レックス×アティ



出逢ったのはたしか軍学校の入学式。
笑い合う仲の良さそうな親子。
「これから離れ離れになるけど独りでも頑張るのよ」そんな言葉を言って、微笑む。
自分には、そんな人いない。微笑んでくれる人も、優しい言葉を掛けてくれる人も。
独りだった。それでも平気。だって今までずっとそうだった。
だから、「寂しい」なんて。そんな事、思うわけがない。
涙を笑顔で隠す事だってもう慣れた。そんな時だった。
「君も、独りなの?」
自分に掛けられる優しい声。嘘みたいだった。
信じられなくて、でも信じたくてそっと顔を上げればそこには自分と同じ鮮やかな赤毛。
あどけない貌に宿る光を放つのは夏の青空の瞳。白い肌はまるで故郷に降る雪のよう。
「俺も、独りなんだ」
そう言って微笑むその貌に滲むのは寂しさ。こんな顔を、自分もしていたんだろうか。
「良かったら、一緒に校舎まで行こうよ。独りは、寂しいから」
疑心も何一つ持たず差し伸べられる手。それはまだ小さくて、でもどうしようもなく嬉しくて。
気が付けばその手を取っていた。触れるそれは、少しだけ冷たい。
「君の名前を、教えて? 俺は――」
まだ風が少しだけ冷たい春の日、運命は回りだした。


「先生さ〜ん、この問題が分からないんですよぉ」
「ん、どれだい? ああこれはね…」
ふわふわと浮き近付いてくるマルルゥにレックスは眼鏡を掛け直して向き直る。
そうして教科書を見つめながら丁寧に説明を始めた。それをアティは優しい眼差しで見つめている。
もう日常として定着してしまった光景。こうやって彼が側にいる事が幸せだった。
「先生、何ぼーっとしてるんだよ」
「あ、ごめんなさい…」
スバルに指摘されてアティは慌てて今さっき添削していた答案に向き直る。
そうして心を落ち着かせてまた添削を始めた。
最近、いけないと思いつつ気が付けば彼を目で追っている自分がいる。
それがどうにも複雑な気分で正直落ち着かない。
――こうして彼がこの島に住み着いてからもう暫くの時が経っている。
帝国軍人としてこの島にやってきた彼は元は敵とはいえその穏やかな人柄と
優しい性格ですぐにでも島の住人たちに打ち解けた。今は軍を辞め、こうして島で先生をしている。
彼が軍を辞めたのにはそれなりの理由があった。
無色の襲撃。その時に彼は脚を傷めている。アティを庇って。
その時彼は「平気だ」と笑っていたから気付かなかった。
その怪我が、彼の軍人生命を絶つような深いものであった事を。
気付いた時には手遅れだった。もうどうしようもなくて、彼は自分の夢を諦めるしかなかった。
アティは今でもその事を悔いている。
自分の好きな人の夢を、壊してしまったという事実が今でも彼女の心を締め付けていた。
「アティ、そろそろ終わりにしないかい? もう今日は遅いし」
「あ、そうですね…。じゃあ今日はこの辺にしましょう」
レックスの言葉にアティは手にしていた答案を纏めると、授業終了の旨を生徒に伝える。
「じゃあな、先生。また明日!」
「ええまた明日」
「さよなら、先生」
「うん、また明日ね」
元気良く手を振り、子供たちは帰路につく。それを見届けると二人も荷物を纏めだした。
「じゃあ俺たちも帰ろうか? 忘れ物はないね?
明日は学校がお休みだからその分今日はゆっくりできるね」
「ふふ…レックスって何だかお母さんみたいですよね。朝もいっつも忘れ物ない?
