スバルちゃんの憂鬱・1



 帝国軍、無色の派閥、そしてディエルゴとの戦いから数年が過ぎた。
 今日も今日とて島は平和。それは彼女の暮らす、風雷の郷も同じである。
 黄金色の稲穂を茂らせた田圃に挟まれた農道をパタパタと走っていると、不意に横から呼び止められた。 
 声の主は、生まれた頃から見知った人物である。風雷の郷の護人、キュウマだ。
「おや、どちらへ行かれるのですか?」
「んー、暇だからパナシェのとこに行ってくる」
 そう答えて再び走り出そうとした瞬間、
「お待ちください」
 再び後ろから呼び止められた。
「なんだよー。まさかついてくるなんて言うなよ。おいらもう子供じゃないんだから」
「違います……その、お召し物についてです」
「え?」
 自分の姿を眺めてみる。いつもと、いや昔から変わらない、膝までの短い袴を履いた着物姿だ。昔に比べてずっと身長も伸びたため、何度か新調したが、基本的に同じ形の服を着ていた。これの何がいけないというのだろう。
「その……あ、いや……」
 頬を染めて、モゴモゴと呟くキュウマ。だがそれを助けるかのように、横の田圃からひょいと赤毛の頭が顔を出した。
「キュウマはね、そろそろさらしを着けたほうがいいんじゃないかと言ってるんですよ」 
「あ、先生」
 出てきたのは、シルターンの着物を纏ったアティだ。かっての戦いでは、抜剣者として島を守るために戦ったアティも、今ではキュウマの妻となっていた。
 そしてその手にあるのも、剣ではなく鎌である。ちょうどふたりで稲刈りをしていたらしい。
「さらし……? あれやだよ。締め付けられる感じがして、苦しいし」
「でもね、女の子は大きくなったらつけたほうがいいんですよ」
「えー。まだ先生や母上よりは小さいぞ」
 そうぼやく彼女だが、その乳房は細くしなやかな体の割には少々大きすぎるように見えた。双球が薄い着物を下から押し上げ、活発な彼女の動きにあわせてフルフルと揺れている。激しい動きをすれば、着物から零れ落ちてしまうかもしれない。
 アティがそれを指摘すると、
「別にこんなの見られたっていいよ。じゃ、オイラ行ってくるから」
「お、お待ちください!!」
 まだなにか言おうとするキュウマを無視し、パタパタと軽やかな足取りで走り去る彼女だった。
 彼女が走り去った後、キュウマはふうと溜息をついた。
「全く、あのようなところはミスミ様にそっくりです」
「ふふ……それにしても、初めて知ったときは驚いちゃいましたよ」
 クスクスと笑いながら、アティが呟いた。
「まさかスバルが女の子だったなんて」
 初めて一緒に風呂に入ったとき、ついてないのを見て驚いたものだ。弟のレックスもミスミと結婚するまでそれを知らなかったらしく、知ったときは『タテスジー!!』と奇声を上げて踊り狂っていた。
「シルターンでは、幼児期を本来の性とは別の性で育てる風習があるのです」
「あ、キュウマもそうだったんですか?」
「そ、そんなことはありませんよ。スバル様のように、由緒正しい武人の家系だけです」
「そうなんですか……残念です。女の子のキュウマも見たかったのに」
「は!?」
 妻の不穏な発言に、思わず冷や汗をかくキュウマだった。


