タケシー大好きビジュ



「これは明らかな軍規違反だ!」
 薄暗い部屋に弾劾の叫びが響いた。
 叫びが向けられているのは、ライトの光に照らし出されたひとりの男である。
 周囲にはぼんやりとしか見えないが、二段高くなった円形のスペースには叫びを発した男以外にも数人がいるようだ。
 ここは帝国軍、その軍事法廷である。そして、告発されている男の名はビジュ。帝国軍所属の軍人であり、任務にかこつけては問題を起こし、部隊を転々とさせられている問題児である。今もまた配属された部隊で問題を引き起こしたばかりである。そして――。

「我々は君の能力とこれまでの功績を高く評価している。だから今回の件も不問としよう。だが――」
 叫びの主は言葉を続ける。
「それも今回までだ。次にまた何か問題を起こしたら、君を軍事裁判にかけ、これまでの責任の数々を取ってもらう」
 それまで口元に笑みを浮かべて聞いていたビジュがかすかに反応する。
「配属部隊も再度変更とする。帝国軍海戦隊所属第6部隊、そこが新たな配属先だ。」
 ビジュを囲う数人の一人が事務的に述べた。
「何か言いたい事はあるか?」
 だが、男の問いにビジュは小さく息を吐き出しただけ。
「あァ、何もありませんでさァ……」
 吐き捨てた声は薄暗い部屋の中に消えた。何を言おうと無意味なことはわかっていた。うるさい小言と説教が長引くだけだろう。

 そうだ、どうだっていいのだ、何もかもが……。
 配属先が自分のような問題児ばかりを集めたよせ集めの部隊であろうと、その隊長がいまだ数が少ない女性軍人であろうと、 自分の処遇なんてものは、もう、どうでもいいのだ。
 だが、正式な軍事裁判ともなれば余計な面倒ごとが増えてしまう。それだけは避けたかった。
 俺は俺の思うように生きる。
 そうビジュは決めていた。
 何かを助けたり、守ったりするなどというような他人のために動くという生き方は、結局は自分が損をするだけだ。そんな生き方は馬鹿のする生き方だということをビジュは過去に悟っていたのだ。
「ちッ!」
 頬のイレズミが痛んだ。過去の古傷が疼いた。

 その日、ビジュは帝国の軍人として最前線で戦っていた。ビジュは押し寄せてくる敵兵に向かって、気合をためて必殺の投具を放った。ナイフから毒針まであらゆる投具が押し寄せる敵兵を的確に貫き前方に血路を開く。
 帝国は成立の経緯から旧王国とは敵対関係にあり、帝国の成立当初から旧王国とは小競り合いを繰り返していた。
 ビジュも軍人として国のため、そして正義のために戦っていた。もちろん何よりも自分の命と誇りをかけた戦いだった。それが自分の選んだ道だった。
 しかし、ビジュは知らなかった。この戦いの結末が自分という人間そのものを変えてしまうほどの、長くつらい日々の始まりになろうとは――。

「連れて行け!」
 ふたりの兵士がビジュを両脇から抱え込んで連れ出した。
 ビジュは負けた――。
 誰に、何に、何故負けたんだ?
 わからない。わかりたくもない。
 ビジュの口からは驚愕の呻きしか出てこなかった。
 旧王国軍に捕えられ、ビジュは過酷の日々を過ごすことになった。
 ただの一軍人に過ぎないビジュに何の秘密があっただろうか。
 俺はただ上の指示に従っていただけだ、忠実に動いていただけだ。
 ビジュは冷笑を浮かべて内心でそう繰り返していた。そんな事を言ったところで何かが変わる訳ではない。ビジュにはそれがわかっていた。
 本当に何も知らなかった。何もなかった。だが、ビジュはそれでもそれ口にしようとはせず、ひたすらに沈黙を守っていた。
 国と軍に対する信頼、そして自分に対する軍人としての誇りがあったからだ。

 相手も敵国の機密を少しでも知りたいと必死だった。ビジュを執拗に責めたてた。だが、鈍器で何度殴られようと、真っ赤に焼けた棒鉄を体中に擦り付けられようとも、ビジュはただひたすらに、拷問に耐え、国や仲間を思い、信じ、助けが来ることを待っていた。
 しかし、その信頼は裏切られた。
 何日、何ヶ月経とうと救いは来なかった。ろくに食事ももらえず、永遠に続くかと思えるほどの飢えと乾きの時間。毎日続く苦痛の拷問の日々に白目を向いて、涎を垂れ流し、糞尿を撒き散らした。拷問に終わりは無かった……。
 そしてついに誇りは苦痛に折れた。つぶやきが漏れたのはしばらくしてから。
「助けてくれ、もうやめてくれ。俺は何も知らないんだ……」
 ビジュは口を開き、とうとう言葉を発した。初めて敵に助けを求めた。何度もそう言って助けを願った。無駄だと知りながらも、ビジュにはそれしか言葉が思いつけなかった。何度も何度も、そう繰り返し続けた。だが無駄でしかなかった。本国に帰還した時、ビジュはまるで人が変わっていた。
 ――自分は何故軍人になったのか、何のために戦っていたのか
 ビジュはそれさえも思い出せなくなっていた。