とか聞いてくるし。しかも私よりも家事が得意なのが何だか悔しいです」
「お、お母さんって…」
アティの言葉にレックスは思わず項垂れた。大の男を捉まえてよりにもよって「お母さん」。
何だか喜ぶべきなのか悲しむべきなのか微妙だ。
「しかも他人の事気にする割に自分の事に関しては全然しっかりしてないし。他人の心配するよりまず自分の心配するべきだと私は思います」
「あ、あのさ…俺ってそんなにしっかりしてないかな…?」
何だか物凄く自信なさ気にレックスが問う。それにアティはニッコリと笑顔で返した。
「ええ。ものすっごく。すっごく手が掛かって世話の焼き甲斐があるなぁってよく思います」
「…そっか」
がっくりと肩を落とすレックスにアティは遂に笑い出してしまった。
「ぷ、はは…ごめんなさい、ちょっといじめすぎちゃいました。
でもそんな可愛い反応するレックスが悪いんですよ?」
「はは…可愛い反応、ね…。俺は全然可愛く振舞ったつもりはないんだけど……。ってゆーか男に可愛いって…」
またがくりと肩を落とすレックスの腕にアティは自然に抱き付くと笑いを浮かべたまま言葉を続ける。
「大丈夫です。私は可愛い貴方が大好きですから」
「それ絶対褒めてないから。ああもういいよ。その内君が可愛いなんて言えなくなるくらい男らしくなってみせるから」
「あはは…じゃあ期待して待ってますね。早く男らしくなって私を吃驚させて下さい」
レックスは腕に抱き付くアティを振り払わなかった。そのままお互いの温もりを感じながら家路を辿る。
浮かぶ笑顔は自然で、それが嬉しかった。他愛無いことでも笑い合える。それが幸せだった。
今まで敵対していたせいで伝えられなかった言葉を。埋められなかった孤独を。
こうして身を寄せ合って、言葉を交わして、埋めていっていた。

「うん、やっぱりレックスのご飯って美味しいですよね。いいお婿さんになれますよ」
「お婿さんね…貰い手がないから実は今でも募集中だったりするんだけど」
簡素な家の狭い部屋で二人で同じ御飯を食べる。
同じ家に住もうと言い出したのはアティで家事は当番制で担っていた。一週間は七日だから一人が一日多く家事をやらなければならないのだがそれはジャンケンで決めた。負けたのは勿論レックスだ。彼はジャンケンやらクジといった物で今まで勝てた試しがない。その分カードや賭け事には強いらしいのだが意外に負けず嫌いなアティはもう勝負をしてくれなくなってしまった。それが少し寂しかったりする。
「じゃあうちのお婿さんになりますか?
狭いけど屋根付き個室付ですよ。ただ週四日の家事は決定事項ですけど」
「えー、俺もっと条件のいい所にお婿に行きたいな。たとえばメイドさんが沢山いて夜は毎日社交界みたいな」
「あはは…それ夢見すぎですよ」
「夢は大きく、だよ。見るだけならタダなんだから。うん、でもここの生活も軍にいた頃よりかは全然マシかな…。特に海戦隊第六部隊は悲惨だったから…」
「どんな感じだったんですか?」
興味本位でアティが聞いたらレックスの顔がいきなり曇った。
どうやら触れてはならない話題だったらしい。
「いや、まあ…料理できる人、いなかったんだよね…。アズリアは女の子だけど物凄い不器用でカレーに人参丸ごと突っ込むような料理作ってたし。で、仕方ないからこの島に来てから俺が作ってたんだけど…流石にあの人数をさ、一人で作るのは無理があって色んな人に手伝って貰ってたんだよ。でもアズリアが手伝った日にはもう阿鼻叫喚でね…大変だったよ。仕舞いにはビジュがキレてアズリアから包丁奪ってアンタは引っ込んでろ!って叫んだりね…。もう散々だった」
「あはは…何か想像できます……」
アズリアの料理は学生時代に見た事があったがそれはもうおぞましい物であった。
阿鼻地獄というのも想像に容易い。
「で、最後には俺とビジュ二人で来る日も来る日も皮むき皮むき。気が付けばビジュはアズリアの事逆恨みしてるし、しかも俺が細かく指導してあげたらまたキレてそれを諌めようとしたら尚更キレられて何故か殺意抱かれるし」