「おーいマルルゥー」
「あ、ヤンチャさん」
 ユクレス村の入り口で、フワフワと浮いているマルルゥに声をかける。
「パナシェどこにいるか知ってる?」
「ワンワンさんなら森の見回りしてるですよ。最近、はぐれさんが果樹園の果物を勝手に食べちゃって、困ってるのですよ」
「ふーん」
 昔は犬のぬいぐるみのように可愛らしかった彼も、今では狼のように精悍な顔つきになり、たくましい体になった。昔は守られるばかりだったが、今ではヤッファの下で村の皆を守る側だ。
 もっともスバルと一緒のときは、昔どおりの泣き虫パナシェになってしまうが。
「で、それなに?」
 それ、とはマルルゥが両手にぶら下げた包みのことだ。マルルゥの小さな体より大きなそれは、空中でプラプラと揺れている。
「ああ、これはワンワンさんのお弁当ですよー。今から届けに行こうと思って……あやや〜重いです〜」
「だ、大丈夫か? どうせなら、オイラが届けてやるよ」
「た、助かります〜。ワンワンさんは果樹園の裏の森にいるですから」
「わかった!! まかせとけ!!」
 マルルゥから弁当箱を受け取り、近くの森へと飛び込んだ。ユクレス村は、小さいころから遊びまわっていた場所だ。裏道にも近道にも精通している。
 程なくして、見慣れた白い頭が見えた。
「おーいパナシェー!!」
「あ、スバル……」
 スバルの顔を見て、あからさまに顔を伏せるパナシェ。
「なんだよ……マルルゥから弁当預かってきたってのに」
「ご、ごめん……」
 謝りながらも、プイと視線をそらすパナシェ。
 カチンときたスバルは、放り投げるように弁当を渡す。慌ててそれを受け取るパナシェを見ながら、ふぅと溜息をついた。
 ここ最近、パナシェはこういう態度をとることが多い。特にケンカしたわけでもないのに、いつのまにかこうなっていたのだ。
(おいらなにかやったっけなあ……)
 ちょっとしたいたずらで泣かせてしまうことはよくあるが、そんなことはずっと昔からだ。いや、もしかしたらその恨みが積もりに積もって嫌われてしまったのだろうか。
 そんなふうに思い悩んでいると、隣で弁当を広げているパナシェがチラチラとこちらをうかがっているのに気がついた。
 何事かと思いパナシェを見ると、ビクリと震えて弁当の方に視線を移す。
 だが視線を戻すと、またチラチラとこちらを見ている。で、こっちが見ると
、見ない振り。
 そしてこっちが視線を戻すと、またチラチラと……
 そんなことが十数回繰り返された瞬間、
「あー!! なんなんだよー!! おいらのなにが気に食わないんだー!!」
 元々気の長いほうではないスバルが切れるのも、当然のことであった。
「うわあああ!! ごめんっ!! ごめんスバル!!」
 昔に比べて大きくなった体をブルブルと縮こませて、涙目で謝るスバル。それを見ていると、怒りの炎をはあっさりと消えてしまった。代わりに残るのは、どうしようもない悲しさだ。
「うっ……」
 自分にとってパナシェは、ずっと昔から一緒に遊び、学校で学んできたかけがえのない親友だ。それが今、自分を拒絶している。
 今までの楽しかった二人の思い出まで否定されているような気がし、思わずポリポロと涙がこぼれてきた。
「ス、スバル!? どうしたの!?」
 突然の涙に驚いたパナシェが、オロオロとしながらも尋ねてくる。
「う、うるさいっ!! オイラのことなんてほっとけばいいだろっ!! オイラのこと嫌いになったんだろ!!」
「ち、違うよぉ!!」
「じゃあなんで、オイラのことそんな目で見るんだよ!!」
「そ、それは……」
「オイラが嫌いだからだろ!! もういいいよ!!」
 一通りまくし立て、少しだけすっとした。だがこれ以上ここに居ても辛いだけなので、背を向けて帰ろうとする。
 だがその瞬間、パナシェがスバルの腕を掴んだ。スバルが怒鳴りつける前に、パナシェが小さく言葉をつむぐ。
「その……スバルの……が気になって」
「え?」
 よく聞こえなかった。それを察したパナシェが、今度は大声で答える。
「スバルの、胸が気になるんだよおっ!!」
 白い毛に覆われてわからないが、真っ赤に赤面するパナシェ。だが、そう言われた方のスバルはポカンとした表情を見せるだけだ。
「胸って……これか?」
 ツンと胸の双球をつついた。それだけで、フルフルと胸が揺れる。 

「だ、だって。スバルそんな服きてるから……すごく揺れてるし、すぐ見えちゃいそうだし」
 パナシェの答えに、思わず首をかしげるスバルだった。
(なんで皆、こんなの気にするんだろ……)
 先ほどのキュウマとアティもそうだが、胸というのは男にとっても女にとっても重要な物らしい。
 前に女性陣だけでイスアドラの温海へ行ったとき、スバルの胸を見て、ベルフラウやファリエルはずいぶんショックを受けていたようだった。
 そして男であるパナシェも、こうやって親友との距離を測りかねている。
 だが、今のスバルにはその理由がよくわからなかった。ただ肉の塊がついているだけなのに、何が違うというのか。
「……なあ、パナシェ。そんなに気になるのか?」
「う、うん……」
「ふーん。なあ、見たい?」
 ポツリと呟いた瞬間、パナシェがわかりやすい動揺を見せる。
「だだだダメだよっ!! 女の子がそういうこと言っちゃいけないんだよっ!!」
 全身を使って否定するパナシェを見ると、なぜかそれが勘に触った。
 胸が気になるなら、最初から言ってくれればよかったのに。それなら、自分も変に勘違いすることは無かったのだ。
「見えそうで気になるなら、全部見たらいいだろ? ほら」
 そう言いながら、胸元を開く。押さえをなくした乳房が、こぼれるように外へ解きはなれた。




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