後悔先に立たず(後編)



「――で、あの、これは……」
 自分の置かれた状況に、アティは困惑した面持ちでつぶやく。
 ベッドに仰向けに寝そべったカイルは、屹立した性器をズボンから曝け出しているだけで。
 そして自分は、手を後ろで縛られた状態のまま、彼の上に座り込んでいる。
「いつも俺から入れるんじゃ飽きが来るだろ?たまにはお前の方からってのも悪くねぇかな、と」
 そう言ってカイルはアティの腰を持ち上げ、指先で彼女の濡れた花弁を押し開く。
 誘導するように腰を引き寄せると、反り立った自身の性器にその部分をあてがってみせた。
「じゃあ、あとはよろしく」
「そ、そんな」
 腕を枕に、カイルはそのまま何一つ動こうとはしてくれない。
 どうしよう。アティは唇を噛んだまま、ただ下半身を見つめ続けていた。
 ――正直、アティは騎乗位の経験など一度もない。
 自分から体内に異物を入れるなど恐ろしいとしか思えない彼女は、いまだかつてタンポンすら使用した事がないのだ。
 しかし……。
(カイルさんの宝物を台無しにしちゃったんだもの。私もこのくらいの事はしなくちゃ……いけません、よね)
 以前彼の部屋に訪れた際、一度だけ見たウイスキーのボトル。
 まるで太陽に照らされた大海原のように美しく青光りするボトルは、アティの目に鮮明に焼き付いていた。
 それを自慢する、彼の子供のような笑顔。
 その幸せを無残にも砕いてしまったのだから。
「……」
 アティは静かに息を吸い込むと、不安定な体勢を崩さないように足を開き、かがみ込む。
 息を吐き出しながら彼の性器に向かい、ゆっくりと腰を沈めていった。
「んんっ……、んくっ……!」
 ぐ、と膣口に鈍い痛み。
 先ほどの道具で内側を慣らされていたにしろ、太さも長さもそれに勝る彼の性器はアティの中に確実な異物感を伴わせる。
 それが自身による挿入なら、尚更だ。
 ちらりとカイルに視線を向ければ、無言のまま彼の視線は二人の結合部へと注がれている。
 熱を帯びたその視線。彼の角度からは、男女の繋がった部分を明確に見る事ができるのだろう。
 その事に気づき、アティの体が僅かに火照る。
 交わる部分に、じわりと熱いものが滲んだ気がした。
「……す、すぐ……入れます、から」
 アティは固く目を閉じ、一気に腰を落とした。
「あっ、はぅっ……!」
 熱い塊が垂直に膣肉を貫き、その衝撃に思わず悲鳴じみた声が漏れる。
 だがよく見てみれば、彼の性器はまだ膣の中程までしか咥え込まれていない。
 潤んだ瞳で大きく呼吸を繰り返し、更に深くしゃがみ込む。
「……ぁ……っ」
 膣奥を貫く熱の感覚。
 痛みと同時にぞくりとした快楽が体を包み込む。
「アティ……やっぱ、キツイか?」
 カイルの呼びかけにアティは首を横に振り、否定を表す。
 彼に向けて口元に僅かな笑みを浮かべると、再び呼吸を繰り返しながら自身の腰を持ち上げていった。

「あぁっ!んっ……!」
 絶え間なく聞こる、濡れた肉の音。
 無様と思えるほどに両足は大きく開かれ、アティはその中心を屹立した男の性器で何度も貫き続ける。
「お、おいっ、無理すんなよ」
 彼女が自ら快楽に溺れ、このような行為に没頭する事などない。
 だがアティは固く目を閉じ、乱暴とも思える動きでカイルを深く受け入れる。
「アティ――」
 その時前髪の張り付いた目元に一筋の光を見つけ、アティが苦痛を耐え忍んでいる事に気づいた。
 カイルは咄嗟に身を起こし、アティの頬へと手を伸ばす。
 だが彼女はなおも首を振り、腰を揺らし続けた。
「平気、です……。そのまま見ていてくれて」
「いや、つってもお前、泣いてるだろうがよ!?無理させて悪かった、もうその位で構わねぇから……」
「駄目ですっ……、言う事聞くって約束したからには、最後まで守りますから」
 カイルの胸に顔をうずめながらも、アティは行為を止めようとはしない。
 彼にもたれかかったままの状態で更に性器を膣奥へと叩きつけ、その貫く肉塊を幾度となく締め付ける。カイルが苦い面持ちでアティの体を抱きしめると、その視界に、彼女の股の下から覗く『それ』が映りこんだ。
「……!」
 ――再び彼女が腰を揺さぶり始めれば、そこに繋げられた尻尾が動きにつられて跳ね上がっている。
 心地よい淫靡な水音に乗せ、愛らしい尻尾はぽふぽふとカイルの足を叩いた。
 ……アティのいまだ快楽に慣れぬ嬌声に、しなやかに跳ねる猫の白い尾。
 卑猥と言える今の行為にはあまりにも似つかわしくない光景が、アティへの気遣いに囚われていたカイルの、鎮められていた欲情の灯火に油を一滴。――小さな雫を落とした。

