ルチル様のお店 後編B



導き手を目指す彼の心はとても真っ直ぐで、とても強くて。
でも、凄く不器用なところもあって。
エイナはそんな彼が好きだと言った。
完璧な人間なんていないから、自分たちも不完全な存在だから、せめて生きる目的を見出して正しい道を歩んでいきたい。
自身の欠点を受け入れたり、立ち向かったり。そうやって、旅の終着点にたどり着いたとき――。
「その時こそ、完全でも不完全でもない、私たちの『理想の姿』になれるんじゃないかな?」
「エイナ……」
「この世界の人たちにもね、そうやって、皆が追い求める素敵な理想の姿になってほしいの。定着せし者から、前を見つめる人に――ね」
そう、立ち止まってはいけない。
辛く苦しい選択肢も、前進するためには涙を呑んで選ばなければいけない時もあるのだ。
……だから、エイナ。

「こんな俺を許してくれえっ……!!」
「なに一人で叫んでんの、アンタ」

閉ざされたテントの外には、『準備中』の看板が立てられていた。
看板の隣でぷかぷかと浮かんでいるのはムガだ。
その中で何がおこなわれているかは、この『支払い方法』を実行した者なら誰でも知っているだろう。
――薄暗い空間に男女が二人。
すでに一糸纏わぬ姿となったルチルは、顔をしかめるレオンに覆い被さっていた。
上半身の服をはぎとられた彼は逞しい肉体を曝け出してはいるものの、今はその姿がひどく頼りなげに見える。
自分よりずっと華奢な女性に服を剥かれ、おまけに押し倒される日がくるなんて。
レオンは抵抗のすべを失った生娘のように、儚く目を細めた。
「あの薬が欲しいんでしょ?観念して、大人しくアタシに食われちゃいなさいって」
薄く笑みを浮かべ、ルチルは彼の首筋に唇を落としていく。
少し冷たくて、柔らかい感触。
唇のすき間から覗いた舌先が、喉仏をちろりと舐め上げると同時に、レオンの肩がわずかに強張った。
「ん、ふっ……」
くすぐったいのか、それとも別の感覚が彼を襲ったのか。
無意識に漏らした声に、レオンは慌てて口をつぐむ。
「なに?女みたいな反応しちゃって」
「だ、誰が女だっ……あっ……!?」
「なるほど、こっちはちゃんと男みたいね」
ルチルの手がするりと伸びた先には、レオンの男性を象徴するものがあった。
ズボンの上からでも指を這わせれば、それが熱を帯びた状態だということはすぐに理解できる。
レオンもれっきとした男である以上、さすがに裸の女性を前にして平静を装うことは無理らしい。
「ニシシシッ♪口では嫌がってても、体は正直じゃねえかよ?なんちゃって〜」
軽口を叩きながら、ルチルは慣れた手つきで彼のベルトをほどき、ズボンを下ろしていく。
――中から現れた男性器は、皮肉にも彼の苦悩に満ちた心情とは裏腹に、力強く屹立していた。
「あらら、まだ何にもしてないってのに、もうこんなに大きくなっちゃってんの?」
ルチルの人差し指が彼の裏筋をつう、となぞる。
「う、ぁっ……!」
一瞬の刺激。
ただそれだけのことなのに、レオンの体を電流が駆け抜けるような感覚が襲った。
無垢なエイナの、たどたどしく優しい触れ方とは正反対の愛撫。
彼女の豊富な経験が物語るものか、悪魔として生まれた者が兼ね備える素質なのか。
瞬きほどの時間に与えられた感覚は、次の快感を乞うように思考を揺さぶる。
震える膝をなんとか制し、レオンは湧きあがる欲望に耐えようと奥歯を軋らせた。
「まったく……。このルチル様のテクニックを素直に受け入れない奴なんて初めてよ?ちゃんと心も体もほぐさなきゃ、上手く魂のカケラも奪えないってのに」
「そんなこと言っても、やっぱり俺には……っておい!?」
