君といつまでも 4



夢のような光景だった。
ベッドの上に、一糸纏わぬ姿のトリスがいる。
恋人としての「誓い」を、三年目にしてようやく果たす時がきたのだ。
「……女のあたしよりガチガチになってるよ、ネス」
「わ、わかってるっ。少しは静かに……んっ!?」
言いかけたネスティの唇を、柔らかい感触が覆った。
眼前にあるのは――トリスの顔。
瞬間、ネスティの脳内で、一族の過去にまつわるデータがめまぐるしい勢いで回り始める。
いまだかつて経験したことのない事態を、どうすれば上手く切り抜けることができるだろうか。
今までは辛いものでしかなかった融機人の記憶が、初めて役に立つときが――。
(……ない)
プライベートな部分に関してはカットされているのか、性に関する詳細なデータは一切見当たらなかった。
愕然とするネスティだが、その意識はすぐに現実へと引き戻された。
「うわっ……!?」
トリスの小さな舌が胸元を撫で、彼女の手はネスティの下腹部へと進んでいく。
胸にかかる甘い吐息に、ネスティの肌が粟立った。
「あははっ、ネスの顔、真っ赤だよ」
「トリス、君はっ……」
「あ、あたしのこと、やらしい奴だって思わないでよね?何もしてくれないネスが悪いんだから」
そう言われて、今の状況に気づく。
どちらかといえば男であるネスティがリードするはずが、彼はさっきから緊張し続けているのだ。
自分がどこまでも頼りない男のように思え、ネスティは口元を歪める。
「ねぇ、ネスも……きゃっ!?」
突然トリスの背中がベッドに沈むと同時に、その唇はネスティに奪われていた。
いつもの彼からは想像もつかないような、乱暴なほどに激しいキス。
ぎゅ、と控えめな乳房を揉むと、トリスの体がわずかに震えたのが分かった。
「んっ……んぅ、んっ」
重ねた唇から時折漏れる声は、ネスティが乳房を撫でるたびに熱のこもったものへと変化していく。
硬く尖った乳首をつねると、彼女の背中はびくりと反応を示した。
「あぁっ、ぅ……!」
唇を離すと、トリスの口からは甘い嬌声が惜しみなく吐き出された。
彼女自身予想外だった声の大きさに、思わず頬が紅潮する。
口を押さえて黙り込んでしまったトリスが面白くて仕方ないのか、ネスティは思わず笑みを浮かべた。
「君だって、顔が真っ赤だぞ?トリス」
「もう、ネスったら……!」
怒ったような口調にも関わらず、トリスの顔はどことなく嬉しそうに見えた。
大好きな男性と、初めて素肌で触れ合えたこと。
そして、彼もそれを望んでいることに対しての喜びだ。
高鳴る鼓動とともに、体は熱を増していく。
「ネス、もっと……触って欲しいんだけど」
「も……もっと、というのは」
頬を染めたまま、小声で囁きかけるトリスにネスティは狼狽する。
ひとつの行動に移るたびに、振り出しに戻ったように緊張する彼の姿は新鮮で何だか面白い。
しかしそれを指摘すれば、彼のことだからきっとむくれてしまうのだろう。
(やっぱりムード優先、だよね)
「どうした?」
首を傾げるネスティに、トリスは笑みを浮かべながら首を振った。
今はそんなやりとりは抜きで、お互いに触れ合っていたい。
腹部から下へと降りていく彼の手のぬくもりを感じながら、トリスは静かに目を閉じていった。