「ああ、あの人短気っぽいですもんね…」
「うん、凄かった。何かいっつも喧嘩してたな。でも、それももうできないって考えると寂しくなるね…」
「レックス…」
顔に自嘲の色が滲む。
アティは知っている。彼が何もできずにいた事を悔いているのを。
無色の襲撃。イスラの裏切り。そしてその死。
その時彼は動かない脚を抱えてベッドで自分の無力さを悔やむ事しかできなかった。
アティの命は彼によって救われた。しかし、その代償は余りに大きい。
「ごめんなさい…私のせいで……」
言葉にならない思いを悟ってアティは謝る。それにレックスは慌てて顔を上げて言葉を紡ぐ。
「ちょ…謝らないでくれよ、頼むから。俺はこうなった事、後悔してないから。たしかに…俺は沢山のものを守れなかったけど…でもそれはどうしようもない事だって分かってる。大切なものを全部守りたいなんて、我侭すぎるからね。俺の脚と引き換えに守れたのが君の命なら、それで十分だ」
「でも…」
何かを言いかけたアティの口元にそっと手が伸びる。
そしてその言葉の先を止めるかのようにレックスが言葉を続けた。
「アティ、これは俺が自分で決めて自分で選んだ未来だ。だからたとえ君であっても文句は言わせない」
強い、声だった。瞳に宿る色は真摯で、声が詰る。
伸ばされた手がそっと戻されて、その表情に微笑みが咲く。優しさを浮かべるそれはとても力強い。
「アティ、俺は君を守れたこと、誇りに思ってる。ちっぽけだけど、それでも俺はそれを大切にしてる。だから、自分のせいだとかそんな風には思わないで。できれば俺は君には笑って貰いたいって思ってるから。だから、せめて隣で笑っていて。そうすれば俺はもっと頑張れるから」
とても優しい言葉だった。
それに何を返したらいいか分からなくて、ごめんなさいと言おうとしたけど止めて、代わりに。
「ありがとうございます」
満面の笑顔でそう言った。返ってきたのはやっぱり優しい笑顔だった。
「それでよし。やっぱり君は笑ってるのが一番だ。俺たちは、沢山のものを失ってしまったけど…だからこそ幸せにならなきゃだめだ。この世界に生かされた以上、幸せになるために足掻いて足掻いて、胸張って笑えるよう頑張るんだ。俺の幸せは…君が笑ってくれる事だって思ってる。だから一緒に頑張ろう?」
「はい! 一緒に、頑張りましょう」
幸せになる為に、独りではなく一緒に頑張ろうと言われるのが嬉しかった。
もう独りじゃない。寂しさに泣く事も、孤独に怯える事もない。
たとえ肉親の愛に飢えた二人のくだらない傷の舐めあいだったとしても、それはとても幸せな事だった。
「それじゃ俺、先にお風呂に入るね。ご飯食べ終わったら食器、流しに入れておいて。後で一緒に洗っておくから」
「あ、はい分かりました。でもここのお風呂って便利ですよね。ロレイラルの最新式らしいんですけど。造ってくれた島のみんなに感謝しなくちゃ」
「そうだね。しかも広いしね。その分ゆっくりできていいんだけど」
そう言ってレックスは席を立つ。流しに食器を置いて掛けてあるバスタオルを手に取る。
「上がったら教えるから」
「上がる前にこっそりと覗き見しちゃってもいいですか?」
「逆セクハラで護人会議で訴えるよ、そんな事したら。俺の裸は高いんですー」
「もう、じゃあ幾らで買わせてくれるんですか、レックスの裸」
「え、うーん…じゃあ一晩10万くらいで…」
「高すぎですよ、それ」
笑いながら二人で冗談を言い合う。まるで子供みたいに。
こういう所は昔から――それこそ少年少女であった学生時代から変わらない気がする。
それがどうしようもなく嬉しかった。

パタンと部屋のドアが閉まる。
それだけなのに何故かとても寂しくなった。
同じ場所に彼がいない。それだけで。
気が付けば、まるで呼吸をするみたいに側にいるのが自然になっていた。
何となくやりきれなくなって周りを見渡せば赤い印が付いたカレンダーが目に入る。
「あ、そっか、今日ってバレンタインだっけ…」
印が付いているのは今日で、そこには小さくバレンタインと書いてある。