レオンの言葉も聞き入れず、ルチルは彼の股間へと顔をうずめていく。
――同時に男性器を包み込む、温かい粘膜の感触。
「むふっ……んむ。とりあえず、アンタの魂がわざわざ手間をかけて奪うほどの価値があるかどうか、味見させてもらうわ」
「だ、だからって、いきなりそんな所に食らいつく女がいるかっ……ちょ、待っ……!?」
「ここにいるじゃん」
この状況に持ち込まれた以上、彼女には何を言っても無駄らしい。
ルチルは男性器を咥え込むと、唇をすぼめ、上下に頭を動かし始めた。
……エイナにもいまだして貰ったことのない、口での奉仕をまさか他の女性で先に経験してしまうなんて。
心の中でエイナに対する懺悔を繰り返しながら、レオンは固く目を閉じる。
だが。
「目なんか閉じると、余計に神経が集中しちゃうよ?」
「うぅっ……!」
ルチルの細い指が陰嚢に絡み、優しく揉みほぐす。
同時に口内へと性器を導かれながら、鈴口を舌先でチロチロとくすぐられる感覚。
エイナの初々しい愛撫では味わうことのなかった未知の刺激が、目蓋の暗闇の中でその快感をより強めていく。
この手が、唇が、エイナのものなら。
閉ざした視界に浮かぶのは、愛しい恋人の顔。
しかしそれは、いつもの朗らかな笑顔ではなく、頬を染めた艶かしいものだった。
「えい、な……」
他の女性にこんなことをされながら、恋人の顔を思い浮かべてしまうなんて。
しかしエイナに対して罪悪感は芽生えど、愛撫によってとめどなく溢れる快楽は歯止めを利かせることも叶わない。
――ルチルの唇が、レオンの性器を深く咥え込んだ瞬間。
「ぐ、ぅっ……!」
レオンが低くうめく。
突如、弾けた粘液がルチルの口内に広がった。
「んっ……く。ずいぶん、溜め込んでたみたいね」
男の欲望とともに、口内へと流れ込んでくる魂のカケラが喉を潤す。
おまけに彼の、恋人以外の女性に体を任せたという罪悪感と苦悩の感情は、悪魔にとってこの上なく美味しい負の産物だ。
まだ切なく震える先端をちゅうと吸い上げれば、レオンの口から思わず声が漏れた。
「ニシシシッ♪なんだかんだ言ってる割には、結構ソノ気になってんじゃん」
「うるさいなっ。ふ、不可抗力だ」
「まあ、アンタも男だしねぇ」
「……で?どうなんだよ、俺の魂を味見したかったんだろ」
頬を上気させ、ふてくされた顔でレオンは尋ねる。
彼の言葉にルチルが口を開こうとした――その時。
「……あっ……!」
どくん、とルチルの心臓が震える。
体内に溜め込んだ魂のカケラとは比にならないほどの、圧倒的な存在が彼女の中で蠢いた。
「……ルチル?」
怪訝な顔で覗き込むレオンに、ルチルの視線がぶつかる。
更に脈打つ鼓動。
――こんな凄いモノ、今まで味わったことがない。手に入れたことがない。
目の前の青年を見つめ、ルチルは喉を大きく鳴らした。
「アンタ……凄いわ」
今まで小銭という形だけで、せこせこと魂の上っ面の断片を貰っていたのがバカらしくなる。
全身が火照るような、彼女自身の魂までもが疼くような、極上の味だ。
口の愛撫で手に入れた欲望だけでも、ここ数日で他の男たちから搾り取った魂のカケラなど比べ物にもならない。
やはり自分を見出せぬ『定着せし者』と、導き手を目指す『放浪者』では魂の輝きにも雲泥の差があるらしい。
これを強欲の貴婦人に献上すれば、間違いなく満足してもらえるだろう。
……しかし、これだけではどうにも量が少なすぎる。
「ねえ……レ・オ・ン?」
「なんだよ、その笑――」
ルチルの小悪魔的な笑みが本物の悪魔の微笑へと変貌した時――レオンの背に氷のような戦慄が走った。

