腹ぺこ羊は泣き虫狼と夢を見るか・第一話



そもそもレシィは、あれで結構、キョーボーで、ドーモーで、エロエロなのだ。
…『あの日』の次の日の夜からして、全然手を抜いてくれたりなんかしなかった。


     ◇          ◇          ◇          ◇


(……どうしよう……)
とぼとぼとレシィの後をついて歩きながら、珍しくもユエルは焦っていた。
色々と大変な一日だったが、それでも今日も無事?に過ぎ去り、今二人は気を利かせてくれた周りの皆に従って、特等の寝室へと廊下を歩いている。
一緒に寝る為…だけだったら良かったのだが、おそらくそれで済みそうにない事は、ユエルもなんとなく空気から察していた。

自分の決断を後悔するつもりは無いし、皆も(ミニスとネスティはだいぶ吼えたが)自分とレシィが選んだ選択を祝福してはくれた。
…何一つ問題などないように見えるが、でもだからと言って不安が無いわけではない。

一晩明け、狂熱が冷めてみれば、まるで昨日の出来事は夢のようで。
寝不足と生活リズムの崩れ(彼女は夜10時過ぎまで起きていた事が無かった)のせいもあったのだろうが、今日は妙に頭がふわふわして、現実味の薄い一日だった。
…いや、周囲の反応とか、一連の出来事、起きた時に腰が立たなくて困ってしまった事などから、昨日の一件が夢で無い事は明らかだと思うのだが。
それでもどこかで、やっぱりこれを信じる事が出来ていない自分がいるのである。

何よりも。今日の昼間、ユエルが何となく期待して抱きついてみた時にレシィの示した反応が、しきりに彼女を心細くさせていた。
彼女が思いっきり抱きついた途端、顔を赤くして、慌てて飛びのいて、逃げ出して…………ようするに、これまでと何一つ、レシィの反応は変わらなかったのである。

流石にキスや甘い言葉を期待してはいなかった(というか、いくらなんでもお子様のユエルには、そこまでは恋愛的な考えを飛躍させる事ができなかった)が、故に逃げ出されるまでされたのは、彼女的にかなりショックだった。
てっきりぎゅうっと温かい腕で抱きしめ返してくれると、それくらいの変化だったらあるのではないかと、ユエルは期待していたのだ。
…いや、むしろレシィにそうしてもらえる事を、心のどこかで望んでいた。

寂しくなったり、相手の温もりが欲しくなった時、いつだって抱きしめてくれる人。
それがユエルの稚拙な頭の中にある『夫婦』の理想の形態像で。
…なのにレシィがそれをしてくれないという事が、ユエルにはどうにも理解不能、変わったようで、何も変わらなかった二人の関係に、酷く落胆したのである。

やがてドアの前に立ち、レシィが何事か言うのを上の空で聞きながら、ユエルは段々、本当に不安になって来ていた。
元々難しい事を考えるが苦手な彼女の頭、考えれば考えるほど思考が迷走し、ますます昨日の事が夢だったんじゃないかと、自分は夢を見てるんじゃないかと思えて来る。

それを認めるのが怖く、確かめるのが怖い。
あの優しさ。あの温かさ。あの確かさ。あの頼もしさ。
ずっとずっと彼女が求めていた物が、手に入ったと思った瞬間指から零れていくのが怖い。
レシィがいつも傍に居てくれて、いつでも自分を抱きしめてくれたらどんなに素晴らしいかと想像する反面、一度そこに想いを至らせてしまった今、
それが適わないかもと思ってしまう事が、耐え難い苦痛を彼女に与える。
またこれまでと何も変わらない日常が帰ってくるのが、嫌で嫌でたまらなく――

――では、どうして自分はそう思ってしまうのか?
そのロジックの向こう側に手を伸ばすには、彼女の脳みそと人生経験は今一歩つたなく、必死に指を伸ばそうと足掻いている最中に、自分の足が敷居を跨いだ事にも気がつかない。

もう少しで、自分が今まで至る事もできなかった『何か』を理解できそうな気がして。
部屋の中の景色も、バタンとドアが閉じた音も、カチャンと鍵が閉まる音も、今の彼女にとっては、それ以上の物にも、それ以下の物にも認識できず。
……だからこそレシィのその行動は、彼女にとって不意打ちとなった。

「ふぁ…っ!?」

鈍い衝撃と、暖かい物に全身を捕えられる感じ。
急に後ろから与えられたそれに、思わずそんな変な声を上げてしまう。
背中越しに感じる温かい感触に、だけど一瞬何が起こったのか理解できない。
今この状況で彼女にそんな事をできるのがは、たった一人しかいないというのは、考えなくてもすぐに判る事なはずなのに。
それがすぐに出来ない程、彼女が狼狽していたのは、ひとえに慣れぬ思索に没頭していたのと……、『それ』を諦めかけていたせいが、何よりも強く大きかった。

…だって今日の朝、皆に質問攻めにあって半泣きになっているレシィの姿は、紛れもなく彼女がよく知っている、いつも通りのレシィでしかなかったし。
ユエルが試しに抱きついてみた時も、顔を真っ赤にして慌てながら、「や、やめてくださいよぉ」といつも通りの反応をするだけだったから。

「はいこれ、『そういうお客様用の部屋』の鍵ね」と言って、ミニスのママからこの部屋(だぶるべっとで、ぼーおんしよう、らしい)の鍵を渡された時も、必死になって突っ返そうとしてた。
トリスにからかわれても、ネスティに皮肉られても、ミニスにキツイ事言われても、「ししし、しないですよぉそんな事!」と、確かに言っているのを、聞いたのに。

「あ〜…、やっぱりユエルさんって抱き心地さいこーですねぇ…」
なのに今こうやって、部屋に入った途端、後ろ手にユエルをぎゅっと抱きしめて、とっても幸せそうに肩に頭を乗せてくるのは、一体全体、どういうわけなのか?

