ヤッファ×ドライアード・2



「……なるほど。それでドライアードがまだメイトルパに還ってないっていうワケ」
スカーレルが納得いったと頷く。
既に日は暮れ、ユクレスの大樹の上には煌く星が闇に浮かぶ頃合。
船から持ってきた酒を同様に持ってきたグラスへと注ぎ、いつもなら共に杯を酌み交わす筈の庵の主人に呆れたという表情を向ける。

「冷静沈着なアナタにしてはらしくない失敗だったわね」
「……反論のはの字も出ねえよ。最低だ」
客人に背を向け、庵の奥に寝転がったまま、ヤッファは憮然とした返事を返した。

「でも、アタシが見た時はもうドライアードの傷なんて殆ど消えてたわよ? それよりアナタの方が見た目酷いじゃない。クノンが驚いてたわ、あの傷で生きてるのが謎だって」
「……マルルゥもそうだがあいつら花精ってのは光と水と空気さえ良けりゃよっぽどの怪我でもない限りは治ってくれるんだよ。オレみたいな中途半端に頑丈なのと違ってあっと言う間にな」
アナタの怪我はよっぽどどころか棺桶に身体半分突っ込んでたでしょ、との一言は漏らさず、グラスを一口舐め、スカーレルは僅かに目を細める。
「ホントにらしくないわね。そんな風に自虐に浸るなんて初めて見たわよアタシ」
沈黙。がちがちに固定された右腕を天井へと翳しながら、ヤッファはぼそりと呟いた。
「あいつらがやられそうになって、それを護ろうとしたオレが結果的にあいつを傷つけちまったんだ。自分に嫌気がさすくらい普通だろ」
「……そう。何となく別の理由があるような気がしないでもないけどそういう事にしておこうかしら。下衆の勘繰りなんてカッコ悪いし」
意味ありげなセリフを吐き、スカーレルはグラスに残った酒を一息に呷った。そのままグラスだけを手に取り、瓶をテーブルに置く。

「それじゃ、アタシはそろそろ帰るとしますか。今日はこれ以上ここにいても面白くもなさそうだしね」
「おい、その酒も持って帰れよ」
「あら、それは見舞いの品よ? 結構いいお酒なんだからありがたく頂戴して欲しいわ」
「怪我人に酒持ってきて見舞いかよ……しかも手前で呑んでただろうが」
「ふふふ、固いこと言いっこナシよ。それじゃまたね、ヤッファ。お大事に」
ひらひらと手を振り、どこかつかみ所の無い海賊一家の後見人は来た道を戻っていった。

庵に一人残されたヤッファは、何をするでも無く天井を眺めつつ大きな溜息。
あの時の光景が瞼に浮かぶ。
大きく見開かれたドライアードの目。どんな傷よりも深くヤッファの心を抉った一撃。
護るべき同郷の仲間を、この手で傷つけてしまった。
言葉が通じず、害意ある者達なら幾度となく手にかけてきた。
だが、今日は初めて味方を傷つけてしまった。
自分を信頼してくれた者を、心配してくれた者を。
「……くそ。何が護人だ。笑わせんじゃねえよ」
寝返りを打つ。眠気など全く訪れる気配も無い。傷の痛みなどではなく、もう一つの痛みが際限なく彼を責め苛んでいたから。
長い夜になりそうだった。



微かな燐光を零しながら、マルルゥは一人森の中を進む。
鬱蒼と茂った木々の間を暫く進むと、目の前にぽっかりと開けた空間が姿を現した。
背の高い木の緑に光を遮られる事の無い地面は彩り豊かな花々が咲き乱れ、今はたおやかな月影を浴びて己が花弁の美しさを語る。
そんな花の結界とでも言うべき鮮やかな広場の中央で、一輪の花が目を閉じ両手を組みながら、祈るような姿勢で天を仰いでいた。
月の光に照らし出された横顔は、吟遊詩人が目にすればその感動を言葉に伝い尽くせず悔悟の涙を流すに十分である。
マルルゥとて例外無く暫くの間その姿に見蕩れていたが、やがて彼女へと近づいていった。

