〜Thank You for Your smile〜 2



 ポムニットはいつでもあたしの傍にいてくれた。あたしはそれが当たり前のことだと思っていた。

『えうぅぅぅ。おじょうさまぁぁ。どうか後生ですからお屋敷にお戻りくださいましぃぃ』

 屋敷を抜け出す度にそうやって泣きながら連れ戻しにやってくる。その度にあたしは駄々をこねる。
 ポムニットが本気で泣きそうになってようやく一緒に帰る。それがいつもの毎日だった。

『おじょうさまっ!少しは御自分のお立場というものを考えてくださいまし!』
『うっさいなあ!そんなのあたしの勝手でしょ!ほっとけつうの!』

 耳にタコができるほどのお説教。いい加減に聞き飽きたんでいつも反発する。
 どれだけお説教されてもあたしはちっとも懲りなかった。むしろ意固地になっていた。
 そんでもってポムニットをいつも困らせてきた。思えばポムニットには迷惑をかけっぱなしだ。

『大変ではありますけれどもおじょうさま達のお世話はわたくしのお仕事であると同時に生きがいですから』

 それでもあたしに愛想を尽かさずにポムニットは尽くしてくれた。飛びっきりの愛情でいつも包んでくれる。
 そんなポムニットのことがあたしは大好きだった。あたしにとってポムニットは教育係というだけでなくママの代わりであり、お姉ちゃんでもあり、そして親友でもある。ポムニットにいつも、あたしは甘えてきた。
 絶対に無くしたくない大切な、あたしの一番の宝物。それがポムニットだった。それなのにあたしは……その宝物を傷つけた。許して欲しいなんてとても言えやしない最低に酷い言葉で。

『近寄らないでよぉぉおお!このバケモノぉぉおお!!』

 ポムニットは何も悪くなかったのに。あたしを助けようとして力を使っただけなのに。
 そんなポムニットにあたしが言った言葉は『バケモノ』。馬鹿っ!あたしの大馬鹿っ!
 なんであんな酷いこと言ったのよ!気が動転してただなんて言い訳にもなりやしない!

『言葉は時として人の心をおおいに傷つけるものだよ。リシェル君』

 セクター先生。ごめんなさい。あたし、先生の忠告をちっとも理解していなかった。
 あたしは誰よりも大切な人を、何よりも酷い言葉で傷つけてしまった。後悔しても手遅れだった。

『おじょうさま。怖がらせてしまってごめんなさい。今まで騙していてごめんなさい。
 どうかお幸せに。わたくしはそれだけを願っております』

 そんな書置きを残してポムニットはあたし達の前からいなくなってしまった。謝ることさえできなかった。
 どうして……どうしてあんたが謝るのよっ!悪いのはあたしなのにっ!謝らなくちゃいけないのはあたしの方なのにっ!
 お願いっ!いかないでよっポムニット!毎日お説教ばかりでもいいからずっとあたしの傍にいてよぉっ!
 あたしダメなのっ!あんたが傍にいてくれなくちゃあたしはダメなのっ!

『ポムニット……ポムニットぉ……ポムニットぉぉ!!』

 そうやって一晩中泣きつづけたあの夜を、あたしは一生決して忘れない。






「えうっ……えぐっ……えぅぅ……ひぐっ……」
 すすり泣くポムニットの嗚咽。それは立ち尽くすリシェルの耳に嫌がおうにも入る。
(なにやってんのよっ!)
 リシェルは罵る。いまだ怯えすくんで震えてただ立ち尽くすふがいない自分を。
 襲われかけたあの瞬間、咄嗟に言いかけた。二度と口にするものかと誓ったあの台詞を。
 結局のところ自分はあの時からなにも成長していない。リシェルは実感する。
「ぐっ……うっ……」
 奥歯をかみ締める。頬には悔し涙が伝っていた。忘れかけていた心の棘がリシェルの胸を再び刺す。
 大切な人を傷つけたことへの後悔と、その人に対してなにもしてあげられない情けなさ。
 そんな思いで泣き濡れたあの夜。そんな思いを抱え続けて毎晩泣きつづけたあの日々。
 もう嫌だ。あんな思いは二度としたくない。思い知ったはずだ。思い知ったはずなのに。
(ごめん……ポムニット……)
 今、泣いている。自分のために苦しんでいるポムニットになにもしれあげられない。
 あの日と同じ苦悩を彼女に与えている。はたして自分はこのままでいいのだろうか。
(いいはずが……ないっ!)
 リシェルは頭を上げて涙を拭う。もうただ泣いている暇なんてない。
 できることがあるから。誰よりも自分を想ってくれる大好きなポムニットのために。
 身体の震えは消えた。もう迷うことない瞳。そこに映るものはただ一つだけ。
 とかく口やかましくて、ドジなのがたまに傷だけど、だからこそ愛おしいメイドの姿。