「はっ……んぅ」
陰唇を撫でるネスティの指先に絡み付いているのは、トリスの熱い蜜だった。
陰核をそっと指の腹で刺激するだけで、彼女の口からは艶かしい声が上がる。
もっとその声を聞きたいと思うのはやまやまだが、さすがに他の部屋まで漏れてしまっては困る。
「ネスッ……あぁ、んぅっ」
嬌声の漏れる唇を塞ぎ、彼の指は狭い膣内へと潜り込んでいく。
「んんっ、んぅっ!」
初めて体内に受け入れた異物感。
痛みや不快感はないにしても、その感覚は経験のないトリスにとって多少の恐怖ともいえるものだ。
彼の指から逃れようと、トリスは思わず腰を揺さぶる。
そのたびに愛液に満ちた膣内はくちゅくちゅと水音を立て、ネスティの興奮を高めていった。
「トリス……ここは壁が薄いんだぞ。あんまり大きな声を出すと」
「でもっ……んっ」
ネスティの髪が、トリスの下腹部を撫でる。
まもなくして柔らかい感触が、彼女の秘所を這い始めた。
――舌先が陰核をついばみ、指は絶え間なく内部を攻め立てる。
ぞくぞくとした快楽が腹のそこから湧き上がってくるような感覚がトリスを襲い、彼女はとっさに口を押さえ込んだ。
「うぅ、ふ……ん、むっ……!」
ネスティの舌が敏感な部分を攻めるたび、トリスの手で覆われた口からはくぐもった声が漏れる。
声を自ら抑える彼女の姿はなぜか妙に色っぽく見え、ネスティは思わず息を呑んだ。
「はぁっ……ネス、あたし、これ以上ヘンな声出したくないよ……」
潤んだ瞳で見つめるトリスは、その秘所さえもが同様に潤っていた。
ひくひくと蠢く膣口から、蜜があふれ出している。
「う……」
艶かしい彼女の姿に、ネスティは思わず視線を逸らしてしまう。
この状況ならどれだけ彼女を見つめても構わないはずだが、どうにも気が引けると思うのはやはり彼らしいというべきだろうか。
顔を真っ赤にしながら愛撫を中断してしまった彼を見て、トリスは戸惑いながら口を開いた。
「あたし、充分ネスに気持ちよくしてもらったし……今度は、ネスが気持ちよくなる番だよね?」
「トリスッ……」
頬を染めながら、トリスはゆっくりと自身の脚を開いていく。
潤った秘所に指を添え、おそるおそる花弁を押し広げてみせた。
ぎゅ、と目を閉じるトリスの表情はどことなく怯えたものにも見えたが、それは彼女なら当然のことなのだろう。
彼女の言おうとしていることを瞬時に察し、ネスティの鼓動が大きく跳ねた。
「ネス……あたしの初めて、貰ってくれる?」

