有り得たかもしれないひとつの結末



ここに連れて来られて今日が何日めなのかを忘れてしまった。
重く閉じたカーテンに遮られ日も差さぬから、天気さえ判然としない。
昼食にと出された料理の冷め具合から、ようやっと時間だけは分かる。
何の足しにもならないけれど、と寝台に横たわったままアティは薄く自嘲した。
食事に手をつける気はない。どうせ夕刻になれば生命を維持するのに必要最低限の分量を無理矢理胃に流し込まれるのだ。わざわざ立ち上がる必要がどこにある。
上等の寝具も、纏わされた薄絹の衣装も、アティを守るにはやわすぎた。

生かされている。
この部屋で、好きでもない男の慰み者となるためだけに。

失われた島での無色の派閥の襲撃―――内通者という最悪の裏切りを受けた帝国軍は、続く戦闘に疲労していたこともあり、為す術もなく壊滅した。
隊を率いアティの親友であったアズリアもその時死亡している。混乱のさなか魔剣の所有者である弟が暴走。無色は一旦は引き、その際にアティは捕えられた。アティにはもう分からないが、およそ二月ほど前のこと。
もしかしたら人質として弟らの枷になるかもしれない、と悩み、その際の覚悟も決めていたのだが、何故か急に慌しくなったと思ったら島を去ることになった。
船倉に閉じ込められたままのアティには事情を知る手段はなく、どこか帝国内ですらない、無色の支配下にある場所に移された。
最初に与えられた無機質な灰色の部屋で聞いたのは、
「コレか」
「はい。どうかこれでオルドレイクの件をなんとか……」
どうやら自分が交渉品として扱われているらしい会話。
ひとをモノ扱いするな―――あの時はまだ、連日加えられる陵辱に心が折れかけていたとはいえ不満を抱く気力はあった。
すぐにこうなってしまうのに。
ずり、と背を丸め右足首に手をやる。
傷痕はごく薄く、光の加減によっては全く見えない。
けれど一撃は確かに腱を断ち切っていて、もう二度と動くことはない。
斬られたのは片足だけだから歩けることは歩ける。しかしここから逃げるは叶わず。

脈絡もなく思い出したことがある。
オルドレイク―――いや、あの島を襲った無色の面々で、主だった者と全く顔を合わせていない。会いたいとはかけらも思わないが少しだけ気になった。
今どうしているだろう、あの
「……」
浮かびかけた内通者のひとりの名を、ぎ、と押し戻す。
摩滅したはずの感情が一瞬さわめいたが、呼吸を繰り返すうちに元通りに澱む。
ゆっくり目を閉じる。
苦しいのはもう厭だ。肉体の苦痛が避けられぬなら、せめて精神だけでも。


無色の派閥の有力幹部であるその男は、一風変わった趣味の持ち主だった。
欲望の捌け口の女奴隷を他人と共有するのを嫌う、のはありがちとしても、そのため専有する女に部屋を与えるのは破格の扱いだ。特に子をもうけようとする意志もない。ただ単に趣味の範疇。
女子の人形あそびのように、自分好みに装わせ、飽きれば捨てる。
人並みの生活に見えても犯されることには変わりないから、狂ってしまう女もいる。
逆に情婦気取りでしなだれてくる女もいる。
最近セルポルト家が貢いできた女はなかなかの出来だった。
かの当主オルドレイクの起こした失態の事後処理に奔走し、傾いていた機嫌も幾らか直る。


思わず笑みが洩れた。
「……如何致しました」
側に控えていた弟子が目ざとく訊いてくる。
「なにも……いや」
ふと思いつき、弟子にあることを伝える。
彼は少々意外そうな顔をし、
「宜しいのですか? いえ、随分と気に入られていたようにお見受けしたので」
「ああ。今日は面白い話を仕入れたのでな。それに」
男は、ひどく愉しげに、
「飽きてしまえば価値がなくなる。執着の残るうちに楽しまねばな」
悪意も罪悪感もなく言った。


重い扉の開く音に、アティの肩がびくりと震える。感情のこそげ落ちた瞳とは裏腹の無意識の仕草が男の嗜虐心をそそるのだということに、アティは気づかない。
いつものように寝台へと押し倒され、機械的に身体を開かされる。
両腕を頭の上で縛られた。いつものことだ。
肌をなぶる不快な感触。こればかりはいつまで経っても慣れない。最終的には男を受け入れるのだから、少なくとも身体は馴染んでいるはずだが。
アティは首を限界まで傾け声を噛み殺す。
歪んだその顔は蒼白く、壊れる寸前の危うい美しさをみせる。

男はこの手の魅力を何よりも愛している。
そして、一番綺麗なときに壊すことを至上の悦びとする。
今宵は正に相応しい。
男の手が止まる。アティが視線を向けた。
「君に伝えねばならないことがあったのを思い出した」
見上げる霞がかった蒼い瞳。肉体ではなく精神が求める快楽の予感に興奮する。

