君といつまでも 1




『君は僕にとって、この世界で一番大切な……たった一人の女の子なんだからな』

二つの季節が巡り、それでも「彼」を待ち続けた少女。
その想いが奇跡を起こしたのかどうかは分からない。
だが、彼は――ネスティは、こうしてトリスの元へと帰ってきたのだ。
トリスの腕に包み込まれた彼の温もりは、確かに彼の存在を証明していた。
長く辛い時を経て、ようやく打ち明けられた互いの想いはこれからも揺るぐことはないのだろう。
『大好きだよ、ネスッ……!』
ネスティの胸に頬をうずめ、トリスは目を閉じる。
穏やかな、規則正しい鼓動。
ネスは、確かにここにいるんだ――。


「君は バ カ か?」
「…………」
穏やかな日差しが窓いっぱいに溢れる朝。
小鳥のさえずりが心地よく庭に響く。
だが、それは目の前の兄弟子の怒声で瞬く間に飛び去ってしまった。
苛立ちながら眼鏡を持ち上げ、ネスティは目を伏せる。
「珍しく時間通りに起きてきたかと思えば、『今日の課題は全部明日に回して欲しい』だと!?」
「だ、だから!今日は用事があって――」
「どんな用事だ?」
「う……」
「僕に言えないようなことか」
口ごもるトリスに、ますます不機嫌をあらわにするネスティ。
ため息をつくと、机の上に山積みとなった本に視線を向けた。
そこにある大量の召喚術に関する書物は、どれも彼がトリスのために用意したものだ。
ネスティを待ち続けた二年間、トリスは召喚士としての務めなどまるで忘れたように「大樹」へ祈りを繰り返していた。
それは当然彼女の召喚に関する知識や力を衰えさせ、これからの任務に支障をもたらす結果となっていたのだ。
派閥の任務などの合間に勉強を教えていても、彼女の召喚術に関するブランクは想像以上のものだった。
もうすぐあれから一年は経つと思うが、実力ばかりが先行して知識は相変わらずというのが悲しい。
……今日の勉強に関しても、前々からトリスに伝えてあったこと。
いまだにサボり癖が直っていなかったのかと、ネスティは呆れたように彼女を見る。
「明日絶対やるから!ねっ?」
「そのセリフは、僕が眠りにつく前から君の得意な言葉だったな。……それにどうせ、用事といってもくだらないことだろう」
「なっ……」
その言葉に、トリスの表情は突如凍りつく。
いつもなら頬を膨らませて言い返す彼女だが、今日に限ってはそれ以上何も口にしようとはしなかった。
ただ、何かを言いたげに唇を噛み締めたままネスティを見上げる。
「言いたいことがあるなら、黙ってないで言えばいいじゃないか」
煮え切らない態度。
トリスの不審な態度が彼にとっては余計に苛立ちへの拍車をかける。
もともと気の長いほうではないネスティだから、こういう事をすれば彼が不機嫌になるのはトリス自身もよく分かっていたのだが。
「……く、くだらないことよ、どうせ!でも、何が何でもあたしは今日絶対にサボってやるんだから!」
「おい!トリス!?」
捨て台詞を残して部屋を飛び出したトリスに、ネスティは再び大きなため息をついた。
……前はもっと、自分の気持ちを包み隠さず口にする妹弟子だと思っていたのに。
わけの分からない気持ち悪さに眉を歪め、ネスティは机に積み重ねた書物を片付けようと手を伸ばす。
「――朝から随分と賑やかじゃのう、ネスティ」
「義父さん?」
背後から聞こえた声に振り向けば、ドアの隙間から覗き込むように苦笑を浮かべて立つ、ラウルの姿があった。
「ワシはトリスの事情は知らんが……あの子は本当に「くだらない」理由で、あそこまで勉強を拒むような子ではないと思うんだがな」
それなら、他にどういう理由で勉強をサボるというんだ。
ネスティは義父の言葉に悩むように口を閉ざす。
(トリスが何か正当な理由でサボる?そんなわけが)
「外を見ると、何か思い出さんか」
ラウルの言葉に、何気なく視線を窓に向ける。
外はネスティの心境とは正反対に穏やかな天候だった。
庭の若葉が柔らかい日差しを受けて、綺麗な木漏れ日を芝生に落としている。
目を癒すような青い木の葉が、風に揺られてはらはらと舞い落ちていた。
(そういえば……僕がこの世界に戻ってきたときも、木の葉がこんな風に――)
はっ、と、ネスティの脳裏に一つの可能性が浮かび上がった。
「義父さん、もしかして……」
「ワシは知らんぞ。……あと、ワシがこう言ったことは、トリスには秘密にな?」
トリスは秘密にしていることなのだ。
それに、ラウルにも確信はない。
人差し指を口の前で立て、ラウルは微笑していた。

(今日は……ちょうど僕が、この世界に帰ってきた日じゃないか……)