「アティイイッ!!」
 
「ひぅっ……!?」
 膣内で一際熱を帯びた性器がカイルによって突然引き抜かれ、アティの口から思わず悲鳴が漏れる。
 同時にアティの体が仰向けにシーツの上へ叩きつけられると、二本の足は左右に大きく押し開かれた。――その間へ覆い被さるように乗り上がった彼は。
「アティ……何か俺さ、どうもお前の尻尾を見て興奮しちまったみたいなんだ。新境地を開いたっつうか…………つまり、『そっち』も悪くねぇかな、と」
「え……?」
 ふいに彼女の股へ、カイルの硬い熱があてがわれる。
 しかしその場所は――先ほどまで彼を愛し、艶やかに潤ったそこではなく。
「…………」
 ――アティの額を冷たいものが伝い落ちた。
 カイルの指が、アティのそこに埋め込まれた尻尾をゆっくりと抜き取る。
 僅かにほころんだその蕾を彼の逞しい指が押し広げると同時に。
「……カッ、カカカカカカイルさっ、そこ、は……いや、だめええぇぇぇーっ!!」
 
 アティの叫びも虚しく、彼の腰はアティに向け……ぐん、と押し進められたのであった。



 暖かい日差しを浴び、青々と茂る草原。
 アティの通る声に重なり、チョークが黒板へ小気味良い音を立てていた。
「――で、これらの実を四人で分けると、困った事に一つ余ってしまうんです」
「先生!質問!」
「はい。何ですか?スバル君」
 スバルの元気な声に振り返るアティ。
 すると彼は首をかしげながら指を一本、前方に突き出した。
 しかし、向けられた先は黒板ではなく――。
「先生は、何でさっきから椅子に座ったままなんだ?いつもは立ってるのに」
「……!!」
 その言葉に強張るアティの表情。
 幼い少年が発言したそれは予想外で、尚且つあまりにも鋭い質問だった。
「そ、それは、ですね」
「……そういえば、昨日の夕御飯の時から様子がおかしかったよな。椅子に座ったまま固まってて、御飯にもほとんど手をつけてなかった」
 ふとつぶやくナップに、スバル達の視線が集中する。
「もしかして、先生はどこか具合が悪いんですか?本当は今日も、無理して授業を……?」
 不安げな眼差しで立ち上がるパナシェ。その大きな瞳でアティを真剣に見つめている。
 そんな彼につられるように、スバル、マルルゥがアティのもとへと駆け寄ってきた。
「ダメじゃないか先生!!悪い所があるならちゃんと治さなきゃ!!」
「そうですよぅ!!マルルゥ達のために先生さんが倒れちゃうなんて……そんなのイヤです!!」
「いや、あの、先生は大丈夫だから……ねっ?ホント、平気ですよ。ほら!」
 満面の笑みを浮かべてアティは椅子から立ち上がる。
「ッ!!」
 ――瞬間、抑えられていた『それ』が、下半身に容赦なく襲いかかった。
 笑顔のまま凍りつく、その表情。
「……先生?」
 彼女の状況が理解できず、口を開けたまま見上げている子供たち。
 そんな彼らを視界の片隅に、アティは震え交じりに漏れる鼻息を抑えながら、唇を噛みしめていた。
(……昨日は下着を履いていなかったから……、今日は腰とお尻の穴が痛すぎるから椅子に座っているんだなんて、口が裂けても言えるわけないですよ……)


