宿屋の非凡な日常 1



恋だなんだと、周囲の女性陣は小説や知人の話で盛り上がったりしているが、少なくとも自分にはそういう事はまだ先の話だと思っていた。
ただでさえ宿屋の経営で毎日忙しかったというのに、加えてクソ親父が押し付けてきた厄介ごとまで背負う目にも遭ってしまったわけだし。
そして、運が悪ければ人生ここで幕を終えることになるのか……とも思ったりして、この上なくアイツを恨んだり。
でも、今の自分を取り囲む環境は、そのクソ親父のおかげで成り立ったものだと思うと悔しい反面――。

「ぅ……んっ、ライッ……!」
淡いピンク色の髪を柔らかに広げ、白いシーツの上で喘ぐ彼女はとても綺麗だと思えた。
今までお互いに恋愛経験はゼロに等しいものだった反動だろうか。
初めて覚えた甘い感情に突き動かされたまま、お互いを求める行為は想像していたよりも遥かに心地よいものだった。
「エニ、シアッ……!」
彼女の名前を呼び、まだ慣れない動きで激しくその中に自身を埋めるたび、高い嬌声が耳をくすぐる。
引き抜いて外気に触れた時の肌寒さと、柔肉が包み込む温かさの対照的な感覚がライの快楽に拍車をかけた。
「う……くっ」
思わず果てそうになるのを堪え、ライは息をのむ。
まだエニシアを満足させていないのに、先に終わってしまっては男のプライドにかかる。
その控えめな胸を片手で包み込み、込み上げる快楽を押しのけるように愛撫すると、エニシアは困惑したように目を細めた。
「あっ……」
「ご、ごめん。オレ……力入れすぎたかな」
「ううんっ、そうじゃないの。ただ、私……」
――小さいから、触られるのが恥ずかしくて。と赤面しながらつぶやく。
その様子があまりにも可愛く思え、思わずライまでもが頬を赤らめた。
女の子の一挙一動にここまで心を動かされることなんて、今までなかったというのに。
それほどこのエニシアという少女が、自分にとっては愛しい存在なのか。
クソ親父にはぶつけてやりたい文句が山ほどあるが、それでもエニシアと出会う機会を与えてくれたことだけは、感謝しなければいけないのかもしれない。
くやしさに目を伏せると、ライは一層強くエニシアを抱き寄せた。
「あっ、あぁっ……!んっ、ライッ、はぁっ……!」
ひときわ喘ぐエニシアに唇を重ね、たどたどしく舌を絡める。
柔らかい舌の感触と唾液の水音が否応なくライの感情を昂ぶらせた。
エニシアの口内にどことなく甘さを覚えるのは、彼女が花の妖精だからか。
それともこの胸にとめどなく湧き上がる甘い感情が、ライから正常な感覚を奪いつつあるのかもしれない。

「んっ……、うぅっ……!」
激しく貫くたびにエニシアの細い背筋がしなり、可憐な顔が妖艶に歪むとライの胸は脈拍を増していく。
エニシアの腕がライの背中を強く掴むと同時に、ライの脳を電撃のような快感の波が襲う。
彼女の最奥へ自身を突き入れると同時に、その感情のすべてを――。


「ライーッ!?早く起きなさい!ウサギが亀に追い越されるくらいにお寝坊ですわよ!!」
「…………っ!?」
甲高い声にライは目を見開いた。
……そこにエニシアの姿はなく、明るい日差しが窓から静かに差し込んでいるだけだ。
目の前のリビエルは呆れ顔で目を伏せると、再び口を開く。
「まったく、御子さまが自立したいとおっしゃって部屋を別々にされましたのに、肝心の親のあなたがさっそく寝坊で起こされる状況だなんて……親としての自覚に欠けていますわよ」
……夢。
まだ何か言っているリビエルを視界の片隅に置き、ライは虚空を見上げる。
確かに恋愛に関してとことん免疫のない自分が、あんなことを出来るとは思っていなかったが……。
無残にも現実を突きつけられ、ライはがっくりと肩を落とした。
と、そのとき、ふと下半身の違和感に気付く。
「とにかく早く起きなさい!店長のあなたがいつまでも寝てるなんて――」
「わああ――っ!!ちょ、ちょっとタンマ!!」
「タンマだかトンマだか知りませんけれど、早く布団から抜けないと許しませんわよ!」
「ま、待てってば!?オマエに言われなくたって起きるって……うわ、布団を引っ張るなぁっ!」