「ああっ……、う……!」
今までに味わったことのない痛みが、じくじくとトリスの中へ広がっていく。
まだ誰も受け入れたことのない彼女の膣内は、ネスティの侵入を拒むように締め付けていた。
「す、すまない。その、僕もこういうのは勝手が分からなくてっ……」
ネスティが深く入り込むたびに、トリスの口からは小さな苦痛の声が漏れる。
彼女の固く閉ざされた目が薄っすらと開くと、吐息混じりにネスティへ笑顔を浮かべてみせた。
「だい、じょうぶ。ネスのだもん……。ちょっとは痛いけど、今すっごく……嬉しいから」
「嬉しい?」
「だってあたし、ずっと前からネスと……こういうことをするのに憧れてたんだよ」
破瓜の痛みに耐えながらも、笑い掛けようとするその様子がたまらなく可愛らしい。
そっとトリスに唇を重ね、ネスティは自身を最奥まで貫いていった。
「んんっ……!!」
激しい痛みにトリスの体が震える。
彼女の頬を一筋の光が伝ったとき、ネスティは慌てて唇を解放した。
「トリス、本当に大丈夫なのかっ?無理ならやめるから……」
「やめないでっ」
トリスの腕がネスティの背中へと回された。
震えながらも力強い指先は、彼を離すまいと必死にしがみついている。
やめて欲しくない。そう訴えるように彼女はネスティを見つめていた。
「証明してくれるんでしょ?あたしの恋人ってこと……。だったら、最後まで……して」
「あ……」
ここまできて、もはやためらう事などないはずだ。
火照った二人の体温と、繋がった互いの体。
これまで一度も恋人らしいことをしてあげられなかったトリスを、今夜愛してあげること。
それは、ネスティに初めて課せられた、彼女への誓いの印なのだから。
「ああっ、んっ……あぁっ!」
膣内を激しく擦る肉の熱に、トリスは高く声を上げる。
だがそれは、先ほどまでの痛みを訴えるものではなかった。
愛する人に求められる喜びと、痛みの中で目覚め始めた未知の快楽。
奥深く貫かれれば貫かれるほど、彼の愛情を受け入れられる気がした。
「くっ……う……」
次第に荒さを増していくネスティの呼吸を感じ、トリスは彼を強く抱き締める。
経験上の知識はなくとも、彼の体が次に何をしようとしているのかは分かっていた。
「いいよ……ネスのこと、大好きだから」
「トリ、スッ……!」
――トリスの体内に深く突き立つ感覚。
ネスティが小さくうめくと同時に、彼の体がわずかに震えた。

