お詫びのしるし 前編



「……う、うぅ……」
椅子に座りながら、うるんだ瞳で一点を見つめるアティ。
その先には、頭に痛々しそうなコブを作ったカイルの姿があった。
アティはおそるおそる手を伸ばし、その膨らみに細い手を伸ばす。
ちょこん、と指先がそこに触れたとき――カイルの頭を激しい鈍痛が襲った。
「いでえぇっ!!」
「ご、ごめんなさいカイルさんっ!やっぱり痛いですかぁっ!?」
「そう思うならそっとしとけっ!」

――ことの始まりは、二人が森の中を散歩していたときだ。
ユクレス村の付近を歩いていた彼らが見つけた数本の果樹。
それは、大きな実をいくつもぶら下げる天然のナウバの木だった。
中でもひときわ目を引いたのが、一本一本が標準の二倍はあるかもしれない巨大な一房の固まりだ。
目を輝かせながらはしゃぐアティは、カイルが見守る中、実を採ろうと一目散で木に駆け登ったのだ。
そして……悲劇は起こった。

「私が木の幹から足を滑らせたせいで……カイルさんの頭にこんなものが……」
自分の身よりも常に他の誰かを守ろうとする彼女。
それなのに、よりによって自分の恋人を危ない目に遭わせてしまった。
自己嫌悪に陥りながら涙ぐむアティに、カイルは痛みに堪えながら笑みを作る。
「だから、気にするなって。お前が俺の上に落ちてきたわけじゃねえ。お前を助けようとして、俺が自分で飛び込んで下敷きになっただけだよ」
その結果、アティを受け止めはしたものの、バランスを崩してカイルは後頭部を地面に叩きつけることとなった。
――頭はいまだに痛みを持つが、その痛みは愛しい恋人を助けた勲章だ。
そう誇らしげに語るカイルに、赤面するアティを取り囲む仲間たちが感嘆の声を上げる。
「へえ、結構カッコイイこと言うじゃない。カイルったら」
「あ、でも……アニキのほうが、先生よりも木登りとかは得意なんじゃないの?代わりに登ってあげてれば良かったのに。先生に登らせないでさ」
「うっ……!」
何気ないソノラの言葉に、カイルの口の端が引きつる。
気まずそうに泳ぐ彼の視線は、無意識にある場所へと注がれた。
……アティの際どいほどに短いスカートから覗く、三角形の暗闇の奥。
「なるほど。下から、ねえ」
容易に察したスカーレルとソノラの視線は、羨望から絶望の眼差しへと変化した。

「早ッ!いやその、そうだけどよっ、なんつーか、過程より結果を見てくれよ!」
すでに時遅しというふうに目をそむける二人を眺めながら、アティはただ一人、状況を把握できずに首をかしげている。
彼らのやりとりを笑顔で眺めていたヤードが、そのときようやく口を開いた。
「まあ、お話はその辺にしておきましょう。今はカイルさんに治癒魔法をかけるのが先ですよ」
カイル自身もストラを扱えるが、この状況で自らの後頭部を治癒できるほどに気を集中させるのは難しい。
紫色のサモナイト石を取り出したヤードに、アティは慌てて飛びついた。
「お願いします、ヤードさん!早くカイルさんのタンコブを元にっ……」
「ええ。己の欲望を優先してアティさんを危険にさらしたのはともかくとして、戦闘要員が欠けることは好ましくありませんからね。さあカイルさん。私の部屋にご同行願いましょうか」
「あらヤード。ピコリットはこっちよ」
「おや失敬。こちらはスヴェルグでしたか」
乾いた笑顔でサモナイト石を取り替えるヤードを、カイルは冷や汗交じりに見つめていた……。