「まっ、待て!もう少し心の準備をっ」
「なに言ってんのよ。もう充分に心の準備させてあげたでしょ?もちろん、アッチの準備も」
仰向けになったレオンの胸板に押し付けられているのは、ルチルの程よく膨らんだ二つの乳房だ。
彼女に全身をのしかかられているにも関わらず重みを感じないのは、そのしなやかな肢体のせいか。
それとも、今の状況に対するレオンの恐怖感が勝っているせいだろうか。
「ほらぁ……下半身のほうはまた戦闘態勢に入っちゃってるよ?使ってあげなきゃ可哀想じゃん」
「うぅっ……」
「それに、アタシのほうも」
レオンの手をとり、ルチルは自身の秘所へとそれを伸ばしていく。
――ぬる、と湿り気を帯びた柔肉に指先が触れ、彼の腕がわずかに震えた。
「今更なにビビッてんの?アタシのここに突っ込まなきゃ終わらないよ」
「それは分かってるっ、けど」
ルチルに導かれ、彼の指先は言葉とは裏腹に秘所をまさぐっていく。
陰唇の谷間で指を前後させるたび、愛液が絡みつき、上にずらせば小さな陰核が指先をつつく。
じわ、と再び温かい蜜が溢れたとき、ルチルの顔が恍惚に緩んだ。
「んっ。こんなに感じてるんだよ、アタシも……。中だって、ほら」
レオンの二本の指をつまみ、自身の陰唇を広げる。
もしや、とレオンが目を見開くと同時に。
「あぁ……んっ」
ルチルの嬌声がこぼれる。
狭く熱い肉に、指が飲み込まれていく感触がじわじわと伝わっていく。
時折締めつける窮屈さも、濡れた膣肉の柔らかさと潤滑がそれを心地よく相殺していた。
胸板に押し付けられた乳房と、指先に与えられる、とろけるような女の感触。
「る、ルチル……」
レオンの鼓動が激しく高鳴り始めた。
たとえそれが恋人ではない、おまけに悪魔という存在だったとしても、彼女の妖艶な姿は男の征服欲をかきたてる。
透明な糸を引く愛液と、濃厚な女の匂いにレオンの性器は一段と熱を増していく。
このまま彼女を抱けば、苦痛とともに耐え忍んだ欲望を解放できるのだ。
それに、本来の目的だった薬も手に入れられる。
この艶かしくも愛らしい女悪魔を目の前に、これほどの好条件を差し出されて迷う男などいるはずもない。
――だが。

「……悪い。やっぱり、俺には無理だ……」

「へっ?」
上気した体と女を求める下半身とは、まったく逆の言葉を口にしたレオン。
それを聞いて、ルチルが唖然と口を開けていたのはいうまでもない。
「い、いきなりどうしちゃったのよ!?アンタは薬が欲しかったんでしょ?」
確かに、そもそもこんな状況になったのは、レオンがエイナのために薬を手に入れようと思い立ったからだ。
それを断るということはすなわち、薬を手に入れる手段を失うということである。
困惑するルチルに、レオンはおもむろに口を開いた。
「お前が魂を欲しがるように、俺もエイナを抱きたいと思ってる。あいつが痛がるなら、何とかして苦痛を和らげる方法を探したいと思ってた。……だけどさ」
こんなやり方で方法を見つけたとして、はたしてエイナは喜ぶだろうか。
もちろん他の女を抱いたことを告白できるわけもないし、エイナをそうやって抱いたとしても、あとに残るのは彼女への裏切りと罪悪感だけだ。
初めてエイナの素肌に触れた日、お互いに初めてだと告げ、緊張しながらぎこちなく愛撫をし合った。
それは触れた相手が心から愛する者だから、心地よいと思うものだ。
心が何も感じない、体だけが満たされる性行為などできるわけがない。
エイナ以外の女性を抱くなど、レオンにできるはずがないのだ。
「お前を抱くことは、エイナを裏切ることだ。勝手なことを言って悪いが……今回の話はなかったことにしてくれないか」
そう言って体を起こすレオンを、ルチルは無言のまま見開いた目で見つめていた。
が、一瞬にして我に返る。
「ちょっ!?ちょい待ちなって!」
ルチルが慌ててレオンに飛びついた。
彼はようやく見つけた、極上の魂を持つ客だ。
強欲の貴婦人が満足げに微笑む姿を思い浮かべていた矢先にこの展開は、あんまりではないか。
ルチルの胸の中で、商人魂が音を立てて燃え盛る。
……なにか方法を見つけなければ。
一度だけでいい。彼の魂のカケラを、献上できるだけの量を手に入れる方法は……。
「待ちなってば、レオン」
二度目の呼び声。
しかしそれは、先ほどとはうって変わって、凄みをきかせたように聞こえた。
「アンタ、このルチル様にあれだけ奉仕させといて、あれっぽっちの魂しか渡さないつもり?」
「……え?」
「アタシの苦労に見合った分の魂をよこしてくんなきゃ、帰さないよ」
口の端を吊り上げ、八重歯を覗かせるルチル。
その顔は、まさに悪魔というべき冷たい微笑だ。
半分脅迫まがいの言葉に、レオンは狼狽の表情を浮かべる。
……本来強引なやり方というのは好まないが、この際背に腹はかえられない。
「お、おい。魂をよこすっていっても、俺はお前を抱くつもりは――」
「うんうん。それは重々承知したわ。だから、お互いが納得できる方法でやろうじゃないの」
ルチルの顔がレオンの眼前に迫る。
にっこりと彼女が微笑むと、再び口を開いた。