「これ、リビエルよ。その辺で許してやるがいい」

ライの冷や汗交じりの奮闘のさなか、リビエルの背後から聞こえたのは飄々とした男の声だ。
いつの間に部屋に入ってきたのか、朝っぱらから優雅に扇子を扇ぐその男は、言わずと知れた龍人のセイロンである。
「さすがの店主殿も、日々の労働の疲れが溜まっていては寝坊も仕方あるまい。それに寝坊をするほど気を抜いていたということは、店を手伝う我らを無意識に信頼してくれていたという証であろう。大目に見てやれ」
「それはそうかもしれませんけど、御子さまがすでに店の支度を始めているというのに……」
「それにしても随分と大胆であるな、リビエル?……霊界では異性の寝床に無断で踏み入るなど、さほど珍しくもない行為ということか」

「なっ……!?」
言葉を遮ったセイロンの発言に、リビエルは怒るのも忘れて硬直する。
更に追い討ちをかけるように、彼は伏し目がちに意地悪な笑みを浮かべた。
「……おまけに、男の乱れた寝起き姿を強引にでもうかがいたいと見える」
「そ、そそそんなっ、天使である私が……そんな、いかがわしいことを考えるはずがありませんわよっ!!」
直後、リビエルは紅潮しながら全力疾走で部屋を飛び出していった。
……嵐が去ったあとの静けさという風に、ライは重いため息をつく。
「この事実」を知られずに済んで安堵の感情は生まれるものの、あれが夢だという落胆からは逃れられなかった。
「あっはっは!間一髪であったな?店主殿」
楽しげに扇子を扇ぐセイロンを見上げ、ライは訝しげに目を細める。
「か、間一髪って、何がだよ」
「うーむ。こうなるなら、やはり我が事前にそなたを起こしてやるべきだったか」
「だから、何のこと――」
「いやいや。実は我のほうが先にこちらに来ていたのだがな?どうにも店主殿が寝言交じりに良い夢を見ているようであったから、起こすのを遠慮してしまったのだよ」
寝言……!!
一体何を喋っていたのかなんて、もはや聞きたくはない。
ライの反応にセイロンはパチンと扇子を閉じ、その先をライの布団へ突きつけた。
「我の予想が正しいか確認を、と布団をめくってみれば大当たりとは……あっはっはっは!」

「あっはっはっは、じゃねぇ――ッ!!!」


「パパ、デザートの盛り付けはこれでいい?」
「おうっ、ありがとうなミルリーフ」
賑わう食堂に耳を傾け、まだまだ客は減りそうにないと知ると、ライは嬉しくも苦い笑みを浮かべる。
忘れじの面影亭は、昼食時は戦場そのものだ。
だが最近ではミルリーフや御使いたちも店を手伝ってくれるようになり、幼馴染に家を抜け出して手伝いにきて貰う必要もなくなった。
少しは心身ともに楽な状況になった今では――ひとつ、日々の密かな楽しみがある。

「エニシアちゃん、こっちの注文はまだー?」
「はいっ、ただ今うかがいます!」

今やこの店の看板娘ともいえる、アルバイト店員のエニシア。
社会勉強という形で「保護者」に許可を貰い、毎日通ってきている少女だ。

まだ若干不慣れなところはあるものの、彼女の仕事に対する一生懸命な姿は誰が見ても魅力的に映るものだった。
客の中には花のように可憐だとか、妖精のような軽やかさだとか言う者もいるが、まさか本当にエニシアが花の妖精の血を引いているとは思わないだろう。
「ライ、らーめんセットとギネマ鳥のソテーと……えっと、注文追いつけない?」
「大丈夫だって。盛り付けや食材を切るのは皆に手伝って貰ってるしな」
こうやってエニシアと過ごす日々が、ライにとっては毎日の元気の源だった。
同じ場所で働くようになり距離が縮んだことで、ライは彼女に対してどことなく淡い感情を抱くようになっていた。
恋というような恋も経験せず、そっち方面はとんと鈍い人間であることはライ自身自覚している。
だがこの気持ちは確かなものだろうと、ライはエニシアに笑みを向けた。
「それで、まだ注文受けてるのか?」
「うん!えっと、『御飯、御飯、御飯、味噌汁、味噌汁』をよろしくね?」
「…………」