「レ、レシィ、一体いきなり何すっ…ぁ…っ」
後ろを振り向こうとしてもがいたら、回された腕にまたちょっと力が入った。
胸とお腹の間、ちょうどちょっとくびれた所に両腕を回されているから、少しくらい力を込められたって、息苦しさは感じない。
感じないけど……でもその分より強く、お互いの体が密着する。
密着すればするほど、よりはっきり相手の体温が感じられるようになる。

……レシィの身体は、温かかった。
そんな当たり前の事に、今更ながら気がついてそう思った瞬間、突然、何か胸の奥でじんわりと暖かなものが湧き上がるような感じがして。
…身体がぶるっと震えて、再び変な声をあげてしまう。

「何って、ただ抱きついてるだけじゃないですか」

そんな彼女の身体から力が抜けていくのを感じながら、レシィは別に変な事はしてないじゃないですか、と言わんばかりの声でそう言って、
「……ユエルさんが、いっつも僕にしてくるみたいに」
またほんの少し、抱きしめる腕に力を込めた。

…そうだ、確かに言われてみればその通りだ。
洗濯物を干してたり、土いじりをしてたり、あるいはただぼーっとしているレシィを見かけると、彼女は度々背後から走り寄り、勢いよくレシィに飛びついた。
飛びつかれたレシィはびっくりして二、三歩たたらを踏むか、そのまま前のめりに倒れこんでしまうのが常で。
心臓が飛び出る程驚いたのだろう、胸を押さえながら振り向いたレシィが、
『ひ、酷いですよユエルさん、何するんですかぁ!』
と涙ぐみながら言うのを見る度に、ユエルは自分のいたずらが成功した事に、あはははっと楽しそうに笑うのだった。

そうやって、そのまますぐにどいてあげる事もあれば、倒れてしまったレシィに抱きついたまま、
『ねぇレシィッ! 暇なんだったら一緒になんかして遊ぼうよっ!』
そのままぐりぐりと肩に顔を擦りつけてじゃれつく事もあるのだが。

そんな時は決まって、レシィはただでさえ赤くなってる顔を更に真っ赤にして、
『やややややや、やめてくださいよユエルさぁんっ!!』
ユエルを振りほどくか、酷い時には力ずくで引っぺがして、そのまま遁走してしまうのだ。
…これがユエルは気に入らなく、何も知らない彼女はムッとする事も多かったのだが、
でもその後必ずと言っていいほど、レシィは『あの時逃げちゃってすみませんでした』と
きちんと謝ってくる事だし、レシィはすごい照れ屋さんなんだな、ぐらいにしか彼女は考えていなかった。
……でも、真相は……

――アッタカイアッタカイ、コレスゴクアッタカイ…――
抱きつかれてるだけなのに。
ただ抱きつかれてるだけでしかないのに。

「…ね、ユエルさん。…今、どんな気持ちですか…?」
すぐ近くで囁かれたはずのその言葉が、どこか遠くから聞こえてくるように思えるくらい、彼女の思考はとろとろに蕩け、マヒし始めていた。

レシィの肩幅は、男性としては決してそんなに広い方ではないのだが、それでもかなりの痩躯なユエルのそれと比べれば話は別。
きゅぅっと、まるで両肩ごと包み込むように抱きしめられるその感触は、こちらの世界に呼ばれて以来、『抱きつかれる』よりはもっぱら『抱きつく側』だった彼女に対して、なんとも言えない不思議な感覚をもたらすのだ。
服越しにお互いの身体が押し付けられ、そこからお互いのほのかな体温が
じわじわと伝わっていく、たったそれだけの事なのだが、酷く温かく、そして……

「…ん……なんか…、…すごい…気持ち……いい……」
とろんとした目で、ユエルは問われるままに答えを返す。

何しろ今日は(寝不足な分)一日中屋敷の敷地内で大人しくしていたので、彼女はいつもの皮製の上着を羽織っていない。
薄いストライプのシャツ越しに、あっという間に彼の体温が伝わって来るのだ。
前に回されたレシィの腕に手をやれば、そのサラサラと乾いた白い布地からは、お日様の匂いと、草や土の匂い、…あとちょっと汗の匂いもして。
(…あ、なんか、これ……、……もっと……欲し…い……)
…気がつけば、レシィの腕に手を添えて、彼にバレないように小さくすんすん鼻を鳴らしていた。しっぽが勝手にゆらゆら動き、レシィのズボンの左右の丈をぱふぱふと叩いていたが、なんだかそんな音すら、緩やかで耳に心地よい。

「…判りますよね? これがとっても気持ちいい事だって」
呼吸がかすかに震えてきているユエルに、嬉しそうにレシィが声をかける。
「こういう事、ユエルさんはずっと僕にしてきてたんですよ?」

「……ふぇ?」
ぴくんと、ユエルの大きな三角の耳が動いた。
ぼうっとした頭に、言われた言葉を反芻するも、すぐには意味が判らない。
「いっつもユエルさん、僕に簡単に抱きついて、押し倒してきて」
仕方ないなと言わんばかりに、前に回した両手を静かに組み替えると、
「なんでその度に、僕があんなに慌てて逃げてたのか、判りますか?」
そのまま右手を彼女の腰の下へと回し、ぐいっと抱え上げるように抱き直した。

