Happy maid time 1



「あ〜〜しんど……」
 買出しの帰り、大荷物を手に抱えてライはひとりごちる。
 食材として使う米やら宿に常備しておく日用品。
 折を見ては買い足して揃えておくのが店主たるライの勤めである。
(つまりは人手が足りてねえんだよな……決定的に……)
 基本的に自分ひとりで切り盛りしている店。
 こうした雑事さえ自分でこなさなければいけない。
 普段、手伝いに来てくれるリシェルやポムニットもあくまで手伝いである。
 そうした個人経営の厳しさ。今更なことだけれども溜息がでてくる。
(そこんとこいくとやっぱ羨ましくなるよな……アイツの家……)
 ひとりごちながら思い浮かべるのはリシェルの顔。というかお屋敷。
 このトレイユきっての大富豪のブロンクス家。
 そこではポムニットのようなメイドをはじめ多くの使用人を雇っている。
 こんな雑用などそういった人たち任せ。炊事・洗濯・お掃除・なにもかも全部お任せ。
 そんないいご身分。それなりの苦労があるということは知っていても羨んでしまう。
 これもまあ、しょうがないことなのだろう。
(まあ、オレもその使用人の一人なんだけどな……ハァ……)
 雇われ店長の身分のわびしさ。身につまされながらライは大きく息を吐く。
 なにも自分が大金持ちになりたいというわけではないけれど。
 それでも少しぐらいは夢を見てもいいじゃないかと。例えばこんな帰り道。
 仕事に疲れた身体で家に帰るとそこには可愛いメイドさんとかがいて。
『お帰りなさいませ。ご主人様』
 と優しく微笑んでねぎらってくれる。そんな感じのささやかなドリーム。

(アホか……オレは……)
 我ながら実にアホらしいとライは自分で突っ込みをいれる。
 どうも本気で疲れているようだ。だからこんな馬鹿な妄想が思い浮かんでしまうのだ。
 ああ、しんどい。そんな気持ちでよっこらしょ。重い荷物を手にライは帰途につく。
 そうこうしているうちにようやく宿に辿りつく。バタリとライは戸を開ける。
 そこへ飛び込む第一声。
「お、お帰りなさいませ♪ご、ご主人様……」
「………………………」
 なにか見てはいけないものを見てしまったような気がした。
 それは見慣れた服装ではあった。そりゃもうしょっちゅう見てる。
 その衣装がもうその人物の身体の一部であるかのように。
「ご、ご主人様……?」
 けれどその衣服の中身がなんか違っていた。あれ?おかしいぞ。
 髪の毛の色が違う。背の高さだって違うし、胸の(以下省略)とかも。
 ひきつった笑みを見せながら自分の帰りを迎え入れてくれるそのメイド?
 ライは声をかける。
「なにやってんだ……リシェル……」
「うっ……くっ……うぅっ……」
 名前を呼ばれてそのエセメイド、リシェルは羞恥で顔をプルプルと震わせる。
 こうなると次の反応は予想できた。それはもうお約束どおりで。
「うっさい!うっさいっ!うっさぁぁああいいっ!仕方なくなんだからねっ!しょうがなくなんだからねっ!こんなのっ!!」
 と、顔を真っ赤にしてリシェルはメイド姿のまま照れ隠しに喚き散らす。
「いけませんよ。おじょうさま。そんな乱暴な言葉使いをされては……」
 そこへポムニットがにゅっと顔を出す。ああ、これもまたお約束。
「なによっ!あたしは嫌だって言ったのにっ!それをポムニットっ!アンタが無理矢理……」
「ポムニットではありません。わたくしのことはメイド長と呼ぶようにと先ほどから何度も申し上げて……」
「なにがメイド長よっ!アンタ、平メイドのくせにっ!」
 呆気にとられるライはそっちのけでリシェルとポムニットの二人は口論に突入する。
 そんな二人の姿を見つめながらライはひとりごちる。何がなんだかよくわからないけれど。
 また色々な意味で疲れることになりそうだなあとしみじみと予感しながら。



