レシィ×ユエル 第一話



メルギトスを倒してから、何度目かの春を迎えたある日。
「てやぁ!」
マーン邸の裏庭で一人、訓練用の人形に向かってやたら腰の入った正拳突きを繰り出す緑髪のメトラルの姿があった。
隣では彼が干した洗濯物が風に靡いている。

メトラルの名前は、レシィ。
今では蒼の派閥の新鋭召喚師として名を轟かせつつあるトリスと、その護衛獣たる彼(+もう一人)は、現在港町ファナンにある金の派閥本拠地に公用で滞在しているところである。
例の一件以降、金と蒼の両派閥の上層部と見識があり、かつ親交もあるトリスは、必然的に二つの派閥の橋渡し役としてゼラムとファナンの二つの街を行き来する事が多かったのだ。
(もっとも本人曰く、『何よー、ようするに使いっぱじゃんー』との事)

…が。
そんな期待の星な召喚師の護衛獣であるという誉れ高い己の立場を、レシィはあまり好意的に受け止める事はできずにいた。
理由は簡単、自分がへっぽこなのではないかという恐れからである。

『移動力が4な以外全然使えねぇ〜』
『どの能力も中途半端な器用貧乏』
『護衛獣四体の中じゃ一番弱い』
『拳だから段差に超弱いのが……』

「…そ、そんな事、そんな事全然ありませんっ!」
頭の内に響く神の声(?)を振り払うかのように、レシィは渾身の力を込めて目の前の人形をぶん殴った。クリティカルヒット。
「そ、そりゃあ確かに、ご主人様(←トリス・戦士タイプ)は僕が護衛なんかしなくても全然大丈夫なんじゃないかって思えるくらいに激強ですけど! さらにはネスティさんが戻って来て、自分もご主人様の護衛獣になる事を誓って以来、たまの戦闘でもゼルゼノンが全てをぶっ飛ばしちゃうせいで、最近じゃ僕の出番全っ然無いですけど! でも、でも、だからって…」
大きく拳を振りかぶるレシィ。

「僕はご主人様の護衛獣であって家政獣じゃないんだーーーっ!!」

バキャァッ、という鈍い音を立てて錐揉み回転しながら宙を舞う訓練用人形。
中身の蕎麦殻と綿をぶちまけながら飛ぶその顔が泣き顔に見えたのは、果たして風のいたずらか。

…そう、レシィも今では思春期まっさかりである。
男の癖に、そこらの女の子よりも全然情けなくて女顔な自分に、少なからずコンプレックスを抱くようになっていた。

昔、まだメイトルパにいた頃、村の女達に混じって家事をしているとよく『レシィはお嫁に貰ってくれる奴はいても、来てくれる女はいないだろうな』といじめっ子達にからかわれたものだが、「男の子」ではなく「男」としての自覚が出来始めてきた今のレシィには、その言葉が二重に深く心に突き刺さる。

手加減無しの一撃に、ボロボロになってぐしゃらぁっと地面に落っこちてきた人形の傍ら、はぁはぁと荒い息をつきつつひとりごちる。

「…男の癖に家事が得意ですし…、よく女の子と間違えられますし…何より護衛獣の癖に明らかにご主人様よりも弱っちいですし…やっぱり僕は…世に言う『ダメオ君』というものなんでしょうか…」
レシィはボロボロになった人形を拾い上げながら、はぁ、と一つ大きな溜息をついた。
そうやってぼんやりと人形を眺めていると……

「……レシィ……?」
小さく呼ばれたような気がして、レシィはふと後ろを振り返る。

「…あれ? ユエルさん? …どうしました?」

そこには確かに、紺色の髪をしたオルフルの少女――同じメイトルパの仲間のユエル――が立っていた。
…なんとなく、いつもと様子が異なってはいたが。
「…あ、あのね……ト、トリス、どこにいるか知らない?」
「ご主人様ですか? それなら午前中にネスティさんに付き添われて議会の方に出かけられました。何でも調べたい事があるそうで…」
答えながら、レシィはちょっと首をかしげる。

…おかしい。
本来であれば、今頃『レシィィィーーッ!!』と叫びながら、抱きつくというよりはタックルかましてきた彼女に押し倒されて、激しく地面に後頭部を強打し、『はうっ!』等と情けない叫び声を上げて昏倒している自分がいるはずである。
現に前にファナンに来た時も、その前に来た時も、その前の前に来た時も、そうだった。…正直かなり大迷惑ではあったが、しかし元来引っ込み事案な性格であるレシィには、そんなユエルの文字通り体当たり的な言動は同時にとても好ましく、内心心待ちにしているような部分もあったのだが……
…それが今日は、どういうことだろうか。