「なあ、トリス……」
「なに?」
服を身にまとうトリスの背中に、ネスティは静かに声をかける。
どことなく重々しい雰囲気の彼に、トリスはきょとんと首をかしげた。
「こういう関係になってから言うのは卑怯かもしれないが……実は、今まで君に黙っていたことがあるんだ」
「黙っていたこと……?」
「本当のことを言えば、君が僕から離れていきそうな気がしたから」
彼の言葉を聞き、トリスの表情がわずかに曇る。
思い悩むように目を伏せるネスティの口から、小さな息が漏れた。
今までも彼はトリスの一族のことや、彼自身の出生を頑なに何年も胸の内に秘め続けていた。
そんな彼が、それ以上に黙秘を貫き通してきたこととは一体何だというのか。
トリスはごくりと喉を鳴らし、ネスティの言葉の続きを促すように頷く。
「君も知っての通り、僕は融機人という機械と生身の融合した存在だ。大樹から元の姿に戻って、僕は抗体の薬を必要としない体にはなったけれど、それでもこの身が融機人のものであることに変わりはない」
以前ほど肌に機械部分は露出していないが、能力を使えばその模様は自然と肌に現れる。
一族の膨大な記憶のデータも引き継がれたままだし、機械とデータの交換をやりとりすることにも支障はない。
「そして、その繁殖能力は同種族間において非常に乏しいものなんだ。それが他種族と結ばれるとなると……子供の生まれる確立は、限りなくゼロに近い」
「ゼロに……近い」
「むしろ、僕の一族の記憶の中では成功例がないようだから、不可能と言ったほうが正しいのかもしれない」
それっきり、ネスティは口を閉ざしてしまう。
……つまり、彼はトリスに子供を宿してあげることができない。
愛する人の子供を産めないということほど、女性にとって辛いものはないだろう。
真実を告げる勇気のなかった自分に、怒りを通り越して悲しささえ覚え、ネスティは髪の毛をくしゃりと掴む。
「なぁんだ、そんなこと?」
「…………え?」
トリスの、その場の雰囲気とは正反対の明るい声に、ネスティは驚いて顔を上げる。
見れば、安堵の息を吐く彼女が困ったような笑みを浮かべていた。
「思わせぶりな言い方しないでよ、ネスったら!どんな凄い事実が判明するのかって、心配しちゃったじゃない」
「じ、充分驚く話だろう!君は……悲しくないのか!?不安にならないのか!?子供が作れないということはっ……」
言いかけたネスティの口を、トリスの人差し指がぴたりと止める。
思わず反論を忘れるネスティの顔を、彼女は間近に覗き込んだ。
「ねえ、ネス。ラウル師範がお父さんで、今幸せ?」
「あ、当たり前だ」
「ホントに?不満があったりしない?」
「バカを言うなっ!血は繋がっていなくても、義父さんは僕にとって大切な人だっ」
「じゃあ、あたし達が将来迎える弟子も、あたし達のことをきっとそう思ってくれるよねっ!」
――ネスティとラウルが、互いを本当の家族として愛すように。
そして、「家族」という繋がりを持たないトリスを、二人が家族のように愛しているように。
将来は自分たちも小さな弟子を愛し、育てていこう。
トリスはそう言って、ネスティに微笑みかける。
「血の繋がりを増やすだけが、家族を作るっていうことじゃないでしょ?そりゃあ確かに、ネスの子供を産めないのはちょっと残念だけど……でも、こういうのもいいんじゃない?」
「トリスッ……」
昔はあれほど悩みの種と考えていた彼女の楽観的な性格が、今はとても頼もしいものに見える。
どんなときでも、トリスはいつもそうやって思い悩むネスティに前向きな言葉を投げかけてくれていた。
それは今でも変わることはない。
辛い過去を背負い、子孫を残すこともできないと知りながら、ネスティは幼い時代ですべてを拒絶しながら生きていた。
その頃の彼は、まさか将来は仲間たちに囲まれて、愛しい女性と結ばれることになるとは予想もしていなかっただろう。
熱いものがあふれ出した目元を慌てて押さえ、ネスティはうつむく。
「……ありがとう」
「ちょっ、ネスらしくないわよ?調子狂うじゃない!いつもみたいにバカって言ってくれなきゃっ」
「ふふっ……そうだな。ここは本来なら、バカがつくほど楽観的な君を、僕が呆れてやる場面か」
「もう、ネス!?」
いつも通りのやりとりが、これほど楽しいものだと思ったのは初めてかもしれない。
――二人がしばらく笑いあった後、トリスは突然ぽんと手のひらを叩いた。
「そうだ!すっかり忘れちゃってたんだけど、実は今日、ネスが帰ってきた日の記念パーティーをするつもりだったの!」
「ぼ、僕の……?」
てっきり自分の思い込みだと考えていたものが現実と知り、思わず緩む口をネスティは慌てて引き締める。
「予定だともうすぐ始まることになってるから、早く先輩たちの家に行こうっ?」
そう言って差し伸べられるトリスの手。
視線が合うと、彼女はネスティに向けて満面の笑みを浮かべてみせた。
ふと、さっき彼女が口にした言葉が思い浮かぶ。