「アタシがアンタを抱くわ」

「んっ!?」
同時にレオンの口内へ、何か小さなものが放り込まれた。
思わず飲み下してしまい、レオンは口を押さえようとする――が。
「って、いきなり何だよコレはっ!?」
気がつけば、彼の上半身は一切の動きを封じるように、光を帯びた太い縄でがんじがらめにされていた。
「凄いでしょ?どんな猛獣も一瞬にして縛り上げちゃう狩猟用のアイテムよ。もち、ルチル様の商品の一つね」
「んなこと聞いてねえ!なんで俺がこんな状態になってるんだ!?」
「そりゃあ、大の男に抵抗されちゃ、これからアンタを好きなようにできないでしょーが」
「…………え?」
ルチルの言葉に、レオンがぴたりと動きを止める。
背中を冷たいものが流れていく気がした。
「レオン。これ、なーんだ?」
やたらと能天気な声に、ルチルが指差す先を見たとき――レオンの嫌な予感は見事に的中していた。
「うがあぁ――っ!!?」
絶叫しながら、レオンは「それ」から逃れようと全身を揺さぶる。
……ルチルの下半身にそびえ立つ物。
それは本来、女が持つはずのない物体だった。
びくびくと脈打ちながら、赤黒いそれは硬く張り詰め屹立している。
ルチルの手に添えられながら、その大きさは彼女の手に余るサイズだった。
「アタシはこれでも悪魔なんだよ?空間の移動に始まり、体の一部をちょっと変えるくらいワケないって」
「いや、そんなことはどうでもいい!一体今から何をやらかすつもりで……」
「さっきアンタに飲ませた薬、アンタが欲しがってた『どんな苦痛も快感に変えちゃう魔法の薬』の一粒よ」
一見すればつながりのない返答。
しかし、彼女の言葉はレオンの問いに、的確な答えを示していた。
レオンの顔が、みるみるうちに蒼白していく。
「極上の魂のカケラ、たーっぷり頂いちゃうからね♪」
快楽とともに魂を手に入れる方法で、何もルチルが絶対受け入れる側になる必要はないのだ。
そしてたった今飲まされた薬。
その二つが意味するのは――。
「お、俺が突っ込まれる側になるってことか!?」
「せいかーい!」
……マジか。
魂のカケラを手に入ようとする彼女の執念、およびその行動の発想にレオンの視界がぐらりと傾く。
「待てよ!?言っとくが、俺はそういう趣味はちっともっ」
「あら〜?エイナのためなら体を張って何でも頑張っちゃうアンタが、珍しいわねぇ。……それにさ、これを我慢しちゃえば、エイナにあの薬を持って帰ってあげられるんだよ?」
薬――。
ルチルの口にした言葉に、レオンの目が大きく見開く。
彼女の言うとおり、これを受け入れればレオンが望んだ品物を手に入れることができるのだ。
そのために、これまでエイナに懺悔を繰り返しながらルチルの愛撫も受け入れてきた。
このまま手ぶらで帰れば、彼を待っているものはエイナだけではない。
困難な性交の痛みに涙を浮かべる彼女を見つめながら、不器用な自分を責める「後悔の念」が待ち受けているのだ。
「エイナ……」
愛しい彼女が辛い目に会うのはもう、見たくない。
エグゼナに囚われた彼女を、ただ見ていることしかできなかったあの時を思い出す。
(あいつにばっかり、辛い思いをさせるわけにはいかないだろ……)
痛みを和らげてやることもせず、その体に強引に凶器を押し込むことなんてできはしない。
レオンは小さくため息をつくと、ルチルに向けて顔を上げた。
「……言っとくけどな、これは浮気じゃないぞ、エイナを裏切るわけじゃないぞ?薬を手に入れるために、ちょっと俺が辛い目に遭うだけだ」
「分かったなら話は早いわね。んじゃ、極上の魂のカケラを頂くとしますか!」
ご機嫌な表情で、ルチルはレオンの上へと覆いかぶさる。
……体格のいい青年の脚を割って、華奢な女が下半身を寄せるその光景はあまりにも異常だ。
視界の端にチラつくルチルの昂ぶりから必死に視線を逸らそうとするが……。