「…ですけど、どうしたんですか? いつものユエルさんらしくないですよ? ひょっとして、どこか体の具合でも悪いんじゃ…」
「…そ、そんなこと無いよっ! ほら見て、ユエルは今日も元気だよ!?」

慌ててにっこり笑って、二度三度ぴょんぴょんと飛び跳ねて見せるが、しかしレシィとて、伊達にズボラで有名なトリスの『家政獣』はやってない。
伝説の審眼もびっくりなその眼力でもって、一瞬の内にユエルのそのあまり上手でない嘘を看破してしまう。

「嘘です。顔は赤いし、耳は垂れてるし、尻尾もぐったりしてるじゃないですか! …ひょっとして、かなり酷いんじゃないですか? ほら、ちょっとじっとしてて…」
三寒四温とも言うように、この時期に体調を崩すと悲惨な事になりかねない。
熱はないかと確かめるために、レシィはユエルの額に手を伸ばす。

刹那、閃光一閃。

…何が起こったのか、すぐにはよく判らなかった。

「痛っ…」
熱い感触に慌てて手を引っ込めると、レシィの手の甲にちょうど何筋かの赤い線が浮き上がろうとしているところだった。
「あ…」
僅かに血がついた爪を引っ込め、凍りついた表情であとずさるユエル。

「ご、ごめん、レシィ……ご、ごめんねっ!」
「…あ、いえ…」
大丈夫ですから、と動揺しながらもレシィは言おうとしたのだが…

…その時既にユエルは全力疾走、レシィの100mほど前方に後姿を見せていた。
流石は食い逃げとかっぱらいでならした俊足、恐ろしく速い。
「ユッ、ユエルは全然元気だからっ、注射なんて必要ないから、だから、だから…」
気のせいか怯えた様子まで見せる彼女は、
「お願いレシィ、ユエルに近寄らないでーーっ!」
そんなわけで、瞬く間にレシィの視界から完全にその姿を消してしまった。

…後には、呆然と立ち尽くすレシィが残るのみである。

――さて、レシィとユエル、それにミニスは、歳が同じなこともあって、暇さえあれば屋敷を脱走し、町の外に冒険に出かける仲良し(悪ガキ)トリオ。
正確には、ミニスが企み、ユエルが悪乗りし、レシィが止めるという構図であって、レシィとしては『二人に振り回されている』という側面が大きいのであるが、それでも三人が一緒に走り回り、何かと揉め事を起こして騒動に発展する姿は、最近のファナンではもうあまり珍しい光景ではない。…住民ももう諦めている。

それなのに、というべきか、だからこそ、というべきか。
「……『近寄らないで』……って、言われてしまいました」
しばらくそうやって立ち尽くしていた後、ようやくボソリと漏らすレシィ。
…かなり、ショックだった。特に最後の一言が。

「…僕、何かユエルさんに嫌われるような事をしてしまったんでしょうか…?」

しごく冷静に状況を分析しているようにも見えたが、今の彼の頭の中ではさっきのユエルの『近寄らないでーーっ!』がエコーを伴い反響しまくっているような状態で、とてもではないがまともな思考ができるような状態にはない。

…少なくとも、同郷のよしみからユエルと親しく接するようになって以来、『近寄らないで』と言われた事も、血が出るほど本気で爪を立てられた事も、レシィとしては初めての経験だったから。

――時々、ユエルは、一人で寂しそうにぼんやりしている事があって。
そんな時、レシィはユエルと一緒に故郷メイトルパの思い出を話し合ったり、あるいはメイトルパのお菓子を作ってあげたりなど、よくしてあげた。
レシィ自身は…その生い立ち故、あまり故郷に良い思い出はなかったし、そんな切実に帰りたいとも思わなかったが、しかしユエルはそうではない。
優しい両親や仲の良い兄弟がいたのである、本当は帰りたいはずなのだ。

だが皮肉にも、そんなレシィが帰ろうと思えば帰れなくもない立場にあるのに対し、ユエルがメイトルパに帰ることは、おそらく一生無理なのである。
そういう負い目もあっただろうし、二人がまるで対象的な性格だった事も返って幸いしたのであろう。とても楽しそうに話をしている二人の姿は、マーン邸の片隅で比較的頻繁に見受けられる光景だった。

