奥さまは○女(前編)



 幼い頃から女としての教養を、その身に飽きるほど教え込まれていた。
 いつしか結ばれるであろう相手も、自身の意志で決めた人ではないという事は承知していた。
 崇高なる召喚師の家系に生まれた一人の娘。
 その家名を継ぐ者は、必然的に有能な血筋を持つ男となる。
 そこへ迎え入れた彼は類稀なる才能を持ち、同時に心の内へ黒く歪んだ一面を持ち合わせていた。
 彼の狂気じみた内面に嫌悪を抱いていたのはいつの頃だっただろう。
 気づかぬうちに、その男へ愛しさを抱くようになったのは。
 冷酷な彼は部下の不手際に対しても寸分の容赦もなく、使えぬ者は即座に切り捨てる。
 彼に相応しい部下である為に、完璧な妻である為に。
 そればかりに思考を巡らせるうちに、いつしか自分も男の狂気に染められている事に気づいて。
 彼への想いに恐怖を覚える反面、彼女の胸は、酷く心地の良い甘さに包み込まれていた。

「っ……」
 一隻の大型船が、名も無き島の赤い夕焼けに照らされていた。
 それ以上に鮮やかな『赤』が、女の白い指を静かに伝っていく。
 ――ここはその船内の厨房。
 小さな声を漏らした彼女は、その場に立つには明らかに場違いと判断できる容姿だった。
「ツェリーヌ様。ここは私が――」
「よいのです。下がりなさい」
 差し伸べられた侍女の手を視線で振り払ったのは、いつもの純白の法衣を脱いだツェリーヌであった。
 イスラの裏切りによって、腹部を深く負傷する事となったオルドレイク。
 紅の暴君の力によって裂かれたそこは、並大抵の回復魔法では癒える事はない。
 休む事なく使い続けた召喚術によって表面上の傷はある程度塞いだものの、体内に残る剣の魔力がもたらす痛みはいまだ消せずにいた。
 ベッドの上で苦痛に身じろぐ彼に、少しでも力の源になる物を与えてあげられるように。
 そう考え、ツェリーヌは自らの腕を振るおうと厨房へ入っていたのだ。
(これでは……私のほうまで貧血で倒れてしまいかねませんね)
 血の滲む指を押さえるも、彼女の端正な顔は崩れない。
 小さく溜め息をつき、ツェリーヌはテーブルに転がり落ちたジャガイモを再び手に取ろうとした。
「……お前自ら料理をおこなうとは、珍しい事もあるものだな」
 ふいに背後から聞こえた声に振り返れば、そこにはいつもと変わらず無愛想なウィゼルの姿が。
 ツェリーヌを背中越しに覗き込み、しばしの無言。
 久方ぶりの料理に手間取っている事は、彼女の血の滲む指を見れば一目瞭然であった。
「この島へ来てから、私とあの人は任務を遂行する事ばかりを考えていましたからね。部下としてだけではなく、たまにはこうして、妻としての役目も果たしませんと」
 彼女の冷淡な口調は相変わらずだったが、ジャガイモの皮をむく後ろ姿はどことなく愛らしささえ感じられる。
 愛する夫の為にと懸命に下仕事をおこなう姿は、本来のツェリーヌから考えれば似つかわしくない光景だ。
 部下達の稀有の眼差しも多少恥ずかしくはあったが、彼女はそれ以上にオルドレイクの身を案じていたのだ。

 ――熱いお粥に息を吹きかけ、愛するあなたの口元へ運ぶ。
 口に含んだ拍子にその唇についた米粒を指先ですくい取り、微笑むのだ。
『……もう。あなたという人は、いつまでたっても子供なんですから』
『ならばツェリーヌよ。子供の一人寝は何かと心細いものだ。……今宵は添い寝を頼もう』
『あぁっ……、あなた……』

「ジャガイモで粥はできんぞ、ツェリーヌ」
「ものの例えです」
 素っ気無く答えるツェリーヌの耳は、背後から見てほのかに赤らんでいる。
 そんな彼女を眺めながら、ウィゼルは気だるげな面持ちで息を吐いた。
「今さらその程度の物事で、妻という己の身分を確認する必要もあるまい」
「どういう意味です?」
 ツェリーヌの問いにウィゼルは口をつぐむ。
 思わせぶりな事を口にしておいて、問われれば黙り込むというのは彼らしくない反応である。
 彼女の整った眉にわずかな苛立ちが現れた事に気づき、ウィゼルは仕方ないといった風に目を伏せると、おもむろに口を開いた。
「あのイスラという小僧に怪我を負わされた日から、お前はオルドレイクの部屋に通い詰めているだろう。……昨夜もお前達の声が廊下まで届いていたぞ」

 タン!