「も〜っ!ネスのバカバカ!!あたしのことばっかり世話やいて、自分のことなんてちっとも覚えてないんだからぁ!」
ベッドにうつ伏せになりながら、バタバタと手足を動かすトリスはまるでダダをこねる子供にしか見えない。
舞い上がる埃に、うざったそうに顔をしかめるのは護衛獣のバルレルだった。
「うるせェなニンゲン!ガキみてぇに騒いでんじゃねぇッ」
「……だって」
潤んだ目を擦りながら、トリスはゆっくりと身を起こす。
……せっかく前からアメル達に相談して決めていたのに。
ネスティが帰ってきたこの記念の日に、こっそり皆でお祝いの準備をして驚かせようと思っていたのに。
「あんなに怒ることないでしょ……。ケンカまでしちゃったし」
トリスのつぶやきも、バルレルにとってはただのノロケ話にしか聞こえないのだろうか。
耳の穴を小指でぐりぐりしながらアクビをするその姿は、完全に他人事という感じだ。
「あ〜、じゃあメガネのお祝いなんざヤメちまえよ」
「やだっ!絶対やるんだから!だからバルレルも手伝ってよーっ!」
「がっ……!やめろ、やめやがれニンゲン!」
バルレルの小さな肩を掴んで揺さぶりながら、トリスは大音量の声を部屋に響かせていた――。


(……こういう場合、僕はどうすればいいんだ)
賑やかなゼラムの町並みをトボトボと歩きながら、ネスティは一人重々しく思案に暮れていた。
拳を握り締め、思い出すのはラウルに言われたひとつの提案。

『どうせなら、お前もトリスに何かプレゼントをあげてはどうだ?なぁに、もしお祝いじゃなければ、違うときにでも渡せばいいじゃないか』

(もし僕たちの予想が外れていたら……もの凄くマヌケだぞ。しかも別の機会に渡すっていうのはさすがに……)
しかしお祝いというのが本当なら、今朝トリスにあれだけ辛らつな言葉を投げておいて、こちらからは何も贈らないというのも男として情けない。
――ぴたりと立ち止まれば、目の前にあるのは最近若い女性に人気があるというブティックだった。
以前フォルテに街中を連れ回された時、彼がそんな事を言っていた気がする。
「…………」
ネスティの口元が無意識に引きつる。
きょろきょろと周囲を見回すが、知り合いは歩いていないようだ。
もしこんな現場を誰かに見られでもしたら……。
『ネスティ・バスク。女性用ブティックに単独で進入』
……あまりの状況の不自然さに、笑いどころか恐怖におののかれる可能性がある。
(誰も見ていないな……よし)
小さく深呼吸し、ドアに手をかけた瞬間。

