〜Thank You for Your smile〜 1



「えうっ……えうぅ……うぅ……」
 しゃくり上げる嗚咽は続いていた。すっかり日の暮れた門前の広場前。
 そこで街から去る名残を惜しみながらポムニットはすすり泣く。
「えうぅぅ……おじょうさま……おじょうさまぁ…」
 泣き続けるポムニット。ふいにリシェルのことが頭によぎる。
 いつだって自分に迷惑をかけてくれるやんちゃ娘。けれどその分、愛おしい最愛の主人。
 そんなリシェルの元から再び離れる。もう傍にはいられない。そう思うと決意が揺らぐ。
 そんな風にポムニットが躊躇していると、そこへ掛け声が飛び込んできた。
「ポムニットぉぉぉ!!」
「っ!?おじょうさま!」
 駆けつけてきたのはリシェルだった。その手にポムニットが残した書置きを握り締めて。
 息を切らしながらリシェルはポムニットの前に出て問い詰める。
「どういうつもりよ!いきなりこんな書置き残して屋敷からいなくなっちゃうなんて!」
「そ……それは……」
 残した書置き。そこには一身上の都合でメイドを辞してこの街を去る旨が書き綴られていた。
 その書置きを握り潰してリシェルは激昂する。
「どうしてよっ!約束したじゃない!もう二度と何処へもいったりしないって!ずっとあたしの傍にいるって!」
「そ……それは……うぅ……」
 交わした約束。悲しませたことへの償いにもう二度とリシェルの傍を離れないことを誓った。
 その誓いはポムニットの胸に今も確かに残り続けている。
「どうかお許しください。おじょうさま。わたくしはもう……貴女のお傍にいることができないんです」
「なんでよ!わけわかんないわよ!そんなのっ!」
 苦渋の表情を浮かべてポムニットはそう告げる。リシェルの顔は悲しみで歪む。
「あたしのことが嫌いになった?いつもあんたに迷惑ばっかかけてるから?だからもう仕えていたくない?」
「違います!わたくし、おじょうさまのことを嫌いにだなんて!そんなことっ!」
 その顔に絶望さえリシェルは浮かべる。そんなリシェルにポムニットも反応する。
「ならなんでよっ!なんでなのよぉっ!!……いかせない……絶対にあんたをどこにも行かせたりなんてしないんだからっ!!」
「おじょうさまっ!?」
 刹那、リシェルはポムニットに飛びつく。咄嗟のことにポムニットもかわすことができなかった。
「「きゃうっ!」」
 ドスン。勢い余って二人はその場に倒れる。倒れたポムニットの股の間にリシェルが頭を埋める姿勢で。
「あつつ……痛ぁ……ポムニット!?大丈……夫……?」
 むにゅ。その瞬間、リシェルの顔に生暖かい感触が伝わった。なんというか非常に生々しい感触。
 やけに弾力のある肉の塊のようなものが顔に当たって……
「なっ……ぁ……ぁぁ……」
「……うっ……えぅぅぅ………」
「何よこれぇぇぇぇぇぇぇええええええ!!!」
「えうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううう!!!!!」
 あまりの出来事に絶叫するリシェルと泣き叫ぶポムニット。リシェルが密着したポムニットの股の間。
 そこにはなんともご立派なブツがものの見事に生えていた。