「というわけで今日からしばらくおじょうさまにはメイドとしてこのお店で御奉仕してもらうことになりました♪」
「う……うぅ……」
 激しい口論の後、グッタリとなったリシェルは他所にポムニットは諸々の事情を説明してくれた。
 つまりはこういうことだった。名門ブロンクス家の跡取り娘でありながらお転婆なリシェル。
 そのガサツな素行を少しでも改めるようにポムニットが発案したのがこのメイド修行。
 これから数日間、この面影亭でリシェルはメイドとして働くことになったのである。
 自称メイド長のポムニットの監督の下で。ちなみにテイラーの許可もちゃんとおりている。
 拒否すれば来月分のお小遣いはカット。そんな背に腹もかえられぬ事情でリシェルもやむなく了承した。
「そういうことでライさん。申し訳ありませんがご協力お願いしますね♪」
「あ、ああ……」
 オーナーのお墨付きともなれば断る理由がライにはなかった。これも悲しき雇われの身分。
 それになんだかんだいっても働き手が増えるのは純粋に助かるし。
「うぅぅ……」
 するとメイドリシェルが涙交じりの視線でこちらを睨んでくる。勘弁してくれ。頼むから。
「おじょうさま。ダメですよ。ご主人様に対してそんな態度をとられては」
「ご主人様!?」
 それをポムニットが窘める。彼女の呟いた不穏当な台詞。それをライは思わずリピートする。
「ええ、そうです♪このお店でメイドとして働くからにはライさんがおじょうさまのご主人様です♪」
 するとポムニットは明るく頷いてからしれっと言ってくる。
「いや、ご主人様って……そんな急に言われても……」
 どうすりゃいいんだ?そんな疑問がライの頭に浮かぶのも無理はない。
 なにせついさっきまでしがない雇われの身分に溜息をついていたところだ。
 それが何の因果か、本来なら主筋にあたるリシェルのご主人様。どう接していいのやら。
「言っとくけど、命令とか言ってあたしにあんまり変なことさせようとしたら承知しないんだからねっ!」
「するかっ!んなことっ!」
 先手を打って釘を刺してくるリシェル。間髪いれずにライはつっこむ。
 そんな二人の様子をクスクスと笑ってポムニットは見つめ、そして茶目っ気まじりに言ってくる。
「まあ、そこらへんは常識の範囲内ということでよろしくお願いしますね。ライさん♪」
「あ、ああ……」
「うぅぅ……」
 たじろぎながら頷くライに対してまた低く唸りながら威嚇してくるリシェル。
 やれやれ。のっけからこんな感じではどうやら先も思いやられそうだ。
 そんな感じで始まりを告げるリシェルのメイド日和。
 またドタバタした日々になりそうな予感をライは覚えるのであった。



「ほら、さっさと起きなさいよ。せっかくこのあたしが起こしてあげてるんだから」
「う、うぅん……」
 早朝、一日が始まるやいなや早々にライはリシェルに起こされる。
 被った布団を揺すられながら寝ぼけ眼をゆっくり開くライ。
 目を開けて最初に視界に飛び込むのはメイド姿のリシェルだった。
 なんだ。まだ夢の中か。キュウ。バタリ。
「くぉらぁぁぁ!!二度寝するなぁあああ!!この寝坊助ぇぇえええ!」
「イテっ!いてててっ!あいたぁっ!」
 寝なおしかけるライのほっぺをリシェルは指でギュッと摘む。あいててて。痛い。
 どうやら夢じゃないようだ。
「つぅぅ……おまえな……もうちょっと起こし方ってもん考えろよ……」
「なによっ!ヒトがせっかく起こしてあげてるってのに二度寝しようとするアンタが悪いんじゃないっ」
 姿格好はメイドでもリシェルはあくまでもリシェルだった。板についたお嬢様ぶり。
 まあ、それがリシェルらしいといえばそうなのだろうけど。
 そこへスパコーン!乾いた音が大きく鳴り響く。
「はい。失格です。おじょうさま」
「あうっ!」
 どこで隠れて見ていたのやら。ポムニットが現れて手に持った大きなハリセンでリシェルの頭をはたく。
 はたかれて呻くリシェル。はたかれた頭を抱えて即座に噛み付く。
「痛いじゃないっ!なにすんのよっ!ポムニットっ!」
「なにすんのよじゃありませんっ!なんですかっ!その起こし方はっ!ご主人様のほっぺをつねるだなんて言語道断ですよ。おじょうさま」
 まったくもってポムニットの言うとおりであった。流石にリシェルもぐうの音がでなくなる。
「もっとご自分が今はライさんのメイドであるという自覚をもって御奉仕に臨んでくださいまし」
「……わかってるわよ……そんなこと……」
「そういうわけで最初からやり直しです。ライさん。恐縮ですがもう一度寝なおしてくださいまし」
「あ、ああ……」
 そうして出されるNG。ポムニットに言われるままにライは布団を被りなおす。
 寝なおせと言われても本当に寝られるわけではないが、とりあえずは振りだけでもと。
「ですから……ぼそぼそ……このように……」
「っ!……ほ、本気?……そんなこと……」
 布団を被りながら薄目を開いて見やるとヒソヒソとポムニットがリシェルに耳打ちをしていた。

