彼氏は魔王様(前編)



「はぁ……ほえぇ……」
 口から思わず洩れ出したのは感嘆の溜息だった。初めて上がりこむ同級生、それも異性の部屋。
 物珍しい何かを見るように、夏美の視線はきょろきょろとあちらこちらを彷徨う。
「なにか面白いものでも見つけたのかな?橋本さん」
「っ!?い、いや……別にそうじゃないけど……」
 するとふいに後ろから声をかけられる。夏美はギョッとなり言いよどむ。ドクンと脈打つ心臓。
 別にやましいことがあるわけでもないのに鼓動は妙に高鳴る。
「そうかい。実は18歳未満ご禁制の秘蔵の図書をしまい忘れていないか冷や冷やしていたんだ。
 いやあ、よかった。よかった。どうやら件のブツは所定の場所に安置されているようだ」
「ちょっ……止めてよ深崎君。そういう冗談」
 この部屋の主であるその同級生、深崎籐矢はしれっとした表情でそう嘯いてきた。
 夏美は憮然となる。からかわれたからではなく、どこかこそばゆいものを心に感じたので。
(やっぱり……意識しちゃうなあ……)
 ちらちらと籐矢を伺いながら、夏美は胸中で呟く。そして思い返す。それはほんの一月前のこと。
 自分とこの深崎籐矢。二人が交際するきっかけになったとある出来事を。




「はぁ…………」
 その日、夏美は溜息づいていた。その理由はというと彼女の机の上。山のように積まれた便箋の数々。
 早い話がいわゆるらラブレター。夏美の下駄箱に今朝投函されていたものである。
「……気持ちは嬉しいんだけどさあ……」
 自分が誰かから好かれているということ。そのこと自体は嬉しい。けれど素直に喜べない理由がある。
「どうしてどれもこれも女の子からのやつばかりなのよぉ!」
 バンと机を手で叩いて夏美は呻く。つまりはそういうことであった。夏美宛に投函された恋文の数々。
 その差出人はことごとくが女子、主に後輩の女の子が中心なのである。同性から寄せられる無償の好意。
 そういう方面に気のない夏美にとって厄介極まりない代物であった。
「無下にしちゃうのもなんか悪いし……かといって人の道を踏み外す気は更々ないし…
 ああ、もうっ!あたしにどうしろっていうのよっ!こんなのっ!まったくぅぅ!!」
 積み重ねられた一方的な好意。持て余した夏美が癇癪を起こすのも無理からぬことであった。
 そんな風に夏美が悶々としていると、ふいに横から声がかかる。
「おや、これはまたずいぶんと大量だね」
 遠慮無しに呟かれたその台詞。カチンとなり夏美はその声の主を睨む。そこにいるのは夏美の同級生の男子だった。


「深崎君……」
 やぶ睨みで見据えながら夏美はその彼の名を呼ぶ。深崎籐矢。この学校の剣道部部長と生徒会副会長を務める
 文武両道な同級生である。夏美とは同じ運動部の部長同士ということもあって、それなりには話す間柄ではある。
「冷やかしにきたわけ?そうだよね。深崎君は普通に女の子からもてるもんね。あたしと違って。ちゃんと異性から」
 気が立っていたこともあるのだろう。夏美の言葉は妙に刺々しかった。けれど籐矢は動じずにしれっと言う。
「同性から人気があるというのはとても有難いことだよ」
 確かに言っていることは間違ってはいない。けれど無性に腹が立つ。夏美は口を尖らせて言う。
「じゃあ深崎君だったらどうするの?深崎君がもし男の子からラブレターもらったら」
「速攻でシュレッダーにかけて焼却して僕の中で永遠の黒歴史に指定するよ」
 即答だった。その即答振りに夏美はつい唖然とするがなんとか言葉を紡ぐ。
「それって酷くない?いや……そりゃ迷惑なだけかもしんないけど……一応、好意は好意だし」
「行過ぎた好意は悪意より性質が悪いものさ。それに中途半端に気を持たせる方がかえって残酷だしね」
「それは……そうかもしれないけどさあ……」
 正論ではある。けれどそこに納得しきれないものを夏美は感じる。まあ同性からというのは確かにアレだが。
 ならば異性からの好意ならばどうなのだろうか。ふいに尋ねてみる。すると籐矢は答える。
「それはまあ相手次第だろうね。ただ、好意を示すからには顔ぐらいは先に見せて欲しいものではあるかな」
「それが出来ないから最初に手紙にするんでしょ。女の子って深崎君が考えてるよりもずっとデリケートなんだから」
 そうは言うものの夏美も籐矢の言い分には一理あるとは思っていた。こちらに顔を見せない一方通行の好意。
 それを受ける側が感じる妙なむず痒さを夏美も知っているからである。
「それよりこの山……どう処理したものやら。一人ひとり断るのもめんどいし、かといってそのままってのも……」
 夏美は考えあぐねる。すると籐矢が言う。
「彼女達の方が自然に諦めるのを待つのが得策だと僕は思うよ」
「気軽に言ってくれるじゃない。いつまでたってもちっともそうしてくれないから困っているんでしょう!」
 先方から諦めてくれるのならなんの苦労もしない。当たり前のことだ。
「それなら橋本さんの方から行動を起こすべきかな。その彼女たちが諦めてくれるようにね」
「行動って……具体的にどうしろっていうのよ」
 行動しろと言われてもどうせよと。夏美は問い詰めると籐矢は返す。
「そうだね。例えば橋本さんが誰か特定の人間との交際を始めるとか。それなりの効果は保証するよ」
 女に言い寄られるのが嫌ならボーイフレンドでもつくれ。あまりに安直な提案だった。穴も空きまくりの。
「却下!そんなの相手がいなくちゃどうしようもないじゃん!」
 つくれと言われてはいそうですかとつくれるものなら最初から悩みなどしない。
 そんな夏美の苛立ちも知らずか籐矢は言う。
「相手?いるじゃないか。すぐ手近なところに」
「いったい、いつ、どこに、誰がいるって言うの!あんまりからかわないでよ深崎君!」
 夏美のイライラもそろそろ限界だった。掴みかかりそうな剣幕で籐矢に迫る。
 すると籐矢は溜息混じりに肩をすくませる。
「やれやれ。意外と鈍いね。君も」
「へ?」
 刹那、間の抜けた声を夏美は漏らす。しばし呆然とする。そして気づく。顔が触れ合うくらい近くに。
「深崎……君?」
 籐矢の顔がそこにあった。籐矢は無言でそれでなおかつ雄弁な視線で夏美に語りかける。
(なに?それって……深崎君が……あたしのこと……いや…そんなはずは……)
 視線が媒介する意思。それを図りかねて夏美は当惑する。すると籐矢は苦笑しながら言う。
「やれやれ。それじゃあ立候補といえば伝わるかな」
「っ!?」
 すると籐矢は人差し指を突き立てて自分を指しながら言う。どきり。心臓を鷲づかみにされた感触を夏美は覚えた。
 どぎまぎ。どぎまぎ。どれぐらい、おそらくは数秒が経過する。籐矢は微笑む。そして言う。
「まずはお試し期間からでも構わないよ。クーリングオフはいつでも受け付けるから」
 真顔で囁きかける籐矢。初めて直接に経験する異性からの告白に夏美はただ固まっていた。