「今日はやけにご機嫌じゃない?カイル」
 船長室で、暇を持て余したスカーレルが無造作に黒いショールを弄んでいる。
 目の前に座る青年が今朝から鼻歌交じりでいる事に気づき、頬杖をついて視線を投げた。
「ん。まあ、ちょっとな」
 昨夜は久々に、思う存分アティの体を堪能できたのだ。
 ここ最近彼女に夜の誘いをかける機会がなかったカイルにとって、これは日頃溜め続けていた欲求を一気に発散できる良い機会となった。
 しかし、その願いを叶える代償となった例のウイスキーに関しては、まだ心残りがないと言えば嘘になるのだが。
(でもまあ、昨夜はアティにちょっとばかし無理もさせちまったし、これでおあいこってヤツだよな?……それにしても、『後ろ』ってのも案外悪くねぇモンだな。今度もう一回アティに頼んでみるか)
 何だかいつもより潤いのある頬を笑みで膨らませながら、カイルは机の上へと顔を伏せる。
 午後の日差しがゆったりと背中を覆う姿はあまりにも至福に満ちた光景で、そんな彼を見つめるスカーレルは、こっそりと自身の足元に目を向けた。
「……じゃあ、そんなに機嫌がいいのなら、この事を貴方に言っても怒られないかしらね?」
「え?」
 その言葉にカイルが顔を上げると同時に、目の前に何かが置かれた。
「……?」
 ぼんやりと薄目を開けた先に見える、鈍い光を放つ物体。
 それは鮮やかな色合いの、ウイスキーボトルだった。
 上品なセピア色のラベルに、美しく湾曲したボトルの形状。
 まだ未開封のそれは栓を抜く事すらためらわれる程の高級感を醸し出し、カイルの視線を即座に引きつけた。
 ……しかしこのウイスキー、どこかで見たような気が。
「――って、こいつは俺の帝国産のヤツじゃねぇのかっ!?」
「せいかーい♪」
「これがここにあるハズねぇだろっ!?これは一体どういう事だよ!!」
 カイルは目を見開き、机を叩いて起き上がる。
 ……海のように青く透き通るそれは、間違いなくカイルが五十万バームで購入したものであった。
 しかし、これが今こうして無事に目の前に存在するはずがない。
 あれは確かに、昨日アティが割ってしまったのだから。
 事態が飲み込めず狼狽するカイルに苦笑しながら、スカーレルは罰の悪そうな面持ちで口を開いた。
「昨日ね、貴方がラトリクスに行ってる間にこれをちょっと拝借したのよ。前にヤッファがこっちの世界の極上酒を見てみたいって言ってたから、見るだけってのを条件にこっそり――ね」
「ちょ、ちょっと待て!?それじゃあ昨日、俺の部屋の酒棚には――」
「アタシの持ってるウイスキーに似たような色合いのヤツがあったから、密かに入れ替えといたのよ。五百バームの安物よ、あれ」

「………………」

 今、何とおっしゃいましたかこのオカマ。
「どうせ貴方の事だから、アタシに言われるまで気づかなかったでしょ。酒棚なんてそう見ないしね」
「…………」
 ――確かに気がつかなかった。むしろ知らなかった。
 粉々に割れたあのボトルが、実は偽物であったという事など。
 そしてよもや、それがたった五百バームの代物である事を知らずに謝罪をしてきたアティに対し、自分がどれだけとんでもない対価を支払わせたのかという事を。
 キラキラと日差しに照らされて光り輝く青いボトル。
 それが今、完全に無傷な状態で、こうして自分の目の前に堂々と置かれているだなんて。
「……あ……」
 カイルの口の端が無意識に痙攣を始める。
 額からは脂汗。背中にはぞくりとするような、不快な悪寒が――。
「うわああああどうしよう!!俺やべぇよどうしよおおおおっ!!」
「いっ!?」
 涙と鼻水を垂らして絶叫しながらテーブル越しに飛びついてきたカイルに、スカーレルは椅子ごと床に押し倒される。
 拍子に後頭部を勢いよく叩きつけられ、意識が一瞬遠のくスカーレル。しかしカイルの手が彼のスカーフを力強く掴み上げ、閉ざされかけた目蓋は強制的に白い目を目開かされた。
「ぐふっ!ぐるじっ……カイ、ル……!」
「俺っ、そんな事全然知らなくて、アティにやりたい放題にあんな事やこんな事を……!」


