ガブリオ×エア



どこかへ行ってしまえばよかった。
誰も来ない森の奥とか、光も入らない洞窟のどこか。
自分のような奴にはそれがお似合いだと思った。
自分に優しくしてくれた女の子に対して裏切りと刃で答えたようなはぐれ召喚獣には、それが当然の末路だ。
ここを出て行きたい――エアに会わせる顔がないから。
ここを出て行きたくない――エアに会えなくなるから。
そうした葛藤が自分の中に存在するにしろ、自分がエアを裏切った卑怯者であり、彼女の災厄をもたらしたのは紛れもない事実で、自分はそれに償わなければならない。
償い――エアのため。僕が犯した自分の罪から目を背けるため。

風の封刃砦。
元々はぐれになってから、人間に関わり合わず済ますために見つけた仮の住まいだが、思い出せばかなりの間いたような気がする。
それももう、あと二、三日の事だと思うが。
『ごめん』
ガブリオはいつかの事を思い出していた。
それは草木の芳しい匂いであり、一面に咲き誇る花の放つ燐光のことであり、エアの悲しげな顔の記憶だった。
『やっぱりここから出て行こうと思う』
ベッドで寝返りをうった。瞼の裏にはボルザックの花園の光景。エアのいい匂い。
『最後までキミの力になれなくてごめん』
回想の合間に蘇る記憶――黒い鎧の重み。自分の振るう剣がエアの肌を走る感触。
ガブリオが裏切っていたと知った時のエアの顔に浮かぶ驚愕。
『……行っちゃうの? ガブリオ……』
エアの声から伝わる底抜けの優しさ。
たとえそれが裏切った相手に対してのものでも。
『また、戻ってきてくれるよね……?』
ガブリオは答えなかった。
ただ、一緒にいてはいけないと思った。
エアは誰にでも優しい子だから。
自分は他人を不幸にするような男だから。
謀るような男だから。
ボルザックの花園を立ち去る時、背中にエアの悲痛な眼差しを感じた。
いつだってそうだ――ガブリオは思う。
僕が一緒にいれば、必ずあの子を悲しませてしまう。

暗い砦の中で、目を開けた。
最初、それは夢うつつな回想の残滓だとガブリオは思った。
空気の香りと記憶の中のエアの匂いを寝ぼけた頭の中で混同しているだけだと、そう考えた。
だが、目を開けた先には、確かにエアが佇んでいた。
暗闇の中でもそれとはっきり分かる。いつもまとめ上げた髪を今は下ろして、ベッドに横たわる自分を見下ろしている。
「……エア」
名前を呼ぶと、横倒しの視界の中でエアがベッドの脇にしゃがんだ。
ただ髪を下ろしているだけなのに、いつもよりひどく大人びて見えた。
――どうしてここにいるんだい?
その問いは、ガブリオの口から発せられる事はなかった。重ねられた唇よりも、擦れた鼻の方が気になった。
眠りの淵まで行っていたせいか、どうにもぼんやりした印象しか抱かなかった。
唇を離した時、ガブリオは無意識に唇を舌で舐めた。エアの味。
「……はじめてだからね」
ようやくエアが口を利いた。意識がそろそろと現実へ引き戻されていた。
「何……」
頬が赤くなり始めたのを自覚しながら問おうとした時、再び唇が重ねられた。
毛布の中にエアが潜り込んでくる。エアの舌が自分の舌に触れて、頬に当る鼻息がくすぐったかった。
「責任……とってくれるよね?」
理性の軛が悲鳴をあげていた。
こうしていると、エアの体の、外見からは想像できない柔らかさがガブリオの自制を一枚一枚剥ぎ取っていくように思われた。
そうした制約の類が全て溶けてしまうまでにたいした時間は掛からなかった。
意識を向ければ自分はエアの首筋に顔を埋めていて、少女の上に覆い被さるようにしていた。
エアの解かれた髪と熱い吐息が耳をくすぐっていた。
その身にまとう物を不器用に脱がせてゆく――暗い中で晒される白い肌。
そこに指や唇や舌を這わせる度に、エアは声を押さえようとして子犬のように喉を鳴らした。
「エア……」
今度はガブリオの方から唇を重ねていった。
手でエアの体の柔らかさをまさぐる。声をあげようとする振動が口から伝わる。
エアの味――エアの匂い。

承諾の言葉は無言だった。ただ潤んだ瞳がそう告げていた。
ガブリオがエアの温かみの中に自分を沈め始めると、エアはきつく目を閉じて口を結んだ。
エアのうっすらと涙の浮かぶ目尻を見て、ガブリオは悲しそうに顔を歪めた。
――どうしても、僕はエアを泣かせてしまう。
それでも、エアはその細い手をガブリオの背中に回して放さなかった。
「……大丈夫、だから」
痛みに歪んだ顔のまま浮かべた笑みが、ガブリオの躊躇いを融かした。
どれだけ苦痛を和らげようとしても、動くたびにエアは小さく悲鳴をあげた。
ガブリオはその悲鳴を唇で塞いで、涙をふき取りながらエアを愛しつづけた。
エアの苦痛の呻きに悦びの色が混じり始めて、そしてそれが喘ぎに変わった頃――ガブリオがいっそう強くエアの体を抱き締めた。
真っ白に魂が吸い出されるような感覚の後で、エアは迸るような熱さが体の中心を貫くのを感じた。

汗と精液の匂い。
それらに包まれて、エアは息を荒くしてベッドに横たわっていた。
解いた髪が広がって、暗闇のわずかな光を反射して輝いていた。
「責任……とってくれるよね?」
エアは再び訊ねた。
「……ねえ」
「……うん」
エアの横で横たわっていたガブリオは力なくそう答えた。
答えると、エアは嬉しそうに笑ってごろりと寝返って、ガブリオに顔を向けた。
「じゃあ、どこにも行かない?」
「…………」
ガブリオにはどこへも行ってほしくない――エアはそう願った。
引き止める方法など大して思いつかなかった。
ただ自分の思いのたけを全てぶち撒けてしまって、その上でガブリオの責任感と少しの罪悪感に訴えればどうにかなるかもしれないと、そう考えた。
引き止め方にしてもここまで卑怯でえげつない方法もないが、そうまでしてでも、エアはガブリオに傍にいてほしかった。
「ねえ」
そう言って、エアはガブリオの手に触れた。ガブリオはその一回り小さい手を握り返して、エアの方を向いて言う。
「……ちゃんと責任とる」
「うん」
「それにどこにも行かない」
「……うん」
不器用なりに頑張るからさ――ガブリオは思った。
エアのためを思って自分は出て行こうとした。
そのエア本人がガブリオと一緒にいたいと望むのであれば、それを拒む理由などありはしなかった。
「だって、僕もエアのことが好きだから」
ガブリオがそう言った時、エアは小さく笑みを浮かべて目を閉じていた。
呼吸がだんだんと規則正しく、小さな寝息へと変わっていった。
ガブリオはエアの手を握っていた。エアがまどろみから眠りへ落ちるまで、ずっとそうしていた。


END

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