今年こそは忘れずにいようと思ったのに結局忘れてしまっていた。
「今年もまた、渡せなかったな……」
初めて出逢った軍学校の入学式以来、彼とは何度もこの日を共にしているのに未だにチョコレートを渡せていない事に気付く。
ずっと好きだったのに、それを言い出せなかったのはこの関係が崩れるのが怖かったから。
家族のように近くて大切な存在。きっと彼はそう思っている。
でもこんな関係をずっとこのまま続けていくのだろうか。
家族にもなれず、男と女にもなれず、こんな中途半端な関係をずっと。
今の関係に満足していないと言えば嘘になる。
それでもその指先を、唇を、吐息を、想像して自分を慰めた事もあった。
――再会なんてしなかれば良かったと、少しだけ思ったこともある。
そうすればきっと他の誰かを好きになって過去の思い出として消化できたのに。
なのに彼はまたこの目の前に現れて、敵なのに、昔と変わらない笑みを向けてきて。
苦しかった、どうしようもなく。甘えてしまいたいその腕が、遠かったのが。
優しい言葉ではなく刃を向けなければならなかったのが。
そして、親友の隣にまるで恋人同士のように立つ彼を見るのが。
二人がそういう関係でなかったことは知っている。けど、もしもそういう関係になったら。
そう考える自分が浅ましくて、でも切なさは止まらなくて。
ようやく和解できたと思った矢先に彼は自分の為に、その夢を潰してしまった。
後悔はないと笑うけど、それでもきっと動かない脚の歯痒さに、無力な自分に、涙を殺した日もあっただろう。
もう何もかもが限界だった。自分の想いを押し殺すのも、こんな生活を続けるのも。
気が付けばフラフラと歩き出していた。何かに導かれるように、ただその温もりを求めて。

「何ていうか、幸せだなぁ、ホント…」
温かい湯船に浸かりながらレックスはハアと熱い呼吸と共に言葉を吐き出す。
こういう体の疲れを取ってる時が一番だなぁとか思いつつ。
「俺ももう年かなぁ…」
なんて親父臭い事を漏らしていると、コンコンと控え目に曇りガラスが叩かれた。
「レックス、お湯加減どうですか?」
「うん? 最高だよ」
「そうですか…あの、今日って何の日か知ってますか?」
「え…? ……ごめん、分かんないや」
ガラス一枚を隔てて問うアティに答えを返せず、レックスは眉を顰めた。
彼女の誕生日でもなければ自分の誕生日でもない。クリスマスはもう終わったし。
思い当たることなど全然なかった。
「今日、バレンタインなんです。
でも私、チョコ用意できなくて…けど他に渡したい物があるんで入っちゃいますね」
「ああうんそうして…って、え…?」
一瞬流されて返事をするがその言葉を噛んでる内にとんでもない事を言い出していることに気付く。
レックスがそちらに目を向けた時には全てが遅かった。
「じゃあお邪魔します」
「ちょ、ちょっと待って…! って、わ…ッ!」
大急ぎでバスタブから飛び出したら思いっきりコケてしまった。
ずべしゃっと顔からタイルに突っ込んでガツンと頭ぶつけた痛々しい音が浴室に響いた。
「きゃあ、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」
「ああうん、だいじょう…ぶッ!?」
顔を上げたらその先に全裸のアティがいてレックスは思わず鼻を押さえた。
情けない事に鼻血が出てしまいそうになったのは今さっきぶつけた衝撃と普段からこういう事にあまり免疫がないからだろう。
「アアアティ! 今すぐここから出なさい! まったく、年頃の娘が何考えてるんだ!」
「えっと、エッチな事とかです」
「ああうんエッチな事か…じゃなくて!」
思わず納得しかけたが慌てて否定する。
できるだけその体を見ないようにして落ち着いて言葉を紡いだ。
「よし、被告人。君の犯行動機を聞こうじゃないか。ああ大丈夫だ、落ち着いて。君の罪状は軽いから」
「落ち着くのはレックスだと思います」
「うん、君の言い分は分かったから取りあえず犯行動機。被害者のレックスさんはそれによっては無罪でも構わないと言っているよ」