(――無理!絶っっ対、ムリッ!!)

レオンの額から、滝のように汗がにじみ出る。
さきほどはあれだけ彼女の肌の温もりに欲情を覚えていたというのに、今はそれがとてつもなくおぞましく思える。
粟立つ肌を強張らせ、レオンは目と口を硬く閉ざした。
「……ねえ、飲ませた薬は効いてるんだよ。痛くはしないから、もうちょっと可愛い顔できないの?」
「できるかっ!!」
本来抱く側として生まれてきた自分が、なぜか受身に、しかも女相手にそれをされるのだ。
脳裏に浮かぶ、屈辱以外のなにものでもない感情を必死に振り払い、レオンはルチルを見据える。
エイナのためだ。エイナのためだ。エイナのためだ。エイナの……。
「くっ……!!」
男としての自分の情けなさに、悲しささえ感じる。
不覚にも、ルチルを捉える視界が淡く揺れ始めた。
「ちょっ、なんかアタシが強姦するみたいじゃん!そういう顔やめてってば……」
「い、いいからとっとと済ませろ!お前は悪魔だろ?好き勝手やりたいようにやるのは得意分野だろうが」
さすがに困惑の表情を浮かべる彼女に、レオンは声を張り上げた。
虚勢以外のなにものでもないその叫びは、テントの中に虚しく響く。
ルチルはしばらく黙り込んでいたが、やがて手のひらをそっと、彼の頬に当てた。
同時に、何か恐ろしいものにでも触れられたように、レオンの肩が跳ねる。
「……ぅ」
硬く目を閉じながらも、顔を横に背けるその表情は苦痛そのものだ。
薄く開いた口から、震えるような呼吸が途切れ途切れに聞こえている。
「………………」
ルチルはレオンのそんな姿を見つめながら――やがて、大げさに息を吐き出した。
「……なんか、やる気なくしたわ」
「えっ?」
驚いて目を開けば、そこにはくたびれたように流し目を向けるルチルがいた。
くしゃくしゃと髪の毛をかきながら、彼女は気だるげな声で続ける。
「あ〜、やっぱダメだわ。アタシ、悪魔のクセに無理矢理ってのはどうにもできない性分なのよね。つーか、よがってもない相手と無理やりヤッたって、全っ然面白くないし」
ぶつぶつとつぶやきながら、ルチルはごそごそと道具箱の中を探り出す。
「それに、このお色気と魅力たっぷりのルチル様が、嫌がる男相手にむりやり擦り寄っていっただなんて、輝かしい男狂わせ遍歴に泥を塗るのもいいトコロよ。……ほらっ」
そう言ってレオンに何かを放り投げる。
慌ててそれを受け止めると、手の中に納まったそれを見て、彼は目を丸くした。
錠剤の入った、小さなガラスの小瓶。
もしかして、これは……。
「アンタの欲しがってた薬。さっさと持って帰って、エイナを喜ばせてやんな」
「ちょ、ちょっと待てよ!?俺はお前に魂のカケラを渡してないぞ!それなのにくれるなんて――」
「……は?アンタ、バカですか?」
しかめっ面で相手を挑発する姿は、相変わらずの悪魔らしい姿だ。
しかし、ルチルは八重歯を覗かせると、微笑しながらレオンに指を突きつけた。
「アンタはお得意様だからね。ツケよ、ツ・ケ!あとで絶対に全額払ってもらうかんね!」
「ルチル、お前……」
「言っとくけど!……逃げても一生追いかけてくよ?悪魔ってのはしつこい生き物だからね」
普段はそのふざけた態度に腹を立てることもあるが、今は彼女のそんなイタズラじみた笑顔が何よりも可愛らしく見えた。
守銭奴だったり、ズルイことをしたり、騙したりすることがあっても、彼女はそうしながらいつもレオンたちにさりげない協力をしてくれていた。
悪魔でありながら、他の悪魔のように強引に人の魂を奪わずに、こんな方法で細々と魂のカケラを集めているのも彼女なりの優しさだ。
悪魔なのにどこか憎めないルチルに、レオンはようやく口元をほころばせた。
「それに、一応『前金』は貰ってるしね。……アンタのアレ、なかなか濃くって美味しかったわよ?ニシシシッ♪」
「お、おい!『秘密厳守』は絶対に守れよ!?」
「分かってるって。でも、ツケの払いが遅いとどうなるか分かんないよォ?」
「わーっ!分かった分かった!なるべく早く返すから!」
「ほんじゃ、とっとと帰りなさいよ。エイナが待ってるんでしょ?」
「あ、ああ。……ありがとな。ルチル」
そう言って、にこりと微笑みあう。
恋人とか、そういう関係では決してない、不思議な温かみを心の中に宿して。