「ぁっ……あ?」
そのせいでお腹から上だけでなく、腰から太腿までもがぴったりと相手の身体にくっつく事になってしまい、ユエルは熱い吐息を洩らしてしまいつつも…………お尻になんか、固い物が当てられている事に気がついて。

「…え? ええっ? ええええええっ!?」
流石に昨日の今日なので、いくらなんでもその正体が何なのか彼女にも判る。
「…つまりその、こういう事なんですよ」
予想はしてたけど、でもそれ以上(むしろ、ここまでされても判ってもらえなかったらどうしようとか、そういう事を彼は考えていた)なそんなユエルの驚きぶりに、
レシィもちょっとだけ…いやかなり…顔を赤らめた。
「…僕、ユエルさんに抱きつかれる度に、こういう風になっちゃってたんです…」

「……う、嘘だぁっ、そんなの!」
でも、そんなのいきなり言われたって信じられない。
そりゃ…男の子って、えっちぃ気持ちになると『おち…(ここまで考えて、ユエルはブンブンと頭を振った)…あそこ』が真っすぐになって立っちゃうんだって、それ位だったら彼女だって知っている(ただしそこが限界なのだが)。
だけど、レシィに……あんなに大人しくて礼儀正しいレシィに限ってそんな……

「嘘じゃないですよ!」
でもレシィは怒ったように首を振る。首を振ってさらに強くユエルを抱きしめる。
同時にぬるっとした生暖かい感触が首筋に走って、ユエルは閉じようとした口が勝手に開き、短く熱い息が漏れ出るのが判った。
「…他にもこういう事までしましたよね? いつだったかケーキ食べてる時に、
『レシィ、クリームついてるよ』って、僕のほっぺた舌で舐めましたよね?」
まるで悪事を弾劾するみたく厳しい口調でそう言うレシィは、お返しだとばかりにユエルのうなじに唇を這わせ、濡れた舌を押し付ける。

……そう言えば、そんな事もした。
あの時レシィは、一瞬押し黙った後奇声を上げつつ目を回してしまったっけ。
でもどうして彼がそうなったのか、ユエルにはちっとも判らなくて。
そうだ、今だって、ただちょっと、首のとこ、ペロペロ舐められてるだけに過ぎない。
別に変な事じゃない、何にもおかしい事なんてない、何にも――

「…ぁぅ……ぁっ、くぅ……んっ……」
――なのに…なんで…、こんなにヘンナキモチになってしまうのか?
舌が動いた後は、空気に触れた水分が蒸発していく時に熱を奪うからひんやりして。
でも今まさに舌が押し付けられている部分は、とっても温かくてぬるぬるだ。
なにより柔らかい舌が唾液と一緒に肌の上をなぞる感触が、なんだか…その……

「…酷いですよ…、ユエルさんは」
存分に嘗め回した後、最後にちょっと吸い上げて、レシィが唇を離す。
「…僕だって、もう子供じゃないのに。…僕だって、一応こんなんでも男なのに! 毎回毎回、事あるごとに、あんな無防備に抱きついて、甘えてきて!!」

もう背中も腰もお尻も太腿も、密着可能な限界までレシィの身体にくっつけられている。
当然下半身の強張りもより強く押し付けられるわけだが、そんな、もの凄くヤラしい事をされてるにも関わらず、不思議と嫌な感じは沸いて来ない。
いや、むしろその熱さが…彼女自身すごく驚いている事だったが…すごく……

「そのくせ鈍感で、いくら遠回しに言っても全然判って、気がついてくれないし。僕だけがいちいちこんな風になっちゃってるの、すごい恥ずかしくて、情けなくて。でも、もしもバレちゃったらって思うと……とってもとっても、怖かったんですよ? …ユエルさん、自分がどれだけ残酷な事して来てたのか…判ってますか!?」
「……だ……、だって…ぇ……」

怒ってるんだと思い、なんとか身体をよじって半分だけ後ろを見てみると。
…彼女の予想に反して、レシィはとても嬉しそうな表情だった。
「…ユエル…、レシィは絶対、…そんな事考えたりしなさそうな気がしてたんだもん…」
そういえば声色も、確かに切羽詰った感はあるが、それでも荒くはなくて優しい。
それが…自然と、彼女の口を緩める結果に繋がった。
「…レシィは……他の男の子とは…違うんだって…思ってたんだ…もん……」
嘘はつかない。正直に話す。

「違いませんよ! 僕だって、その、普通のっ、普通の15歳の男なんですからっ」
そんな、咎めるとみせかけて、でも歓びを抑え切れてないレシィの声に、……なんとなくだけど、ユエルにも判った。
ずっとずっと、バレないように隠してて、辛くても秘密にして来てて。
恥ずかしくて、怖くて、とてもじゃないけど言えなかった事を、言っちゃってる。
黙ってる事にザイアクカン感じてた秘密を、全部話しちゃって、話せてる事に、……レシィが、すごい、興奮しちゃってるんだって事が。

