レックス×アズリア 6(完結)



指定された場所は小さな教会だった。身内のみという話の通り、参加者は少なく親族に新郎友人席に数人、新婦友人席に関してはレックス達とギャレオの姿しかなかった。
式場で顔を合わせたギャレオは何も言わなかった。怒る事もなければ、責めることもない。
ただ哀れんだような視線をレックスに向けただけであった。
参加者全員が座ってもまだ余裕があるその教会のレックスの座った席は真ん中の通路に一番近い場所であった。
彼女と結ばれた日に着た服を、今度は彼女の結婚式で着るなんてなんとも皮肉な話だ。
そんな事を思っていると真ん中の扉が重苦しい音共に開かれる。
隣に寄り添いあうようにして歩いてくる花嫁とその父親。
純白のドレスに包まれるその姿は見る者を惹きつけて止まない美しさがあり、その場にいた全員が息を呑んだ。
ただ、その表情はまるで心を失くしたかのように虚ろでそのドレスを身に纏うには余りに不似合いなものだったのだが。
「本当に綺麗……」
「そうね…でも、どうしてかしら…何だか凄く哀しそうに見えるのは…」
ソノラとスカーレルが思わず声を上げた。
スカーレルはその声に寂しさを宿したまま、そっと隣のレックスの様子を窺うが伸びた前髪によって表情を知ることはできなかった。
父親に手を引かれ、ヴァージンロードの先に待つ新郎の側へ寄り添うように立つ。
目の前の神父が誓いの言葉を読み上げる。
その声に泣きそうになった。
このまま自分は好きな男の前で好きでもない男とキスをして永遠の愛なんていうくだらないものを誓うんだ。
あれからずっとあの人の事を忘れようと努力してみたけれど、結局それはできなかった。
隣の男を愛することもできず、昔の男への未練を捨てることも出来ずにこの場へ立っている自分はなんて惨めなんだろう。
すぐ側にいるのにどうして手が届かないんだろう。
助けて欲しいなんて。言う権利ないのに。どうして願ってしまうんだろう。
どうして心はこんなにも貪欲にあの人を求めてしまうんだろう。
こんな状況なのに、好きだと、思ってしまうんだろう。
口にはできない想いを胸で殺してアズリアは涙に耐え、顔を顰めた。
神父の声が耳に入って流れていく。
目の前で好きな女が別の男の物になろうとしているのを指を銜えて見ているしかない。
そんな状況にレックスは歯を食いしばって耐えるしかなかった。
祝福できると、それまでは思っていた。
彼女の為なら物語のヒーローのような男になれると思っていた。
彼女が幸せならそれでいいと。どんなことがあっても納得できると思って覚悟も決めた。
けれど、どうしてだろう。
実際目の前で繰り広げられている現実に。腹が、頭が、心の臓が、熱い何かで締め上げられる。
全身の骨が、軋む。
「…んで、だよ……」
「センセ…?」
「な、んで…笑ってないんだよ、彼女…っ!」
幸せそうに笑っていてくれたなら、それで良かった。
自分と同じ道を歩めなくともその先に幸せがあるならそれで全部納得できた。
なのにどうして。
「何で、幸せそうな顔してないんだよ…!どうして…泣きそうな顔、してるんだよっ…!」
あんな顔見たくない。させたくない。
嫌だ。彼女が笑っていないのはどうしようもなく嫌だ。
笑っていて欲しい。笑わせてあげたい。
熱い気持ちが爆発する。
「…ぃ、やだ……っ!」
「センセ……」
「やっぱり嫌だっ!!」
気が付いた時には飛び出して叫んでいた。

神父の声が止まる。会場の視線が集まる。それでも止まらない。
「こんなの…納得できないよっ!」
「一体、どういうつもりですか…?」
荒い声と静かな声がその場を支配する。二人の男の言葉が交差してその音が全てになる。