「……このまま今回のことを終わらせちゃってもいいんでしょうか……」
台所の片隅。
食事当番のアティは、料理に使うジャガイモを手のひらで転がしながら、一人思案に暮れていた。
自分が食い意地を張ったばかりに、カイルの頭を怪我させてしまった。
それは召喚術ですでに癒したものの、もしあの時、打ち所が悪ければ今頃――。
最悪の状況を想像し、アティは身震いする。
「もし、カイルさんがいなくなったら……」
今まで特別他の誰かと親しくすることなど、ほとんどと言っていいほどなかった。
そんな彼女がお互いに「家族」と思い合えるまでに親しい間柄となった仲間たち。
そしてその中で……生まれて初めて確かな恋愛と呼べるものを経験し、体を許した相手がカイルだ。
最愛の男性が自分のせいでいなくなるなんて事があれば、きっと正気でいられなくなる。
……ふと、胸のうちに焦燥感が生まれる。
「か、カイルさん、本当に大丈夫なんでしょうかっ?表面のタンコブだけ治して、実は脳内の大出血がそのままなんてことは……あわ、わわわっ!」
「うぉっと!?」
慌ててカイルのところへ向かおうと振り返って駆け出した途端、アティの顔に何かがぶつかった。
……痛む鼻を押さえながら見上げると、そこには当の本人であるカイルの姿が。
驚きに目を見開く彼は、アティの目元に光るそれに気づき、困ったように笑い掛ける。
「おいおい、こんなところで何泣いてんだ?」
「は……」
アティのうるんだ目元を指でぬぐい、頭をぽんぽんと撫でる彼は健康そのものの様子だ。
彼女の心境を察したのか、カイルは大げさに息を吐く。
「もう心配いらねえって。ピコリットに治して貰ったあと、念のためにストラもやっておいたからな」
「ダメですよっ!更に念を押して、あとでラトリクスで精密検査もして貰わなきゃ!」
「……お前、そんなに俺のことが心配なのか」
頬を染めながら言葉を失うアティに、カイルは呆れつつも嬉しさは隠せない。
このどうしようもなく他人を思いやり過ぎるところも、彼女の魅力のひとつなのだから。
「だって、カイルさんが怪我をしたのは私が原因ですし……。このままで済ませたら、私の気が治まりません」
他人を責めることはないが、自分に対してはとことん責めてしまうアティ。
カイル自身が怪我のことを気にしていなくても、彼女は何としても見返りを差し出したいようだ。
アティは困った顔で下唇を噛む。
――その仕草に、カイルの胸の奥がわずかに疼いた。
恋人のために必死で尽くそうと苦悩する彼女が、あまりにもいじらしく可愛らしい。
……ふっ、とアティの顔を影が覆う。
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
アティの両肩を抱き、カイルは彼女の目線に屈みこむ。
おもむろに顔を近づけると、アティの甘い吐息が鼻先にかかった。
思わず身じろぐ彼女に、小さく囁きかける。
「そういやアティからキスして貰ったことってあんまりないよな。……せっかくだし、ディープなヤツを頼んじまおうか?」
「か、カイルさんっ!?」
アティの言葉には答えず、カイルは嬉しそうに微笑みながら目を閉じている。
あまりに突然の要求に心臓を高鳴らせながら、アティはきょろきょろと辺りを見回した。
周囲は静かだが、熱を帯びる頬と跳ね上がる脈拍が、彼女の全身で賑やかに騒ぎ立てている気分だ。
……ごくんと喉を鳴らし、アティは薄く目を閉じる。

「ん……」

カイルの唇へ重ねられる、アティの柔らかな感触。
温かい息遣いは彼女の感情を表すように、ささやかに震えている。
そのままおずおずと、小さな舌先がカイルの口内へと潜り込んだ。
「んふっ、むっ……」
たどたどしい動きでアティの舌はカイルのそれへ絡められていく。
唾液の立てる音がより興奮と恥ずかしさを増し、アティの頬が紅潮した。
「……もっと、深いほうが燃えるな」
「ふぁっ……!」
カイルの逞しい腕がアティを抱き寄せると同時に、彼女の口内へ舌が割り込んでいく。
まるで意識を持った別の生き物のように、彼の荒々しい息遣いとともに舌が動いた。
こわばるアティの舌は翻弄されるが、もたらされる快楽だけは逃すまいと彼を受け入れる。
「ふ、んぅ……カイル、さんっ……あふっ」
時折唇を優しく吸い、唾液を舐めながらカイルはアティの口内を余すところなく堪能する。
もはや見返りをするどころか、いつのまにか立場は逆転してしまっていた。
だが、今の彼女にそんなことを考える余裕などないのだろう。
「んっ……んん……」
ちゅくちゅくと唾液で泡立ちながら絡みつく、舌の温かい感触にアティの肌が疼く。
火照っていく体に反応し、下着の中心に熱いものがじわりと溢れ出す感覚を覚えた。
じんじんと熱さを増す快楽に身をゆだね、アティはカイルの背中へと手を伸ばし――。