「ひぐっ……ひぐぅ……えぅぅ……」
 喉奥から這いずり出る嗚咽は止めようがなかった。横隔膜は痙攣する。
 ひくひくとしゃくり上げながらポムニットはひとりごちる。
(やっぱり……わたくしはバケモノなんだ……お母さんに酷いことをした悪魔の血が流れているんだ……)
 現れた異形とそこから生じる衝動。肉茎が生えてからずっとさいなまれ続けている。
 少しでも気を抜くと正気を逸してしまう。込み上げてくるのはおぞましい感情。
 犯せ。嬲れ。貪りつくせ。壊してしまえ。そんな悪魔の囁きを何物かが耳元で囁く。
 そして囁きがうながすその対象。それは二度と離れぬことを誓った最愛の主人リシェル。
 リシェルの傍にいるだけで自分の中にむらむらと沸き立つ感情。欲情している。同性相手に。
 ましてや幼い頃から世話役として尽くしてきた相手に。なんておぞましい。
 思い知らされた。自分が母を陵辱した悪魔の娘であること。湧き上がるのは負の衝動。
 そしてその衝動は日増しに強くなっていた。もうだめだ。これ以上は押さえてはおけない。
 もう一緒にはいられない。だからこの街を去ろうとした。半魔の正体がばれたあの時のように。
 そして躊躇しているうちに連れ戻された。本当は嬉しかった。リシェルが自分を想ってくれることが。
 だからこそ苦しい。愛しいリシェルを壊しかねぬ自分の存在が呪わしい。母のときのように。
(離れたくない……離れられるわけがない……だけど嫌!お母さんのときのようなことはもう絶対嫌ぁっ!)
 結局、幼き頃と同じ牢獄に自分はいまだ繋がれている。母殺しの咎人。その戒めは決して解けない。
(死んじゃえばよかったんだ……ううん……生まれてこなければよかったんだ……わたくし……なんて……)
 ついには自身の存在さえ否定する。ああ、本当になんでこんな"バケモノ"が生まれてきたのだろう。
「いつまで……そうやって泣いてるのよ……」
「っ!?」
 刹那、聞きなれた声に顔を見上げる。涙で歪むその視界。けれどポムニットの眼はその像を確かに映した。
「おじょう……さま……」
 泣き濡れるポムニットすぐ目の前。リシェルはそこに立っていた。




「いけません。おじょうさま!わたくしに近づいてはダメです!すぐに離れてくださいまし!」
 そう言ってポムニットは身を翻す。そのまま部屋の外へと逃れようとするがリシェルは回り込む。
「そうやって……またあたしから逃げるつもり?あの時みたいに……」
「っ!?」
 ぼそりと吐き出される言葉。その言葉にポムニットは心臓を鷲づかみにされる。確かにそうだ。
 自分はあのときと同じ過ちをしようとしている。大切な人を悲しませようとしている。
「……どうしようもないんです……このままおじょうさまの傍にいると……わたくしは……」
 苦渋を滲ませる。離れたいわけなんてない。この世で一番愛しい人から。
 でも離れなくてはいけない。愛しいと思うからこそ。そのことが悲しい。たまらなく悲しい。
「どうしてそんな風にすぐに諦めちゃうのよ!約束したでしょ!もう二度と何処へも行かないって!」
「分かっていますっ!でもだめなんです。だってわたくし、さっきもっ!」
 思い返す。愛しさが劣情に変わったあのおぞましさを。押さえようとした。けれど押さえきれずに暴走した。
 あと少し正気に戻るのが遅れていたら間違いなく犯していた。リシェルを。自分の最も愛しい人を。
 とりかえしのつかない身体にしてしまうところだったのだ。バケモノだ。自分はやっぱりバケモノだ。
 こんなバケモノがおじょうさまの傍にいていいわけなんてない。
「意気地なしっ!そんなの根性で何とかしなさいよ!この馬鹿メイドっ!」
 リシェルは罵る。ポムニットのことを思っているからこそ。それはポムニットにも分かる。
「無理……ですよ……やっぱり……わたくしには……無理なんです……」
 けれどダメだ。信じることができないから。何よりも自分自身のことを。
「だってっ……わたくしのお母さん……死んじゃったんですよ。わたくしが殺しちゃったんです。
 この世で一番大切だった人を……一番大好きだった人を……わたくしは……自分の手で……」
 滲み出る涙。ひときわ熱く頬を伝う。はらはらと流しながらポムニットは続ける。
「わたくしのことを愛してくれたお母さんを……わたくしは……わたくしはっ!……うっ……くぅ…うぅ…」
 そうして言葉につまってまたすすり泣く。激しい嗚咽。何度か繰り返しながら繋ぐ。
「ですからわたくし……おじょうさまを……大切な人をもう二度と傷つけたくないから……えっ?おじょうさまっ!?」
 刹那、ポムニットは目を剥く。自分の目の前あるとても信じられないようなリシェルの出で姿に。
 リシェルはその身になにも纏っていなかった。引き裂かれた上着も、下着さえも足元に脱ぎ捨てて。
 一糸纏わぬ生まれたままの姿。そんな格好でリシェルはポムニットをまっすぐに見据える。そして言う。
「ポムニット、あたしを抱きなさい。抱いてなにもかも全部すっきりさせちゃいなさい。命令よ」
 躊躇いもなく吐き出されるその台詞にポムニットは呆然と言葉を失った。
 