「おお、お待ちしておりました……って、うはぁっ!?」
目の前に置かれたパンと野菜スープのセットに、注文主が絶望に目を見開く。
彼が見上げた先には、口元を引きつらせるライの姿があった。
「この忙しい時に昼飯をたかりにくるなんて、相変わらずだな……シンゲン」
あの戦いが終わってからシンゲンもこの宿を後にはしたものの、今だこうやって時折食堂に顔を見せていた。
どこかの盛り場で一応仕事には就いているらしいが、出世払いと言っては故郷の料理を求め、御飯をツケで食べに来る状況である。
「うう……非常に手厳しい。あ、ところで御主人」
ケロリと表情を戻すと、シンゲンは何かを思い出したようにライを手招きする。
「それで、あの姫君とはどこまで?」
「ぶっ!?」
突然の爆弾発言に吹き出すライだが、シンゲンは相変わらずの笑顔だ。
「御主人には言葉に出来ないほどの御恩がありますからねえ。色恋の相談ならばここは是非!自分にお任せくださ……おや?」
……気がつけば、ライはテーブルの端にしがみついてしゃがみ込んでいる。
その顔はシンゲンを睨むように見上げながら、赤く染まっていた。
「な、なんで知ってるんだよ……!?」
「あっははは。本当に当たってたんですか」

「って、カマかけやがったのかよ!?」
一瞬周囲が静まり、客の視線が一斉にこちらを向く。
引きつった苦笑いでその場をごまかすと、再びシンゲンに詰め寄った。
「ちょ、ちょっと待てよ。もしかしてその……皆にバレバレなのか?」
「どうでしょうねえ。ここにお住まいの方々は、その手の事情には疎そうに見えますけど」
あえていうならセイロン殿くらいでは、と続けられ、ライは再び崩れ落ちた。
この二人に気付かれては、あれこれとからかわれる運命が目に見えている。
それに恋愛の助言といわれても、彼らはあの「鬼妖界組」だ。
恋愛初心者のライに実行できるような内容の助言など、とても期待できそうにない。
「向こうも御主人のことを好意的に思われてるはずですし、若いうちは勢いでキメちゃえば宜しいじゃありませんか」
「何をキメるんだよ!?……それに、オレと違ってエニシアには心配性な家族がいるし」
「ああ、「保護者」の方々ですか」
シンゲンの言葉に、ライは口ごもる。
エニシア曰く「保護者」な存在。
確かにエニシアの家族で、彼女を守ってくれているわけだが、あれは――。


(ライ……あの人とずっとお話してるけど、厨房のほうは放っておいて大丈夫なのかな?)
ライとシンゲンの姿を眺めながら、エニシアは不安げに厨房へ視線を向ける。
だが直後、ワチャーという奇声が聞こえてきたので料理のほうは心配ないのだろう。
再び注文を受けようと周囲を見回したとき。
「おい、姉ちゃん!そろそろ帰るんで金を払いてえんだが」
「あ、はいっ」
背後からかけられた声に振り返ると、昼間から酒を呷っていた中年の男が赤ら顔で手を振っていた。
近づいただけでその匂いが鼻腔を突き、エニシアは笑顔を浮かべながらも思わず身を引く。
「えーと、お会計は」
「それなんだがよぉ……」
男はエニシアの姿を、酒で焦点の定まっていない目で舐めるように見つめる。
口元に下品な笑みを浮かべる相手にエニシアは困惑しつつも、その場を離れることは仕事上無理というものだ。
ゆっくりと立ち上がった男は、困ったように髪をかくと再び口を開いた。