「それで……こんなことになっちゃったんだ」
 忘れじの面影亭。ポムニットを連れたリシェルの来訪の理由を聞いてフェアは頭を抱える。
 流石にこんな非常識な事態はフェアの手にもあまりすぎるのである。
「えぐっ……多分、わたくしの中の悪魔の血の影響だと思います。霊界の住人は本来両性だと聞きますし」
 いまだすすり泣きながらポムニットは推測を述べる。ことの発端は数日も前のことだった。
 ある朝、目覚めてみると自分の身体に起こった異変にポムニットは驚愕したのである。
「どうしてあたしに相談してくれなかったのよ!いくらでも力になってあげたのに!」
「言えるわけないじゃないですかぁ!よりにもよってオ○ン○ンが生えてきちゃっただなんて!」
「まあ……そりゃ確かにそうだけど……」
 激する主従にこめかみに指を当ててフェアは呟く。ポムニットは涙声で続ける。
「うぅ……自分で思いつく限りの方法でなんとかしようとやってみました……でも結果は……」
 もっこり。そんな擬音がよく当てはまるポムニットの股間を見つめてフェアもリシェルも唖然とする。
 ポムニットは震えながら涙を零し続ける。
「えぅぅ……アソコをこんなにもっこりさせたままお屋敷でメイドとして勤めるわけには参りません……
 誰かに知られでもしたら……それこそわたくし……もう人として生きていけなくなっちゃいますぅ……」
 悲しみ嘆くポムニットにフェアもリシェルもなにも言うことができなかった。
 仮に自分達が同じ立場だったらと思うといたたまれなくなる。女としてこれほどキツイ体験もないだろう。
「ま、まあ今夜はポムニットさんはウチに泊まって明日になってから色々考えよう。
 リビエルとかシャオメイに聞けばなにかいい方法が分かるかもしれないからさ……」
 それが賢明と判断してフェアはそう提案する。ポムニットもしゃくり上げながらそれに頷く。
 今夜のところはそれで一段落……というわけにはいかなかった。
「待って!」
「リシェル?」
 待ったをかけたのはリシェル。すすり泣くポムニットをちらりと見てからフェアに言う。
「今日はあたしもこっちに泊めて。もちろんポムニットと同じ部屋でお願い」
 


 