「君が幸せならそれでいいって…祝福できるって思ってた…。だから全部諦めて此処に来たのに、どうして君は笑ってないんだよっ!?幸せなら、そんな泣きそうな顔するなよ!そんな君は見ていたくないっ!そんな顔させる男になんか渡したくなんかない!!」
「お前…言ってることが無茶苦茶だぞ……」
「無茶でもなんでも仕方ないだろっ!だって君のこと好きなんだからっ!!」
本能の叫びがそのまま声になる。愛される資格だとか理屈だとかそんなのはもう関係ない。
だってもう止まらないんだ。
そのまま歩み寄って彼女の両親の方へと向き、脚と手、そして膝を付いて頭をゆっくりと下げる。
額が地面に着いて、髪が床に散らばる。
「―…お願いします、娘さんを俺に下さい」
その一言に会場が水を打ったように静かになる。凛とした声が響く。
「勝手な…本当に自分勝手なことを言っていることは自分でもよく分かっています。決して許されるようなことじゃないことも分かっています。それでも、遊びなんかじゃありません。本気です。彼女じゃなきゃ駄目なんです。他の人じゃ駄目なんです。彼女と二人で、幸せになりたいんです。それが俺の、生きる意味なんです」
「先生……」
伏せられた顔は上げられない。そのまま言葉が続けられる。
「俺は社会的地位だとか後ろ盾だとかそんなのは何もない無力な人間です。貴方達から見れば屑みたいな人間かもしれない。それでも、生きてます。屑でも、毎日一生懸命生きて、幸せになろうと必死です。俺の幸せは、彼女の隣にしかないんです。
俺は何の力もないけど、それでも彼女を守って幸せにすると誓います。もし子供が産まれたらその子供も一生をかけて守ります。…少なくとも、貴方達みたいに子供を家名や自分のくだらないプライドの為に犠牲にするような、そんな親にだけはなりません」
「…っ!」
その言葉にアズリアの両親の表情が歪む。止めるものを持たない声はそのまま流れ続ける。
「家名や家のプライドは…大事なものだとは思います。それは今まで築き上げられてきた誇りの上に成り立つ大きな武器であることも知っています。
それでも俺は、一人の人間の人生を犠牲にしてでも守るべき物だとは思わない!そこに誰かの幸福を犠牲にする程の価値があるとは思えない!!
俺は…家とかプライドだとかそんなの関係無しに彼女を幸せにしてあげたい。一人の女の子として愛してあげたい。―…だから、お願いしますっ!」
その言葉に涙が浮いた。
ねえどうしてそんな言葉をくれるの。
だってあんなにも傷付けたのに。側にいればまた傷付けるかもしれないのに。
なのにどうしてまだ好きだと。愛してると、言ってくれるの。
だって何もないんだ。自分にはそんな言葉貰う価値なんてどこにもない。
誰かを傷付けることしか出来なくて、親の言いなりになるしかない。
そんな弱くて卑怯な人間でしかないんだ。
それでも、この人がいいと、選んでくれるの。
側にいて欲しいと、その頭を下げてまで、言ってくれるの。
どうしよう。そんな資格ないのに。それでも、嬉しいと、思ってしまう。
好きだと、思ってしまう。
「顔を上げて下さい。それだけ言えば、満足ですか?茶番はそろそろ終わりにしましょう」
その言葉と共に顔を上げる。怯えるな。弱さを見せたら、負けだ。
「…貴方は自分の言っていることの意味が分かってるんですか?もし彼女が貴方の手を取れば彼女は家と軍を捨てることになる。それでも貴方は彼女を幸せに出来ると、守りきってみせると言えるんですか?」
正しさを持った言葉が発せられる。その言葉に浮かぶ感情を押し隠す。
目を逸らすな。恐れるな。逃げることは許されない。
「確かに俺は、彼女の軍人としての未来も夢も守ってやることはできない…。辛い思いや寂しい思いをさせるかもしれない。それでも、一人の女の子としての幸せを守ってやれる自信はある。少なくとも、アンタよりかは」