「センセー?今晩の献立なーにぃ?」

「ひゃいっ!?」
「へぎッ……!!」
突然聞こえたスカーレルの声に、アティはとっさに歯を食いしばる。
……そのとき、カイルが声にならない悲鳴を上げたのは言うまでもなかった。


「やー、ビックリしちゃったわ。まさかこんな場所で燃え上がってるとは思わなかったもの」
耳まで真っ赤になったアティは、スカーレルに背を向けながら黙々と野菜を刻んでいた。
彼のことだから、もしかすると自分たちの様子に気づいてわざと驚かせたのかもしれない。
だが真相などスカーレルの表情には微塵も表れず、ただ楽しそうな笑顔を浮かべているだけだった。
「それにしてもカイルったら、地面にコケたのに土だらけの格好で台所に入ったりして。今頃ちゃんとお風呂に入ってるかしら?」
あの後スカーレルは、涙目で口を押さえるカイルを風呂場へと追いやっていた。
せっかく今朝掃除したのに、と、床を眺めながら彼はため息をつく。
……しかしそんなスカーレルの目の前に、更に大きなため息をつく人物が一名。
「またカイルさんに……迷惑をかけてしまいました」
「センセって、見てるとある意味すごく面白い子よね」
「面白くなんかありませんっ!今日で二回目ですよ?彼に怪我させちゃったのはっ……」
一度目は後頭部を強打。
そして二度目は、口内で彼の舌を思いっきり噛んでしまった。
どっちも運が悪ければ、カイルは昇天していたかもしれないのだ。
「ふふふっ。一日で二度死にかけるなんてねえ。まあ、あの子は殺しても死ぬようなタイプじゃないけど」
「もう、最悪ですよぉ……恩を仇で返しちゃうなんて」
ざくざくと力なく包丁を振るアティを見つめ、スカーレルは静かに微笑んだ。
――こんなに一生懸命想ってくれる女の子がいるなんて……カイルは幸せ者ね。
海賊稼業を続ける中で、きらびやかに輝く宝を見つけたことは幾度かあった。
だが彼にとって弟のような存在のカイルが、アティという他の何よりも大切な宝物を見つけたことはそれよりも嬉しい。
これからもアイツをよろしくね、と心の中で呟き、スカーレルは口を開く。
「それじゃあ三度目の正直で、今晩はカイルのために目一杯頑張っちゃうってのはどう?」
「こ、ここ今晩って!?」
あやうく包丁を落としそうになりながら、アティはスカーレルに振り返った。
赤面する彼女のことなどお構いなしという風に、スカーレルはにっこりと笑みを浮かべる。
それはつまり……。
彼の突然の過激な発言に、アティは早鐘を打つ鼓動を必死で抑えようとする。
彼女自身、それなりに夜はカイルを喜ばせてあげようと、気恥ずかしさに耐えて頑張っているつもりなのだが。
「で、でも、私……自分でもあんまり上手いほうじゃないって思いますし、今日の見返りに見合うほどカイルさんが満足してくれるかどうかっ」
「結果なんて関係ないわ。好きな女の子が一生懸命喜ばせようと頑張ってる姿勢が、男にとっては堪らなく嬉しいものなのよ?ソノラも上手いとは言い難いけど、それはそれでアタシも教え甲斐があるし」
スカーレルが口にした少女は、彼とは若干歳が離れているものの「そういう関係」らしい。
彼はその雰囲気だけでも、明らかに経験も技術も豊富だとうかがえる。
そんな彼にしてみれば、まだあどけなさの残るソノラの奉仕は随分と未熟に思えるのだろう。
……アティは自分からキスをするだけでも気力を使い果たしてしまうというのに、果たしてカイルを満足させるなどということが出来るのかどうか。
「というわけで、今からカイルのところへ行ってらっしゃい?アタシも楽しみにしてるから♪」
「え!?今ってまだ夜じゃ……ちょっと、スカーレル!?あ……」
廊下へ消えていく彼を無言で見送りながら、アティはがっくりと肩を落とす。
あんな難しい課題を提示されて、本当にこなすことが出来るだろうか。
……だが結果は問題じゃないと言っていたし、何より一応男性であるスカーレルの言葉だ。
カイルと同じ性別の人物が言うのだから、的外れな意見ではないはず。
「……が、頑張らなきゃいけないんですよねっ。カイルさんに、お返しをしたいんですから」
高鳴る鼓動を深呼吸で静め、アティは目を力強く見開く。
向かう先は――カイルのいる風呂場だ。


