ヤード×ミスミ・4



いち早くパラ・ダリオの瘴気の手が届かぬ範囲まで退いていたキュウマが、ヤードの傍へと降り立った。
もう鬼忍達に立ち上がる力も残っていない事を確認し、カタナを収める。
「正に間一髪というところでした。助かりましたよ」
「礼には及びません、これが拙者の務めですから。最近の不穏な動きを見せていた輩はこの者達ですね。改心してくれるなら良いのですが忍である彼等には難しいかもしれませんね……」
苦しげにもがく姿に、悲しげな視線を送る。その憐憫は、かつての己をなぞらえた哀れみか。
だがキュウマの苦悩は、彼方よりかけられた声に消え去る事となる。

「ならば妾がその懸念を払ってやろう。喜ぶがいい」
ぼう、と二人の頭上に数えるのも馬鹿らしい程の紫の炎が湧き上がった。
「!!」
息を呑む間さえあればこそ。
禍々しい炎の雨が、二人のいる場所へと降り注ぐ。
狙いを定めるなどという面倒なものは必要ない、狙いをつけずに当たるほどの数を撃てばいいのだと言わんばかりの炎弾。
降る下にある物は須く紫炎の洗礼を受けた。
炎は牙となり、次々と地面を穿ち木々を抉り、そして無情にも動けぬ鬼忍達の身体へと突き刺さっていく。
狂乱の炎雨が静まった頃には、そこに生命あるモノの姿は何一つ無かった。
ぱちぱちと燃え残る死地と化した大地に、九尾狐姫が紅白の衣を翻して舞い降りる。
九尾狐姫が手を振れば、残り火は嘘のように消え去った。
哀れ消し炭と化した人型を数えればその数は――五つ。
鬼忍達の倒れていた場所に四、そしてキュウマとヤードがいた場所に一。

掌に浮かぶ狐火を弄びながら、楽しそうに九尾狐姫が謳う。
「空蝉に猿飛か。この地で忍匠の技が見られるとはな。中々に見事な腕前じゃのう、乱波よ」

九尾狐姫の言葉通り、キュウマは生きていた。
ヤードを抱え、遥か後方へと忍秘伝の移動法で退避していたのだ。
キュウマの額に、緊張の汗が一筋伝う。
信じたくは無いがあの炎とそして仮面は――
「まさか百面の妖姫が封印を解いていようとは。ミスミ様の従える狐火の巫女では無いようだが……」
「流石に鬼妖の者は話が早くて助かる。あれは妾のものじゃ。返してもらうぞ」
「戯言を。貴様の様な悪妖の言う事を聞くとでも思ったか?」
「ふふ、では聞く気になるようにしてやろうではないか」

再びカタナを抜き放つキュウマ。
「ヤード殿、ここは拙者が引き受けます。貴方は郷に降りてミスミ様と他の護人に連絡を」
「……残念ですが、どうやら彼女はそれを許してはくれそうにありませんね」
ヤードの言葉を証すかのように、炎の壁が二人の退路を断っていた。
キュウマが無言で舌打ちをする。
「ならば、拙者があの者の気を逸らしますのでその隙を突いてください。この命に換えましてもヤード殿は助けてみせます」
キュウマの決死に、刃が紫炎に照らされた光を返した。
「その提案に私が従うとでも思っているのですか? キュウマさんを見殺しにはしませんよ」
「いえ、貴方には何があっても生きて貰わないとならないのです」
――貴方は、我が主君が漸く出逢えた……
紡ごうとした言葉は虚空に消える。この言葉は己が言うべきものではない。
主の想いを語るなど、影には出過ぎた行いだ。
影は黙してカタナを振るう、それだけでいい。

九尾狐姫が肩の高さまで上げた両手の指先に、一つずつ狐火が灯る。
「何しろ久方ぶりの宴じゃ、楽しみで仕方が無い。妾を退屈させてくれるなよ?」
紫の揺らぎの向こうに見える仮面の貌は、喜色をありありと湛えていた。破壊を愛でる邪な笑みに犬歯が覗く。
「九に分かたれた貴様など恐るるに足らん。鬼妖界の神々に代わって今一度調伏し直してくれる」
右手にカタナ、左手に手裏剣を挟みキュウマが一歩、前に出る。