「――なるほどねぇ。それじゃあアタシがこっそりウイスキーを入れ替えてなければ、そこにあった帝国産のウイスキーはセンセが割っちゃってたってワケ」
 締め上げられたスカーフを緩めながら、スカーレルは彼の話に小さく息を吐いた。
 台無しにしてしまった恋人の宝物。
 その代償としてアティに肉体を要求したのだと、カイルは告げた。
「本当は……別に責任を取らせるつもりなんてなかったんだぜ。アイツが苦しむくらいなら、いっその事俺一人が涙を呑んどきゃ済む話だし。でもよ、『お詫びに何でもする』なんて言われたら……ちょっとばかし、いつもとは違う趣向でアティに楽しませて貰おうかな〜とか思っちまって」
「……。でもまあ、お付き合いしてるモノ同士だし、別にいいんじゃない?後で事情を話してセンセにちょっとお詫びすれば」
 話をこじらせたアタシが言うのも何だけど、とスカーレルは苦笑する。
 責任と称して彼女を抱いた事にしても、普段から何度か体を重ねる事もあっただろうに。
 スカーレルは目の前の彼が髪をかきむしり、俯いて苦悩する理由が分からなかった。
「まさか、センセが逆らえないのをいい事に拘束プレイしながら前と後ろに大人の玩具を突っ込んだり、あの大きい胸にアナタの大事なモノを挟みつつお口の奉仕を強制して、腕も使えない状況下で騎乗位させたあげく後ろの処女まで頂いちゃったってワケでもあるまいし」
「…………」
「しちゃったのね」
 あれだけ散々彼女の体を弄んでおいて、「ウイスキーは実は無事でした」などと簡単に言えるはずがない。
 調子に乗った行いが、まさかこんな形でカイルを苦悩させる事になろうとは。
 後悔先に立たずとはよく言ったものだと、カイルは唸りながら目を伏せる。
「本当の事なんか言えねぇよ。言ったらアティの奴、きっと怒るだろ?」
「そんなの分かんないわよ」
「つっても――」
 その時、部屋のドアを軽くノックする音が響く。
 カイルは慌ててウイスキーを隠すと、ドアの向こうの人物に視線を向けた。
「は、入っていいぜ」
「はい……」
 ――その返事におもむろにドアを開けたのは、上目遣いで大きなカゴを抱えるアティだった。
 突然の事に、カイルは勿論スカーレルまでもが思わず動揺の表情を浮かべる。
 しかしアティは静かにカイルのもとへと歩み寄ると、その顔に柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「カイルさん。今日の夕御飯、何か食べたい物とかありますか?」
「……え?」
 間の抜けた彼の返事に、アティはカゴの中に手を入れて言葉を続ける。
 その中にはユクレス村で貰ったらしき沢山の野菜や果物が顔を覗かせていた。
「ほら、昨日は私のせいで――ですから、今晩はカイルさんの好きな物、いっぱい食べて貰おうと思って」
 ――その言葉に、カイルの心がちくりと痛む。
 アティはいまだに昨日の事を気に病んでいたのだ。
 カイルの視線が、スカーレルへと移る。しかしスカーレルは彼への助けを拒むように苦笑しながら目を伏せた。
「う……」
 本当の事を言わなければ。唇を噛みしめ、カイルは自分を見上げているアティを見つめる。
 ……しかし、肝心の言い出すきっかけが見つからない。
「何もなければ……カイルさんの好きな、お酒に合う料理を作りますね?」
 それだけを言うとアティはくるりと踵を返し、部屋から立ち去っていった。
「ちょっ――」
 遠ざかる彼女の足音に、カイルは僅かな声を漏らす。
 このまま黙っているわけにはいかないのに。
 彼女に対する罪悪感がカイルの心を蝕み、締め付けていく。
 唇を噛みしめたまま俯き、力のない溜め息をついた。
「……カイル。貴方、自分のした事にちゃんと後悔してるんでしょ?」
 ふいに背後からスカーレルが声をかける。
 振り返れば、彼は頬杖をついたまま紫色の爪を一本、カイルの目の前に突きつけた。
「このまま黙ってれば、センセは貴方以上に自分がしでかしたと『思い込んでる事』で、罪悪感を抱き続ける事になっちゃうんじゃないかしら?」
「あ……」
「貴方、言ったわよね?センセが苦しむくらいなら、自分が我慢するって。それならあの子に本当の事を話して、その苦しみから解放した後に自分が怒られるなり何なりすればいいじゃない?」

 ――船長室に一人残ったスカーレル。目の前のドアは開放されたままとなっている。
(あんな偉そうな事を言っちゃったけど、実際はアタシがカイルを悩ませる原因を作ったようなモンよね……。ゴメンねカイル。後で貴方とセンセにきちんと謝るわ)
 そう心の中でつぶやき、スカーレルは苦い笑みを浮かべていた。