「…っ……言ってくれますね…」
芋虫を握り潰した様な男の顔を見ながら立ち上がり、手を伸ばす。
そして言う。堂々と。
「アズリア、君が選んで。俺は…君に辛い選択を迫っているのかもしれない。もしかしたらまた泣かせてしまうかもしれない。それでも、俺を選んでくれたら一生大事にするから。もう二度と離したりしないから…だから……」
言えば全てが廻りだす。本当は少し怖い。それでも。
「俺の隣で、生きて下さい。君じゃなきゃ駄目なんだ。君が、いいんだよ」
体が弾かれたように歩を進める。あの手を求めて。
だめだ。もう止められない。想いが溢れ出す。愛しさと共に。
だってもうこんなこと本気で言ってくれる人なんていない。
これ以上好きになれる相手なんて見つけられっこない。
「アズリアっ!」
その足を止めたのは、大好きだった声。今までずっと自分を育ててくれた声。
振り返る。言葉にするのは怖い。それでも言わなきゃならない。
「父上…母上……ごめっ…なさい…。私は…生まれて初めて、貴方達の言う事に、逆らいます。私は貴方達が大好きでした…。認めて貰えるのが嬉しくて…嫌われたくなくって必死だった。
それでも、私は…貴方達を選べません…。本当に我侭で…自分勝手な娘でごめん、なさい…。愚かだと…一族の汚点だと罵られても構いません…。
それでも彼を幸せにしてあげたいから…二人で幸せになりたいから……だから行きます。今まで、本当に…ありがとうございましたっ……」
その言葉を終えると同時に駆け出す。走りにくいヒールを脱ぎ捨てて、その手を求めて。
温もりが触れ合う。指先を絡めて、そのまま二人で走り出す。その顔には笑顔が零れてる。
風でヴェールが飛ばされ、花弁の様に空を舞う。
まるで物語の様な場面。その様子を誰もが皆呆然と見守るしかなかった。一部を除いては。
「まったく…本当に最後までヒヤヒヤさせる奴だぜ」
「先生カッコイイ…」
「本当にあの人はやる事成す事派手ですね…」
「まあいいじゃない。略奪愛の末駆け落ちなんてそうそう見れるもんじゃないし。それに…」
スカーレルは一度言葉を切ると微笑み、また言葉を続けた。
「理性とかモラルとか…そういうの全部踏み越えちゃうくらいに誰かを好きになれるのって、素敵なことじゃない?どんなに苦しくっても諦められないほどの強い愛が、ハッピーエンドを呼び寄せちゃうのかもね?」
「―…そうかも、しれんな…」
明るいスカーレルの声に賛同したのは意外にも側で黙っていたギャレオであった。
そこには穏やかな笑みが宿っている。
「とりあえず、今日はご馳走だな!先生の幸せを祈って!」
「主役はいないかもしれないですけどね…」
そう言って笑い合う。
そんな海賊達とは逆に、その他の取り残された人間の表情はどれも曇っていた。
「アズリア…」
「あなた……」
笑顔を浮かべながら走っていく娘をただ見送るしかなかった二人は顔を伏せ、暗い声を出す。
ずっと見ることのできなかった娘の笑顔と頭を下げた男の言葉が頭に残って離れない。
今にして思えば、酷い仕打ちしかしてこなかった自分達を、それでも好きだと言った娘。
失ってから初めて気付く。その大切さに。今更後悔しても遅いというのに。
「私達は…何時から無条件にあの子の事を愛することができなくなっていたのだろうな…。あの子が産まれた時は、あんなに純粋に愛してやれたのに…」
「まだ、やり直すことはできますよ」
返ってくる事がないであろうと思われた言葉に答えを返したのは意外にも同じくこの場に取り残された、タキシードに身を包んだ男であった。
「どんなに取り返しのつかない事をしたと思っても、やり直すことはできます。貴方も、彼女も生きてるんですから。私も、生きている限りは彼女に償いをしなければなりませんね…」