炭と化した木が崩れる音を合図に、キュウマが動いた。
放たれた矢の疾さで駆ける。
九尾狐姫がさせじと炎弾を放った。
左右から五つ、十の牙がキュウマを捉えんと尾を引いて襲い掛かる。
或いは跳び、或いは伏せ、キュウマは炎を避け続ける。
しかし途切れぬ炎の雨に前へと進む事は叶わない。
紙一重の焔舞い。しくじれば即座に命は無い、危うい演舞。心の上に刃を置き、驚異の忍耐力と集中力でキュウマは耐え続ける。
左から来た一をカタナで斬り落とし、すかさず印を結んだ。
「召鬼、爆炎!」
キュウマの術が一瞬の隙を掻い潜り九尾狐姫へと炎の舌を伸ばす。
「温い。炎で妾に挑むとは片腹痛いわ」
九尾狐姫が右手に翳す炎を振った。
炎は伸び紫の扇となってキュウマの火炎を事も無く吹き散らしていく。
「使うならこの位はしてみせよ、乱波」
返す煽ぎで先程の倍はあろうかという数の炎弾が虚空に現れる。
キュウマに緊張が走った。咄嗟に取り出した、ありったけの手裏剣を放つ。
それでも尚落としきれなかった炎が、キュウマの頬を、腕を、脚を掠めていった。
「くっ……!」
苦痛にキュウマの顔が歪む。
だが脚を止める訳にはいかない。たとえ矢尽き刀折れようともこの場であの妖は食い止めなくてはならないのだから。
鉄の意志で己を叱咤し、再びキュウマが敵へと向かい駆ける。



ヤードは焦っていた。
相変わらず退路は塞がれている。そして今はキュウマも何とか耐え凌いでいるが相手に近づく事も出来ず、このままではやがて押し切られてしまう事、キュウマの限界がそう遠くは無い事は目に見えていた。

――考えろ。何かある筈だ、何か……

だが自分に出来る事は少ない。
残された魔力ではあと一度、召喚術を使うのがやっとの状態。
助太刀に入ろうにも、キュウマでさえ避けるのが精一杯の相手では手助けどころか足手まといなだけだろう。
やはり召喚術を使うしか道はない。
パラ・ダリオを召喚すればとも考えたが、あの女妖は予想以上に抜け目が無い。
一瞬視線が合った時に、手を出しあぐねている事を悟りにやりとした笑みを見せていた。
一度手の内を明かしてしまっているパラ・ダリオでは避けられてしまう可能性が高い。

「パラ・ダリオよりも広範囲、大火力の召喚術……」
聖鎧竜を除き、そのような召喚術が果たして――――いや、あった。
手持ちの召喚石の中に、たった一つだけ。
だが召喚するのは、ヤードに残された魔力だけでは難しい。
「アレを喚べれば……しかし私一人の力では」

迷う。
アレは縁のある彼等がいたからこそ召喚に応じてくれたのだ。彼等の助力がない今、果たして喚び掛けに応じてくれるか……

『ヤード。ここで一旦お別れだがお前が大事な仲間の一人だって事は未来永劫変わり無え。お前が困っている時はどんな事があっても駆けつけてやる。こいつはその証だ、受け取ってくれ』

「…………」
意を決しヤードが杖を握り締める。
迷っている時間は無い。これしか残されていないのだ、成否など関係なく、いや、必ず成功させなくてはならない。

――皆さん、力を借りますよ

懐から一つ、サモナイト石を取り出しヤードは詠唱を始めた。


「それにしても良く避ける……」
九尾狐姫が呟いた。
幾度目になるか分からない炎の弾幕に敵は退がる。
だが、愚直なまでのしぶとさで飽きる事無く再び間合いを詰めてくる。
既にその身体には数え切れぬ火傷があったが、まるで意に介さず突き進んで来る。忍と言えど驚くべき精神力だ。
実を言えば、九尾狐姫にはそれほど余裕がある訳では無かった。
本来の力を全て取り戻しさえすればこの林ごと全てを焼き払う事も出来たのだが、封印の綻びをすり抜け無理矢理に界を越えて来た今の状態では、気を抜けばこの忍に斬られていたかもしれない。

次こそ仕留めんと新たな炎を生み出したその時、放っておいた召喚師の方から力が溢れてくるのを感じた。
「む……?」
大した力も残されていないだろうと高を括っていた相手だが、最期の足掻きだろうか。
先の瘴気を放つ異形ならば間合いは見切っている。今までの術を見るに、恐らくはあれが彼奴の切り札であろう。
然程気に掛ける必要も無いが、それでも召喚術をそのまま放っておくというのは具合が悪い。念を入れ、ここで引導を渡しておくのが最善か。
「ふむ、乱波の舞にも聊か飽きたところよ……!」
九尾狐姫の仮面を被った瞳に、妖気の光が満ちる。
「……っ! しまった、邪眼か!」
今の今まで隠されていた敵の一手に、キュウマの反応が刹那に遅れた。視線は見えない鎖となり、キュウマの四肢に絡み付く。
「がっ……!?」
手足を封じられ、翼を?がれた鳥の様に地に縫いとめられるキュウマ。
「命拾いしたな乱波。仮面が飯綱眼を抑えていなければ即座に石となっていたぞ? もっとも、ほんの僅かに寿命が延びたに過ぎんがな。貴様は召喚師の後に始末してやろう」
最早歯軋りも出来ぬキュウマを尻目に、ゆらりと九尾狐姫がヤードの方へと首を向け足を進める。自分の命が風前の灯火であることは百も承知だろう、それでもヤードは召喚の詠唱を止めない。