――駆け足で消えていくレオンを眺めながら、ルチルは再び大きなため息をついた。
「アタシもヤキが回っちゃったわねぇ……。人間なんかを相手に、あんな高価な商品をツケちゃうなんて」
そして、最大の後悔が頭をよぎる。
「……結局、アイツの極上の魂も貰い損ねちゃったしさぁ」
がっくりとうなだれながら、思い浮かぶのは強欲の貴婦人の額に浮きあがる、太い青筋。
……ヤバイ。今月は、絶対にヤバイ。
「あーっ!こんな甘チャンだから、毎回成績最下位でダメ悪魔なんて言われるんだよアタシはぁ!!」
「ムガガ〜……」
思わず吠えるルチルの頭に、心配そうに表情を沈めたムガが降りる。
コウモリのような羽で優しく髪の毛を撫でる仕草は、彼女のことを慰めようとしてくれているのか。
「む、ムガムガぁ……!」
友人の優しさに、ルチルの瞳が潤む。
そう。自分は一人ではないのだ。
いつもそばにはムガがいてくれる。
一緒にご飯を食べて、寝て、商売して、ときには元気付けてくれる素敵な友達が。
「ありがとう、ムガムガ。このルチル様がいつまでもくよくよしてるなんて、ガラじゃないよねっ」
ぐすんと鼻をすすると、ルチルはさっそうと立ち上がった。
――目指す先は、次の土地。
「行こう、ムガムガ!そろそろ次の場所に行く時間だよ!よーしっ、レオンなんかよりもっといい魂を持ってる奴に出会うまで、アタシはずーっとこの世界で商売してやるんだから!」
「ムガムガーッ♪」
「……ところでね、ムガムガ?」
「ムガ?」
突然声をひそめたルチルの頬は、なぜか赤らんでいる。
「次の場所はね、馴染みのライオンの爺さんがいる山なんだけど……最近、そこに結構イイ男が出入りしてんのよね」
「ム、ムッガーッ!?」
「綺麗な顔でね、悪魔心をくすぐるっていうかぁ、悪魔のお姉さんがイイ事教えちゃおうか?みたいなっ」
「ムガムガムガアァッ!!」
「でしょでしょ!?これはもう、絶対食うっきゃないよね!?よっしゃ、さっそく今から食いに……もとい商売しに行くぞーっ!」