「……っ」
 ビジュは目を見開いた。
「昔の夢なんぞ見るとはなァ……」
 一言呻くと、ビジュは何かを振り払うように激しく首を振った。
 ぼやけた頭で辺りを見渡すと、大地が爆ぜている。死体は無いが、まるで戦場の後のようだった。ここはどこなのか。自分は何故ここにいるのか。そういえば先ほどまで自分も戦っていた覚えがある。しかし、その後の記憶が飛んでいる。知らぬ間に眠っていたとでもいうのだろうか。
「敵の召喚魔法でも受けちまったか……?」
 身を起こそうとする。そこでビジュは自分の上に覆い被さっているモノに気が付いた。
「ひッ!な、なんだコイツはァ!!」
 それは死体だった――。自分の上に覆い被さるようにただ一つだけ、この戦場の後に死体はあったのだ。
 ビジュは慌ててそれを払いのけた。今自分がおかれている、この奇妙な状況。
 いったい何が起こっている?
 ビジュはまばゆい光を見上げながら、記憶に思いを馳せた。

 剣の護衛という任務。嵐。化け物たちが溢れる島――次第に記憶が鮮明になってくる。
 この島に着てからというもの、何もかもが思い通りにいかなかった。全てが自分に逆らって、反抗して、刃向かってきているようにもビジュは思えた。
「あいつだッ!何もかもあいつにやられてからだッ!!」
 沸々と湧き上がる怒りとともに、ビジュはそう吐き捨てた。
 あいつはビジュの隊長であるアズリアの知り合いでもあった。アズリアとその副官であるギャレオ。この二人も、島に着てからというもの以前によりまして、疎ましさがますます膨れ上がっていた。いつ後ろから突き刺してやろうかとビジュは狂想していたほどだった。
 そんなときにイスラの誘いがきたのだった。それは帝国軍を裏切り、無色の派閥の徒となることだった。
 帝国にとって無色の派閥もまた敵対勢力の一つであった。その誘いとは言わば、自分にとって今までの敵であった組織の仲間になるということだった。だが、そのようなことに対しても、押しとどめるモノがビジュには何も無かった。あのとき自分を助けてくれなかった軍に対しての恨みもあったからかもしれない。
 ビジュに軍の未練は何も無かった。
「アズリアもギャレオも前から気に食わなかったしなァ。イヒヒヒ…ッ」
 ビジュはイスラに誘われるままアズリアやギャレオ、そして帝国軍を裏切った。
「軍を裏切ってやった、あのときのギャレオの野郎の顔……。今思い出しても最高だったぜェ。イヒヒヒッ」
 ――裏切り。
 発したその自身の言葉にようやくビジュは思い出した。
「そうだッ!イスラの野郎が無色を裏切ったんだッ!」
 無色の派閥へと自分に裏切りを誘った本人が、突然に今度はその組織を裏切ったのだ。自分にそのことを伝えることなく……。
 さすがのビジュも言葉を失った。
 帝国軍から離れてからのビジュは、常にイスラと行動を共にしていた。イスラが無色を裏切った際、ビジュはそれが理由で、裏切り者の一人だと誤認され、無色の派閥に殺されかけたのだった。

「だがなんで俺は生きてやがるんだ?」
 その理由はこうだった。あのとき、イスラに殺されかけたオルドレイクは裏切り者を殺せと叫んだ。そうして動いたのが、まず無色の一人の兵士だった。オレドレイクの指示に従ってその兵士はビジュの始末に迫ったのだ。だが兵士の刃がビジュを貫こうとした、そのとき、夫を殺されかけたツェリーヌが逆上し、イスラに対して召喚魔法を放ったのだった。放たれたツェリーヌの召喚魔法はビジュとその兵士をも巻き込んだ。
 皮肉にもビジュの命を奪おうとした兵士は、仲間であるツェリーヌの召喚魔法によって命を奪われ、ビジュはその自分の命を奪おうとした兵士が盾となってツェリーヌの召喚魔法を免れたのだ。
「さすがにもうダメかと思ったがなァ。ヒヒヒヒヒッ、運が良かったぜ」
 立ち上がって体を軽く動かしてみる。幸い体に致命的な傷は無かった。少し体を休めればすぐにでもまた戦えるだろう。
 ふと先ほど払いのけた死体が目に入った。酷く痛んでいる。召喚魔法の発動した際にツェリーヌに振り返ったのだろう。顔もどんな人物だったのかさえ、もうわからないほど損傷している。
 なぜ、どうして?
 そんな驚愕という表情がそこにあったのだろうか。
「今ならイスラや無色も、海賊どもや化け物たちも、俺が死んだと思ってるかもしれねェ」
 死体と荒れ果てた戦場の跡を見つめてビジュは思考した。
 許せなかった。自分を利用したイスラが。自分を殺そうとした無色の派閥が。
 このままで終わってよいのか?
 ビジュはそう自問していた。
 思いつくとビジュはすぐに行動していた。死体とビジュは身長もそう変わりはしない。ビジュは自分の着ていた服を脱ぎ、兵士が着ていた鎧を外すとそれを交換して着替えた。
「イヒヒヒッ、この死体なら本当に俺の死体かどうかなんて、そう気がつけねェ」
 ビジュはこの死体と自分を入れ替わることを考えたのだ。自分を死んだと思わせる。そして、身を隠し隙をうかがうことにしたのである。
 このままでは終わらせない。
 それがビジュの出した答えだった。

 身を隠し、体を休めていると数日もしないうちに好機はすぐにやってきた。
 以前捕えたあの子供が――あいつの生徒がまたも一人でノコノコとこちらにやってきたのだった。
 ビジュにはやはり自分がこのような目にあっている全ての原因が、あいつにあるようにしか思えなかった。
 アティ――。
 ビジュは見ていたのだ。
 アティの碧の賢帝がイスラの紅の暴君によって砕かれる瞬間を……。
 心が砕かれた、アティの姿を――。
 頬のイレズミが疼いた。ビジュの加虐心が疼いた。
「後悔しなァ……。ヒヒヒヒヒッ」
 ビジュはそう呻くと、歩き出した。


つづく

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