(なにやってんだか……)
 その様子をボンヤリと見つめながらライはひとりごちる。二人はなにやら揉めているようだ。
「もちろん本気ですよ。次でダメだったらお仕置きしちゃいますよ」
「わ、わかったわよ……」
 でも、その決着もどうやらついたようだ。ポムニットの提案をしぶしぶながら承諾するリシェル。 
 すくっと立ち上がってライの方を振り返る。すたすたすた。近づいてくる。そして。
「朝ですよ。ご主人様。そろそろお起きになってください」
「っ!?」
 先ほどとはうって変わった態度でリシェルはライの耳元で囁いてきた。
 普段と違うリシェルの声色にライは思わずドキリとなる。
 反射的にぱちりと開く目。するとそこにはリシェルの顔が間近にあった。
「おはようございます。ご主人様」
「っ……あ、ああ……おはよう……」
 目をあけるとにっこり、飛び込んでくるリシェルのメイドスマイル。
 それだけでライは心臓を鷲づかみにされていた。
(なんつうか……こうも勝手が違うと……) 
 調子が狂う。戸惑いながらひとりごちるライ。そこへピタリ。
 リシェルの更なる追い討ちがかかる。
「お熱はないようですね」
「っ!?……………」
 ペタン。気がつくとくっついていた。ライとリシェルのおでことおでこ。
 おでこ同士をくっつけ合わせて計る体温。唇さえ触れ合いそうなほど近く。
 ドキドキドキ。何故だろう。すごく興奮する。
「寝汗……お拭きいたしますね……」
「っ!……っ!!……」
 するとリシェルはポケットからハンカチを取り出す。そしてフキフキフキ。
 顔、首筋、胸元、手首のあたり。パジャマの隙間からライの寝汗をリシェルは拭き取る。
 ライはドギマギしていた。ベッドの上で寝そべる自分に前屈みになって尽くすリシェル。
 異様なトキメキを覚えさせられる。うわ、ヤバイ。ただでさえ朝だっていうのに。
 こんなにドキドキさせられたら、ほらムックリ。ライの身体の一部は元気になって。

「……っ!?」
「うっ……」
 朝立ち。男の生理現象。それを直接、目の当たりにしてリシェルも少したじろいだようだった。
 気まずい。非常に気まずい心持ちにライはなる。マジマジと見つめられる朝一番のアレ。
 リシェルはそれを見つめ、しばらくして。
「お、おいっ!ちょ……おまっ……」
 ズルリ。ポムニットの筋書き通りにリシェルはライのズボンを脱がしにかかる。
 するとパンツ越しにぐいっとそびえ立つ肉の竿。見事な朝立ちっぷりであった。
 息を呑むライ。リシェルも赤面していた。戸惑いながら、けれど終いには意を決して。
 白い手袋を嵌めた手でそれに下着越しに触れて、リシェルはこう呟く。
「け、今朝も……御奉仕しますね……ご主人様……」
「待てっ!待て、待て、待てぇぇええええ!ストォォォォップ!!」
 起床のお手伝いがあらぬ方向にいきかけてライも焦って全力でストップをかける。
 起き上がって翻すその身。軽くニギニギされていたアソコからリシェルの手も離れる。
 ずり落ちたズボンを大急ぎでライは穿く。
「…………あっ…………っ〜〜〜〜〜〜〜!!!」 
 そしてライに呼び止められてからしばらく、ようやく正気に戻るリシェル。
 すると、ぷしゅぅぅぅう。大量の湯気がリシェルの頭から立ち上った。
「なにさせんのよっ!この変態っ!どスケベっ!色魔っ!」
「ぐへぇぇっ!違う。しようとしてたのはオマエっ!ぐぇぇええええっ!!」
 そして正気になるやいなや、真っ赤になった顔でリシェルはライをどつきまわす。
 いつもの照れ隠し。理不尽にどつかれて呻くライ。なんともはや、本当にやれやれな光景。
「ハァ……これでは本当に先が思いやられてしまいますねえ……」
 それを見つめるポムニットも大きく溜息を吐いていた。けれどその口元は笑っている。
 このメイド研修のお楽しみはまだまだこれからなのである。



