはり小声だった。
途端にビジュが面白いくらいに引きつる。
―――陰湿かつ低レベルな言い合いを続ける二人は、ギャレオが静かにグローブを両の拳へとはめたのに気づかなかった。


教訓そのいち。
痴話喧嘩は自分の恋愛がうまくいってない者にとっては不快なものです。控えましょう。
教訓そのに。
寝入り端を叩き起こされた人間は大抵機嫌が悪いです。怒らせないようにしましょう。
教訓そのさん。
不幸にも上記を生かせず悪い事態に陥った場合は、諦めて次から気をつけましょう。


「―――昨日は何かあったのか?」
一夜明けて。
医務室で揃ってのんべんだらりとしていると、アズリアが思い出したように訊いてきた。
ギャレオが慌てて、
「隊長、どこでそれを?」
「いや、本部の方に行ったら、またビジュが騒ぎを起こしたと聞かされてな」
この様子ではアティが騒ぎに一枚噛んでるとまでは知らないらしい。
「やれやれ、アティが来てから問題行動は減ったんだがな」
「へえ、そうなんですか」
「ケッ」
「うむ―――例えるならお前はビジュという抜き身の剣を収める鞘といったところか」
アズリアに他意はない。
だからビジュがコーヒー噴き出したのもギャレオがよろけて机の角にぶつかったのもやらしい連想した本人のせい。
「無自覚って怖いですね。アズリアらしいと言えばらしいんですけど、純心で」
「? 随分と含みのある言い方だな」
いえいえ、とアティは首を振りハンカチをビジュへと差し出す。
昨夜のことなぞ素知らぬ様子の振舞いだが、注意すればやや目が泳いでるのが見て取れる。
外で鳥が鳴いた。今日も帝都はいい天気だ。


End

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