「彼が死んだよ。二月ほど前だが」

アティは、きょとんとして聞いていた。仕方ない、誰が死んだのか分からないのだから。
じらすそぶりで考えるふりをし。
「名は……何といったかな。とにかくキルスレスの所有者ではない方の内通者だ」
台詞の効果はじんわりでた。
徐々に瞳にかかる紗がはがれ、現れたのは、混乱と、絶望。
震える唇が無音の言葉を発する。
「だから」
惨めなまでに強張る身体とちぐはぐな一言。
「随分仲が良かったそうじゃないか。伝えるのが筋というものだろう。
 ……それに、助けがくるなんてずっと思い込ませても可哀想だしねえ」
否定の言葉を掻き消すように。
「そんなつもりはなかったとでも? ならば何故君はこの場を受け入れられぬまま生きている?
 死ぬなら方法はいくらでもあったろうに」
これみよがしに食事に添えられたナイフ。裂いて縒ればひと一人の体重を造作なく支える紐を作れる薄衣。それから、それから。
解放の手段はこんな近くにあったのに何故気づかなかった。
「違う……違う違うちがう!」
必死で否定する。認めるわけにはいかない。
本当に、全く考えていなかったと言えるのか。
そんな馬鹿なこと。手の届かないと知っているものを欲しがるなんて、そんな。
本心? だってほら、こんなに動揺しているくせに。
涸れたと信じていた涙がぱたぱた溢れてくる。
裏切者の死を悼む必要はどこにもない。ならばこの意味は。

壊れたように首を振り続けるアティを哂いながら見ていた。これでも充分といえるが、
「そうそう、話には続きがあってな」
これが彼女に、僅かな救いと更なる絶望の、どちらを与えるのか男にも判らない。
前者だとつまらなくなるだろうが、試してみる価値はある。

「そいつはな、オルドレイクの小僧に言ったそうだ。件の作戦で手柄を立てたら、  捕虜をひとり引き渡して欲しいと……そう、君だよ。笑えるなあ?  仲間の全滅を容認しておきながら生き残っているのを見て途端に惜しくなったらしい」
男は、
賭けに勝った。

息が出来なくなる。
そんな話。
「…や…めて……」
今更いらない。
「君といい、そいつといい―――こんな事になって元の関係に戻れるわけがないだろうに!」
「やめてえっ!」

何故『今まで』を壊した。
一緒に仕事をして
軽口を叩きあって
身体を、重ねて
どうしてあのままで居られなかった―――!

「全く……セルポルトも存外好いモノを寄越したものだ」
本気でオルドレイクの小僧めの失態を許してやってもいいかとさえ考えてしまう。
彼女を押さえ強引にねじ込む。潤いのないそこがぎしぎしと削れ、赤いものが滲んだ。
泣き叫んでいる。弱りきった身で、全力で、恥も外聞もなく。
愉しくてたまらない。
長い髪がシーツの上をうねり蒼褪めた肌にからみつく。
最深を流れる血よりも、尚紅い。
悲鳴が心地好い。ぞくぞくする。出血で滑りが良くなり男の快楽を煽る。


名が。呼べない。
弟でも両親でも親友でもない、その名前。
理由は簡単なこと。
ずっと心を押し潰していたから唇が紡ぎ方を忘れてしまっただけ。
なんて、愚か。
「あ……や、だ…やだああああっ!」
蹂躙される。
這い回る不快さに、彼の、体温の、匂いの、記憶が塗り潰される。厭だ。
だってまだ、戦場で隣に立つときの安心感や、皮肉の応酬が楽しかったことは覚えて、否、思い出してしまったのに。痛い。奪うならこの感情も。痛い。身体が。心が。

思い出したくなどなかった。
こんな痛みを抱えるのが分かっていたから忘れたふりをして誤魔化していた。


私は、あの人を


―――胎内に、べたり、と、穢れ。


鈍痛が全身を覆う。
聞きたくもないのに、男とその弟子との会話が耳に入る。
「コレは好きにしろ。後は何時ものように」
「はい。では有難く頂戴します」
引きずられる。抵抗はしない。意味がない。
冷たい床に放りだされる。複数の嘲笑と圧し掛かってくる体。
早く終わりにして欲しかった。


「じゃあ後片付けといきますか……おい、聞いてるか?」
「聞いてるよ」
ぶっきらぼうに答えたのは、やっと子ども扱いされなくなる年頃の青年。
銃を片手に問いを発したのは、彼より幾らか年嵩の男だった。
青年の視線を追い、ははあと納得顔をする。
床にうずくまる赤毛の女。こめかみに銃口を押しつけられても寸分も動かない。
「あんたコレ結構好みだって言ってたな。やっぱり惜しいか」
彼らの師が飼う女は、壊れる直前まで弄んだ後、こうして弟子に下げ渡されるのが常。
例外は情婦を気取った馬鹿が生きたまま召喚獣の餌になったくらいか。
捨てたとはいえ他人のものになるのを見るのが気にくわないとかで、好みの女でも一晩で潰さなければならないのは残念といえば残念だった。
「まあこればっかりはしゃあないわな。ほれ、臭いが部屋につく前にとっととやる」
言って。無造作に引き金をひく。
血と白濁とに汚れた身体が跳ね、すぐに弛緩した。
それでも惜しげに見続ける青年をからかうつもりか、
「そうか、いやすまん気づかなかった」
「はあ?」
「あんたがそっち系の人間だったとはな。いいぜ、二十分やるからご随意に。
 でも死姦趣味の奴と同門だなんて恥ずかしいから俺の半径三メートル内に近づくなよ?」
「誰がンな気色悪いことするか!」
「はいはい、じゃ掃除しますかね」
「ごまかすなあっ!」
噛み付く青年と、笑いながらいなす男。



アティの虚ろな瞳から、涙がひとすじ落ちる。

死にゆく彼女が彼らの姿に何を見たのか
結局最期まで呼べなかった名は誰のものなのか

彼らにとってはどうでもいいこと。
師が少しばかり気に入っていた玩具が壊れて、近いうちに新しいやつが入ってくる。
果てない日常の、変化とも呼べぬアクセント。
それだけの話。


誰かが何処かで選択を誤った未来。
有り得たかもしれないひとつの結末。


End

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