「コレ……食い物?」
 朝食、食卓に出された焦げ焦げトーストと目玉グチャグチャ潰れ焼きに野菜千切りサラダ。
 それを目にしてライは思わず呟く。ものの見事に失敗作。つくったはリシェルである。
 もう少し落ち着いた気持ちで準備すればリシェルだってもっとマシなものをつくれるのだが。
 流石に朝の騒動でいっぱいいっぱいの心持ちではこれが精一杯だった。
「なによっ!文句があるなら食べなきゃいいじゃないっ!折角、このあたしがアンタのためにワザワザ朝ごはんをつくってあげたっていうのに……」
 するとリシェルの方はというといつものごとく踏ん反り返って居直る。
 そこへギュウゥゥゥ。リシェルはポムニットに後から強くお尻をつねられる。
「あ痛っ!痛たたたたっ!痛いっ!痛いっ!やめてぇっ!ポムニットぉぉ!」
「お・じょ・う・さ・ま・違・う・で・しょ・う!」
 すらっと長いポムニットの指先。それでお尻を半魔の握力でつねられるのだから相当に痛い。
 たまらず涙目になるリシェル。ポロポロと零れる涙を拭ってからすすり泣き声でペコリとライに謝る。
「ううっ……申し訳ございません……ご主人様……今すぐ……作り直して参ります……」
「いや、時間ないから別にいいけど……」
 ジンジンと痛む尻を押さえて謝罪するリシェル。苦笑しながらライは許す。
 そしてパクッと口に焦げ焦げトーストを口に運ぶ。う〜ん。焦げ焦げ。ほろ苦い。
 けれど悪い気はしていなかった。それをリシェルが一生懸命つくてくれたのは確かだから。
 トーストを齧りながら見やるとまたリシェルの耳元でポムニットがヒソヒソしている。
 今度は何を企んでいるのやら。
「あのぉ……ご主人様……」
「な、なんだよっ……」
 演技指導の賜物か、しおらしい態度で尋ねかけてくるリシェル。
 ギクリと戸惑うライ。伏せ目がちにリシェルは呟く。
「お口元にソースが……キレイにお拭き取りいたしますね……」
 ライの口元の自分の舌では届きそうにない部分。そこが目玉焼きにかけたソースで汚れていた。
 それを拭き取ろうとフキンを取り出すリシェル。
「いや、なにもそこまで……」
 しなくてもいいとライが言いかけたその瞬間、ペロリ。なんか濡れた感触がライの口元を拭った。
「うふっ♪これでキレイになりました。ご主人様」
「………………………」
 ライの口元を拭ったもの。それはリシェルの舌先だった。お口の周りを舌先でペロペロ。
 拭き落とし終えるとメイドスマイルでにっこり微笑むリシェル。
「きゃぁぁあっ!ちょっと、しっかりしなさいよっ!ライっ!……じゃなくてご主人様ぁっ!!」
 その破壊力ときたらもう反則級。直撃をマトモに受けてライはその場でバタンと卒倒するのであった。