「……アティ」
「はい?」
 厨房にたどり着いた頃、既にアティはカゴの中の物をテーブルの上へと並べていた。
 エプロンを身につけた彼女は長い赤毛をポニーテールにし、いつもとは違う雰囲気を漂わせている。
 初めて見るその姿に内心鼓動が早まるが、カイルは咄嗟に雑念を振り払い、彼女の両肩に手を置いた。
 ――静かな空間。その中で自身の鼓動だけが耳に届いている。
 カイルは喉を大きく鳴らし、アティにぐいと顔を近づけた。
「――手伝おう、か?」
「?」
 無意識に口をついた言葉に、カイルの表情が引きつる。
 違う。こんな事を言う為に追いかけてきたんじゃないだろう。ますます高まっていく鼓動に急かされるように、彼の指先が震え始める。
 アティの大きな瞳を見据えたまま、口を半開きにするカイルから溜め息が漏れた。
 ……だが、そんな彼の顔を見上げるアティの口元が、僅かにほころぶ。
「本当の事言っても、別に私は怒らないですよ?」
「……え?」
 突然の彼女の言葉に唖然としたままのカイルに、アティは言葉を続けた。
「カイルさん達の話、廊下の外で聞いちゃってましたから。あのウイスキー、無事だったんですね。よかった……」
「よ、よかったって、おいっ」
 相変わらず微笑んでいるアティに、カイルは動揺を隠せない。 
 昨夜はあれだけ強引な事をしてしまったというのに、彼女の表情にはまったく怒る気配が見当たらないのだ。
「何で怒らねぇんだよ!?俺は――」
 言いかけた彼の口が遮ぎられる。彼の言葉を塞いだのは、アティの細い指先だった。
 少し冷たいと思える指が、カイルの唇を優しく押す。
 まっすぐな眼差しで見上げてくるアティの目はどきりとするような愛らしさで、そこには優しい微笑みが浮かべられていた。
「だってカイルさん。私があんな事を言わなければ、そのまま宝物を壊してしまった私の事を許してくれるつもりだったんでしょう?スカーレルがあの日たまたまボトルをすり替えてくれていなければ、間違いなく私が壊しちゃってたワケですし……怒る事なんてできませんよ」
 ね?と小首を傾げるアティ。
 カイルは言葉を失ったまま、彼女を見下ろしていた。
「でも、昨日カイルさんを困らせた事には変わりありませんし、今晩は私が腕を振るって……っ?」
 アティの肩を掴むカイルの手に力が篭る。
 彼女の言葉を最後まで待たず、カイルはその細身を腕の中に抱き込んだ。
 厚い胸に顔をうずめられたアティが慌ててもがくも、カイルはその力を緩めようとはしない。
「カ、カイルさんっ!苦しいっ……」
「ったく……お前って奴はホントにお人好しだよ。俺のほうがよっぽど詫び入れなきゃなんねぇ立場だろうに」
 顔を赤らめながら身を強張らせるアティ。その顎に彼の指がかかる。
 間近に触れる吐息。
 軽く上向かせるなり、アティの唇に自身のそれを深く重ねた。
「んぅっ……」
 バカがつくほどのお人好し。
 カイルは内心呆れつつも、そんな彼女に愛しさを感じずにはいられなかった。
 戦場で見せる凛とした姿とは到底かけ離れた、あまりにも無防備な彼女。
 その行き過ぎた優しさがいつ命取りになるかと考えれば、きりのない不安が込み上げてくる。
 だがその不安こそが、彼女を守りたいと思う心に自然と力を与えているのだと理解していた。
 ようやく唇を解放し、紅潮した彼女の頬を撫でながらカイルは小さく口を開く。
「なぁアティ。他の連中に優しくするのは構わねぇ。……だがよ、あんまり俺に優しく……っつうか、甘やかさないでくれ」
「え?私は別に……」
 彼女の頭に顎を乗せ、カイルは大きく溜め息を吐いた。
「自覚がなさすぎんだ。……これ以上俺が調子に乗ったら、お前自身がどうなっちまう事やら」
「は……はい」
 理解しているのかどうか分からない面持ちのままアティが頷くのを見ると、カイルは抱き締めていた彼女の体を手放した。
 ……しかし、本当の事を告げたにも関わらず、カイルの心はいまだ晴れる事がない。
 テーブルの上に広げられた食材が、カイルの瞳に映り込んだ。
「アティ。その……ああいう事をやった上に、わざわざ俺の好物まで作らせちゃあ流石に申し訳ない気分になっちまうんだが」
「私は構いませんよ?」
「俺がよくねぇんだ!」
 ムキになって首を振るカイルに苦笑しながら、アティはふとある事を思い閃く。
 何でもいいから言え、と真剣な眼差しで尋ねてくるカイルに、アティは僅かな笑みを口元に浮かべてみせた。
「何でも……いいんですよね?」
 頬を赤らめながらアティがつぶやく。
 強く頷くカイルを見上げると、アティは彼の肩に手を伸ばし、その耳元へ唇を近づけた。
 そこへかすかに触れる、アティの柔らかい唇。
 耳をくすぐる吐息は心地よく、カイルの鼓動を高鳴らせる。
「ア、アティ?」
 人気のない所でも、自分からはまず積極的な行動へ移ることのない彼女。
 その意外な行動にカイルは思わず動揺する。
 アティはしばらくためらいながらも、やがて小さく彼に耳打ちをした。
「私、実は昨夜のアレ、ちょっとだけ気に入っちゃったんですよね」
「ほ、本当か!?それじゃあ……」
「それで、ですね――」