…しかし、である。

「…でも、そう言えば今回こっちに来てからもう数日経ちますが、何だかユエルさん、僕のことを避けているようにも感じられます…」
いつものユエルならば、レシィ達が着くとたちまち向こうからすっ飛んでくるのに、今回に限っては何故かそんな事はない。
それどころか、一緒に遊ぼうという誘いすら一度も来ないのは、これまでのユエルの行動履歴から考えれば、あまりにも奇妙な話である。

…そして何よりも。
ユエルの爪が翻った時に見た、あの怯え切った瞳が決定打だった。

「…そうですよ。やっぱり僕、きっと知らない内にユエルさんを傷つけるような事を言っちゃったんですよ…」
溜息をついて、俯きつつも肩を落とすレシィ。
「これじゃ僕、本当に『ダメオ君』じゃないですか…」

ポタポタと地面に数滴のしずくが落ちる。
空はこの上ないくらいの小春日和で、雲ひとつ無く晴れ渡っていた。


……さて、夕日は暮れて、その日の晩……

「アラヤダー、レシィちゃんったら元気ないわねー! でも、か・わ・い・い♪」
「アハハ、アハーハハハハハハ!! でしょ、でしょー?」
「うわっ、く、苦しいです…、や、止めてくださいぃ〜!」
厨房で夕食の後片付けを手伝った後、与えられた自室に戻ろうとしていたレシィだったが、よりによって半開きになっていた食堂のドアの向こうから、最悪の酒乱二人組の目にめざとく捕まってしまったのだった。
…もちろん、酒乱二人組とはファミィとトリスの二人の事。

「あらあらまあまあ、そんな事言わないでほらこっちに来て一緒に飲みましょ」
「アハハハー、そうよレシィ、ご主人様の命令よ、逆らったら〜、キルッ♪」
「うわぁKillってちょっと誰か……、ネ、ネスティさん、助けてくださいよぉ!!」
未成年に飲酒を強要するという、その内急性アル中で病院に運ばれる幼児が出てきてもおかしくないような恐るべき蛮行を働く二人から逃げる為、レシィは代わりの生贄……、もとい、同じ境遇の同志に助けを求めんと試みる。

ところがどっこい。

「そうかー! うんうん、判るぞー! 僕だって、僕だって本当はつらいんだー!」
号泣しながら高そうな壷に向かって話しかけるロレイラルのベイガー。
…………。

「でもほんと可愛いわぁ。私がもう少し若かったら無理矢理にでも食べちゃうのに♪」
「アハハハ、駄目ですよー、レシィはあたしのジ・ン・ギ・ス・カ・ンなんですからぁー」
「……き、きにゃああーっ!!(泣)」

……で、二時間後……

「うっぷ… あ、危ないところでした……」
ヨロヨロになりながらも廊下を歩くレシィの姿があった。
ちなみに例の酒乱三人組は今頃食堂でひっくり返って高いびき、レシィの『注いでおだてて飲まして大作戦』の賜物である。
そのうち気の効く屋敷の執事達が、いつものように各自の部屋のベットに運び込んでおいてくれるであろう。
さすがは金の派閥議長の本拠。

「…でも…やっぱり飲まされ過ぎましたかね…フ、フラフラしますぅ〜…」
足元がヤバイ為階段のところに腰掛けて少し休もうとするレシィであるが、ちょうどその時、上の方からひょいと出てきた顔がある。
…ミニスだ。

「大変だったね〜、お母様とトリスに同時に絡まれるだなんて」
「ミ、ミニスさんっ!? まさか見てたんですか!?」
少女は階段のふちから身を乗り出すと、にぃっと笑って明るく言った。
「うん! でもああなったお母様に関わるのは自殺行為だから」
「…ひ、酷いです……僕は人柱ですか…?」

自分だってネスティを生贄にしようとしたくせに。

「でもまあそんな事はどうでもいいんだ、それよりちょっと相談があるのよね」
先ほどまでの人の人生最大の危機を『そんな事』で片付けるミニス。
…段々ファミィさんに似てきましたね、等とは口が裂けてもレシィは言わない。