 ――瞬間、ツェリーヌの手に握られた包丁が勢いよく床に突き立った。
 重い振動音を響かせながら、床の上で垂直に踊る銀色の刃。
 それを見下ろす彼女の顔は、まるで熟れた果実のように紅潮している。
「……そう、なのですか。部屋からそんな声が」
 突き刺さった包丁を抜き取る手は小刻みに震えている。
 やはり情事の声を聞いた事を、本人に伝えるのはまずかったか。
 僅かに眉を歪めると、ウィゼルは静かにその場を立ち去ろうとした。
「……ウィゼル殿」
 ふと、ツェリーヌの声がかかる。
 振り向けば、彼女は背を向けたまま黙々とジャガイモを剥き続けている。
「夫の部屋でそれほど声が響いていたのですね。申し訳ありません」
「いや……俺のほうこそ済まなかったな。余計な事を言った」
「いいえ」
 しゃり。
 しゃり。
「夫に代わってお詫び致します。……良い事を聞かせて頂きました」
 しゃり。
 ツェリーヌの白魚のような手に包み込まれたジャガイモ。
 その皮は床まで伸び、途切れる事無くトグロを巻く。
 ――茶色の皮には、赤い汚れがこびりついていた。


 オルドレイクの寝室。
 彼は今なお、イスラによって刻み付けられた傷に苦しみもがいている……はずであったのだが。
「……ぁ……」
 ベッドに乱れ広がっているのは、長い赤毛。
 その持ち主である女は服を胸の上までたくし上げられ、オルドレイクに組み敷かれていた。
 彼の舌が女の胸を伝うと同時に、艶を帯びた声が静かな室内に響く。
「私の愛撫が心地よいのか?茨の君よ……」
「……はい」
 そう呼ばれた女――ヘイゼルは、彼の問いに目を伏せたまま頷く。
 オルドレイクは満足気に口の端を吊り上げると、再び彼女の胸へと唇を落とし始めた。
「…………」
 彼の頭を視界の片隅に置きながら、ヘイゼルは気だるい眼差しで天井を見つめていた。
 抜剣者達の動向を報告に来ればこの男はいつもこうだ。
 怪我の回復もまだ完全には至らないだろうに、その性欲は大したものだと呆れ果てる。
「少々早いかもしれんが……もうよいだろう」
 オルドレイクの指が彼女の下着に掛かる。
 いつもと変わらぬ行為。ヘイゼルはその言葉に無言で足を開き、彼を受け入れる体勢をとる。
「……ゆくぞ」
 乾いた秘部に男の熱が押し当てられる。
 多少の痛みは伴うかもしれないが、だからといって彼にこれ以上の愛撫を求められるような立場ではない。
 ヘイゼルは目を閉じ、押し込まれていく肉塊にわずかな吐息を漏らした。

「怪我の具合はどうだ、オルドレイク」

「うおぉッ!?」
 濡れ場へ突如として現れた客人の姿に、オルドレイクは素っ頓狂な声と同時に勢いよく跳ね上がる。
 同時に患部を通じて全身に激痛が走り、悶絶しながら床の上へと転げ落ちた。
「……そんな所で何をしている」
「貴様が驚かすからだろう、ウィゼル!!」
 幸いサングラスは外していたものの、顔面を打ちつけた痛みは相当のものだったらしい。
 涙ぐみながら鼻を押さえて睨み上げるオルドレイクには目もくれず、ウィゼルは依然ベッドの上に座り込んだままの彼女に視線を向けた。
「俺が尋ねたのはヘイゼル、お前の事だ」
「…………」
 呼ばれた彼女は無言のまま衣類を整え立ち上がった。
 ……この状況ならば、男女二人が何をしようとしていたかなど言わずと知れている。
 日常において、暇を持て余したオルドレイクが部下の女に手を出す事など珍しい事ではなかった。
「――ふむ」
 ウィゼルの視界に留まったのは、彼女の首や胸元に小さく色付く赤いアザ。
 それはまだ、跡が残って間もないものであった。