『ネスはこれからあたしのこと、女の子として扱ってくれるのね?』

火を灯したように、ネスティの頬が熱くなっていく。
「……と、トリ、ス」
ぎこちなくネスティは手を出すと――トリスの手をそっと、包み込んだ。
「向こうに着くまで……繋いでおこうか」
「えへへっ、そうだね」
たどり着けば、そこにはトリスたちが一生懸命作った料理と、ネスティを祝う仲間たちの笑顔がある。
今夜は楽しい時をみんなと過ごそう。
そんなことを話しながら、二人は期待に胸を膨らませていた――。


――のだが。
「……なっ、何だ、この有様はっ……!?」
「もしかして、もう終わっちゃってたりするの……?」

パーティー会場となるはずだった広い食堂。
そこに、かつてあったはずの豪勢な料理の数々は存在していなかった。
トリスとネスティの眼前に広がる光景。それは……。
「ごめんなさい、二人とも。あたしたちがちょっと目を放した隙に……こういうことになっちゃってて」
申し訳なさそうに深々と頭を下げるアメルの背後には――ひとりの悪魔の姿があった。

「……バルレル。アンタもしかして、これ」
「おう。まあまァだったぜ」
この小さな体のどこにそれだけの量が入ったのか。
彼は膨らんだお腹を撫でながら、満足そうに楊枝で歯を掃除していた。
「テメェはメガネの野郎とどっか行っちまうしよォ。これじゃパーティーも中止かと思って、オレが綺麗に片付けてやったってワケよ」
「なんですってえぇ――――っ!?」
テーブルの上にあった数々の料理は、どうやらバルレルがすべて平らげてしまったらしい。
トリスの脳裏で、今までの苦労が走馬灯のように駆け巡っていく。
この日のために、何度もアメルに料理の特訓をしてもらったのに。
ネスティに、美味しいと言ってもらいたかったのに。
「ああぁ……」
がっくりとうなだれるトリスの横で、ネスティは呆然と立ち尽くしていた。
「……まあ、過ぎたことは仕方ないよね……。料理はまた作れるし、もう一度――」

「トリス。僕はひとつ大事な用事を忘れていたよ」

突然、ネスティの抑揚のない声がトリスの声を遮る。
しかしそれは、普段のただ無愛想なだけの声色とは明らかに違っていた。
今にも爆発しそうな怒りを限界まで抑え込んだ、とてつもなく恐ろしい何かを感じさせるそれに、周囲は水を打ったように静まり返る。
彼が無言のまま懐から取り出した物体。
――それを目にしたとき、全員の目が驚愕に見開いたのは言うまでもなかった。
「お、おいネスティ!?パーティーでやる一発芸にしちゃ派手すぎるぞ!」
「………………」
「ネスティ!返事しなさいってば!?」
フォルテとケイナの叫びにも答えず、ネスティが掲げたのは――鉛色の、サモナイト石だ。
彼の視線が向かう先は、今回の事件の発端となった悪魔・バルレル。
「危うく忘れるところだったよ。……貴様には、少し灸をすえたほうがいいのかもしれんな」
「あァ?」
「トリスに妙なマネをしただけでは飽き足らず、パーティーまで台無しにするとは……断じて許さんぞ!!来い、ベズソウ!!」
「ちょっ、ちょっとネスウゥ!?ここっ、家の中!家の中!!」
もはや怒りが頂点に達した彼には、何を言っても無駄なのか。
その頭上にけたたましい金属音を立てながら現れた召喚獣に、ネスティは鋭く指をさす。

「コマンド・オン、ギヤメタルッ!!あの悪魔を粉微塵に切り刻めぇっ!!」

「しかも殺す気かよネスティ!?」
「少しは落ち着きなさいってばぁ!」
「争いはやめてください!話し合えばきっと……」
「ヤル気かァ?クソメガネ!そっちこそ狂嵐の魔公子に喧嘩売って、タダで済むと思うんじゃねェぞ!!」

盛大な音とともに、豪快に飛び散っていく食器、家具、壁。
華麗なパーティー会場だったはずの食堂は、いつしか血で血を洗う戦場へと化していた。
「……ネ、ネス。パーティーを自分で再起不能にしてどうすんのよ……」
目の前で繰り広げられる騒動を眺めながら、トリスは小さくつぶやいていた……。