「………………………………」
「………………………………」
 紫雲の間。貸し与えられた一室のベッドの上に腰を下ろして、二人の沈黙は続いていた。
「あ、あのう……おじょうさま……」
 その沈黙を先に破ったのはポムニットの方だった。おずおずとリシェルに呼びかける。
「わたくしのことはご心配なさらずに……おじょうさまは……お屋敷に……」
「やだ」
 即答でリシェルは突っぱねる。するとポムニットは困りだす。
「そ、そんなぁ……いけません!無断外泊だなんてかりにもブロンクス家のご令嬢として……」
「うっさい!説教は屋敷に帰ってからしなさいよっ!あんたと一緒じゃなきゃあたし帰らないんだからねっ!」
「おじょうさま…………」
 短いやり取りの後、沈黙は再び生まれた。気まずさのようなものに二人して戸惑う。
「ぃ……ゃ……だから……」
 ポソリ。今度はリシェルのほうが沈黙を破る。聞き取りにくいか細い呟きで。
 気をとられてポムニットがリシェルのほうを向くとリシェルは小さな肩を震わせていた。
「絶対……嫌だから……あの時みたいなことは……もう……」
 握り締めた拳。喉から這いずり出る嗚咽をおさえながらリシェルは目に涙をためていた。
「あんた、あのとき……いなくなっちゃったじゃない。あたしが謝りに来たときにはもう!」
 そうして今度はひくひくと鼻をすすりだす。鼻声になりながらもリシェルは続ける。
「謝ることもできなかった。その上、何が『わたくしのことは諦めてくださいまし』よ!
 ふざけんなっ!この馬鹿ぁぁぁ!!あたしがどんな思いでずっといたと思ってんのよぉ!」
 終には気持ちの方がはち切れる。リシェルはありったけの感情を全てポムニットにぶつける。
「あんたのこと傷つけてっ!謝ることもできなくて!それで敵と味方にもなっちゃって!
 それでようやく元通りになれたと思ったのに……あんたはっ!あんたはまたっ!!」
 ぶつけられるリシェルの想い。その一つ一つはポムニットの内に痛いほど響く。
「おじょうさま……申し訳ございません……」
「うっさい!いちいち謝らないでよぉ!あたしは……あたしはっ!」
 一拍。涙目でリシェルはポムニットを真っ直ぐに見つめる。そして言い切る。
「あんたが傍にいてさえくれればそれでいいんだからぁっ!」
 そう言ってポムニットの胸の中にリシェルは飛び込む。頭を埋めたままひくひくと震える。
 胸元に伝わる濡れた感触。繰り返される嗚咽。泣いている。泣かせてしまっている。
「ああ、おじょうさま。どうか泣きやんでくださいまし。泣き止んでくださいまし」
 自分もまた涙を流しながらポムニットはリシェルをなだめる。そして思ってしまう。
 自分は本当に馬鹿なんだと。誰よりも一番大切な人をこうして悲しませてしまっているのだから。
 たとえそこに切実なる理由が存在していようとも。
「えぅぅ……ごめんなさい……おじょうさま……ごめんなさいっ!おじょうさま」
「うっ……えぐっ……馬鹿ぁぁ……ポムニットの馬鹿ぁぁ……」
 リシェルに詫びながらポムニットはその背中を優しくさする。そして実感する。
 やっぱり傍にいたい。自分はずっとリシェルの傍にい続けたいのだと。
 大好きなリシェルの傍。そこだけが自分の居たい場所であり居るべき場所なのだと。
「もう……どこにもいかないでよぉぉ……あたしを一人にしないでよぉ……ポムニットぉぉ……」
「えうっ……おじょうさま……おじょうさまぁぁ……」
 二人して泣き濡れながら抱擁は続く。そんな刹那。トクン。何かがポムニットの中でざわめく。
「っ!?……ぁ……ぅ……」
 するとポムニットは抱擁をといて胸を抱えだす。そんなポムニットの様子にリシェルは怪訝になる。
「どうしたの、ポムニット!?」 
 心配そうに覗き込むリシェル。ポムニットは苦しそうな表情を浮かべて。
「ぐっ……ぅ……おじょう……さま……うっ!」
「ポムニット!?」
 リシェルは駆け寄る。だがその次の瞬間、リシェルは仰向けに身体をベッドに押し付けられた。
「きゃぁっ!……なに……ポムニッ……ト?」
 泳ぐ視線のその先に、リシェルの目は確かに捉えた。血のように真っ赤な真紅の瞳。
 それとケモノのような息を吐き出しながら自分を押し倒しているポムニットの姿を。

 
 


「ちょ……ちょっと……ポムニット!ポムニットって!」
 リシェルは呼びかける。だが返答はない。かわりに伸ばされるのは魔の爪先。
 それがリシェルの上着にかかり、それを容易に切り裂く。
「嫌ぁぁっ!!」
 悲鳴をあげる。切り開かれた胸元。リシェルの控えめな二つの膨らみが顔を覗かせる。
 ひたり。冷たい指先がささやかな乳房に触れる。弄るように乳肉をはいずる。
「ひぃぃいっ……やっ……あぁ………」
 リシェルの声はガチガチに震える。差し迫った脅威に怯えすくむ。怖い。殺される。
 心の底から、身体の芯から恐怖する。相対する真紅の魔眼。覗きこまれるだけで石にされてしまう。
 食い込みかける爪。鼻先に拭きかかる荒々しい吐息。そのどれもがリシェルに告げる。
 これからポムニットの手によって捕食されてしまうことを。そしてポムニットはとりだす。
 股間に聳え立つ凶悪なシロモノを。突きつける。リシェルは絶叫する。
「嫌ぁぁぁあああ!近寄らないでよぉぉおお!どっかいってよぉぉおお!このバっ……」
 バケモノ。そう言いかける寸前で何かがリシェルを制止する。それは記憶。拭い去れない過ちの記憶。
「…ぁ……ぁぁ……ぁぁぅ…………」
 ポロポロと涙が零れだしていた。恐怖ともまた違う胸を締め付ける苦しみ。リシェルはそれを感じる。
 その一方でリシェルを貪ろうとするポムニットの様子も変化していた。
「………ぁ……お……おじょう……さま……」
 血のような瞳は次第に元の色を取り戻す。押さえつける力も脱力してゆく。表情から獣は消えうせて。
 次第に覚醒する意識。そこでポムニットは気づく。哀れな子ウサギのように震えすくむリシェルに。
「あ……あぁぁぁぁああああっ!!嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 ポムニットはリシェルから飛びのくように離れる。放たれる叫びと慟哭。それは室内に延々と木霊し続けた。