「んぅっ……あっ、レオン……!」
強張っていたエイナの体は、次第にその快楽に気づき始めていた。
最初はただの異物感でしかなかったものが、今は体内へ飲み込むほどに溺れるような心地よさをもたらしている。
レオンの熱を受け入れる彼女の秘所は、初めて触れ合った時とは比べ物にならないほどに柔らかくほぐれ、潤っていた。
それでも生娘としての肉の狭さは変わることはない。
むしろその快楽は、エイナの膣肉をより淫らに蠢かせ、レオンを締め付けていく。
気を抜けば果ててしまいそうになるほどの刺激に、彼は唇を噛んだ。
「エイナ……大丈夫か?」
「うん、平気だよ……。それにしても凄いね、この薬。全然痛いと思わないんだもん」
「そ、そうか。よかった。やたら高いだけはあったな……やっぱり」
「え!?そんな高価な薬だったの!?ごめん、私のせいで……」
「き、気にするなって!お前の痛みを取り除けたことを考えれば、お釣りがくるくらいさ」
五十万バームというツケは、正直果てしない借金額だ。
今後旅を始めることを考えれば、労働してお金を返すという正当な方法は正直いって絶望的である。
それなら、ファイファーやノヴァ、白夜にいる仲間たちに少しずつお金を借りて……。
(う……絵に描いたような借金地獄絵図だ……)
次々に浮かび上がる光景を振り切り、レオンは目の前のエイナを見つめた。
今は、ようやく望み続けていた彼女との契りを達成できた時なのだ。
余計なことは一切考えず、この時だけは溶けるような快楽だけに身を委ねていたい。
「エイナッ、俺、もうっ……!」
愛しい女性の中で、欲望が弾ける。
同時にエイナがか細い声を上げ、レオンを強く抱き締めた。
脱力しながら性器を抜き取ると、彼女の愛液に濡れた入り口から、ゆるゆると白い体液が溢れ出す。
純潔を失った証がそれらに混ざり、淡いピンク色へと姿を変えた。
「お前と同じ色だな……」
性交で乱れた彼女の茂みを見つめ、レオンが思わずこぼす。
その言葉にエイナは紅潮しながら頬を膨らませた。
「もう、ヘンなこと言わないでよっ」
体を起こし、彼女はベッドの脇に置かれた薬の瓶を見つめた。
破瓜の痛みを解決してくれた、感謝すべき薬。
これのおかげで、なかなか上手くいかなかった交わりがようやく成功したのだ。
しかし。
「ねえ、レオン。……次からは、これ無しでしよっか?」
「お、おい。いいのか?もう少し慣れてからでも」
「いいの。薬の力じゃなくて……そのままの体で、キミを感じたいから」
「あ……」
微笑むエイナにつられ、レオンの頬が無意識に染まっていた。
たった一回分であの大金を犠牲にしたのかと思うと、苦労して薬を手に入れたことが何だか悲しくなる。
しかし、あれほど交わることを痛がっていたエイナが、ありのままで自分を求めてくれるなんて嬉しすぎることだ。
少しもったいない気もするが、彼女が望むことなら異論などあるはずもない。
「ってコトで、さっそく二回目いこっか?レオン♪」
「お、お前、いきなりか?……まったく」
エイナを抱き寄せると、レオンは火照った彼女の頬に優しく口付けるのであった。


一方その頃、ルチルはテントを閉め切り『準備中』の看板を立てかけていた。
またどこかの客から、体で魂のカケラを頂戴しているのだろうか。
――その時、テントの中から絶叫とも嬌声ともつかない声が響く。