「――今後の事なら考えている。他にする事もないのだからしょうがあるまい」
 薄暗い照明に照らされた室内に男が二人。
 見るからにとても爽やかとは言い難い雰囲気の中、酒を片手に酌み合っていた。
 聞けばオルドレイクは、イスラに怪我を負わされてからは毎晩のようにヘイゼルに夜伽をさせていたらしい。
 琥珀色の酒を呷りながら、居直ったように答えるオルドレイク。
 その様子に盛んの王の二つ名も伊達ではないと心の中で呆れながら、ウィゼルは盃を音もなくテーブルに置く。
「ツェリーヌはどうした。あいつはお前の妻だろう。さっきなど、お前の為に甲斐甲斐しく料理などを作っていたぞ」
「う、む……」
「あいつとは随分ご無沙汰か」
 半ばからかうように、しかし真顔のままウィゼルは再び盃に酒を注ぐ。
 妻の名に眉を歪めるオルドレイク。
 その瞳に何故か困惑の色が浮かび上がった時、彼は小さく唇を動かした。
「…………事はない」
「ん?」
 僅かに届いた語尾に、ウィゼルは耳を傾ける。
 オルドレイクは一瞬ためらうように目を伏せると、溜め息混じりに口を開いた。
「私は、ツェリーヌと夜を共にした事はないと言ったのだ」