 それからもリシェルのメイド修行は続いた。それはもう非常に慌しい一日だった。
「きゃっ!あわわっ!」
 洗い物。流し台につけていた食器を手から滑らせてパリーンと景気良くリシェルは割る。
 まあ、こんなのはまだ序の口。
「なんでこんなに皺々なってるのよぉぉおおっ!」
 洗濯干し。引き上げてみたら皺々になってしまった洗濯物にリシェルは嘆く。
 干すときにピンと伸ばさなかったせいだ。
「ううっ……あうぅ……」
 そのため全部アイロンのかけ直し。泣きながら皺々になった洗濯物達にアイロンをかけるリシェル。
 けれどリシェルの失敗はこればかりではない。
「きゃぁっ!わぷっ!ぷぁぁあああっ!」
 掃除の時などはワックスのバケツを思いっきりひっくりかえしてしまう。
 白濁のワックス液にまみれてベトベトリシェル。下着までグチョグチョだ。
 炊事、洗濯、掃除。どれもやりなれない家事にポンコツぶりを発揮するリシェル。
 それらに付け加えて通常の営業の手伝いもリシェル(当然、代えの衣装に着替えた)はする。
 今日の面影亭は特別感謝メイドデーであった。
「わきゃぁぁああっ!」
 ランチタイム。メイド服姿で接客するリシェルに手癖の悪い客がふいに悪戯する。
 リシェルにとっては穿きなれないヒラヒラしたロングのスカート。
 それを思いっきり捲られて中身のウサギ柄パンツを思いっきり晒したのだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 顔を真っ赤にしてリシェルは憤慨する。だけど流石にお客に手は出せない。
「お、お客様……そのようなお戯れは……お止めください……」
 ひきつった笑顔を浮かべてそう言うのが精一杯。すると客はピーチク囃し立ててくる。
 プルプルと顔を震わせながらそれに耐えるリシェル。
(この野郎!)
 その様子を厨房から覗いてライは手に持った包丁を強く握り締めていた。
 ああ、なんだか今なら迷うことなく食材以外のものもぶっ刺せそうだ。
 そんな風にライが包丁持ったまま厨房を飛び出そうとする寸でのところで。
「お客様。そのような悪戯はここではご遠慮願います」
 ストップをかけるのはこの道、十数年のベテランメイド。
 セクハラ客の手をギュッと取ってにこやかに微笑みながらポムニットは言う。
 ズルズルズル。引きずられていくセクハラ客。そして。
『ぶっとんでくださいましぃぃいいっ!!!』
 店の外で炸裂するメイドクライシス。セクハラ客は景気良く地面ごと吹き飛ばされる。
 以降、リシェルにその手の悪戯をはたらく客はいなかったとさ。
 めでたし。めでたし。
 
 

「あうぅぅぅうう。つ、疲れたぁぁ……」
 そうして一日の終わり、使用人部屋として与えられた一室でリシェルはすっかりグロッギーになる。
 店の手伝いだけでもそれなりに疲れる。その上、やりなれない家事までやらされて。
 しかもポムニットに厳しくダメだしされるのだ。お嬢様育ちのリシェルにとってはこれはキツイ。
(うぅ……こんなことよく毎日続けられるわ……ポムニット……)
 普段、自分に尽くしてくれるメイドの苦労。それを実際に体験してみてしみじみ思う。
 感謝しなくてはいけないのだろう。それを実感できただけでもいい勉強になったとは思う。
 そんな風にリシェルがひとりごちているとコンコン。ドアをノックする音が聞こえる。
「リシェル。いるか?」
「っ!?」
 そしてガチャリ。ドアを開いて入って来るのはライだった。思わずリシェルは跳ね起きる。
 慌てて身だしなみを整えて、スカートの裾を手で持ったポーズを決めてリシェルは言う。
「な、なにか御用ですか?ご主人様……」
「いや、いいって……別にそこまでしなくても……」
 今日、一日のメイド生活でリシェルもそれなりにメイドが板についていた。
 慌ててメイドらしく振舞うリシェルに楽にしていいとライは苦笑する。
 そうするとリシェルも大きく息を吐いて、ペタリと座り込んで素に戻る。
「色々と大変だな……オマエも……」
「ええ……そりゃあ、もう……アンタもお疲れ様……」
 そうやって互いの労を二人はねぎらいあう。今日もまた色々と大変だった。
 朝からずっとドタバタ続きで。
「で、なによ?なんか用?」
 息をつくことしばらく、そうしてリシェルはライに尋ねる。
「いや、用って程の用じゃねぇんだけど……」
 尋ねられてライはポリポリと頭を掻く。そしてほっと一息ついてから続きを一言。
「一応、今日の礼を言っておこうと思ってな。ありがとうな。リシェル」
「っ!?」
 ありがとう。そう素直に感謝を示されて息を呑むリシェル。なんだか照れくさそう。
 ほっぺたの辺りがほんのりピンク。
「べ、別にあんたのためとかそういうんじゃないんだからねっ!あたしのお小遣いのためというかなんというか……」
 慌てて照れ隠しに奔走するリシェル。その様子がライには微笑ましかった。
 ああ、やっぱりいつものリシェルだ。メイドのリシェルも悪くはなかったけれど。
「なによ……ニヤニヤしちゃって……」
「いや、別に……」
 それでも普段通りのリシェルもちゃんと存在してくれていないと落ち着かない。
 今更ながらにそんなことをライは実感する。こうしていつものリシェルと触れ合える時間。
 それも欲しくてたぶん来たのだろう。