「ヒラヒラさ〜ん、お怪我の具合はどうですか〜?」
マルルゥの言葉に、声をかけられたドライアードは目を開き微かな笑みを見せながら己の腕を上げ応える。
まるで何も無かったかのような白い肌であったが、良く見ればうっすらと肌の色が異なる線が一本、肩口から二の腕まで残っている。
「あやや、やっぱりちょっと痕が残っちゃいましたか……シマシマさんの爪ってば、すっごく鋭くて痛いですからね……ヒラヒラさん、ごめんなさいです」
悲しそうな、申し訳なさそうな視線で見上げるマルルゥに、ドライアードは首を傾げた。
『どうして、マルルゥさんが謝られるのですか?』
「ああ、シマシマさんはめんどう屋さんなので、何でもほったらかしにしてしまうのです。ですからマルルゥが代わりに謝ったり喜んだりしてあげてるのです。マルルゥがいないと本当に困ったさんなのですよ」

マルルゥの言葉に、ドライアード苦笑しながら首を横に振った。

『そんなに気にしないで下さい。私は全然平気ですから』
「そんな、よくないですよぅ! こーんなにきれいなヒラヒラさんのお肌に傷痕残すなんて、もったいないです!」

小さな身体を目一杯広げ、全身で反論の意を示すマルルゥ。身体が小さいせいだろう、その意思表示は常に全力であり分かりやすくて微笑ましい。
だが、ドライアードは自分の腕に走る線を軽く指でなぞり、僅かに俯いた。
『いえ、寧ろこの痕は残ってくれてほっとしてるんです』
「え? ……どうして?」
何気ない問いに、俯いたまま沈黙してしまう。
それでも、皓々とした月は俯く彼女の頬に、薄い紅が散っているのをくっきりと浮かび上がらせていた。
『…………』
「? どうして黙ってしまったのですか? ヒラヒラさん?」
じっとドライアードを見つめるマルルゥの目には、他人をからかって弄ぶようなものではなく純粋な好奇心と疑問の光。
無垢な瞳の重圧に耐えきれず、ドライアードは益々顔を火照らせながらも結んでいた口を少しずつ解いていった。

『え……えっと……この痕は……あの人が初めて私に触れてくれた証ですから……』
「ええぇ〜っ!?」
『ひゃっ!?』
いきなりの大声にびくりと肩を震わせるドライアード。

マルルゥは憤懣致し方ないといった口調で猛烈に喋りだした。
「それって変ですよヒラヒラさん! だってヒラヒラさんはシマシマさんに引っ掻かれたのにそんな事言ってたらますますシマシマさんが暴れん坊になっちゃいます! こういう時はもっと怒ってやらないとダメです絶対!」
そこまで一気にまくし立て、ふと思いついた推測に自分で相槌を重ねながらもなおその口上は止まらない。
「あ、ひょっとしてシマシマさんが怖いから遠慮しているのですか? そうなんですかそうなんですねそれなら大丈夫です、マルルゥも一緒に行ってシマシマさんに文句言ってあげますから! よーし、それじゃさっそくシマシマさんのお家まで行きましょう!」

毎度の様に頭に血が上ったマルルゥの激烈な勘違いは笑えないベクトルへと暴走し、驚きおろおろとするドライアードの手を引っ張りながらヤッファの庵へと飛び立とうとする。
半ば涙目となりながらドライアードはマルルゥの誤解を必死になって否定した。
『ち、違うのマルルゥさん!!』
「きゅぅ!?」
ぎゅっとマルルゥを握り締め、叫ぶ。
『そんなんじゃないんです! 本当に怒ってなんかいませんから、お願いだからあの人に変な事言わないで! そんな事されたら、私、私……!』
「あう、ちょ、ひ、ヒラヒラさ、くるっ、し……!?」
悲しいかな、パニックに陥ったドライアードは自分の手の中でマルルゥがオチかけている事に全く気付けない。
彼女が我に返った時、手の中にはぐったりとしてメイトルパのエルゴの下へ旅立とうとするマルルゥの姿があった。