「……よ、欲情……しちゃってたんですよ、いつも……じゃなくても、かなり! 抱きつかれてる時も、一緒に寝ようって言われた日も、それ以外の時でも!」
「…よ、ヨクジョーって、なな、何? どういう意味?」
気がつくとユエルはレシィにそう訊ねていた。
自慢じゃないけど語彙が少なく読み書きも不得手な(上に無菌培養の)彼女には、(誰も教えてくれない)その単語の意味は――本当はあんま訊いちゃいけない、凄そうな意味の単語だと言う事だけは薄々判っても――詳しく判らない。
でも……だからこそ今、訊きたいと思った。

「…え、えっと…その…………エ、エッチな事、しちゃいたいって…思う事ですよ…」
「…ど、どんな事…思うの? …例えば!? 例えばっ!?」
やりにくいなぁとばかりにしどろもどろになってたレシィの方が、これには気圧される。
気圧され、押し黙り、「……たっ、」少しだけ口ごもると。

「例えば、キスしちゃいたいって! 無理矢理でもいいからキスしちゃえって、しちゃえばこっちのもんだって、いつも思ってました! 押し倒して、押さえつけて、身動き取れないようにして、好きなだけユエルさんにキスして、舌も入れて、口の中舐め回せるだけ舐め回したら、ユエルさん、どんな顔するだろうって! そんな事したらもうお終いなの判ってても、でも絶対素敵だろうって!!」
「うんっ! うんっ!!」
「抱きつかれた時も、力いっぱい抱きしめ返したい気持ちを抑えるので大変でした!」
「うん、うん、うんっ!」
「一緒におしゃべりしてる時や、遊んでる時も、あんまりユエルさんが可愛いから、何度もぎゅーっとしたくなっちゃって、それを我慢するのにもの凄い苦労してました!」
「う、うわぁっ、すごい、すごいね、それ、すごいねっ!」

心臓が破裂しそうなくらいドキドキして、まるで全身の血液が沸騰してるみたいだった。
顔が熱っぽくて、吐き出す息も熱く、吐息や鼻息が荒くなるのが止められない。
「…き、昨日したみたいな……赤ちゃん、出来ちゃうような事、ユエルさんとしたくて…。僕も昨日ユエルさんがやってたみたく、自分の…あそこ、いじるような事も、ユエルさんの事考えながら……な…ななな、何百回って……やってましたっ!」
「えっ、えええ!? な、なんびゃ……」

だからそう言われても、驚きこそすれ、呆れたり、蔑んだりする気持ちはなく。
純粋に驚き、そして…
(…レ、レシィ、そんなにユエルの事…す、好きだったんだ……)
…火照ってきてた身体の奥が、次第にぬかるんで来るのが判ってしまう。

でも、レシィにとってはそんな彼女の驚きすら心外であって。
「だって、当然じゃないですか! 僕、ユエルさんより二年早生まれなんですよ!?」
単純にその分だけ大人になるのが早く、二次性徴と初の発情の到来も早かったレシィにとって、ユエルのとった蛮行の数々は、まさに生き地獄の一言だった。
この辺、同じく己の裡に獣のサガを保持する者同士でしか判らない苦痛だろう。

「僕は…僕だけ、二年前から…ずっと、『あれ』が、苦しくて……」
…いや、仮に発情うんぬんが無かったとしても、それでも地獄である事に代わりはなかったに違いない。同年代の、好ましくも魅力的だと思える若い女の子が、危機感無く抱きついてきて、小さくともゼロではない胸をムニムニ押し付けて来るのである。
いかに頑健なレシィの精神も、これではボロボロに擦り切れるなというだに無理がある。
…むしろ、よくぞそんな地獄を二年間も耐え抜いたと、褒めてもらいたい位だ。

「……でもっ! もう我慢しなくてもいいですよねっ!?」
「うあぁあんっ!?」

けど、そこで嬉しそうにそう叫んだレシィに、足まで絡め取られる。
太腿からくるぶしまでもがぎゅっと押し付けられ、そこには彼女の体温を少しでも逃がすもんかっていう、気迫めいたものさえ感じられた。
おまけに腰までゆっくり上下に動かされ始めたもんだから、…アレがユエルのお尻に擦りつけられて、服越しでもはっきりと形が判る程で。

そんな、もの凄くとんでもない事されてしまってるのに――
(…はぅ……は、ぁ…………な、なんでぇ……? なんで……ユエルぅ……)

「…レ、レシィ……、…な、なんか……なんかユエル、おかしい…ぃ……」
「はいっ、どうおかしいんですかっ!?」
足が震えてくるのを自覚しながら、なんとか言葉に紡いで口から出す。
上ずった返事に、レシィもすごい興奮してるんだなと、濁り始めた頭で考える。
「ただ、抱きつかれてる…だけなのに……抱きつかれてるだけなのにぃ…、…なんかもう……すごい、気持ちよく……なっちゃってるよぉ…っ」

……流石におかしいとは感じた。
昨日は、こんな、抱きつかれるだけで気持ちよくなるだなんて事は全然無くて。
しばらく指でいじってないとしてこないはずの感触が、すでに股の間にあるし。
第一、戯画本(←リィンバウムでいう漫画のようなもの)とかを見る限りでは、やっぱりこう、男の人に胸とかお尻とかをさわさわ触られた女の子は、恥ずかしがって、『チカン〜!』とかって叫んで相手をぶん殴るのが普通みたいだし。

…あ、でも、好きな男の子にされるんだったら、やっぱりいいのかな?
それでなくても、こんな一生懸命になってくれてるレシィをぶん殴るなんて、ちょっと自分には出来そうにないなぁと、そんな事等を考えてみる。