アティに噛まれた舌が、いまだにズキズキと痛む。
さすがに舌を出してストラで治癒などという器用なことはできず、カイルは苦い面持ちで口を押さえた。
「こりゃあ、あとでヤードにもう一回治して貰わなきゃな……」
そう言いながらヤードの笑顔の奥に潜む黒い感情を思い出し、思わず身震いする。
召喚石の管理はヤードが行っているため、アティに治癒して貰えないのが苦痛に思えた。
「それにしても、アティのやつ……」
ナウバの木の件から、カイルは彼女の思い悩む表情ばかりを見ている気がする。
彼が好きなのは、アティの満面の笑顔だ。
自分のことで、彼女があんな風に悩んでいる姿は見ていたくないのだが。
「とりあえず、アイツを元気付けるのは風呂を出てからだな」
湯船の縁に両腕を置き、湯の心地よさにカイルは目を細める。
――そのとき、曇りガラスのドアに人影が映った。
「……あ、あの……」
向こう側の人物は、遠慮がちにゆっくりとドアを開いていく。
それが完全に姿を現したとき、カイルは思わず激しい水音とともに立ち上がった。

「お背中……流してもいいですか?」

「ア、アティッ!?」
眼前に立つ人物は、豊満な裸体を短いバスタオルで隠すアティだった。
なめらかな赤毛は後ろで結い上げ、その姿が愛らしくも艶やかな色香を漂わせている。
短いバスタオルでは到底隠しようのない乳房が、歩くたびにカイルの瞳の中で柔らかに揺れ動いた。
……ごくん、とカイルの喉が大きく動く。
アティは気恥ずかしさに頬を染めながら、カイルを見つめる。
「湯船から上がって貰えますか?……綺麗に、しますから……」


「センセは今頃、カイルのために頑張ってるのかしらね?」
頬杖をつきながら、スカーレルは楽しそうに笑みを浮かべていた。
アティとのやりとりをソノラに報告し、会話に花を咲かせていたのだ。
銃の手入れをしながら、ソノラは呆れたように小さく息をはく。
「本当に恥ずかしいくらいラブラブだもんねえ。あの二人は、さ」
「それにしても、ソノラももうちょっと上達してくれればアタシとしては嬉しいんだけど。……もう結構経つでしょ?」
ふいにスカーレルに覗き込まれ、ソノラの頬が赤く染まる。
痛いところを突かれたのか、彼女は困ったように唇を尖らせた。
「し、仕方ないじゃん!あたし不器用なんだからっ」
「それは否定しないけど、初めてのときから優しく教えてあげてるのに……。指遣いもまだまだだし、舌のほうはアテにならないし」
「もう、スカーレルッ」
「……だって、事実だもの」
まるで嫌なものでも思い出すかのように、スカーレルは上目遣いで口の端を引きつらせる。

「玉子焼きは異様にしょっぱいし、キュウリは漬物並みの分厚さに切るし、煮物は鍋の中で溶けて分解してるし。さすがに人並みレベルには料理が上達しないとヤバイわよ?」

「黙って!黙ってってばー!」
口を押さえようと飛びかかるソノラを制し、スカーレルは楽しそうに笑った。
「あはははっ!ごめんね。……カイルはどんな献立を注文したのかしらね?センセが頑張って作る特製フルコース、楽しみだわあ♪」
アティは腕前を否定していたが、その上手さは料理の得意なスカーレルがよく知っている。
偶然今晩の食事当番がアティだったことで、上手く理由をつけて彼女にご馳走を作って貰えるチャンスができた。
今頃彼女は風呂場でカイルに食べたい物を聞き出し、張り切って腕を振るっていることだろう。
舌でぺろりと唇を舐めると、スカーレルは膨らむ期待に嬉しそうに目を細めていた。


つづく

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