「食堂から轟音が聞こえたんで飛んでくれば……あんな事態になっていたとはねぇ」
「すみません、ミモザ先輩……」
「修理費は、すぐに出せとは言わないけれど、急がなくていいとも言わないわよ?」
「はい……」
怒りをギリギリまで抑え込んだミモザの笑顔に、トリスは小さくなりながら頭を下げる。
パーティーをおこなうはずだった日の翌日。
二人の男の暴走によって破壊されつくした食堂を修理する大工たちに混ざり、トリスたちは木材を運んでいた。
「すまなかった、トリス。僕は……頭に血が上りすぎていたみたいだ」
トリスの横で木材を下ろし、ネスティは憂鬱な表情で彼女を見る。
「もういいよ。それよりネスに貰った服、来週のデートに来ていこうと思うんだけど……どうかなっ?」
「あ、ああ。いいかもしれないな」
ネスティがパッフェルに薦められて買ったプレゼントは、薄い紫色のワンピースだった。
一度目の前で着てもらったが、とてもよく似合っていたのを覚えている。
再びあの姿を見ることができる喜びに、ネスティの顔は無意識に緩んでいた。
「オイ、昼間っからノロケてんじゃねェぞ。テメェら」
「わっ!?」
突然背後から掛けられた声に振り返ると、そこには本来の姿に戻ったバルレルが。
彼の背中には、その体の何倍分もの木材が抱え込まれている。
圧倒された大工たちがぽかんと見つめているのも気に留めず、彼はしかめっ面のまま大げさに息を吐いた。
「この気高いオレを、どこまでぞんざいに扱いやがれば気がすむんだァ!?ったく……」
「そもそもの原因はバルレルなんだからしょうがないでしょ?それに、誓約解けば木材運びも簡単でしょうし。さあ、仕事仕事っ」
木材を抱えて歩いていくトリスを眺めながらその場に残ったのは、ネスティとバルレルと、気まずい雰囲気。
ケッと舌打ちし、バルレルはぶつぶつと文句をつぶやいている。
「ホントに人遣いの荒いオンナだぜ……。ここがサプレスなら、大抵の奴はオレを前にひざまずくってのによ」
「なら、とっととサプレスに帰ったらどうだ?トリスのことは僕が守る。君はめでたく護衛獣を卒業できるわけだ」
口の端を吊り上げ、嫌味たっぷりの口調でネスティが言う。
正式にトリスと恋人関係になれた今、彼女を守るという立場であるバルレルは、ネスティの男としての立場を危うくしかねない存在だ。
おまけに先日のような悪ふざけが再発しないとも限らない。
しかしネスティの考えをよそに、バルレルはノンキな表情で彼を見返した。
「その予定は当分ねェなァ。ここにはオレの大好物の酒があるし、それに」
「それに、何だ」
眉をしかめるネスティの耳元に、バルレルは小声で囁いた。

「オレはアイツを……トリスを、気に入ってるからな?」

「…………っ!?なっ!?なななっ!?」
彼の一言に思わず飛び退き、ネスティは口をぱくぱくとわななかせながらバルレルを見つめる。
バルレルは八重歯を覗かせながら、無言で笑みを浮かべているだけだ。
さっきの爆弾発言は、何かの聞き間違いか。いや、それとも……。
「おーいっ、ネスにバルレル!おしゃべりは後にしなさいってば!作業遅れちゃうわよ?」
硬直していたネスティの思考を、トリスの声が一瞬で溶かした。
――そうだ。他の誰がいようとも、すでに彼女は一人の男の恋人となった存在なのだ。
この先、強い絆によって結ばれた二人の関係は崩れることなど絶対ないだろう。
ネスティは一人で頷きながら、トリスへ視線を向けると。

「もう、やめなさいってばバルレル!」
「ケッ!偉そうにオレに指図しやがって。テメェのちんちくりんな体じゃあ、やれる作業の量もたかが知れてるんじゃねェのかァ?ホレホレッ」
「ちょっとー!」

「…………」
バルレルがトリスの頭を、満面の笑顔でくしゃくしゃと撫で回している。
それを眺める周囲の表情の、なんと微笑ましいことか。
――つう、とネスティのこめかみを、冷たいものが流れ落ちていく。
「ま、待てバルレル!トリス、離れるんだ!そいつは限りなく危険な存在だっ!!」
「え?そりゃあ、バルレルは悪魔だし……あたしも知ってるけど」
「意味が違うっ!!……やっぱり君は、バカだあぁぁ――――っ!!」
……例えトリスと結ばれようとも、今後彼女に降りかかる火の粉は一生払い続けなければならない。
鈍感な恋人を持つ兄弟子・ネスティの苦労は、まだしばらく続きそうだ。