「あははっ、いいんですよそれで、それでいいんです。おかしくないんです!」
――だってほら、レシィはこんなに優しいし。
「僕だって同じです! 抱きついてるだけなのに、すごい気持ちよくなっちゃってます! 本当に好きな人とこういう事すると、そういう気持ちになっちゃうもんなんですよ!」
――恥ずかしいはずなのに、それでも本当の気持ち、伝えてくれようとしてる。

返事をするのさえ苦しい口の代わりに、コクコクと首を縦に動かして、彼女はもう押し寄せて来るそれに、身を任せるのに専念しようと心に決めた。
…もしかしたら、自分は普通じゃないのかもしれないけれど。
でもそうなってしまってるのは、彼女がレシィの事を本気で好きだからであって。
レシィがそれでも別に構わなく、むしろ喜んでくれてさえいるんだったら、別におかしくてもいいやと、そう結論づけたのだ。

「うわぁ、すごいです…、すごい柔らかいですユエルさんの体! もうふにふにです! こんな細いのに、やっぱり女の子の体なんですね…。…すごい抱き心地いいです…」

――いや、すごいのは君の方だよ、と百人居たら百人が同時に突っ込んだであろうが、そう言って彼女の身体を味わってくる彼は、だけど恐ろしく『ジョーネツテキ』であり。
一体あのおとなしい普段のレシィのどこに、こんな激情が隠されていたというのか、ユエルとしては内心不思議でたまらなかった。
……というか、普段は散々レシィを振り回していたユエルの方が、喜色満面、絶対喜び所を間違えており、これでもかってくらいに感動をあらわにして彼女の体を堪能してくる彼に、おもいっきり気圧されまくっているのは、どういう事か?

(……お、男の子って……やっぱり、みんな……こうなの…かなぁ……??)
生真面目で、気弱で。でもそんな歳も変わらないのに、自分なんかよりもずっと大人で、配慮もある男の子だと思っていたレシィが、…こんなになってしまった事に。
彼女はかなりの戸惑いと、……でも微妙に嬉しい気持ちを、隠すことが出来ない。
……そういうのも悪くはないなぁと、混濁した頭で、陶酔の内にそう思ったのだ。
そしてその頃にはもう、最早お互いがお互いに暖かい、どころのレベルではなくて。

「…あっ……やっ、やぁっ……やだあぁ……」
こらえ切れなくなり、耳をふるふるさせながらユエルがか細く叫ぶ。
彼の足を絡められ外側に開く事が出来ない両足を、切なげにもじもじ擦り合わせる。
「レシィぃ……。…なんか、あっつい、熱いの……。…あつい……よぉ…」

身体の中に熱めのお湯が入っているみたいに、熱くて、熱くて。
最初は体の奥からじんわりと湧き上がって浸すだけだった暖かなものは、今やユエルの首から下までをひたひたに浸して、彼女を陶酔に引きずり込む。
それが熱くて、溺れそうで。
自分の身体が足元から少しずつ溶けていくような錯覚が、絶え間なく彼女を襲うのだ。

「…と、溶けちゃう……。…やだ、ユエル、溶けちゃう、とけちゃうとけちゃうぅ…っ!」
永遠に続けばいいと思うけど、怖くてたまらない一瞬に次ぐ一瞬。
上げた悲鳴の声に込められた意思は、だから離して、という意味でもなく、しかしこのまま行っちゃったらどうなるんだろうという、恐れでもある。
「…じゃあ溶けちゃえばいいじゃないですか、…溶けちゃいましょうよ、ね…?」
そこにレシィのらしくない強引さと、誘惑の響きが重なって、――ああでもそれは彼女が望んだ最良の言葉だったのかもしれないが――ますます深まる凪潮に、彼女はぶるっと身を震わせる。

恋という名のアルコール、幸福と言う名の酩酊。
その時間違いなく、彼女はそれに酔っていた。
それらはほんの数日前までの彼女が、少しも知らなかった未知の感覚だったけれど、でも彼女が新しく覚えたのは、何もその甘味だけに限った話ではなく。

現に昨日と今日だけでも、天啓のように彼女に新しい感覚を知り、また、識り。
白濁した頭に、ふと、いつかのミニスとの会話が蘇った。


『…というわけで、二人はいつまでもいつまでも、夕陽の波打ち際で抱きしめあって口付けを交わしていたわけよ、やがて夕陽が沈んで夜空に星々が瞬きだしても…。
…ああ〜〜〜〜っ!! いいな〜、ロマンチックよねぇ〜〜…』
『ふーん、そうなの?』
『……。…いや、あんたねぇ、アタシにあらすじ教えてって聞いてきといて、なに菓子バリバリ食いながらふーんとか言ってるわけ? 殴るわよ?』
『…だって、よく判んないんだもん。大体、ユエルも抱きつくの好きだけど、でもそんな長い間抱き合ってたら疲れると思うよ? なんでそれが幸せなの?』
『…いや、だからね? やっぱり恋人同士、こう…甘く切なく……』
『??? 甘いって、チョコレートの甘さ? それとも砂糖の甘さ??』
『……だからさ、アタシも詳しくは知らないけど、とろけるような、っていうのかぁ…』
『ええっ、溶ける!? 酸吐くの!? それ、まるっきりジルコーダじゃん!』
『…………』


いいの、あんたに説明しようとしたアタシが馬鹿だったわ、と、疲れたような表情で自嘲気味に笑うミニスに、あの頃の自分は首を傾げるしか出来なかったが。

(……ごめん、ミニス……。……ユエル判った…、……判っちゃったよぉ……)
泣き笑いに似た心境の中で、今こそ親友に懺悔するべき時だと彼女は悟った。
理解する事ができて嬉しいと思う反面、自分がいかに無知で無恥だったかを思い知らされ、泣きそうでもある。