「あのね、ユエルの様子がね、ここ数日変なのよ」
「…え?」
レシィの動きが止まった。
…昼間の一件が、彼の脳裏にまざまざと呼び覚まされ、知らず知らずの内に、手が昼間ユエルに引っかかれた部分に伸びる。

「ほら、ユエルとあたしって、いつもは一緒のベットで寝てるんだけどね、最近ユエル、夜は自分の部屋から出てこようとしないのよ」
「……ああ、オルフルはメイトルパでも主に寒い地方で暮らしていますからね、……寝る時は家族で身を寄せ合って寝るんでしたっけ……」
三年前ならいざ知らず、たとえ同性でもこの歳になってまで一緒のベットで寝るのはちょっとアレなんじゃないか、と思ったりもしたが。

「うん、ユエルってあれで結構甘えんぼでね、一人じゃ良く眠れないらしいの」
まぁ事情が事情だしね、と小さく付け加えるミニス。
レシィもユエルの『事情』はトリスから聞いているだけに、一人だと夜眠れないというユエルの気持ちは、なんとなく察することができた。

「おまけにあの子、食欲もあんまり無いみたいで…風邪でも引いてるんじゃないかと思ったのよ、レシィ、なんか心当たり無い?」
「そう言えば…体調を崩しているような気配はしましたけれど……」
でもあれは風邪とはちょっと違うような、と言いかけて、けれどレシィの言葉は遮られた。

「でしょ? やっぱりあの子風邪よね? …だったら、レシィに頼みたいの」
びしぃ、っと音が鳴りそうなくらいに鋭くレシィを指差し、ミニスが言った。
「僕に……頼み、ですか?」
おずおずと聞き返すレシィ。…(いつもの事だが)何か、嫌な予感がした。
「そう、いつだったか、ユエルが地面に落ちてたお饅頭拾い食いして、お腹壊して大変だった事あったじゃない!?」

…………

「…た、確かにありましたね、そんな事」
…確かにあった。ユエル曰く、だってもったいなかったんだもんとの事だったが、その結果『お腹が痛いよー!!』と七転八倒の大騒ぎになったのだ。
そう言えばあの時……
「ユエルって召喚獣だからあたし達の飲むお薬がちっとも効かなくて、もうどうしようって時に、レシィが変な薬飲ませたらピタッと治ったじゃない」

…そう、当然だがレシィ達召喚獣に、リィンバウムの人々の為の薬が同様に効くようなケースは少ない。だから病気や故障を起こした護衛獣は、速やかに元の世界へと送還されるのが通常なのだが、しかしそれが出来ないはぐれの召喚獣にとっては、ちょっとした病気が命取りとなる場合も多いのである。

…が、メイトルパやシルターンの召喚獣にとってはまだ幸いな事に、彼らの世界に生えているのと同じ植物がリィンバウムにも生えている事がしばしばある。レシィがユエルに飲ませたのは、彼がそんなもしもの時の為に自分用に作っておいたメトラル族の薬だった。

「…そりゃ、風邪薬も何種類か持ってると言えば持ってますけど…」
ミニスの言わんとする事がわかって、しぶしぶながら肯定するレシィ。
旅先で常備薬を欠かさない辺り、悲しきかな、やはり家政獣の鑑である。
「でも、僕が村のババ様に習ったのは何種類かの基本的な薬だけで…それに、あの、僕みたいな素人が診るよりも、その、もっと専門的な…」
「あんたの薬で治るんだったらそれに越したことないじゃないの。駄目だったら、まあちょっと面倒だけどフラップイヤーとっ捕まえて診させるとか、まあその辺はあたしだって考えてるんだから」

…………

「…な、なんとか善処してみますっ。是非任せてくださいっ!!」

冷や汗を垂らしながらコクコクと頷くレシィ。
…これはちょっと責任重大である。
彼がなんとかしなければ、このままではメイトルパが誇る神秘の幻獣が、ご近所の往診医扱いされてしまう。
それではあまりにも……、あまりにもフラップイヤーが哀れだ。

「そう、じゃあお願いね、それじゃあたしはもう寝るから」
「はいっ! …って、ええ!?」

「ミ、ミニスさんも一緒に来てくれるんじゃないんですか?」
「…馬鹿ね〜、アンタ、ここがユエルの為にポイント稼ぐチャンスでしょ? …それとも何? もしかして、夜の屋敷を一人で歩くのか怖いとか〜?」
話が違うとばかりに慌てるレシィだったが、ミニスの方は思わせぶりな事を言ってニヤリとレシィを見るだけである。