 ピシッ。

 銚子を持つウィゼルの指が凍りつく。
 わずかな亀裂が銚子の表面を瞬く間に走り、微量の酒が手首に伝い落ちていった。
 ……今のは幻聴か何かか。目の前に座る性欲の権化が発した言葉に、思わず我が耳を疑う。
 『夜を共にした事がない』。それは、つまり――。
「ツェリーヌを抱いた事がない、と……」
 その言葉にオルドレイクは首を縦に振る。
 ――信じられなかった。
 この絶倫男ならば、妻との夜の営みはそれこそ愛人に対する変態プレイを遥かに超越するような凄まじい代物なのだろうと思っていた。
 あの清楚かつ冷徹なツェリーヌからそのような状況を想像する事は困難であったが、まさか本当に「何もしていない」とは。
「……意外だな。お前ともあろう男が何故」
「それはこちらの台詞だ、ウィゼルよ。まさか貴様にそのような愚問を吐かれようとはな」
 自嘲気味に口の端を吊り上げ、オルドレイクはグラスの中身を一気に呷る。
 喉が焼けるような感覚に吐息を漏らすと、ウィゼルの瞳を間近に見据えた。
「……私がどのような立場の人間であるか、知っているか?」
「今さら何を言っている。お前は無色の派閥の大幹部――」
「私は『婿養子』だ」
 ………………。
 一瞬どこからか冷たい風が吹き抜けていくような気がしたが、おそらく気のせいだろう。
 無言のまま二杯目のウイスキーをグラスに注ぎ、オルドレイクは再びそれを喉へと流し込む。
 だん!と勢いよくグラスをテーブルに叩きつけると、彼は突如ウィゼルの胸倉を掴んだ。
「いいか。私は組織の中ではそりゃあ大層な地位に立つ人間かもしれんが、『セルボルト家』内においてはあくまで養子という立場に他ならない!これがどういう状況か分かるか!?当主といえば好き勝手やり放題のイメージがあるかもしれんが、これはまったくの勘違いだ!他の一族に籍を入れた以上、今まで縁のなかった赤の他人にまで親類関係が及ぶ始末だし、逐一妻の親の機嫌も伺わねばならん。どんなに仕事が忙しくとも月に最低一度は夫婦揃って実家に顔を見せろと言われる!……まあ、私も甘い理想に囚われ結婚後の現実とのギャップに苦しむ若妻ではないし、この程度は当然の事だと分かっているが……」
「長々と鬱陶しいぞ。要点だけを話せ」
「……つまり、そのような状況で、セルボルト家の大事な一人娘が身篭りでもすればどうなると思う」
 名家に生まれたツェリーヌは、一人娘という事もあって両親に有り余る愛情を注がれて育てられてきた。
 召喚師としての有能な血筋の継続の為におこなった政略結婚。
 それはこの手の家系ならば仕方のない事であったが、彼女の両親は今なおオルドレイクの任務に付き添う娘の身を案じ、たびたび彼に娘を守るようにと伝えている。
「無論、ツェリーヌの事は愛している。あの美貌、頭脳、魔力のどれをとっても私の伴侶となるに相応しい女だ。……しかし、私はまだ妻に子を身篭らせるつもりはない」
「何故だ、と聞いて欲しい顔だな」
 ウィゼルの言葉にうんうんと頷くオルドレイク。
「何故だ」
「私自身の時間がなくなるだろう。ツェリーヌが子供を産めばどうなる!?夫の君はツェリーヌをほったらかすのかだの子供の相手ぐらいしろだの休日は孫の顔を見せに来いだの!私が反抗できぬ婿養子という立場につけ込んで、きっと様々な注文をするに違いあるまい!そして極めつけは――」
 もはやどうでもよさそうな様子で、ウィゼルはテーブルに零れた酒を拭き取っている。
 まだ何か言いたい事があるのかとでもいうように小さく息を漏らし、目の前でドンドンと音を立てるオルドレイクに視線を向けた。
「聞かぬかウィゼル!」
「俺は貴様の愚痴を聞く為に来たわけではないのだぞ。……どうせ大方、ツェリーヌの親にいちいち従っていては他の女もロクに抱けんなどといった事だろう」
 テーブルに叩きつけていたオルドレイクの手がぴたりと止まる。
 驚愕に満ちた瞳を大きく見開き、やがてその口元に笑みが浮かんだ。
「……さすがはウィゼルよ」
 むしろそれ以外の理由が思い浮かばないのだが。
 逐一この男に何らかのリアクションを行うのも億劫と思え、ウィゼルは無言のままソファーにゆったりと傾く。
 柔らかな感触に背中を沈め、オルドレイクの後方に掛かる柱時計に向けて目を細めた。
 ――――そろそろ頃合か。
「……お前がツェリーヌを抱かぬ理由は分かった。だが、あいつも人の妻になった以上、いつまでも純潔を保ち続けるのはいささか苦痛らしい」
「……?『らしい』というのは――まさか、ツェリーヌが?」
 彼女は自分に対して不満などを漏らした事は今までに一度もない。
 自分にさえ言わない事を、なぜ赤の他人であるウィゼルに?
 心の奥底から湧き上がる嫉妬心に煽られ、オルドレイクは乱暴に立ち上がると目の前の彼に手を伸ばす。
 指先がウィゼルの襟元に届こうとした、その時――

「うっ……!?」

 突然オルドレイクの全身から力が抜け落ち、テーブルに突っ伏すようにその場へと崩れ落ちた。
 同時にボトルとグラスが倒れ、床で盛大な音を立てて砕け散る。
 ……一体何が起こったのか。
 まさか、毒が?しかし、それならば激しい苦痛を伴うはずなのだが。
 自身の体を包み込む感覚は、それとは遠くかけ離れた――。
「……な、何なのだっ……?」
 全身の筋肉を襲う脱力感とは裏腹に、頬は熱を帯び、鼓動は早まる。
 肌が、下半身が急速に疼き始めている。
 これは、もしかして……。
「さきほどお前のグラスに密かに薬を混ぜておいた。ようやくそれが効いてきたようだな」
「ウ、ウィゼ……るううぅぅぅ!?」
 おもむろに立ち上がったウィゼルに、オルドレイクの体がひょいと抱え上げられた。
 わけがわからず狼狽する彼をよそに、ウィゼルの足はそのまま部屋の奥へと向かっていく。
 彼が目指す先は――オルドレイク専用の大きな天蓋付きベッド。
 ……オルドレイクの口元が恐怖に引きつる。
 ウィゼルはベッドの前に立ち止まると、抱えた彼の体を無造作にシーツの上へと放り投げた。
「ふごっ!」
 またしても顔面から落下。
 再び打ち付けた鼻の痛みにうめくオルドレイクを仰向けに寝かせ、ウィゼルは彼の胸元のボタンを一つずつ外していく。
 一体この男は何をおっ始めようとしているのか。
 自由の利かない体で何とか目線だけを動かし、額に汗を滲ませながら思考を巡らせる先に辿り着いた結論は、ただ一つ。
「ま、待てウィゼル!!まさか貴様!?」
「案ずるな。すぐに済むはずだ」
「血迷ったか!?確かに私は自他ともに認める好色だが、貴様のようなむさ苦しい男に後ろを掘られるような趣味など――」