「えぅぅぅう!えぐっ……えぐっ…えぐぅぅ!うぅ……あうぅぅ……っぐ!」
 ベッドから離れた部屋の隅。ポムニットはひたすらに泣きじゃくる。
「ポムニット…………」
 そんなポムニットをリシェルはベッドの上から見つめていた。身体の震えはいまだに止まらない。
 けれど放ってはおけずにベッドから降りて近づこうとする。
「近寄らないでくださいまし!」
 ピシャリとポムニットは制止する。その声にリシェルもふいに止まる。
「わたくしに近づいちゃ……だめです……おじょうさまが……近づいたら……わたくし……また……」
 しゃくり上げながら言葉を紡ぐポムニットの声。間合いの外からリシェルは尋ねる。
「ひょっとして……それが本当の理由なの?あんたが出ていこうとする……」
 泣きじゃくりながらポムニットは首を縦に振って頷く。そして嗚咽しながら繋げる。
「生えてきちゃってから……ずっと……わたくしおかしいんです。特におじょうさまのお傍にいるときは……」
 顔を崩す涙をとめどなく流しながらポムニットは告げる。リシェルと一緒にはいられない本当の理由を。
「おじょうさまのことを犯したいとか……そんなおぞましい気持ちが溢れてきちゃうんです!わたくしの中で!」
 愛しく思うからこそ穢したい。自分だけのものにしてしまいたい。そんな衝動がポムニットの中で膨れていた。
「わたくし必死でなんとかしようと思いました!だって、もう二度とおじょうさまの傍を離れたくないからっ!」
 偽らざる本当の気持ち。ポムニットは一気に吐き出す。けれど現実はそんな想いを踏みにじって。
「でもダメなんです!押さえつけようとすればするほどわたくしの中の魔物は大きくなって!そして先程も!」
「ポムニット……」
 リシェルは立ち尽くす。かける言葉も見つからなくて。
「このまま傍にいたらわたくし……狂ってしまう!おじょうさまをきっと!めちゃくちゃにしてしまう!」
 脳裏に描かれる最悪の未来図。リシェルを襲い、犯し、嬲り者にする自分の姿。想像するだけで気が狂う。
 だが決して空虚な想像ではない。このままいけば間違いなくそうなる。そんな現実味を伴った予想図。
「う………あぁぁ…ぁぁ…うあぁぁぁあぁああ!どうしてぇぇ!どうしてなのぉぉお!どうしてぇぇぇ!
 わたくしはただ……わたくしはただっ!お傍に……おじょうさまの傍にいたいだけなのにぃぃいい!!
 ずっと傍にいて……お世話をしていられればそれで満足なのにっ!幸せなのにっ!どうしてぇぇっ!」
 叫ぶ。叫び続ける。むなしく響く。響き続ける。それはなんとも無常な響き。
「嫌ぁぁぁぁぁああ!!うぁぁぁああああ!あぁぁぁぁぁあああ!!」
「……っ……ポムニット……ポムニットぉぉ……」
 泣き叫び続けるポムニット。リシェルは自分の頬を流れる涙をかみ締めながら拳を握る。
 何ができるのだろうか?この誰よりも自分を想ってくれるメイドに対して自分は何をしてあげられるのか?
 慟哭するポムニットを見つめながらリシェルは自問し続けた。


〜続く〜

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