あの日嫌がる彼女を強引に自分の物とした。
たぶん一目惚れだったんだろうと思う。
だから彼女の心が他の男に向かっていると分かった時、どうしようもなく頭に血が上ってしまった。
力ずくでどうにかすれば他の男の事など忘れて自分の事しか見なくなるだろうと愚かに思っていた。
それでも、心だけは動かなかった。
そしてあの男は敵だらけのこの場から彼女の心をいとも簡単に動かし、臆することなく堂々と奪っていった。
完全に、負けだった。
「物理的制約に頼って関係を作る甘い時代はもう終わりなのかもしれませんね…」
だって世界は進化するから。
この世界が人の住む地である限り、世界は優しく進化する。
人は感情の生き物だから。
いつだって世界は感情中心に、誰かに優しく廻っている。


人は弱い。
誰かの言葉に迷いながら、現実という暗闇に呑まれながら生きている。
怖くて不安で、そんな中信じられるもの。
今この手を握る手が、囁いている。大丈夫だよって。
「…ここまで来れば、もう大丈夫かな」
手を握り締めたまま、走っていた足を止める。
振り返る、その笑顔。
心臓が高鳴る。
「…何か、すっごく久しぶりに、君に触った気がする」
声が近い。
「…とりあえず、ただいま」
「―…おかえりなさい…っ!」
涙で震える声で返したらいきなり抱きしめられた。信じられないくらいに強い力で。
「…会いたかった…っ!もう、離さない。離したくないっ…!」
少しだけ震えた体を強く抱きしめ返す。
ずっと、欲しかった温もり。呼吸が近くて安心する。
体中の細胞が叫んでる。この人が好きだと。
「…色々考えたんだ、君と離れてる間も、さっき飛び出した時も。心臓が頭ん中入ったような気がするくらいに、色々考えた。君の夢の事とか未来の事とか…。
俺に君の夢を守る力はないのに、けれど気持ちは止まらなくて…どうしたらいいか色々考えて、正しい答えを探したんだけど…結局見つからなかった。で、思ったんだ」
大好きな笑顔が、間近で、自分にだけ向けられる。
「明日の事は、神様にしか分からないから今俺達ができることってたぶん目の前の今日の想いと幸せを守ることだけかなって」
人は弱いから、きっとできることなんて限られてる。
運命を変える力を持たないなら、せめてそれに抗って抗って、少しでも幸せな方に向く様に努力するしかない。
「神様なんて信じてないけどね。そんなあやふやな存在に任せられるほど人の命は軽くないよ。…本当は、君の言葉も意思も無視して力ずくでどうにかするって方法も…考えなかったわけじゃないんだ。
でも俺はそんなに純粋じゃないから、たぶん力という方法に頼ってしまったら、そこから一歩も進めなくなるって思ったんだ。…まぁ結局力ずくみたいな方法になっちゃったんだけど…でもちゃんと君の意思を確認してからだったから、いいよね?」
優しい声が流れる。甘く、囁くように。
「さっきも言ったけど、もう一度言うよ。もしかしたら俺は、君に辛い思いをさせてしまうかもしれない。寂しいと泣かせてしまうかもしれない。それでも、俺を選んでくれてありがとう。この世界に生まれてきてくれて、俺に出逢ってくれて、ありがとう」
なんで。どうして。そんなに好きでいてくれるんだろう。
こんなにどうしようもない女なのに。返せるものなんて、何もないのに。
「…お前の気持ちは嬉しいけど…私にはそんな言葉受け取る資格はない……」
「どうして、そんな事言うんだよ…」
笑顔が曇る。本当は言いたくない。言って拒絶されたらどうしよう。怖い。
でももう嘘は吐きたくない。自分の気持ちにも、この人にも。
「…汚されたんだ、あの男に……。何度も何度も中で出されて…もしかしたら…アイツの子供が、このお腹にいるかもしれない…。なのにお前に愛される資格なんて……」