「わりいな、姉ちゃん。手間かけさせちまって……ははは」
「いいんですよ。お客さんは気になさらないでください」

酔っ払いの男が言うには、店に来る途中には持っていたはずの財布が、気付いた時にはなくなっていたらしい。
店の中は探したので、もしかしたら店の周辺で落としたのかもしれないとのことだった。
「草むらの中にも落ちてないみたいですね……」
宿屋から少し離れたところまで来たが、財布はどこにも見あたらない。
かがみこみながら歩くエニシアの後ろを、男は無言で歩いていた。
「あー、もう少し向こうのほうだったかもしれねえなあ」
「もしかしたら、誰かが拾って届けてくれているかもしれま……きゃあっ!?」
突然お尻に生温かい感触を感じ、エニシアが叫ぶ。
振り返ると、酔っ払いの男が楽しげに手の平を掲げていた。
……どうやら、この手に撫で上げられたらしい。
「いやー。姉ちゃんを店で見かけてさぁ、えらく可愛い子がいるもんだと思ってよ」
酒臭い息をエニシアの眼前で吐き出し、男はゆっくりと近づいていく。
「え……?」
わけの分からない状況にエニシアは混乱しながら、不安げな眼差しで男を見上げた。
自分はただ、この人に財布探しを手伝うように言われて、それでここまで来ただけで――。
色々と思考を巡らせ……その片隅に、何か危険なものを感じ取る。
足を一歩、後ろに下げようとした瞬間、男の手がエニシアの腕を掴んだ。
「やっ……!?」
強引に引き寄せられ、エニシアは声を上げようとするが、その口は男の大きな手に押さえ込まれてしまった。
酒の強烈な匂いを間近に感じ、エニシアは思わず眩暈を起こす。
なんとか振り切ろうともがくが、彼女の細い体ではどうしようもない。
「逃げようとしなくてもいいじゃねえかよぉ。冷てえなあ?」
「んんっ……!!」
ざわ、と男の手が太ももを這い、エニシアの肌が粟立つ。
「別に悪さしようってんじゃねえぜ?ただよ、アンタはまだ新人みてえだから、客との接し方を教えてやろうと思ったわけよぉ……」
そう言って、ヒックと喉を鳴らす。
……完全に酔っ払っているらしい。
何を言っても無駄な状況だが、それこそエニシアは何かを言うことさえできない状態だ。
もちろん、叫んで助けを呼ぶことさえできない。
「こういうサービスをすりゃあ、客も増える一方だぜぇ?ひひっ」
汗で湿った男の手が、エニシアの下腹部を撫でる。

――嫌だ。気持ち悪い。
涙が滲む視界に、男の顔が徐々に近づいてきた。


食堂の違和感にライが気付き、周囲を見渡す。
さっきまで忙しく動き回っていたエニシアの姿が、どこにも見当たらない。
「あれ?エニシアはどこに行ったんだ」
「おや、そういえば……あ、さては」
シンゲンはにんまりと笑みを浮かべる。
「客の誰かに呼ばれたのかもしれませんよ?恋文を渡すために、とか」
「な、何言ってんだよ!?」
「はははっ。まあ本当だとしても、あの方はそういうお誘いには興味もないでしょう」
恋愛ごとには無頓着そうですし、といわれるが、不安を打ち消す反面でライの気持ちまで滅入ってしまう。
確かにこのまま自分の気持ちを隠していては、何の進展もないのだ。
一緒に過ごしているからと安心しているうちに、知らない間に誰かに彼女をさらわれてしまう可能性だって十分にある。
「あの姫君への想いが純粋なものであれば、御主人が悩む必要など何もありませんよ。保護者公認で、仲良くお付き合いしちゃえばいいことです」
「ほ、保護者公認って――」

「あああぁぁっ!!」

突然店の外から聞こえた絶叫に、ライとシンゲンは振り返る。
……ただごとではない様子だ。
「なんでしょう?今の声は」
「わ、わかんねえけど」
だが、今ここにエニシアはいない。
それと先ほどの声が無関係とは思えなかった。
ライの胸に押さえようのない焦燥感が込み上げてくる。
「オレ、行ってくる!もしオレが戻ってこなかったら、セイロン達を呼んできてくれ!」
シンゲンに叫ぶと、ライは店を飛び出していった。


「さっきの悲鳴が聞こえたのは……どこだっ……!?」
息を切らしながら店の周辺を走り回る。

エニシアは無関係であってほしい。
嫌な汗がこめかみを伝い、ライは唇を噛み締める。
「あっ!」
視界に入ったのは、エニシアの姿と――。

「まったく……油断もスキもない」
「ごめんなさい、お客さん。少しの間……静かに眠っていてくださいね」
「君がこの男に謝る必要はないんだよ、エニシア」
ぴたり。
見覚えのあるシルエットに、ライの足が止まる。
……今度は、さっきとは違う嫌な汗が滲み出した気がした。
「この男の処分は如何ほどに?」
「駐在所へ引き渡せばいい。本来なら、その程度の処遇で済ませたくはないのだがな。――しかし、まずは」
ぎぎぎ、と話している男の首がライのほうへと向く。
それはもう、禍々しく。

「新人の監督を怠っていた、この宿の店主に 罰 を 与 え て か ら だ が ね ……!!」

(来やがった……!! 自 称 兄 !!)

――ギアン・クラストフ。
彼曰く「エニシアの兄代わり」で、保護者の男。
小姑の邪眼を直撃で受けながら、ライの全身は凍り付いていた。


つづく

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