ああ、確かにこれは、『甘い』としか表現のしようがないだろう。
確かにこれは、『蕩けそうな』としか表現のしようがないだろう。

百聞は一見に如かず、習うより慣れろとは、まさしく真理を表す言葉。
勉強はてんで苦手でも、実地で覚えるのだったら彼女は大の得意である。
…体に直接教えられれば、彼女は一転、実に優秀な生徒になった。

正しい子供の作り方。子供の好きと大人の恋の違い。恋焦がれる気持ち。
男の人の味と匂い。抱きしめられる感触。甘さや切なさ、その向こうにある物。
それらと、以前のレシィが彼女に取って来た態度の理由、ミニスが彼女に呆れていた理由が判り重なって、穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしく……でもそれを許して、包んでくれるレシィの優しさに、もう頭がグチャグチャだ。

(…あ……どうしよ…、…パンツ…濡れちゃう……)
きゅっと僅かに前に体を逸らせ、しっかりと股の間に力を入れてこらえていたが、もう限界だった。なんか勝手に腰が動いてて、レシィの動きに合わせて自分も腰を擦りつけちゃってる辺り、理性も限りなく希薄になりつつあるのだろう。
ほんのちょっとでも気を緩めたら、引き締めたその部分も緩んでしまう、次第に足が痺れ、このままではトロトロが外に漏れ出してしまうと思った、そんな時。

するっと、シャツの裾を手繰って、レシィの左手が服の下に入って来た。
(…っ!?)
服の上から触られるのとは違って、彼女の(その頃はまだ)平べったいお腹を、レシィの同じ様に白磁器みたいな手が滑る感触は…………冷たくて、でもすぐに、燃えるみたいに熱くなった。
「ひぁっ!?」
さらっと、服を押し上げて、触れるか触れないかでお腹を一回り撫ぜる手の感触に、それだけで脳に電気が走ったような錯覚を覚え。
(……あっ、やだ!? ……やっ、やぁっ!)
ちょっとその……思わず痙攣した拍子に、ぴゅっと出てしまったのが判ってしまう。
しかも手はそのまま迷う事無く上の方に上がってくるし、右手に至っては彼女の半ズボンの前のホックを外して、そのまま間口に指を……

……入れようとしてるのが、けれど逆に、ユエルの冷静さを急激に取り戻させた。

「…だっ、だめええぇぇーーーーーーっっ!!」

叫ぶと、ピタリと着衣の中に侵入しかけていたレシィの腕がビクッと止まる。
「……ど、どうしました!?」
びっくりしてうろたえた声をあげる彼は、彼女がよく知っているいつものレシィであり、それでほんの少しだけホッとするユエル。
もっともレシィからすれば、自分のせいでどこか彼女が痛い想いをしたでは、あるいはまた怖い記憶を思い出したのではないかと、気が気ではなかったのだが。

「ま、待ってよ! …レシィ、ここどこだか判ってる!?」
「……? …えっと…、寝室、ですよね? ファミィさんのお屋敷の」
ただし『そういう関係にある二人連れのお客様用』の、という形容詞が付く寝室だが、しかしそれは彼女の望んだ答えではなかったらしい。
「そうじゃなくてぇ!」

焦ったような、困ったような顔で自分を見るユエルに、彼女が自分に何を悟って欲しがっているのか図りかねて、ぐるりと部屋を見渡すが。
…幾ばくと経たずに、ピンと思い当たった事があって、彼は口を開いた。
「……あ、ドアの前ですね」
「そ、そうだよっ!」

うん、ドアの前である。だって現に彼の背をもたれかけているのはドアなのだし、どこから見ても、誰から見てもドアの前だろう。
扉を開けて、部屋の中に一歩入って、後ろ手に扉を閉め、鍵を掛けた、その直後。
つまり彼女は――…
「こっ、こんな所でやってたらっ、絶対また、外に聞こえちゃうじゃん!」
…――昨夜の二の舞を繰り返すつもりかと、そう言いたいらしい。
だが彼にすれば、別に怖いわけでも辛いわけでもなくて、むしろそんな可愛らしい事に拘り始めたユエルの様子は、安堵と同時に一種の優越感をもたらす物でしかなく。
(珍しいですねぇ、状況判断にまで回す注意力の余裕がユエルさんにあるだなんて)
本人に聞かれたら絶対殴られそうな事を考えて、ちょっぴり感心さえするレシィ少年。
さすがの彼女も、今朝の階下住民からの気まずい視線は辛かったんだろうなぁと、そんな喉下を過ぎてしまえば微笑ましい事も考えてみるが。

「大丈夫ですよ」
必死に洩れそうになる笑いを抑えつつも、一蹴した。
「…わぅ?」
「ほら、見てくださいよ」
間抜けな顔をしている彼女に、冷静に部屋の四隅を指差してみせる。

『なんだか皆ちっとも眠れなかったみたいで、移動してくれると嬉しいんだけど』
と言われ、(なんか含みのある笑顔で)この部屋の鍵を渡されたわけだが、
「伊達に『そういう部屋』なだけな事は無いですね、…ほら、サプレスの静音結界」
部屋の六面四隅二十四点に目立たないように刻まれた小さな魔法陣に、ファミィさんのお奨めにも納得である。