 そこには剥き出しのリシェルがいた。比較的小柄な身体にいつもの帽子の被り癖がついた頭。
 乳房はまだ成長段階にあるので控えめ。下の割れ目は桃色の地に陰毛が薄くわずかにしげる。
 何一つ纏わない裸の自分。それを晒してリシェルは言ってくる。『自分を抱け』と。
「何を……言っているのですか?」
 とても理解できない。そんな表情を浮かべてポムニットは尋ね返す。返事はない。
「何を言っているのか……御自分で……分かっていらっしゃるんですか……?」
 更に尋ねる。すると今度は首を縦にふり頷いてからリシェルは答える。
「ムラムラするのを我慢するから変になるんでしょ。だったらいっそのこと……あたしとしちゃえば……」
 子どものような思いつき。安直で、その上愚かなその発想にポムニットはわななく。叫ぶ。
「何を馬鹿なことを言ってるんですかっ!貴女はっ!」
 声に怒気さえ孕ませてポムニットはリシェルを叱り付ける。
「お願いですから悪い冗談はおよしください!おじょうさ……」 
「冗談なんかじゃないっ!!」
 リシェルも反駁する。涙を瞳に溜めて真正面からポムニットに向かい合って叫ぶ。
「冗談なわけないじゃないっ!あたし、冗談でこんなこと死んでも言わないわよっ!」
 出来る限りの音量をリシェルは肺から絞りだした。呼吸を整えてからリシェルは続ける。
「わかってるわよぉ……自分がどれだけ馬鹿なこと言ってるかぐらい……そんなの……わかってる」
 つまりながらも言葉を紡ぐリシェル。時折、鼻をすする音が鳴る。
「でも……こんなのしか思いつかないから……あたしがあんたにしてあげられることって……だからっ!」
 膨れ上がる自分への情欲を抑えられず苦しむポムニット。そんな彼女を救うためにリシェルの思いついた方法。
 それはポムニットに自分を抱かせることだった。抱かせてポムニットの中にたまる膿を全て吐き出させる。
 自分の身体一つで受けきる。それがリシェルがポムニットのために決めた覚悟。
「だめです……そんなこといけません……おじょうさま……」
 ポムニットはそれを拒否する。当然だ。自分なんかのために大好きなリシェルの純潔を穢したくない。
 自分さえいなくなればいい。ただそれだけの話なのである。
「お願いです。どうか自棄にならないでください。わたくし"なんか"のために……」
 それは早まるリシェルを諫めるために言った言葉だった。だがその一部分がリシェルの琴線に触れる。
「"なんか"……ですっ……て……」
 小刻みに震えるリシェルの肩。そして次の瞬間、ポムニットはリシェルに胸倉を掴まれていた。
「"なんか"だなんて言うなっ!あたしの一番大事なあんたのことをっ!そのあんたが"なんか"だなんて死んでも言うなっ!!」
 叫びながらリシェルはにじり寄る。その剣幕にポムニットは気圧される。
「嫌なんだもんっ!もう二度とあんたを何処へもいかせたくないんだもんっ!それにっ!」
 思考よりも先にリシェルの口からは言葉が飛び出す。激しい生の感情がただ突き動かす。
「もう嫌なのっ!あんたが苦しい思いしてるのに何もできないのはっ!あんたばかりが辛い思いするのはっ!」
「おじょうさま……」
「お願いポムニット。あたしに償わせてよ!あの時、あんたを傷つけたことを今、あたしに償わせてよっ!」
 胸倉を掴んだ手は離して、今度はポムニットの手を握り締めてリシェルは懇願する。
「そうじゃないと……あたし……許せなくなっちゃうよ……自分のこと一生……許せなくなっちゃうよぉ……」
 涙でくぐもる声でなんとかリシェルは言い切った。水滴がポタポタとポムニットの手に落ちる。
「うぐっ……おじょう……さまぁ……」
 そんなリシェルの思いはポムニットに響く。そうだ。分かっていた。自分がリシェルのことを好きなのと同じぐらいに。
 リシェルが自分のことを好きでいてくれることは。だからこそ辛い。そんな大切な人を穢すわけにはいかないから。
 ポムニットは再度、拒む。
「やっぱり……ダメ……ですよぉ……おじょうさまを……おじょうさまを穢す真似なんて……」
「穢すってなによ。言っとくけどあたしそんな風にはこれぽっちも思ってないんだからね!」
「おじょうさまは思っていなくてもわたくしは思ってしまうんです。わたくしに関わればみんな穢れてしまう!」
「この馬鹿っ!」
 飛び込む鋭い叫び。ポムニットは反射的に身構えた。平手辺りが飛んできたと錯覚して。