「……それじゃ、ヒラヒラさんはずっとシマシマさんの事が好きだったのですか? マルルゥはてっきり、いつもシマシマさんが側に来ると隠れちゃうので怖がってるのかと思ってました」
奇跡的に息を吹き返し、申し訳ないと身を縮こまらせるドライアードから具体的な理由を聞き、マルルゥは驚きの溜息を吐いた。
他人からきっぱりはっきりと自分の密かな好意を宣告され、ジュウユの実でもここまでは熟れぬという程に顔を赤らめるドライアード。だが一旦告白してしまうと何かがふっきれたのか、訥々としながらも語りだした。

『は、初めてあの人にお会いした時はマルルゥさんの言うとおり、怖い人だなって印象だったんです。ですけど、何度かこちらの世界に喚ばれて、マルルゥさんと一緒に戦っているあの人の後姿を見ていたら……』
恥ずかしげにしながらも、ヤッファの背中を思い浮かべながら言葉を紡ぐドライアードには、柔らかな幸福に浸る笑顔が浮かぶ。
『実は私達の方に刃が来ない位置へと常に身を置いている事に気付いて……何も語らないけど本当はすごく優しい人で、でも周囲にそれを悟られないようにいつも独りで立っていて……』

「ふむふむ。ヒラヒラさんもシマシマさんの良い所、ちゃんと知ってたのですね」
自分が褒められているかのようにマルルゥは喜んだ。それが自然であると、自分とヤッファの間にある絆を全く意識せず見せ付けるマルルゥに対し、ドライアードはちくりと胸が痛むのを自覚した。
知っている。彼女はユクレス村の誰もが、いやこの島に暮らす全ての仲間が好きで、誰かが喜べば一緒になって喜び、悲しめば共に涙を流すという事を。
しかし、そんな中でも彼女のヤッファへの好意は他の皆へと向けられるものとは違う気がしてならない。

――そんな訳ある筈無いのに。マルルゥさんとヤッファさんがいつも一緒にいるからって、私嫌な事考えてる……

自身の内に生まれた負の感情に軽い自己嫌悪を覚える。だが幸か不幸か、ドライアードの心中の葛藤には気付かずマルルゥは自身の疑問を口にした。
「あれ、じゃあヒラヒラさんはシマシマさんのことが好きなのに、どうしていつも隠れてしまうのですか?」
『あ……う……』
直球。あまりにも直球。
こんな娘なのだ、マルルゥという妖精は。
マルルゥに自分の抱く感情が愛情であり、好意の質が若干異なるものである事を説明しても、果たして彼女はどれほど理解できるのか。
延いては好きな人の傍にいたい、けれどいざその機会が訪れても緊張と羞恥が先に立ってしまい結局逃げるように隠れてしまうという単純でいて複雑な恋心がちゃんと伝わるのか。
二つの課題をクリアするのはテテの帽子を奪い取るよりも難しく、それ以前に、引っ込み思案のドライアードにとってこれ以上胸の内を曝け出す事は不可能だろう。

再び黙り込みもじもじと俯いたまま顔を赤く染めているドライアードの耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。


「あ、マルルゥ良い事思いつきました。ねえヒラヒラさん、やっぱり今からシマシマさんのお家に行って仲直りしましょう!」



『……え?』



目の前の召喚主が何を言っているのか本気で分からなかった。
頭の中で今一度反復。
今から、シマシマさんの、お家に行って――

『えぇええええぇぇええっっっ!?』
恐るべきマルルゥ理論による精神攻撃の一発は繊細なドライアードの心の臓を見事なまでに射抜き、結果ドライアードが壊れた。
『そっ、そんな、無理無理私、でもまだ、イヤ、あのえええええぅぇぅえうえうえう!?』
ぶんぶんと力の限り首を横に振り、森中の獣を叩き起こすつもりではという光を全身に湛えながら無意識に放出される芳香が花園を覆いつくす。
「うわ、どうしたですかヒラヒラさん落ち着いてくださぁい!」
まるで自覚無しの爆弾着火人。
ドライアードが正体を取り戻した頃には、辺り一面魅了の術に囚われた獣達で溢れかえっていた。


続く

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