「メイトルパの吸声呪と似たようなもので、結界の中でも一番簡単なやつですね。任意空間内の内と外とでの音波の交流を完全に遮断するだけの結界で、本来なら瞑想や魔力を高める修行なんかに用いられるのが普通らしいんですけど…」
「…? ?? ???? ?????????」
限りなく簡潔に説明しているのに、それでも『うー? うー?』と首を傾げて唸るユエル。
賢い女性が好みの男だったら眉を顰める姿だっただろうが、生憎とレシィはその逆で。

「…ようするに、どれだけ大声あげちゃっても大丈夫だって事ですよ」
彼女にも判るよう言い直してあげながら、クスクスと愉しそうに笑い。
「良かったですねぇ♪ …今日は心配しないで、好きなだけ叫んでいいですからね?」
勇んで行為を続行……

……しようとして、だけどやっぱり手を掴まれた。
おあずけに継ぐおあずけに、レシィもこれにはほんの少しだけムッとする。
「そっ、そういう問題じゃないよっ! ここがドアの前だって事には変わんないじゃん!」

「…じゃあどういう問題だって言うんですか?」
しれっと言う彼に、今度はユエルの方がちょっとぎょっとした。
「…別にいいじゃないですか。肝心なのは、『誰にも見られてない』って事でしょう?」
…そうだ、その点こそが大事なのであり、だからこそ彼は普段のユエルの行為が恥ずかしいのだ。…誰かが見てる前で、堂々と抱きついたり出来るから。
でも、その限定条件さえ満たせば。『他人の目』という点さえクリアーすれば。
「だったら、見られてなきゃ、どこだっていいじゃないですか」
どこで何したって自由じゃないか、関係ないだろうとレシィは強く思う。
ベットの上もドアの前も、廊下や玄関、屋外であっても、『誰にも見られない』という条件さえ満たすなら、あとは何が違うものか。…せいぜい、床の感触が違うくらいだろう。

――それが『誰にも邪魔されずに心おきなくヤれるんだったら場所はどこでもいい』という、男の典型的な思考パターンだとは、この時点でレシィは全く気がついていない。

…んでも、そんなの力説された所でたまったもんじゃないのはユエルの方。
「ちょ、ちょっと! 待って、ねぇ、待ってよっ」
ほんの10歩も歩いた先に、柔らかそうな、おっきいダブルベットがあるのである。
「そ、そこまで行くにも我慢できないのっ!?」

「はい、出来ません」

冗談抜きの冷徹な返答にユエルが固まった隙に、着衣に忍び込みかけていたレシィの腕が、服の裾からするりと抜かれる。
一瞬、その見当違いな行動に、解放されたのかと勘違いしかけたユエルだったが。
彼女の両手にはめられた爪隠しの為の手袋が、手早くも乱暴に脱がされ。
ポケットだらけのズボンの後ろ、しっぽ穴の留めボタンが、ぱちんと外される。
ぐっと間口に手を掛けられて、(この辺同じく尾を持つ者同士)手馴れた手つきでするりとしっぽを抜かれると、そのままの手で下方に強く力を掛けられた。
(…えっ、やだ、ユエル…)
十分に緩められたズボンは、為されるがままにズルッと下に下がり……腰のとっかかりを経てしまえば、後はそのまま、重力に従って自由落下。
(…ユエル、このままじゃ、レシィに……)
たくさんのポッケに入れられた色とりどりの石コレクションが、地面に落ちた拍子に鈍い音を立ててぶつかり合う。
(…レシィに……こ、ここで……ここでぇ!?)

「…やっ、やだあぁっ! 待って、待って待って待って待って待ってえぇっ!!」
「待てませぇん♪」
必死で身じろぎしようとしたが、でも気がつけば上半身には腕が、下半身には足が絡められたこの状況が、実は相当にヤバイものな事に、ようやく彼女は気がついた。
結構力を込めて暴れてるのに、レシィは余裕の表情で、楽しげですらある。

「…ユ、ユエルにもっ、心の、準備、ってのが……あっ、ひゃっ!?」
そうやってガッチリ彼女を固定しながら、器用に彼女の服に手首の甲を潜り込ませ、するすると、少しずつ彼女の縞々シャツを捲り上げていく。
両足と両手で彼女の下半身と両腕をガッチリ固定しつつも、残った両腕の肘と手首、それに顔の顎の部分で、みるみる彼女のシャツを上に押し上げるのは、妙技の一言。

半ば本能めいたその動きに、程なく彼女の小さな胸がふるんと顔を出す羽目になり。
そしてそんな小さな胸でも、捲り上げられた彼女のシャツを支えるには十分なだけの凹凸があるので、そこまで来てしまえばもうシャツは下へはずり落ちなかった。

そんな一連の動作を、ボーゼンと眺める事しかできないユエル。
その器用さに、怖いを通り越してちょっと感動し、……そしてまた怖くなる。

「やだ…だめ…ユエル…まだ、お風呂にも…入って…ないのに……」
「…お風呂って……今朝入ったばかりじゃじゃないですか」
「…だ、だけどぉ!」
やり取りの中のレシィの声は、妙に明るく、苦笑交じりで。
でもその時実は彼女は本気で――正真正銘全力で――暴れていたのだ。
なのにレシィの固めは、オルフルである彼女の、100%の力でもビクともしない。