「…ごめんっ!ごめん…っ!」
小刻みに震える体をもう一度抱き締める。
何で、どうしてもっと早くに迎えに行ってやらなかったんだ。
どうして守ってやれなかったんだ。
どんなに自分を責めた所で現実は変わらない。それが歯痒い。
「…君の、気が済むまで殴っていいから…。こんな事で許されるとは思ってないけど…でももうそんな思いさせないから…。絶対絶対、守り抜くよ君を…。俺の、一生をかけて。
だから、一緒に考えよう?もし、君のお腹にあの男の子供がいるとして、それをどうするかは君が決めるしかないから…。辛いかもしれない。苦しいかもしれない。でも、俺も一緒に悩むから。一緒に、考えるから…。もう君を一人で苦しませたりしない。ずっと側にいる。約束するよ」
「うぅ…うぁ…あぁぁ……」
嗚咽が零れた。
どうしてこの人はこんなにも優しいんだろう。
本当なら責められて当然なのに。なのに全部許して愛してくれるなんて。
「な…んで…お前はそんなに、私の事を好きでいてくれるんだ…。私なんて何にもない…どうしようもない女なのに…」
「自分を卑下するなよ。そんな事言ったら俺だって何にもないよ。むしろもう嫌な所ばっかりで自分でも嫌になるよ…。
情けないし、女々しいし、甘い奴だってよく言われるし…。それでも君は、俺の良い所を沢山知ってるんだろ?」
その言葉にアズリアは無言で頷く。
それに笑顔が返ってくる。
「だったら、それでいいだろ。
独りきりだったら自分の嫌な所しか見えないけど、二人だったら良い所も悪い所も見つけられる。俺の良い所は君が教えてくれればいいし、君の良い所は俺が教えればいい。
そうやって、生きていこうよ。きっと、どうにかなるから。幸せに、なれるから」
無条件で信じられる言葉。胸に湧く暖かな想い。
ああこの人を好きになれて良かったと。
「馬鹿みたいかもしれないけどね。それでも俺は、君に出逢えてなかったら、あの言葉を貰えてなかったら、気が狂っていたかもしれないと、思うんだよ」
優しい声が歌のように流れる。
「俺はずっと化け物だとか、強い人だとかそんな風に言われ続けて生きてきた。本当にそういうのになれればいいといつも願っていたよ。痛みも寂しさも感じない、そんな存在に。
でも、どんなに願ったってそんなのにはなれなくて…苦しかったよ、ずっと。寂しかった、とても」
幼い心が、誰もいない時間を抱えて大人になっていくことの意味を誰も考えてくれなかった。
孤独を抱えた子供の一日が、どれほど長いか、誰も分かってくれなかった。
「天才だとか化け物だとか、いつだって異質な存在だと見られたけど、そんなのは違った。
俺は…強くなりたいと願う、弱くて脆い、どこにでもいる普通の人だったよ。そんな本当の自分を誰にも理解されないまま他人が怖くて怖くて仕方のない毎日だった。
そんな中で、君に出逢ったんだ。嬉しかったよ、自分を見てもらえるのが。どうしようもないくらいに、救われたんだよ。小さいけれど、それは俺にとっては確かな奇跡だった」
ずっと、独りだった。もうずっと、長い長い間、独りだった。
気が狂いそうなくらいの長い時間、独りだったよ。
寂しくて、切なくて。だからこそ出逢ったのだろう。
誰も分かってくれなかった想いに、寂しさに、気付いてくれる人に。
まるで必然みたいに恋に落ちて、幸せになりたいと願った。
辛かった。苦しかった。でも二人で幸せになりたかった。
胸に生まれた想いを、諦めたくなかった。
「ねえ、俺は何にもないけど…でも君の側にいたいと、思うよ…。弱いけど、無力だけど、君の為に強くなるから。死ぬまで君を守るから。だから、もう一度言うよ。
二人で幸せになろう?ずっと隣で、一緒に歩いていこう」