自分で言っていてアホみたいだと思いつつもとにかく状況を整理するのに必死であった。
何ていうか風呂場で全裸の男女がする会話ではないのだが。
「レックスにエッチな事がしたくなったので襲いに来ました。チョコレートの代わりに貴方の体を下さい」
「…15点」
「えー、中途半端ですよ、それは。せめて10点か20点に…」
気が付けばいつもと変わらない色気のない会話をしていた。
やっぱり風呂場で全裸の男女がする会話じゃない。
「捻りが足りません」
「…分かりました。じゃあ、私を貰って下さい。チョコレートは用意できなかったから…代わりに」
声音が真剣なものに変わって、レックスの表情も変わった。
真っ直ぐと、目を逸らす事無くアティの顔を見つめる。
「…本気?」
「本気です。私の…家族になって下さい」
今度はその声が少し震えていた。表情を見るのが怖くて、アティはその胸に顔を埋める。
「私じゃ…駄目ですか? 私…貴方の事が好きでした…ずっと、ずっと前から。だから…貴方と家族になりたい。ずっと側にいたい。私は貴方から守って貰うばかりで何もできてないから…せめて側で支えられるようになりたい……」
「アティ…」
少しだけ擦れた声で、小さく震えるその体を抱き締めようとして止めた。そんな資格、自分にはない。
「アティ、もし君が俺の夢を奪った事に責任を感じてそう言ってるんだとしたら止めて欲しい。同情で、君の人生を縛りたくない。君には本当に幸せになって貰いたいって思ってるから…」
「同情なんかじゃありません。同情で逆プロポーズするほど、優しくはないですから…」
力強い声だった。凛と響くそれはまるで鈴の音のようだ。
「アティ…俺には君を抱き締める資格がないんだ。君を抱き締めるには、俺の手は汚れすぎてる……」
今までしてきた事を考える。軍人として生きていく上で、人ととして許されないこともしてきた。
民を守るのが軍人の使命で、その為に生かす命と奪う命があることは分かっている。
けど彼女はその手で抱き締めるのを躊躇うほどに優しく綺麗だ。
抱き締めた途端に潰してしまいそうで、とても怖かった。
「そんな風に言わないで下さい」
アティがその手をそっと手に取る。そして優しく口付けた。
「私の知ってる貴方の手は、私の頬を優しく撫でて髪を梳く為のものです。
私には、それだけで十分です」
指先をそのまま口に含むと少しだけ体が震えた。でも振り払うことはしない。
「俺は…クノンにもう剣を振って戦うことはできないだろうって言われてる。もう君を守る力をもたないんだ。無力な俺は、君の、足手纏いになるだけだ」
吐かれた暗い声をアティは小さく首を振って否定した。
「無力なんかじゃありません。貴方の優しさはいつも私の心を守ってくれてます。自分の心を守れないような人間が、他人を守れるはずなんてありません。私の心には、貴方が必要です」
出逢った時の事を考える。ずっと独りだと思っていたのに、いきなり現れて頑なだったそれを溶かしてしまったのはやっぱり彼もまた独りだったからだろう。
望んだのはささやかな事。家族が、欲しかった。
楽しい時には一緒に笑って、泣きたい時には胸を貸して、そして毎日同じご飯を食べる。
今考えればずっと、そんな事を彼としてきたのだと気付く。
帰る場所がなくて、長期休暇の時誰もいない校舎で二人だけでクリスマスを祝って夏は内緒で花火をした。
バレて反省文を書かされたけど独りじゃなかったから平気だった。
幸せだった、とても。だから剣を向け合った時は辛かった。
寂しくて、辛くて、でも今こうして側にいる。それはまるで奇跡。
幾千幾万の可能性の中から選び取ったこれは正しい判断だったのだと、信じたい。
「馬鹿だよ、君は…。俺なんてほんとに何もないのに…。でもごめん、俺、我侭で自分勝手だ。幸せに出来ないって…無力だって分かってるのに、君にそう言われて嬉しいんだ。君と幸せになりたいって、思ってしまうんだ…」
大きな手が震えながら自分の体を抱き締めてくる。
ああこれは正しいことなんだ。心が叫んでる。
だって、こんなにも嬉しい。
「私の…家族になってくれますか?」
「うん…俺、何もできないけど、せめて、君と子供の幸せを守れるように…頑張るよ」
微笑んでそのままキスをした。もう何年も一緒にいるのに唇を重ねたのは初めてだ。
触れた唇は予想以上に柔らかく温かい。まるで甘い夢を見ているようだった。
「んん…ぁむ…んふ……」
角度を変えて何度もされるそれは酷く熱くて眩暈がする。
絡めた舌はいやらしく、官能は体を火照らせる。
けどその瞬間が愛しくて、馬鹿みたいにお互いを貪りあった。
「ん、は…レックス…いやらしいです……」
「君の方がいやらしいって。…このまま抱いても、いいかな?」
「ふふ、10万バーム分の体、堪能させてもらいますね」
可愛く笑ってアティはもう一度軽く口付ける。
それにレックスは少し驚くがそのままそっとアティをバズタブの縁へと座らせた。
そして白い首筋にキスを落とす。
「手、おっきくなったんですね…」
「もう子供じゃないからね、心も体も」
「体、傷増えましたね…」
「でもこの傷以上に俺が傷付けた人は多いんだ…」
許されようとは思っていない。他人を傷付けて、それでも自分だけ幸せになるなんてとても勝手だ。
でも、人は生まれてきた以上皆平等で誰しも幸せになる権利があるのだと思いたい。
不幸なのは寂しいから、だから幸せになる為に足掻くのだ。馬鹿みたいに。
無様でも、格好悪くても、それでも誰かを幸せにする為に生きたいと思うから、何度傷付いても他人を求めてしまうのだ。
それは人の性という弱さなのかもしれない。でも弱いからこそ愛しいのだと、そう思えるから。
「アティ、たとえ目を瞑っても傷が消える事はないから、せめて俺はもうこれ以上誰かが傷付かないように優しくありたいと思うよ。君の心を守れるような人間になりたいと、思ってる」
そう言って今度は胸へとキスを落とす。
びくっと震えた体を一度抱き締めて安心させ、その後そっと手を這わせた。
「あ、あん…ゃ、そこ、感じちゃう…!」
アティの柔らかく豊かな乳房は揉む度にその動きに合わせて形を変える。
弾力のあるそれが手で愛撫される度アティの口からは甘く切ない声が漏れた。
「ん、あ…だめ…ッ」
乳首を口に含み、舐め上げればアティは感じるのか首をいやいやと小さく振る。
それでも口から漏れるのは歓喜の悲鳴だ。
自分の体を愛撫する彼の柔らかな髪に手を絡ませて唇を噛んで喘ぎを押し殺す。
「アティ、声聞かせて?」
「ダ、ダメです…。恥ずかしい…です、から…」
「恥ずかしいのは俺も一緒なんだ。こんなみっともない体見せるのも、君にだけだ」
そう言って向けられる微笑みはやっぱり優しくて、アティの体の緊張が少しだけ緩んだ。
それを見届けるとレックスはアティの脚をそっと左右に開く。
その間から覗く秘所は既に今までの愛撫によって濡れており、どうしようもない欲情を誘う。
そこをそっと指で撫でればアティの咽喉が反り、顎がくんと上がる。
「気持ちいい…?」
「っ、は…何か、凄いです……」
今までに男の人と体を重ねた事はあるけれど、好きな人に触られるというのは今までとは比べものにならないほどの快感を齎す。
今まで焦がれて止まなかった指先は、酷く卑猥で愛しい。
「レックスも…気持ち良くなってくれなきゃ嫌です」
そう言ってアティはレックスの腕を引き剥がしてその身を屈ませる。
眼前にあるのは欲情を隠さない男性器でそれをそっと指で撫で上げた。
突然の刺激に戸惑うようにその体が震える。
「私の体に…欲情してくれたんですね。何だか恥ずかしいけど嬉しいです」
そのまま小さな唇でそれにそっと触れる。
ちろりと舌を出して唾液を絡ませ、根元から丹念に舐め上げていった。
「んん…ふ…気持ち、いいですか?」
「…っ……いいよ、凄く」
熱い吐息と、艶を帯びた声が上から降り注ぐ。
アティはそれに満足気に微笑むと今度は熱く膨らむそれをぎゅっと大きな胸で挟み込んだ。
「ア、アティ!?」
「もっと…私の事感じてください」
レックスの驚きの声にも構わずアティは胸でレックスの性器を扱き上げる。
熱いそれを擦り上げる度にアティもまた欲情していく。