「で、どうだった?」
「ん?」
 ニヤニヤタイムからしばらく、メイドからツンデレ仕様にモードチェンジさせてリシェルはライに尋ねる。
 その内容はと言うと。
「今日のあたしのメイドぶり……」
「……………………………………」
 中々、正直には答えにくかった。一言で言ってしまえばシンプルだけど。そう、ポンコツ。
「……今、失礼なこと考えてるでしょ。あんた」
「か、考えてないぞ!別に……」
 即座に否定するライだったが流石に図星だった。ブスッとするリシェル。拗ねた表情で呟く。
「いいわよ……どうせポムニットみたいに上手くいかないわよ……あたしなんて……どうせ……」
 そうしてイジケモードに入るリシェル。いじいじいじ。これはどうフォローをすればよいのやら。
 思いあぐねてライはあたふたする。プスッと拗ね顔のリシェル。するとライはポロリと呟く。
「可愛かった……」
「っ!?」
 ふいにポロっと飛び出すライの一言。それにハッとなるリシェル。
 リシェルが顔を向けるとライは照れくさそうに続きを言う。
「いや……その今日のオマエ……あ、可愛いのはいつも……だけど……今日は特別っていうか……」
 ちゃっかりフォローも交えながら呟くライ。ポッと顔を赤らめてそう言って来るライの仕草。
 それがなんだかおかしく思えてリシェルはぷっと吹き出して、そして嬉しくなる。
 移ろいやすいのは山の天気となんとやら。すっかり上機嫌になってリシェルは言う。
「なに?ひょっとしてあんた、こういうのが好きなの?ホラホラ」
「うっ……」
 そうして意地悪くスカートの裾を持ってヒラヒラさせてみるリシェル。
 メイドの衣装を見せつけながら、次なる言葉を視線でライに促す。
「いや、オレが言ってるのは格好がそうだからオマエがどうとかってことじゃなくて……」
 促されるままにライは口にする。ありのままの本心。
「オマエがそういう格好してるから……って、ああ!自分で言っててワケわかんねえっ!」
 それが頭の中でこんがらがってライは混乱する。けれどその思いはリシェルにはちゃんと伝わっている。
 大事なのは衣装じゃなくてその中身だということは。クスッと笑うリシェル。
 そしてパニくるライに微笑みかける。
「えへっ♪」
「うっ!」
 ドキン。またしてもライの心臓はときめく。本当にもうどうにかしてよ。
 反則すぎるんだよ。オマエのその笑顔は。いつもいつも。
「あ……」
 その笑顔に引き寄せられるままにライはリシェルの頬に手をあてる。
 言葉は要らなかった。リシェルは目を閉じる。これはご褒美。
 今日、一日尽くしてくれた可愛いオレだけのメイドに対して。
「んちゅ……」
 重なりあう唇。今日はほんのりレモン味。そんな甘い感触に誘われながら。
 ツンデレお嬢のメイド日和はその舞台を夜の部へと移すのである。


(続く)

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