(おじょう……さま?)
 だが飛んできたのは平手ではない。それは優しい感触だった。柔らかな感触がポムニットの唇に触れる。
 小さくて可愛らしい唇。その持ち主はリシェルだ。唇同士が軽く触れ合う優しいキス。背中に回されたのは手。
 これも小さな手だ。優しくさすってくれる。抱きしめてくれている。なんとも温かい。
 その温かさにまどろんでいると触れ合った唇は離れる。今度は目が合う。そして優しい呟き。
「後悔なんて……しないわよ……」
 先程までの険しさが嘘のような優しい微笑み。その持ち主はポムニットに素直に気持ちを告げる。
「だってあたし、あんたのこと好きだから。こんなにも馬鹿になっちゃうぐらいあんたのことが大好きなんだから」
 鼻先が触れ合うぐらい近くで。噴出す息は顔に触れて。 
「あんたがずっと傍にいてくれるんだったら。あんたがもう苦しい思いをしなくてすむんだったら。あたしなんだってする」
 そして吹っ切れたような穏やかな顔つきのリシェルがそこにいる。
「それであんたがおかしくなっちゃっても、滅茶苦茶にされちゃっても、あたしは絶対にあんたを恨んだりなんかしない」
 凛とした立ち振る舞い。いつだって人の手を煩わさせる泣き虫の甘えん坊は今、懸命に頑張っている。大切な人のために。
「でも……それでも……わたくしは……」
 けれど愛するメイドはいまだ頑なだ。その愛情の深さゆえに。するとリシェルは尋ねる。
「ねえ、ポムニット。あんたはどうしたい?聞かせて。あんたの気持ち」
「わた……くし……わたくしは……ぁ……あぁ……」
 ぴしり。ひびが入る。設けた心の壁に細かいひびが。亀裂は大きくなる。そして溢れ出す。
「わたくし……わたくしは……いたいっ!いたいよぉぉ!大好きなおじょうさまとずっと!一緒にいたいよぉぉ!」
 溢れかえる想い。ポムニットは吐き出す。自分のありのままの気持ちを。
「ずっと一緒にいて!おじょうさまのためにお食事を用意して!おじょうさまのためにお洗濯して!それで!」
 吐き出される想い。その一つ一つを噛み締めてリシェルは抱きとめる。自分の最愛のメイドを。
「出来るわよ。そんなの。あんたとあたしが頑張れば!ねえ、一緒に頑張ろう。ポムニット」
 なんの保証もない言葉。けれどポムニットにはそれで十分だった。出来ると言ってくれた。
 この世で一番大好きな人がそう言ってくれた。
「おじょうさま……えぅぅぅ……おじょうさま……おじょうさまぁ……」
 しがみつく。かわす抱擁。いつだってそうだ。その小さな身体を抱きしめているつもりでいて。
「うん……ポムニット……ポムニット」
 逆に抱きしめられている。支えているつもりが実は支えられている。
「えうぅぅぅ……おじょうさまっ!おじょうさまぁぁ!!」
「ぐすっ……えぐっ……ポムニット……ポムニットぉぉ!」
 そうして主従はその絆を確かめ合う。大好きな人の傍に、ずっとあり続けるために。


〜続く〜

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