九尾狐姫が手を天に翳した。頭上に湧いた紫炎は一つ。だがその一はニに別れ、ニが四、四が八、八が十六、十六が三十二へ。
炎の数が増えていく。
どんなに自分が窮地に置かれようと折れなかったキュウマに初めて、絶望の影が差した。
無理だ、ヤードにあれを避ける術は無い。
今こそこの身を盾にする時分だというのに、己の脚はぴくりとも動かぬ。
いっそこの脚を切り取れば前へ進めるのだろうか。それならば喜んで脚など捨てるのだが、生憎カタナを持つ腕さえも自由に振るえない。
目前で行われようとする殺劇に声ならぬ声で叫ぶしか、キュウマに出来る事は無かった。

「万策尽きたな召喚師。だがここまでやるとは思わなんだ、褒めてやろうぞ」
応えぬ代わりに、ヤードは九尾狐姫をきっと睨む。勝負は着いていないと語るかの如くに。
ここに来てまだ諦めぬ召喚師に業を煮やし、九尾狐姫は頭上では収まらぬ数の炎を投げ放った。
夥しい数の炎弾がヤードを取り囲む。やがて炎は三重の輪を作り回転を始め、次第に速さを増し、勢いを強めていく。
「ではさらばじゃ。呪の続きは冥土で唱えておれ…………爆!」
炎輪は九尾狐姫の言葉に反応し、輝きを増して膨れ上がり――――
中心にヤードを置いたまま、轟音と共に炸裂した。

終わった。
あの爆発の最中にあって無事な者などおるまい。
立ち込める煙で見えはしないが、最悪欠片さえも残さずに燃え尽きてしまっただろう。
必死で己を縛る呪縛と戦っていたキュウマだが、ヤードの最後を目にし抗う力を失った。
キュウマから抵抗の意志が消えたのを感じ、九尾狐姫が紫炎を背にころころと笑う。
「ああ愉快愉快。これだから人が絶望に堕する様を見るのは止められぬわ。待たせたな、次は貴様の…………」
遺体を確認するまでもないと、九尾狐姫が背を向けたその時。

世界が異郷に呑み込まれた。



「何……!?」
突然の異変。
数瞬前まであれほど鮮明だった林が、霧に包まれ一寸先も見えない。
這い蹲る忍の姿も、己の手足も、背後にあった筈の紫炎でさえも。
炎を作り出せば、霧に触れた瞬間呆気なく消え去っていく。
ただの霧如きに消されるような炎では無い。だとすればこれは霧に見せた別の何か。

音がする。
小さかったそれは、ゆっくりと此方に向けて大きくなっていく。
何故、この様な音がする? 分からない、これは。
「波の音……か?」
そう、何かが水を掻き分けて進む音だ。
そんな事は有り得ない。ここは地の上だ、どこに――――

否。
有り得ない事などそれこそ有り得ない。此処は四の異界の理が現れる世界。何が起ころうと不思議ではない。
そしてその不可思議を具現するのが召喚術。
となればこの霧も、召喚術によるものか。
この場に在り、召喚術を使う者は。
「馬鹿な、妾の炎陣を受けて無事な者など……!?」

波音は益々大きくなっていく。その音からして突き進む何かは途轍もない大きさであろう。
そしてそれは間違いなく此方を目指している。
焦りの色が強くなる。
九尾狐姫は消える端から炎を作り上げていく。だが濃霧が炎本来の力を封じ、思う様にいかない。

遂にそれが影を見せた。五里霧中にあってさえその姿を影に見せる程の巨体。
影を見て、九尾狐姫は漸く理解した。
あれが元凶か。ならばこの霧はつまり。
「異界の海、という訳か…………!」
海の中で炎を作ろうとも上手くいかぬは道理だ。敵の狙いに嵌った事を知り、不甲斐無さに血が滲むほど唇を噛む。
「おおおおおお……!!」
だがそれでもこのまま座して待つ訳にはいかない。避けられる大きさではない、全ての力で以って食い止めなければ。その巨体には心許無い炎の盾を前面に、突進の衝撃に備える。
舳先が姿を見せた。
霧を二つに裂き、船体が押し寄せてくる。
船首に仁王立つのは、かつてこの世界の海を意のままに駆け数多の武勇を残した伝説の海賊。
その魂は死した後も霊界の海に在り、悠久の航海を続ける。