「はぁいお客様ぁ♪どんなお召し物をお探しで!?この私にかかればアッという間に素敵なコーディネートを――って、あれま?」

地面に突っ伏したネスティを見下ろす店員――パッフェルは、首をかしげたまま笑顔で固まっていた。


いつも一つに束ねている髪はほどき、身を包む黒いスーツに合わせた化粧をほどこしたパッフェル。
一見彼女とは思えないほどに「おしゃれな店の店員」となっていた彼女だが、やはりいつも通りのテンションまでは変わることはなかったらしい。
「なるほどー……。それはまた、嬉しくも困りモノですねぇ」
応接室に案内され、ネスティは額の痛みに耐えながら、出されたお茶を黙々とすすっていた。
詰め寄られたパッフェルにひとしきり理由を答えさせられた後の彼の姿は、なぜかいつもより数倍老け込んで見える。
「でも安心しちゃいましたよ。ネスティさん達ってば、今まで一向に恋人らしい雰囲気を見せなかったんですもん」
「ぶふっ!?」
彼女の突然の発言に、思わずネスティはお茶を噴き出す。
咳き込みながらパッフェルへ視線を向けると、彼女はどうかしたのかという風に首を傾げていた。
「こ、恋人だなんて、僕とトリスはそんなっ……」
「お互いの気持ちはご存知なんでしょ?だったらそうじゃありませんか」
確かに二人はお互いのことを想い合っている。
いまだに口論をすることはたびたびあるが、その気持ちは間違いないだろう。
……しかし、「恋人」という表現は、二人の関係には程遠いものなのだ。
そのまま黙り込むネスティを見つめるパッフェルの脳裏に、ある疑問が浮かび上がった。
「もしかしてネスティさん、まだトリスさんに何もしてないんですか?」
「なっ、なななっ!?」
一瞬にして紅潮していくネスティの頬が、その答えを示していた。
成人男性とは思えないほどの初々しい反応。
以前から、異性に対するその手の経験は薄いほう(むしろゼロ)だろうとは思っていたのだが……。
予想以上の慌てっぷりに、パッフェルは思わず苦い笑みを浮かべてしまう。
「な、何もしていないというのは、その、僕は――」
「ネスティさんは、トリスさんを恋人だと思っていない。おまけに、女性として求めたいとも思っていない。……それってつまり、本当はそれほど彼女を愛してないってことじゃありませんか?」
「別に……そういうわけじゃない」
「じゃあ愛してるんですね?」
「あ、愛とか、僕はトリスにそこまで深くっ」
ネスティが言いかけたとき、ふわり、と鼻先を甘い匂いがかすめた。
それと同時に自身の体へ覆いかぶさる、柔らかな感触。
……これは。
「って、何をやってるんだあなたはっ!?」
瞬く間の出来事だった。
ネスティの隣へ腰を下ろしたパッフェルは、その豊満な肉体を彼の体へと押し付けていたのだ。
しなやかな腕がネスティの首へと絡み、長い赤毛が彼の首筋を撫でる。
突然の出来事に狼狽するネスティをよそに、妖艶な笑みを浮かべたパッフェルは唇を動かした。
「いえ。ただこうやって、ネスティさんにお手伝いをして差し上げようと思いまして」
「お手伝い……?」
「――トリスさんを、一人の愛する女性として扱ってあげる自信があなたにあります?」
色仕掛けのようにしなだれてきたかと思えば、急に真剣な表情をする。
だが、彼女の問いに肯定ができないネスティは、そのまま押し黙ってしまった。
沈黙が支配する空間に痺れを切らしたのか、彼を見つめていたパッフェルは再び口を開く。
「私があなたに女性の魅力を教えれば、トリスさんにもちゃんと愛情を感じられるんじゃないですかねぇ?」
そう言ってルージュに濡れた唇の間から、ちろりと舌を覗かせるパッフェル。
その姿は普段の彼女からは想像もつかないほどに艶かしく、ネスティの瞳に映り込んだ。
女性の魅力……。
沈黙の糸が切れたように、ネスティは顔面を紅潮させながら激しく首を振る。
「み、魅力って!何を考えてこんなっ」
急展開過ぎる事態がまるで飲み込めず、口をぱくぱくと震わせる彼の姿がよほど面白いのか。
パッフェルは腕を絡めたまま含み笑いし、更に体を寄せていく。
――ネスティの視界がパッフェルで覆われると同時に、彼の太ももに柔らかくずっしりとした重みが加わった。
「女性の体の感触……どうですか?ネスティさん」
「……あ……ぅ……」
向かい合うような体勢で、ネスティの膝にまたがるようにパッフェルが腰を下ろしているこの状況。
彼女の二の足が大胆に開かれ、男としての欲望のままに視線がそこへと釘付けになる。
スリットから覗く白い太ももを見て「黒のガーターストッキングか……」などとネスティが考えたかどうかは知らないが。
いや、むしろそれよりも。
「わ、悪ふざけは大概にしてくれないか!もし誰かが来たら――」
「あらら、誰かが来たら困るようなことを期待しちゃってるんですか?」
豊満な胸を押しつけ、ネスティを見上げる。
獲物を追い詰めた猫のような表情で、楽しそうに目を細めるパッフェル。
そのしなやかな手が彼の首筋に滑り込んだ瞬間――。
「だ、だだだ駄目だっ!!僕はっ、トリス以外の人とは!好きでもない人とそんなこと出来るわけがっ!!」
耳をつんざくような大声とともに、ネスティはパッフェルの体を突き放していた。


「いやー。ネスティさんの本心が聞けて良かったです。一芝居うった甲斐があったってモンですよ」
「何だって!?」
服を整えながらあっけらかんと言うパッフェルに、ネスティが思わず叫ぶ。
彼女はまるで詫びる様子もなく、平然と笑みを浮かべていた。
「だって、ああでもしないとあなたの本当の気持ちが分かりませんでしたから。素直じゃないんですもの」
「う……」
トリスに厳しく当たるのは、それだけネスティが彼女を想っているから。
今日のプレゼントにしても、信憑性の曖昧な「ネスティのお祝い」のことを心の片隅で信じていたから。
彼女を一人の女の子として好きだという事実を、まっすぐに肯定しようとしない彼は、あまりにも歯がゆく見える存在だった。
「トリスさんに厳しく接するなら、ご自分の気持ちをちゃんと自覚した上でやってくださいね?中途半端な気持ちのままじゃ、一生懸命な彼女が可哀想ですから」
パッフェルに言い返す言葉もなく、ネスティはうなだれる。
その姿に困ったように微笑みながら、パッフェルはソファから立ち上がった。
「さあ!一緒にトリスさんへのプレゼントを選びましょう?お昼からは私のケーキ屋に戻らなきゃいけないんで、素早くいい物決めちゃいましょうね!ルゥさんがお店でテンパってるといけませんし」
「ああ、すまない。ところで……ひとつ聞きたいんだが」
「はい?」
ネスティのつぶやきに振り返ると、彼は頬を染めながら視線を逸らしていた。
「さっき……もし僕が、理性を捨てて襲い掛かってきていたらどうするつもりだったんだ?」
「あははっ。ネスティさんはそんな人じゃないって分かってますから」
パッフェルの、裏表のない笑顔の答え。
その表情にネスティが安堵の息を吐くと、彼女は更に付け加える。
「万が一何かがあっても、ネスティさんの腕をひねるくらい造作もありませんし」
「…………」
いろんな意味で容赦のないコメントに、ネスティは無言で納得する他なかった。


つづく

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