「…馬鹿。私は、お前じゃないと嫌なんだ…。お前じゃないと駄目なのは、私も同じなんだ…っ!」
自分を強く抱きしめてくる体をもう二度と離さないと、誓った。
生きているのが辛くて、死にたいと思ったことは何度もあった。
それでも今は思う。この世界に生まれて良かったと。
この人に出逢えて、この人を選んで良かったと。好きになれて嬉しいと。
辛かったこと、苦しかったこと、切なかったこと、嬉しかったこと。
過去の自分も今の自分も全てがこの人に繋がっていく。そしてこれからもずっと。
きっと永遠に。
出逢えたことから全てが始まった。
「―…ねえ、ちょっと手出してみて。左手の方ね」
「…何だ?」
差し出された手にそっと指輪を嵌める。あの日渡せなかったそれを今やっと渡せる。
「別れたあの日、渡そうと思って渡せなかったやつなんだ。今日、君が幸せになるのを見届けたら捨てようと思ってたんだけど…今まで捨てなくて本当に良かったよね。みっともなくても、最後まで諦めなくて、良かった」
新たに指に嵌るそれは今度こそ永遠の約束の証。篭められたのは愛の誓い。
「とりあえず、これからどうするか決めなくちゃいけないよね。えっと、落ち着いたらまず君の両親と婚約者の所に謝りに行って…」
「お前…あれだけ派手に掻っ攫っておいて、またわざわざ謝りに行くのか……」
「だって心込めて謝ったら君との事、許してくれるかもしれないだろ。そしたら、ちゃんと籍入れて…子供作って…そうなったらいいなって夢くらい見てもいいだろ?もし駄目だったらその時はまた二人で逃げればいいし。やってみなくちゃ分からないよ。
それにあの男、何発か殴ってやらないと気がすまない」
「…そう言えば、お前が他人のことをアンタ呼ばわりしたの、初めて聞いたな」
「だって何かもう腹立って仕方なかったんだよ。
ただでさえ腹立つのにその上さっき君からあんな話聞いたら尚更許せなくなった」
「…そうか。とりあえず殺さない程度にしておけよ。ああ、あとうちの父親に殺されないよう気を付けろよ。あの人は気が短い上にすぐに手が出るからボコボコにされるかもな」
「う…痛いのは嫌だけど慣れてるからまあいいや。手足や歯の数本は覚悟してたし。大事なのはそんなのじゃない。それに、見返りを考えればお釣りがきてもいいくらいだしね。
…んでさ、そういうの全部片付いたら、俺の故郷に行こうよ。父さんと母さんに君を紹介したいし、村の人にも自慢したい」
近い笑顔。それに安心する。笑みが浮く。
「―…そうだな。お前の生まれ育った場所を、私も見てみたいな」
「じゃあ、今後の予定も決まったことだし、取り合えずこの服をどうにかしようか。流石にウェディングドレスはヤバイ気がするし。
それに今の君は凄く綺麗だと思うけど、他の男が買った物だと思うと無性に腹立つ」
「…お前、結構心狭いな」
「それ、気にしてるからあんまり言わないでくれよ。…まあいいや、それじゃ行こうか?」
「…そうだな」
ここに辿り着くまでに失ったものを考える。
両親のこと、家のこと、夢のこと。
胸が痛む。淡く、寂しさを伴って。
それでも。今を愛しいと、思うのだ。
ねえ二人の傷は消えないだろうけど。
これからもきっと思い出していくんだろうけど。
それでも、残された傷跡も寂しさも切なさも大切な思い出にできるから。
だから歩いていこう。二人で、ずっと。
もう迷わなくてもいいように手を繋いで。
飽きるほどに、側にいよう。
遠回りをしてようやく辿り着いた物を、全部抱き締めて。
幸せになる為に、この旅路を歩いていこう。
差し伸べてくれる手がある。
それを握り返してくれる手がある。
触れ合う温もり。それが全て。
その手をもう二度と離さない。




私はここで筆を置こうと思う。この二人がどうなったか。その結末はこれを読む貴方が考えて欲しい。