「そ、そういうのじゃなくて、や、やっぱり、年頃のじ、女性の部屋に夜中に男だけで訪ねていくというのは、い、色々と、も、も、問題が…っ!」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになるレシィ。
…あまり男女差別というかそういう概念の無いファナンで育ったミニスと違い、未だにそういった差別と役割分担が根強く、そういうのが戒められるメトラル族の村で育ったレシィとでは、やはりではあったがこういった物事に対する考え方に、けっこう大きな格差があるようだった。

だから、そんな育ちの違いが、そもそもの発端になったのかもしれない。
「……ぷっ、くくく、あっははははははははははは! な〜に言ってるのよ、年頃の女性って、フォルテとかならともかく、よりによってあんたとユエルじゃ問題のもの字だって起こるわけないじゃない」
…眼を白黒させているレシィを目前に、堪えきれずに吹き出すミニスには、それはいつもの物事を深刻に考えすぎるレシィの悪い癖だとしか考えられず。
「…まあ、せいぜい良くて手を繋ぐ辺りが関の山なのも判ってるしね。悪口じゃなくてね、あたしはレシィの真面目さを信用してるんだから!」
レシィの顔がかすかに引きつったことには、気がつかなかったようである。

「じゃあね、根性あるならせめてキスぐらいはできるように頑張んなさいよ〜」
手を振って身を振り返すミニス。…そして階段にはレシィ一人が取り残された。

「…………」

そのまま立ち上がらず、たった今のミニスの言葉を反芻するレシィ。
毎晩のトリスの地獄の絡み酒のせいで、この歳にして既にアルコールへの耐性が飛躍的に上昇していた彼(←少々複雑な心境)だったが、それでもやはり飲めば飲んだだけ酔いはする。
「悪気で…皆さん言っているのではない事は、判っています。でも…」
組み合わせた両手の向こうで、蝋燭の明かりがチラチラと揺れた。
「……僕は、そんなに……」

…自分の初恋の相手は、彼の主人――トリスだったと、レシィは自覚している。
角が無いために魔眼をうまく扱えず、それ故に半人前だといじめられ、痛みから逃げてばかりだった自分に、トリスはたくさんのものを与えてくれた。
…もっとも、それはあの旅の中では、何もレシィだけに限った話ではなかったが。

(…あのアメルさんが、『ああ…お姉様…』って陶然とした表情で呟きながら、ご主人様の名前の書かれたお芋を大切に撫で撫でしているのを見た時は、さすがの僕も見ちゃいけないもの見ちゃったと思いましたっけね…)
…ああ、そりゃ道理でリューグにもロッカにも靡かないわけだ。

…話がずれたが、ともかく。
どうやったらなるべく苦痛を避けられるかに必死だった自分が、初めてこの人の為なら死んでもいいと、どんな苦痛でも受けても良いとまで思えたのがトリスだった。…そして、それは今でも変わらぬ覚悟である。
トリスが聞いたら絶対に怒るだろうから、決して口に出しはしなかったが。

だからネスティが帰ってきて、トリスが二人で暮らし始めた時も、別に嫉妬や、恋破れての無念を感じたりはしなかった。
誰もネスティの代わりになれない事を痛感していたレシィとしては、むしろトリスに笑顔が戻ったことを喜んだくらいである。
今やあの二人に仕える事はレシィの至上の喜びであり、その事に関しては、レシィは何ら疑問を抱いてはいない。
ただ……

「でもご主人様の護衛獣は、僕でなくてネスティさんなんですよね…」
トリスを守るのは、ネスティの役目。
自分は身の回りの世話という大役を命じられてはいるが………それでもそれは、「護る」のとは明らかに違う。
いや、むしろ自分は、いつだって「護られる」方ではなかったか?
少なくとも彼の周りにいる、自分のことを『可愛い』『可愛い』と可愛がってくれるような女性達は、少なくとも彼よりは強く………とてもではないが、自分が「護る」必要など無い様に思われた。

「…ずるいです、皆さん。皆して…」
ぼんやりと蝋燭の火を眺めていると、そんな言葉が零れ出た。

「…僕だって、護ってあげる側になりたいのに…」

無意識に右手の甲を握り締めるレシィ。
未だ赤く腫れる四筋のミミズ腫れが、そこにはくっきりとつけられていた。


つづく

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