 のどかな昼下がりのラトリクス。
 クノンに淹れてもらった紅茶を時折口に運びながら、アルディラは毛糸のセーターを黙々と編み続けていた。
 ハイネルに渡す事ができないまま、自分自身もその存在を忘れてしまっていた物。
 今さら完成させた所で、もう着せるべき相手もここにはいないのに。
 不慣れな指使いで編まれたそれは、作った本人も苦笑してしまうような出来ではあった。
 ……それでも。
(機械の中にある、映像だけの思い出じゃない、あの人への私の想いが形となって残っていた物だもの。それを捨てるなんて……私にはできないわ)
 こんな乙女心がいまだに自分の中に残っていたのかと思うと、アルディラの口元に無意識の笑みが浮かんだ。
「――アルディラ様」
 静かに開いたドアから姿を見せたクノンに、アルディラの手の動きが止まる。
「どうしたの?クノン」
 クノンの顔を見れば、そこには僅かだが困惑した面持ちが見て取れた。
 そして、ドアの向こうからは何者かの咳払いが。
 ――直後、穏やかだったアルディラの眉が険しく歪められていた。

「これで三回目の訪問ね。変態バカ船長」
「…………」
「本日はどのような玩具を御所望ですか?カイル様」
「…………」
 ガラクタの置き部屋の中、カイルはその背中にどす黒いオーラを背負いながらしゃがみ込んでいた。
 彼の手はがむしゃらに箱をあさり、道具を物色する瞳は涙で溢れ返っている。
 初めて道具を持ち帰ってから、ここにそれを求めて訪問するのはこれで三回目であった。
「ここまで道具プレイに躍起になるなんて、まるで性欲の権化ね」
「『性欲のゴンゲ』?フレイズ様のおっしゃっている、『肉棒船長』と同意語ですか?」
「……まあ、似たようなものね」
 背後で何やら言いたい放題に言われているが、カイルは彼女達の言葉にまったく反論を返そうとしない。
 ……いや、反論ができないのだ。
(うっ……ぐすっ、アティよぉ……)
 硬く目を閉じるカイル。
 ぽたぽたと涙がこぼれ落ち、手に取った機械の上へ伝い落ちていく。
 その脳裏には、頬を赤く染めたアティが上目遣いでこちらを見上げる光景が焼きついていた。

『カイルさん……。私、ああいうモノが他にどれだけあるか知りたいんです。
もしかしたら、お互いがとても気持ち良くなれるような凄い道具が眠ってるかもしれないでしょう?
だから、アルディラに頼んでもっと貰ってきて欲しいんです。
あっ!でも私が欲しがってるって事は内緒にしてくださいね?恥ずかしいですから……。
あくまで、カイルさん名義でお願いします』

「同情するわ……貴方みたいな恋人を持つハメになったアティに」
 溜め息混じりにつぶやいたアルディラの辛辣な言葉に、カイルの目から滝のような涙が溢れ出る。
 ――優しいアティ。バカがつくほどお人好しのアティ。
 俺を甘やかさないでくれ。確かにそうは言ったが。
 何でも言えと、言ったのだが。
(厳しいっ……。これはっ、いくら何でも厳しすぎるぞアティィイ!!)
 カイルの無言の絶叫。
 それは誰の耳にも届く事無く、彼の中で虚しく響き渡っていた――。

(……まあ、その分アティとの夜の楽しみが増すんだから、俺としては嬉しいんだけどな)


おわり

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