未来の可能性なんて無限大だ。だから、貴方の考える結末はその可能性の内の一つであると、そう思うのだ。
そこにあるものが幸福なものであることを祈りながら私はこの物語の幕を閉じようと思う。

――――著者 スカーレル


「何ていうか、スカーレルが本当に本出しちゃうなんてあの時は思いもしなかったなぁ。しかもその話のモデルにされるなんてこれっぽっちも考えてなかったよ。本当に人生何があるか分からないね」
一冊の本を閉じながらレックスは言葉を放つ。
「…本当にな。人生何が起こるか分からないといえば、私とお前が他人ではない関係になって父親と母親になったのはきっと考えられない展開だったと思うぞ」
「だよねぇ。俺ももうお父さんだもんねぇ。アイツの子供じゃなくて俺の子が産まれたのはやっぱり愛の差だね。数年越しの愛の力は伊達じゃないよ。
でもこの話、続きが書かれなくて本当に良かったよね。この後の展開は何ていうかもう本当に生々しすぎるもんねぇ」
「お前は本当に入院したしな。でも傷を召喚術で癒すより入院を選んだのはお前の意志だからな」
「あ、はは…だって召喚術で直しちゃったらその痛み、すぐに忘れちゃうだろ?そういうの、忘れちゃいけないって思うから。そうやって負った傷が今の俺を育てて、そうして知った痛みが今でも俺を支えてる。そう思うから。
過去を否定する気もなければ美化する気もないけど、それでも俺は、俺の体の傷達を愛しく思うよ」
「そうか…」
春の暖かな風が二人の頬を撫でた。
初めて出逢って、再会したこの季節をまたこうして共に過ごせるのをとても幸福に思う。
「でも君の父さん、本当に容赦なくてあの時は本気で死ぬかと思ったよ。あの時は肋骨が数本いかれたんだっけ?
でも、それでも君との関係を認めて貰えた事を考えたら安いもんだったかもね」
「…そうだな」
今でも思い出す。あの時の父親の姿を。
愛する人を散々罵って一方的に暴力を振るった後、自分が軍人を続けることを条件に彼との関係を認めてくれた父。
ほんの少しだけ震えていたその背中を見た時に気付いた。
あの人が自分を理解しようとしなかったように、自分もあの人を理解しようとしていなかったのだと。
きっと高慢で強引なあの態度も、そうでなければ厳しい世界で生き残ってこれなかったからなのだろう。
彼もまた家名と言う呪縛に囚われた、自分と同じ不器用な人間だったのだ。
親という立場になった今ならあの人の強さも弱さもほんの少しだけ分かる。
「しかもお前、あの後あの婚約者も殴り飛ばしたしな。物語の主人公にあるまじき行為だな」
「仕方ないだろ…あの顔見たらなんかまた腹立っちゃったんだもん。
ちゃんと婚約破棄してくれたし、結納金も納めた分だけ返してくれればいいって言ってくれたけど、やっぱなんか許せなかったんだよ。君が軍に残れるよう配慮するって言ってなかったらもっと殴ってた。
四発で済んだんだから安いもんだと思ってもらいたいね」
「でもその四発叩き込んだ場所が問題だろ。相手も私もてっきり頬か鳩尾に入れるだろうと思っていた。だからあいつも腹筋しめて歯を食いしばってた様なのにお前は眉間と鼻と顎とこめかみに入れたからな。あれ絶対折れてたぞ。凄い音したからな」
「何だよ、君はもっと手加減して欲しかったって言うの?」
「――いや」
アズリアは笑う、ニヤリと不敵に。
「スッキリしたな。あんなに爽快な気分になったのは久しぶりだった。あの時の、本気で怒ったお前と私の父の一方的な暴力に文句一つ漏らさず最後まで耐えたお前は、少しだけカッコ良かったな」
笑顔が浮かぶ。自然に。それが嬉しいと思う。