「ふふっ。正式な恋人同士になっても相変わらずですね、トリスたち」
絶叫しながらうろたえるネスティを眺めながら、差し入れのおにぎりを持ってきたのはアメルだ。
早々にそれを口に放り込みながら、バルレルはニヤニヤと口の端を吊り上げる。
「ホント飽きねェぜ、アイツら。特にメガネの野郎はからかい甲斐がありすぎるってモンだ」
「そういえば、聞きましたよ。昨日の二人の喧嘩って、どうやらバルレル君が原因だったみたいですね?」
「ヒャハハッ!笑えるだろォ?オレが冗談でちょっかい出したのを、メガネの野郎がはやとちりして」
「へぇ〜。『冗談』で、トリスを『襲った』んですか」
「あァ、そう――」
アメルの慈愛に満ちた笑顔がバルレルに向けられる。
豊穣の天使・アルミネ。彼女の魂のカケラであるアメルの微笑みで、心を癒されない者などいないだろう。
しかしその表情に……狂嵐の魔公子が戦慄を覚えたのはいうまでもなかった。

「ん?今バルレルの悲鳴が……あれ?」
「どうした、トリス?」
振り返ると、こつ然と姿を消したバルレルに気づき、トリスは首を傾げる。
彼のことだから、どうせまたどこかへサボりに行ってしまったのだろう。
「バルレルのことなら放っておけっ。ここにいたら、また何をやらかすか分かったものじゃないからな」
「あははっ、ネスはバルレルに対しては相変わらず厳しいね」
誰のためだと思ってる。
ネスティは口元をひくつかせながら黙り込んだ。
「ねえ、ネス。昨日のことなんだけどね?」
ふいにトリスはネスティに近づき、背伸びをする。
「あたしたち、子供は作れないけど……でも、その、ね」
「ん?」
きょとんとする彼に、しばらくためらいの表情を見せた後、トリスは頬を染めながら耳元に囁いた。
「昨日みたいなコトは……時々、しようね?」
「…………っ!!!!!!」
直後、ネスティの顔だけでなく耳までもが一瞬にして紅潮する。
頭の中で昨日のトリスの艶かしい姿が再生され、彼の体はガチガチに硬直していく。
「そ、そうだな。……まあしかし、僕が君に召喚術の知識を充分に教えるまではお預けだ。少しでも早く、君を正式な一人前の召喚士にしてあげたいからな」
「むぅ……。ネスってば、やっぱり勉強第一なのね」
「君はバカか?いまさら何を言ってるんだ」
当然とばかりの顔で息を吐くと、ネスティはトリスを見下ろした。
「一番は、君に決まっているだろう」

「………………」

「なんだ。何かおかしいことでも言ったか?」
今度はトリスが顔から湯気を発生しながら、ぼんやりとその場で突っ立っていた。
……彼の恥ずかしいと思う言葉と、思わない言葉の基準がまったく分からない。
「目標があれば、君の勉強もはかどるだろう?それも踏まえての、僕なりの考えだ」
「あ、あはは。人には言えない目標だよね、それ」
「――こらこら、トリスにネスティ!?おしゃべりは後にして、仕事しなさーいっ!」
「ご、ごめんなさいミモザ先輩っ!!」
「すぐに取り掛かります!!」
ミモザの声に、二人は慌てて木材を拾い上げる。
体を起こしたとき、ふと、再び目が合った。
――これまで色々な困難があったけれど、それもお互いがいればいつだって切り抜けられてきた。
これからも、二人一緒ならきっと大丈夫だろう。
目の前の愛しい人を見つめながら、トリスとネスティは互いに笑い合う。
「よーしっ!それじゃ、張り切っていきますか!大工さん、材料どうぞ!」
「君はバカか!そっちはもうペンキを塗る段階だろう」
「もう、バカバカ言わないでよネスってばぁ!」
聖王国の都市・ゼラムに広がる大空。
それは二人の幸せを祝福するかのように、どこまでも青く澄み切っていた――。

その後、バルレルがアメルによって現場に連れ戻されてきた。
彼はアメルの背後で、蒼白の顔で異様なほどに礼儀正しい振る舞いをしていたらしいが……真偽のほどは謎である。


おわり

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