――初めて、ユエルは本気でレシィの事を『怖い』と思い、
なんだかこいつ、本当はかなりとんでもないんじゃないかと、今更ながら気がついた。

無論、それは『恐怖』では…憎悪や嫌悪に繋がるような悪質の恐れではなかったが、しかし明らかに畏為して怖を与えるもの、『畏怖』ではあった。
偉大な王に臣下が抱く感情であって、下僕が己の主人に対して感じるもの、たとえ相手に敵意がないと判っていても、弱者がすべからく強者に対して抱くもの。
獣の本能が強いほど抗えぬ、『居竦み』や『尻込み』を引き起こす元凶である。

「ユエルさんお風呂嫌いなんでしょう? …それに、どうせまた明日の朝入らないとダメになっちゃうんですから、別に今入らなくたっていいじゃないですか」
「そういう…そういう問題じゃないっ! やだ、お風呂入るぅっ、入るのぉっ!!」

……まあ、お風呂に入りたいというのも、真実彼女の切実な気持ちではある。
なにせ別に見られる物でも減る物でもなかった自分の身体が、昨日を境に明らかに見られて減りもする物になったのだ。
今日自分がどれくらい汗かいたか、おしっこした後あそこをちゃんとキレイにしたかとか、気になって仕方ない彼女が、お風呂に入りたいと願うのも当然の心理だっただろう。

(…ユエルさん、あんなにお風呂嫌いなのに。…やっぱり女の子ですねぇ♪)
だが、そんな彼女のらしくない反応が、むしろレシィを加速度的にヒートアップさせ、同時に『いぢめたい願望』も増幅させているとは、思いも寄らず。
かろうじて第六感がそんなレシィの変化を察知し――危険と認識するに留まるのみ。

「…でも僕、もう我慢できないんですよ。ワガママ言わないでください、…ね?」
宥めすかすようにお願いしてくるその声を、極力耳にしないよう首を振りつつ、彼女は唯一自由に動くしっぽで、バシバシとレシィの両脛をぶっ叩く。

『我慢』するのをやめてしまったレシィの怖さは、昨日嫌という程に思い知ったばかりだ。
自分が今、押されっぱなし、気圧され倒しなのは、それのせいだという予測もある。
倫理常識という鎖を外してしまったレシィはおっかなく……だけどちょっと素敵でもあり、でもそれでは……それではちょっと、ダメなのである。
悪くなく……むしろ心地良いとさえ思ってしまうが、でもだからこそ危険なのだ。
ユエルにだって身も心も売り渡しても、それだけは売り渡したくないものがある。
たった一つだけ、どうしても彼女がレシィに取り上げられてしまいたくないもの、それすらもこのままでは絡め取られ、巻き上げられてしまう、そんな予感があって。

「…それに、お風呂になんか入らない方が。…今の方が、とってもいい匂いですし」
でも無情にも、レシィは彼女のうなじに顔を押し当て、鼻から大きく息を吸う。
わざとユエルにも聞こえるように、音まで立てて。
「…やっ……やああああぁーーっ!! 嗅いじゃ駄目、嗅いじゃ駄目ぇーーっ!」

メイトルパの亜人にとって、匂いは十分に一つの判断材料たる重要な要素だ。
そしてレシィもユエルほどじゃないが鼻がいい。
何かと目に集中して便りがちな人間組と違い、鼻と耳にも同じくらいの重きを置く。

嗅がれていると思うと、がぁんと、頭をハンマーで殴られたみたいな衝撃が襲い、匂いを覚えられていると思うと、ざわざわと胸の中に何か走るものがあった。
彼女だって、自分が他の女の子と比べて身汚いという自覚くらいはある。
あるからこそ、ショックも大きい。
……なのに。

「…どうして? …だって本当にいいに匂いですよ? …頭の中、ぽーっとします…」

なのに、そう言われると心が震えるのはどうしてなのか?
身体の奥が火がついたみたく熱くなり、四肢から力が抜けるのは何故なのか?
白濁する思考と、全身を襲う虚脱感に、暴れる為の力が急速に失われ、体と、感情と、本能は、とっくにレシィに流される事を望んでいた。
叫んでしまった、あるいは力が抜けてしまった拍子に、まるで我慢しきれなくなったおしっこが漏れるみたく、しっかり閉じ合わせた割れ目の間に溜めていたものが、チュッ、チュと押し出される。

「…だめ……。だって……ぱんつ……ぬれちゃう……」
あからさまに、いやらしくクンクンと、今日だって昼間たっぷり汗かいちゃったのをはっきり覚えているのに、そんな自分の匂いを嗅ぎまわられて。
でもそうしてくるレシィと、そうされてる自分に、己が快感を感じているのが判ってしまった瞬間、彼女の中の、何かがポキンと、折れてしまう音が聞こえた。

ただエッチな気持ちになっただけでは、今まではこんなにならなかった。
指でいじって、刺激して、初めて透明なトロトロがじわっと出てくるだけだったのに、今日は抱きつかれて、まだ胸もアソコもいじられていないのにヌルヌルで。
…それをレシィにばらしたくなかったはずだったのだが。

「…ぱんつ……」
精神的な激しい衝撃と、強過ぎる快楽への衝動のせいで、
彼女の心に、もう筋道だった論理的思考をする為の気力は残っていない。
(…なんかもう……どうでもいいや……)
自分の理性を納得させれそうな、もっともらしい幾つかの言い訳を考えながら、ユエルはじわじわと湿り始める自分の下着に、彼の手がかかるのを感じていた。
……『本当は期待していた自分』を認めるのは、流石に無理だったようだが。

【 続 】

前へ | 目次 | 次へ

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル