軍医さんと煙草の関係



血溜りの広がる床をぼんやり眺めていた。
ぬらつくそれが靴の爪先に媚びるように纏わりつくのが鬱陶しい。
ぱた、ぱた。音がする。
左袖口から、足元に転がる物体が垂れ流すのと同色の液体が滴っていた。
切り裂かれすだれ同然になった白衣の腕部分を見て、やっと傷の痛みを思い出す。
「うわ」
間抜けな嘆息を吐き窓の外、空を見る。
真円に程近い月が見下ろしていた。
喧騒が耳に届く。
「……ウロってる場合じゃないでしょうが。私の仕事はこれからなんだから」
不意に我に返ったかのように、紅の髪を乱暴にかき上げ、アティはきびすを返した。

旧王国との繋がりのある犯罪組織、その支部のひとつを摘発、拘束時に抵抗を受けた場合は殲滅もやむなし。今回、帝国軍第六海戦隊が受けた指令だった。
敵の本拠地に突入してから約二時間。やはり戦闘は避けられなかったものの、終始軍側に有利な展開へと持ち込めた。問題児の寄せ集めとはいえ、個々の戦闘能力は決して他の兵士に見劣りするものではないのだ―――問題は別の所にあるにせよ。

狂った音程の悲鳴が部屋に響き渡る。
焼け焦げぼろぼろになった絨毯の上のた打ち回るのは、組織のリーダー格だった外道召喚師。半日前までこの部屋で手下に指示を下していたはずの男だが、今は肩口を押さえみっともなく這いずっている。
「うるせえんだよっ!」
「ぎ……っ…!…」
腹を容赦なく蹴り上げられ、男が吐瀉物を撒き散らす。
「ちっ……手間掛けさせやがって、今ここで止めさすか、ああ?!」
「やめろビジュ!」
背後からの制止に忌々しげにビジュは振り向く。
「これはこれは副隊長殿、お早いお着きで」
皮肉めいた挑発に乗る様子のない上官にも、ビジュの勢いに圧され壁際で眺めてるしか出来なかったくせにギャレオが来た途端ほっとした表情浮かべた同僚にも、腹が立つ。
「敵とはいえ出来るだけ被害を抑えろと、
 アズリア隊長があれ程言ったのを聞いていなかったのか?」
聞いていたからこそ、その甘っちょろさに苛つくのだ、とは言わなかった。
視線を落とす。
ぜいぜい不規則な呼吸をする男の肩に埋まるのは投具。ビジュが放ったものだ。
「分かりました、よ」
それに、無造作に、鉄板で補強した靴底を振り下ろす。
刃がより深く肉へと打ち込まれる感触。神経の束を引き千切る確かな手応え。
男が白目を剥いて悶絶する。
「ビジュ、貴様っ……!」
「殺しちゃいないでしょうが」
睨みつけるギャレオと、おそらく二度と動かないであろう腕を後生大事に抱えたまま失神した男をビジュは嘲笑った。


「―――捕縛は計十八人、死者一人。逃亡はゼロ。こちらの損害は死者重傷者なし、軽微。
 諸君の働きは見事だった。これより三日ほどだが短期休暇を与えるので、
 皆ゆっくり身体を休め鋭気を養ってほしい。以上、解散」
作戦を終え本部にて申し送りをする頃にはとうに夜半をまわっていた。
とっとと官舎に戻ろうとするビジュをアズリアが呼び止めた。
また説教かと嫌々向き直るのに、
「ビジュ、アティが何処にいるか知らないか?」
「軍医?」
そういえば現場で負傷者の手当てをしているのが最後に見かけた姿で、申し送りの席にはいなかった気がする。言動の割にこういう事には生真面目な彼女が珍しい。
それはともかく。
「どうして俺に訊くんですかい。俺はアイツの保護者でも何でもねェんですが」
「ああ、保護者でないの『は』分かっている」
意図的にかそれとも無意識なのか、微妙に含みのある返事だった。
「まあいい。見つけたら……」
黒曜石の瞳が揺らめいて。
「……いや、何でもない。引き止めて悪かった」
意味を問い返す間もなくアズリアは立ち去ってしまい、戸惑うビジュが残された。


言われたから、という訳でもないが医務室に立ち寄ってみる。
誰もいない。考えてみれば、アティのいる可能性の高い場所はアズリアが一通り探したはず。それでも見つからないのなら、別の所にいるということだ。
と、何か、音がした。発生源とおぼしき窓の方へ近づく。
鍵が外れていた。
外開きの枠を押す。軽く鼻をつく匂いがし。
「……っく、げほげほっ」
外壁にもたれて座り込んだアティが、思いっきり咳をしていた。いつもの白衣は戦闘で駄目にしてしまったため、今はワイシャツにスラックスという春先には寒そうな格好だ。
ひょいと涙浮かべた顔がこちらを向き。
「…………をわわっ?!」
相手の方が驚く勢いで身を反らす。
「ビジュさんじゃないですか、びっくりさせないで下さい」
「夜中にこんな場所いやがってそりゃこっちの台詞だ!」
はあ、と吐息をつくアティの手には、紙巻き煙草が一本くすぶっている。
「喫煙見られただけであんなにうろたえやがって、テメエは中学生か」
「お気になさらずに。あ、申し送り終わりました?」
「とっくの昔にな」
「そうですか。……ふふ、さぼって裏で煙草だなんて、本当に不良みたいですね」
紙巻きをくわえて、また咳き込む。
「そこまでして吸うものじゃねェだろ」
「普段はやりませんよ。苦いし煙いしせっかくシャワー浴びたのに髪に臭いがつくし」
手のそれとかなり矛盾することをほざき、思い出したように、
「そうそう、聞きましたよ」
「あん?」
こいつもか、と顔をしかめるビジュに、
「五人斬り達成おめでとう。さすがは我が隊のエース、戦闘だけならトップクラスですね」
からかいに似た口調でそう言った。
「しかも全員寸止めだったんでしょう、偉い偉い」
「二回言われると馬鹿にされてる気がするんだが」
「気にしすぎですよ」
あっさり流し、
「……まあ死んだ方がましなのかもしれませんけど」
辛辣なことを呟いた。
帝国と対立を続ける旧王国、そこに組する者が軍に捕えられればどういう扱いを受けるのか……組織に属していく上で知らなくても良いこともある。
夜風に古傷が疼く。
沈黙を読み取ったのか、突然アティは、
「『酒、煙草、香水、最低どれかひとつ覚えておけ』」
「……いきなり何だってんだ」
「訓練生時代の担当教官の口癖です」
―――軍医ってのは戦場に出ても出なくても血に塗れる仕事だからな、血臭が染付いて困るんだ。そういうの誤魔化すには、さっきのみっつが手頃なんだよ。酒臭いのが嫌だ、女臭いのが嫌だなんて言ってると、
「―――俺みたいに『ぱぱへんなにおいするからきらいー』なんて言われちまうぞ、
 というのが持ちネタでした」
くすくすと思い出し笑いする。揺れる紙巻きの端が崩れて灰がこぼれた。
「で、それに従っているのですが、今アルコールに頼ると悪酔い間違いなしですし、
 香水は普段使わないのにあんな高価なもの買う趣味はないので、消去法でこれ」
いかにも安物の煙を繊手でもってくゆらせてみせる。
「ンなに臭うもんか?」
「気分の問題でしょうね……私も大して気にしてなかったんですけど、今日は、ちょっと」
苦笑いし、短くなった煙草を石造りの地面にぐりぐり押しつけ火を消す。
「もう死んじゃったんですけどね、その人」
さらりと。話のどうってことない続きのように。
「私が本仕官になって、通常勤務に戻ってからすぐらしいです。
 つまんない任務で、つまんない死に方して。
 死ぬなら肺癌で死にたい、も口癖の方でした……厭な仕事ですよ、本当に」
最後は半ば独り言だった。
月光に縁取られた横顔は酷く老成した、いつものアティしか知らない者なら絶句すること間違いなしの表情を浮かべている。
ビジュは窓から手を伸ばし、赤毛の頭を小突いた。
「……ったあ〜。脈絡なくはたくなんて非道いですよっ」
「うるせえ。一回りも年下のガキが悟りきったような口ききやがって、生意気なんだよ」
「一回り、ってそこまで下じゃないんですけど」
「ああ悪りいな。まだ酒も煙草も駄目な年齢だとばかり思ってたもんで」
一瞬唖然としたアティは憤りつつ立ち上がったが、すとんと肩を落とし気の抜けた笑い声を立てる。
「もういいですよ。確かに湿っぽかったのは事実ですし―――何だかなあ」
まだ中身を八割ほど残したままの煙草の箱をポケットにねじこむ。
「もういいのか」
「これからの交渉次第ですね」
窓枠越しにビジュと対面する。
月を背にするその顔はよく見えない。
「今夜は一緒に居てくれませんか」
予想外、ではなかった。
「一緒に、ねえ」
「お疲れだったら無理にとは言いません。ビジュさん私と違って若くないですし」
さりげなく根に持っている。
「で、居るだけなのか、軍医殿?」
「要望次第ではオプションつけますけど」
微妙に艶の足りてない会話だが、本人らはいたって真剣だ。
相手に求めさせ、自分が少しでも優位に立とうと。
しばし、両者とも無言。
そして。
「……家に帰りたくないんです。独りでいるのも嫌だし、……それに、貴方とそういうがコトしたい」
今夜の先後手は決まったらしかった。


脱ぎ落とされる衣服、その下から現れる白い肌に、見慣れぬ痕を見つける。
「あ、気になります?」
アティは己が左肘から二の腕にかけての朱い筋と薄く脹れた周囲を指差した。
「大丈夫です、召喚術で治して貰ったから痛みもないですから。
 痕は残るかもしれないけれど、後遺症出ないだけましですし」
そこで小首をちょこんと傾げる。長い髪がシーツに渦を作った。
「今更キズのある女は嫌だなんて言いませんよね?」
「それこそ今更だな」
最後の一枚取り払ったのを見澄まして引き寄せ、アティが少々拒む仕草をとるのも無視し唇を重ねる。割り入れた舌先にざらつく刺激。
「……煙草、残ってますよね」
一旦は解放され息をつくも、再びこじあけられる。
確かに苦かった。
だがいつもとは違い、アティの口内で避ける挙動を繰り返す舌を追い詰め犯すのは、これはこれで楽しいものがある。
唾液をわざと音を立てて啜った。
滑らかな頬がほんのり朱く上気する。やっと腹をくくったのか柔肉が絡んできた。
安っぽい苦味が少しずつ別の、知ったものに換わってゆく。
唇を離す。透明な液が細く糸を引いた。
アティは拭いもせずビジュの首筋へと舌を這わせた。
そっと刺青に沿って温かい粘膜がなぞりあげる。
豊かな乳房としこり始めた先端が押しつけられ舌の動きにつれてじわじわと移動する。
ビジュが張りのあるそれの下に手を差し入れ持ち上げ、掌全体を使って揉みほぐす。
乳首が擦れる、外気に晒される舌がびくりと震えた。
と。軽く押されたかと思うと、あっさりベッドに転がり押し倒されてしまった。
悔しいことに下肢の力が抜けて思うように動けない。

「血の臭いが駄目っつったよな」
不意に、問われる。
「なら俺に抱かれるのは平気なのか?」
乱れた呼吸を整えようとしていたアティはきょとんとした顔をし、
「ひとのは割と構わない性質なんです。なのに自分がそう思われるのは厭で……いえ、私がそういう人間だって知られたくない子がいて、その子さえ騙せればあとどうでもいいんです」
自嘲混じりに返答する。
「……すさまじく自己中だな」
「自分でもそう思いますよ……あ、それと」
口の端に小さく笑みを浮かべ、
「こんな話しても引かない、それどころか同情すらしないのはビジュさんだけですよ、だから」
だからこういう関係になることを望んだのだと。残りの言葉は胸に留め置く。
目をそっと眇める。乏しい光源に垣間見える顔は、
何ともいい難い表情だった。
全く。たまに毛色の違う行動するとこれだ。
『好きです』だなんて真顔で言った日には。
(…………九割九分九厘、笑うか流すか馬鹿にするかでしょうね……私もそうするし)
ただし0.1パーセント程の確率で別の反応を見せてくれるかもしれない。
そうしたら……
……
……
……酷く、困ったことになるだろう。

ぎこちない空気の中、話はもう終わりとばかりに体重かけられる。
間を置いた身体は固さが戻りかけていて抵抗を示す。構わずビジュは腰を進めた。
「ちょ……少しは、優しくしてくださいっ」
額に汗滲ませての抗議に、秘所を蹂躙するそれが一旦止まったかに思えたが。
ずり、と浅く引かれる感触。直後。
まだぬめりの足りぬままの柔襞を無理矢理かきわけられた。
貫かれる予測に身体が強張る。
だが先程よりは深い位置に来たが、またしても引かれ。
「……あ」
思わず洩れたのは我ながら残念そうな吐息だった。
良く見えないが、確実にビジュが笑ったのが分かる。
やられた。羞恥と、燻る物足りなさで頭がくらくらする。
何度めかの押し込みついでに、耳元で囁かれる。
「で、何か言ったか」
アティには選択肢があった。「優しいのとじらしプレイは別でしょう?!」とほんのりキレてみるとか、「……ばか」と呟き可愛らしさアピールしてみるとか。
だが紅唇が紡いだのは。
「―――実はそっちもぎりぎりでしょうに」
「……」
「……」
妙な笑い声がアティの耳朶を打つ。湿る背筋に別種の汗が流れた。
「分かってんなら文句は言うなよ、軍医殿」
両の腕で肩を押さえられ動けなくなる。
口は災いの元―――昔の人はいい事を言ったものだ。
などと誤魔化しても状況は好転しない。

一気に、それこそ遠慮も会釈もあったもんじゃない勢いで貫かれた。

「い……や、本気で痛……っ!」
そのまま揺すぶられ腰が軋む。
押さえ込まれているから逃げ場もない。涙が頬を伝い耳に入りそうになった。
半分は自業自得とはいえ痛くてしょうがない。なのに。
肉の擦れる音に粘り気がでてくる。
つられてアティの洩らす悲鳴も甘みを増して、嬌声と呼んで差し支えないものになってきた。
酷いことされている、という自覚はあるし、こんな醜態晒しては後で何言われるか分かったものじゃない、というのも理解できるが、頭できっちり制御出来るなら誰も苦労はしない。
いつの間にかアティも身をよじらせていた。
肩を押さえていた手ものけられているのだが、もう逃げようとはしない。

ビジュが微かにうめき身を起こそうとした。
咄嗟に背中へと腕をまわし引き止めた。
黙ったまま、きつく腕へと力を込める。潤んだ瞳がビジュを見上げる。
秒単位の間。
引き抜かれかけたそれが、もう一度、勢いをつけて侵入する。
空気と体液とが同時に押し出され気泡のはじける淫靡な音がした。
かぶさるようにアティの喉から高い声が洩れる。
主導権を完膚なきまでに握られ、ほぼ完全に身を任せているのに、咥えこんだ部位だけが蠕動と収縮を行い奥へ奥へといざなう。
乞われるままに叩きつけた。
苦痛か痛みを上回る快楽にか、アティが一際甘く、鳴いた。
それが合図になる。
貫く体積が増し。
連鎖するかのように残る力で締め付け。
重く揺れる胸を持ち上げ背が大きく反った。
刹那。ナカに熱。
―――とん、と、視界に暗幕が落ちる。
意識を取り戻し感じたのは、荒い息で抜かれたそこからとろりと零れる体液の熱さと、快楽の余韻に縛られ思うに任せぬもどかしさだった。


スラックスから煙草の箱を取り出し、アティは指を顎に当て考えていた。
「これ、どうしましょう」
「適当に置いときゃ誰かが持ってくだろ」
「それもそうですね」
ぽいと箱を投げ出し、アティはまたシーツに潜る。
「帰らねェのか」
「明けたら」
月は姿を隠し、窓の外は未明の色。
朝日が夜の残滓を駆逐するには、もう少し時間が掛かりそうだ。


休暇が明けて最初の出勤日、アズリアがまず向かったのは医務室だった。
「おはよう御座います。休暇、どうでした」
「……ああ、悪くはなかった」
そうですか、と微笑む親友を、
「……アティ」
真直ぐに見据え言う。
「私はお前のことをよく知っている。だから、お前がやったのは他にどうしようも
 なくなったからだとちゃんと分かっている……あまり気に病むな。それだけだ」
アティは幾度か目をしばたかせ、
「はい」
「じゃあな、しっかり仕事しろよ」
「隊一番の働き者には余計なお世話です」
冗談混じりの返答に苦笑しつつ医務室を後にする、その背に手を振って。

「……アズリアは優しいですねえ」
笑みはそのままにアティは呟く。手の中には煙草の箱。
立ち上がり、休憩室へと足を向ける。置いておけばその内誰かが吸ってなくなるだろう。
血の味を打ち消す苦味を欲しがらなくなるのと、どちらが先か。
彼女に判るはずもない。


End

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