“幽霊船長”の操る船が、召喚の声に応じ九尾狐姫へと突撃した。




霧が晴れていく。
笑ったままの膝に渇を入れ、ヤードは満身創痍の身体を引き摺り立ち上がる。
だがあの召喚で自分の力は全て出し切った。もうこちらは立っている事すら覚束ない。
あれでまだ立ち上がって来られれば正真正銘打つ手は無い。
「…………」
霧の去った後には。
九尾狐姫が、何事も無かったかの様に佇んでいた。


「……三つ。聞きたい事がある」
「何でしょう」
九尾狐姫に戦う意志が無い事を悟り、ヤードが応える。
「まず、妾の炎を受けて無事だった理由じゃ」
「それは彼女のお陰です。初めに喚んだ時、送還せずに私に憑依しておいてもらったのです。それでも全てを防ぎきる事は出来ませんでしたが」
ヤードの言葉を受け、彼の背中に光の賢者が浮かび上がった。
四枚の盾はどれもひび割れ、主と同じく傷だらけの風だったが、精神体である彼女であれば見た目の損傷はそれほど深刻なダメージでは無い。サプレスへと還ればさしたる労も無く癒える怪我だろう。

「ではもう一つ。最後の術、あれは貴様に残された力で喚ぶには大きすぎる。船だけならまだしも、海まで喚ぶとなると個人の力で及ぶものでは無いと思うが」
二つ目の問いに、ヤードは頷き手の中に握るものを見せる。
召喚の紋が刻まれた石。ソノラのくれたネックレスに、もう片方の手にはスカーレルの短剣。そしてそれらを握る手は、黒の皮手袋に包まれていた。
「私達人間が召喚石を作る手順を知っていますか? モノに籠められた思いや力を取り出し、召喚石と掛け合わせるんです。この首飾りと短剣、手袋は私の仲間が大切にしていた物。そこに染み込んでいた魔力を借りました」
「成る程、付裳神の助力とはな。それが三つもあればあの大召喚も可能か」

納得したと同時、九尾狐姫の膝が崩折れた。そのままうつ伏せに地面へと倒れ込む。
最後の力を振り絞り仰向けに転がり、力なく笑った。
「ふ、ふふ。まさか妾が何処の誰とも知らぬ異界の輩に敗れようとは。これで鬼妖界に名を馳せた金毛百面の恐怖も幕というわけじゃな」
「そうあって欲しいものですね。ミスミ様の従える貴女が封印を解いてしまわない事を願いますよ、本当に」
「それは無かろう。妾に勝った褒美じゃ、教えてやる。妾が九に分かれた時にな、鬼神龍神どもは気付かなかったようじゃが力と同じく心にも偏りが出来ておったのよ。妾が最も強く心を継いだ一じゃ」


ぽう、と蛍火の様な小さな火が一つ、九尾狐姫の上に灯る。
爪の先程でしかなかった火は、生み出した本人に触れるとたちまちに勢いを増し、その身体を包んだ。
「妾を除く八は最早別の人格とでもいうべき存在じゃろう。封を解く方法も、理由さえも失っている事だろうて。遺された妾の力、せいぜい上手く利用するがいい」
九尾狐姫の手が、足が、端から炎に溶け、消えていく。
止める手立ては無いし、本人も止められる事を是としないだろう。
「墓は……要らないのでしょうね」
「無論じゃ」
屍を晒す恥辱より、自らの手で締めくくる矜持だけは、彼女に持たせてやりたいとヤードは思った。
もう幾許も姿を留めていない九尾狐姫に、ヤードが最後の疑問を口にする。
「貴女は三つ聞きたい事があると言いましたね。後の一つは何だったのですか?」
その質問に、九尾狐姫が口の端を上げるだけの笑みを作った。
「…………貴様の名じゃ。妾を倒した人間の名、心に刻み付けて夜摩天に教えてやろうかと思うての。だが止めた。聞けば未練も出来よう、貴様を妾の物にしたいとな」
それだけを言うと、九尾狐姫の身体は燃え尽き炭も残さず消えた。
今際の際に外れた仮面の奥の素顔は、やはり人の想像に追いつかぬ美貌だった等と場違いな事を思いながら、ヤードの意識も深遠の闇へと落ちていった。


続く

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