「何が起こるか分からないって言えば、俺はソノラがもうすぐお母さんになるのにも吃驚だなぁ。何か今大変みたい。ほら、君はしっかりしてるからあんまり心配いらなかったけど、ソノラってあの性格だから。何度も階段から落ちそうになったりしてカイルやスカーレルは生きた心地がしてないって」
「はは…でも生まれたらもっと大変になるぞ。お前はどっちだと思う?」
「女の子…じゃないかなぁ。希望も含めて。きっとソノラみたいな可愛い子が産まれるよ。名前はどうするんだろう。うちはすんなり決まったけど、向こうはどっちにしても色々揉めそうだなぁ」
「そうだな…。よしじゃあ私は男に賭けるとするかな。お前がはずした時の罰ゲームを今から嬉々として考えておくさ」
「…そういえばさ、君、前の賭け負けてまだ罰ゲームしてなかったよね?今、その罰ゲームしてもらってもいい?」
「そ、そうだったな…。よし…なんだ、言ってみろ」
「うん、それじゃあね…」
レックスは一旦言葉を切る。その頬がほんのり朱に染まる。
「その、「あなた」って言ってみてくれないかな…?ほら、俺達他人じゃない関係になったのに君に一度もそう呼ばれたことないから」
「それ言うならお前だって何時までも「君」のままだろう。人の事言えんな」
「じゃ、じゃあいいよ。言うよ。だから君も言ってくれよ」
「いいだろう。お前が言ったら言ってやる」
「うん…じゃあ、いくよ」
一度息を吸ってゆっくりと言う。
「お、お前…」
声が裏返った。
「あ、あ、あなた…」
思いっきりどもった。
何だか無性に照れくさくて顔の火照りが止まらない。
そんな二人をそっと見守る影が。
「初いのぉ」
「青いわぁ」
「若いですね」
「ったく、あいつらガキまで作っておいて何やってんだよ」
「何だか見てるこっちが恥ずかしくなっちゃいますね」
「皆さん、これは出歯亀というものでは…」
「いいんですよ、皆さんあの二人のことを優しく見守っているだけなんですから」
明らかに楽しんでいるだけのような気がしてならないが、深くは突っ込まないでおいた。
そんな外野に全く気付かず、二人は笑う。
「―…ぷ、はははは……駄目だよ、何か可笑しいよ。やっぱり今まで通りが一番だね」
「はは…そうだな。幾らなんでも違和感がありすぎる」
笑い声が辺りに響いた。その二人の元に遠くから走ってきた小さな影が駆け寄る。
その幼い体はレックスの服の裾をそっと掴むと、その手元の本をじっと見つめる。
「ん…?何だい、この本の続きを読んで貰いたいのかい?」
レックスの言葉にコクコクと首を縦に振る。
その子供の頭を優しく撫でながらレックスはゆっくりと言葉を続ける。
「ごめんよ…あの話はあれでお終いなんだ。でも安心して。他にも海賊の話や聞かせたい物語は沢山あるから。ところで、君があの物語に結末をつけるなら、どんなものがいいと思う?」
その問に幼子はほんの少しだけ頭を捻らせると、笑顔で答えを言う。
「そうしてふたりはいつまでもしあわせにくらしました」
「…そうだね。最後はみんなで幸せになれるのがいいね」
人の人生なんて一本の物語のようなものなのかもしれない。
次の頁を捲るまで何が起こるかなんて分からない。
先が読めないからこそ面白い。
未来への可能性なんて無限大だ。
だったら、その結末は幸せなものがいい。
誰もが皆幸せになりたがってる。
ハッピーエンドを迎えるために毎日必死で生きて、運命に抗ってる。
そうして幾つかの物語が出逢って、一つのハッピーエンドを呼び寄せるんだろう。
自分と彼女が出逢って、新たな物語を生み出したように。
「…君の物語が、幸せなものであることを祈っているよ」
そう言って愛しい我が子の頭をもう一度撫でる。

新しい物語は、まだ始まったばかり―――。


おわり

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