「ああぁっ!!んはぁっ!あ、ふぅっ……!」
耳まで赤く染めたルチルが、ぐったりと地面に倒れこむ。
その秘所もまた赤く充血し、白濁した粘液を溢れさせていた。
じり、とその体を覆う影に、ルチルの口元が引きつる。
「もう終わりかい?こっちはまだ払い足りないんだけどね」
以前から目をつけていた例の美男子が、目の前にいる。
最近はオヤジとのねちっこい行為ばかりを繰り返していたから、たまには気分転換に――と、彼に体での支払いを求めたのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
「お、お客さんっ!もう、さすがに充分だから、これ以上はっ」
「そんなことはないだろう?あれだけ沢山買い込んだのに。もっと払わせておくれよ」
青年はにこりと涼しい笑みを浮かべ、ルチルの耳元へと唇を近づける。
「――ファイファー様のお魚代」
「ああぁ――っ!!」
膣内を突き上げる肉塊に、再びルチルが絶叫した。
今までの男たちなど足元にも及ばない太さの剛直が、膣の入り口から最奥を際限なく往復し、蹂躙する。
肉襞を強引に擦られ、白い液体が飛ぶように滴り落ちた。
熱さと痛みに加え、奥底から掻き出される快楽の波がルチルの思考を溶かしていく。
「ほ、本当にっ、おかしくなっちゃうからぁ!やっ、あああぁぁっ!!」
「ははは、お釣りはいらないよ」
「そーゆー問題じゃないっての!」
「いいじゃないか。……『現役導き手』の魂のカケラが沢山手に入るなんて、君にとっては願ってもないことだと思うけど?」
女性と見紛うほどに端正な顔で、とんでもない行動をやってのける導き手――ノヴァ。
まさか、レオンたちがかつて探していた人物と、こんな所で出会うなんて。
しかも清楚な笑顔の割に、やってることは悪魔よりも容赦がない。
「さあ、夜はまだまだ長……いや、この世界は永遠の白夜なんだよね。それじゃあ、僕が満足するまで付き合ってもらおうか」
「いいぃっ!?」
「エグゼナに囚われている間はひどく人肌恋しかったものさ。……久々に楽しめそうだよ」
「た、楽しめそうって!アンタもう充分楽しんだでしょうがっ!?」
「いやだなあ、こんなのはまだ序の口だよ。年頃の男が長期間溜め込んでた欲望を、こんな短時間で解消できると思うかい?……それにね」
ノヴァの白魚のような手が、そっとルチルのあごを掴む。
彼女を見据えるその瞳は、彼の行動とは裏腹に恐ろしいほど澄み切っていた。
「君みたいな可愛い子が相手なら、男はいくらでも欲望を起き上がらせることができるんだよ?」
「うっ……」
あまりにもベタなそのセリフも、彼の甘い声とともに囁かれれば胸が勝手に疼いてしまう。
全身を襲う性行為の疲労感さえ吹き飛んでしまうほどに魅力的な彼の妖しい笑顔に、ルチルは口の端を引きつらせた。
「も、もう勘弁して欲しいけど……ああっ、やっぱイイ男だからもうちょっと……」
「はははは、それじゃあ続きを始めようか」
「いや、でもその前にちょっと休憩……ああぁあ――っ!!」
「ムガ〜……」
獅子ヶ峰に響く声は、のどかに山彦となって反復する。
テントの外でぷかぷか浮かびながら、ムガはそのこだまにため息をつくだけであった。


後日、サプレスでルチルが異例の量の魂を持ち帰ってきたという噂が広まった。
おまけにそれは類を見ないほどに極上のもので、強欲の貴婦人からは褒美まで授かったという。
しかしなぜか異様にげっそりとしていた彼女は、以降、支払方法をお金だけの方針に戻したとか何とか。
ファイファーいわく。
「『過ぎたるは及ばざるが如し』。何事も、ほどほどが一番ということだな。うむ」


おわり

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