「ん、ふぁ…レックスの…あっつい……」
先端を舌先で舐めながらアティは熱っぽく言葉を吐く。
熱くなっているのは相手の体なのか自分の体なのかもう分からない。
「んッ…アティ、もういいから……。膝を付いてここに手、置けるかい?」
「あ、はい…これで、いいんですよね?」
アティは言われるままにタイルに膝を付いてバスタブの縁に手を置いた。そして自ら腰を高く上げる。
レックスはそれを見届けるとアティの体に覆い被さるように体をつけ、手を重ねる。
そして熱くひくつくそこに膨張した性器を押し当てた。
「いくよ? いいかい?」
「はい…私の事、もっと感じて下さい」
アティのその言葉にレックスはそこにグっと性器を押し入れる。
「ん、ぅ…ッ!」
アティの口から小さく声が漏れる。
それでも苦痛はないらしく、熱い膣はきゅうきゅうと締め付けながらそれを飲み込んでいく。
「あ、あ…ん、ふ…ッ!」
奥へ奥へとレックスが腰を進め、深く繋がってゆくほどにアティの口から切ない声が漏れる。
アティの耳元で吐かれるレックスの吐息も熱い。
「動く、よ…」
押し入った熱が奥まで入った所で、艶を帯びた声で耳元で囁かれた。
その言葉が終わると同時にレックスが中で動く。
腰を突き入れる度に響くのは卑猥な音で、それは行為を加速させるには十分な程いやらしい。
「ん、あ、ああッ、ふあ…ッ!」
浅く深く繋がって、お互いの存在を確かめ合う。
重ねた手の体温も、繋がる場所の熱さも、その全てが愛しくて溢れる快感は体も頭も溶かす。
こうやってずっと繋がっていられたのなら。
そう思っても別々の体を持って産まれて、他人という形をもってしまった以上それは叶わない。
だから人は他人を求めるのかもしれない。
自分の中の弱さという隙間を埋める為に。寂しさに慣れてしまわない為に。
こうしてずっと身を繋げて、自分の弱さを認めていくんだろう。
「あ、あぅ、んああッ、だ、だめ…おねが…もっと、ゆっくり…あぁんッ!」
激しさを増すレックスの腰の動きにアティは切なく喘いだ。
胸に湧くのは愛しさなのか、浅ましい快感への執着なのかは分からなかったけれど、それでももっと深く繋がりたくて自ら腰を振る。
もういやらしく響く水音も肉のぶつかり合う音も耳に入らないほどお互いの体に溺れていた。
「あふ、あ、あ…わ、私…私、もう…っ、ふあッ!」
「…アティ、俺、も…ッ!」
ガクガクとアティの脚が震え始め、その体が崩れる。
レックスはそれを力強い腕で支えながら大きく腰を突き出した。
「んふあッ…ああッ!ああああッ!」
「…っ、あ…!」
アティの中を熱い迸りが満たす。アティはそれに身悶えながらそっと顔を上げてまた軽くキスをした。
触れたそれはやはり温かい。それを嬉しく思いながらアティはまた可愛く微笑んだ。
「ふふ…10万バームの体、しっかりと味わせて貰いましたから」
「…いい加減それから離れようよ。俺、正直10万貰うくらい上手いとは思えないからさ…」
ゆっくりとアティの体から己を引き抜いてレックスは苦笑いを浮かべる。
それに返ってくるのはやっぱり愛らしい笑みだ。
「じゃあこれから10万の価値が出るくらい上手くなれば問題ないですね。
大丈夫です、私はどこまでも付き合いますから」
何だか凄い事を言われた気がしたがレックスは気にせず微笑み返した。
――一度失われたものは戻らない。
自分はもう二度と彼女を守る力を持つことはできないだろう。
これからずっと、守りたいと思っていた人に守られて生きていくのだ。
それに歯痒さがないと言えば嘘になる。
それでも、今がとても愛しいと思うから。
だからここで、生きていこう。彼女の隣で、甘ったるい幸せを抱き締めたまま。
「アティ…幸せに、なろう」
そのまま唇を近づけて、そっと触れさせる。
その時交わしたキスはチョコレートのように甘い。
それは幸福という名の、かけがえのない小さな奇跡であった。


おわり

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