「ご苦労です。ウィゼル殿」

 オルドレイクの絶叫の合間に聞こえた女の声。
 その落ち着いた、しかしどこか冷然とした雰囲気を持つ澄んだ声色は彼がよく知るものだ。
 ウィゼルの背後に立つ彼女に恐る恐る視線を向けると――
「重症で寝込んでいる割には随分とお元気のようですね、あなた?この私を差し置いて、他の女と寝るなんて」
「お、お前は……」
 最愛の妻、ツェリーヌ。
 その端正な顔立ちには珍しく、笑顔などを浮かべている。
 しかし――その微笑みの裏に見え隠れするどす黒い感情は威圧感さえ覚えるほどに重苦しい。
「部屋の外で話は聞かせて頂きました。私を抱かれない理由が……そんな下らないものだったなんて」
 ツェリーヌは表情は崩さず、一歩、また一歩とオルドレイクに向かい距離を縮めていく。
「私は今まで、夫となる者の為に純潔を貫いてまいりました。そしてあなたに娶られ、組織ではあなたの部下として働き、あなたの妻となるに相応しい完璧な女となれるよう努めてきたというのに」
 その足はオルドレイクの前でぴたりと止まった。
 ツェリーヌの白くしなやかな手が眼前に伸ばされ、はだけられた彼の胸元へと滑り込んでいく。
「ま、待てっ……!」
 オルドレイクの制止の声も聞き入れはしない。
 指先が胸部で弧を描くように這い、やがて喉元をなぞっていく。
 同時に彼の口から漏れるくぐもった声。
 酒に混入されていた薬物が原因なのか。上気した彼の肌は、寸分の感覚も逃す事なく快楽へと変えていた。
 押し寄せる快感の波に耐えるように歯を食いしばるオルドレイクを嘲笑うかのように、愛する妻は唇を彼の耳元へと寄せる。
「まあ、あなたのような人でもこういう顔をされるのですね。……ふふっ、気持ち悪い」
「き、気持ち悪いとは――んぐっ!」
 恍惚とした彼女の顔が間近へと迫り、唇を重ねられる。
 不慣れなものではあるが、舌で唇をこじ開け、濃厚に口付けるツェリーヌ。
 やがて透明の糸を引きながら唇を解放し、オルドレイクの頬を愛撫する。
 ――その表情はまるで無垢な天使たちを見守る女神のような、極上の微笑み。
「あなたはどうにも、ご自分の立場をいまだお分かりになられていらっしゃらないようですね?婿養子という、セルボルト家の子孫を育む種馬という立場に」
「たっ、種……!?」
「無駄な種を撒き散らす前に、ご自分がするべき事はして頂かないと」
 馬乗りの状態でツェリーヌは自身の服に手をかける。
 肩からするりと抜け落ちた服の中から現れたのは、いまだかつて誰も触れたことのない彼女の裸体。
 透き通るような白い肌に、小振りだがふっくらとした柔らかな乳房。
 この状況にも関わらず、それを見上げるオルドレイクの喉は大きく上下した。
「愚か者には矯正を――。あなたの格言でしたわよね?」
「………………」
 お望み通り矯正してさしあげます。そう言って微笑む妻に、オルドレイクは引きつった笑いを浮かべる以外に術はなかった。


「――ウィゼル様」
 廊下を歩く先に見えた人物が、ウィゼルに言葉を投げる。
「ヘイゼルか」
 軽く会釈した彼女だが、その顔には僅かに不穏な気配が読みとれた。
「貴方はオルドレイク様の護衛という立場にあたる方でしょう。なぜツェリーヌ様に手を貸すような真似を」
「オルドレイクに『危険』が及ぶ心配はないと判断した。それだけの事だ」
 平然と即答するウィゼル。
 その口元には、彼には似つかわしくない悪戯じみた微笑が含まれていた。




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