(なんでOKしちゃったのかなあ……あのとき……)
 今になっても不思議に思う。単純に勢いに圧された。つまりはそういうことなのだろう。
 けれどそれだけではないなにかがある。それがなんなのかは分からないが夏美はそう感じる。
(まあ…いわゆるお友達からってやつだけどさ……)
 交際とはいっても所謂恋人同士のそれとはまだ遠い。単に以前よりは籐矢と接する機会が増えた。その程度だ。
 部活帰りや休み時間中に世間話をしたり、携帯のメールでやり取りをしたり、友達同士の範疇で十分なことのみ。
 そんな風にこの一ヶ月過ごしてきた。今日だって試験期間に入ったので勉強を教えてもらいにきたにすぎない。
 そこに特別な意図はない。そのはずなのに。
(意識しちゃってる。あたし、深崎君のこと……)
 この一ヶ月の籐矢との交際。夏美もまんざらではなかった。素直に楽しかった。
 あるいは悪くないとも思った。籐矢とこのまま友達同士から一歩進んでみるのも。
 そう思えるぐらいの好意は抱いている。けれど恋していると言い切るにはまだ心もとない。
 そんな宙ぶらりんな心持のところで籐矢の家での勉強会である。
 妙にそわそわする。背中の辺りはむず痒い。
「おかしいな。ついこの間、バルサンを焚いたばかりだというのに」
「いや……別にダニとかそういうのじゃないから……」
 すると飛び出す他愛もないやりとり。妙に心地が良かった。あるいはいいのかもしれない。
 心の中のほんのりとした桃色。少しづつ色濃くなってきている。あと少し。あと少し。
「ねえ、深崎君。お家の人は?姿を見ないけど」
「ああ、今日はいないよ。両親ともに今日は泊まりでね」
 ギクッ!ときおり踏み込む地雷にドギマギもさせられる。激しい動悸。トクントクン。
「おや?何か期待させてしまったかな?」
「じょ、冗談言わないでよ!ほら勉強!今度は古典いくよ」
 そうやって慌てて取り繕う。はらはら。かいた冷や汗で背中がひんやりする。
(あたし……恋してるのかも……深崎君に……)
 二人きりの勉強会。その短な時間の間にも、夏美の心の中の淡い色はより鮮明なものへと変わっていく。



「じゃあ今日のところはここまでにしようかな」
「うあぁぁ……頭疲れたぁ……」
 予定の分量をひとしきり終えて、勉強会はお開きとなる。教材を片付ける籐矢。夏美は背伸びする。
 夏美のわからない箇所は籐矢が適切に指導してくれたので今日の首尾は順調と言えた。
「なんか悪いね。あたしばっか教えてもらっちゃってさ」
「いいよ。それに人に教えるということは、実は自分にとって一番勉強になるものだからね」
 流石に試験勉強のための勉強はわざわざしない強者は言うことが違う。夏美は素直に感心する。
「でも深崎君の教え方上手だったよ。案外将来は学校の先生とか向いてたりして」
「マンツーマンと集団に対してでは勝手は違うよ。それは橋本さんの理解がいいからさ」
 教授は適度なレベル差のあるもの同士で行われるのが望ましい。教えるものと教えられるもの。
 その関係が円滑に進む適量の差が籐矢と夏美の間にはあった。ともあれ籐矢に褒められ夏美は気を良くする。
 ”おだててもなにもでない”とお約束な台詞を口にする。すると籐矢が言葉尻をとらえる。
「それじゃあ僕の方から橋本さんにご褒美をあげようかな」
「へ?」
 虚をつかれて夏美はすっとんきょうな声をあげる。いきなり何を言い出すのだこの男は?
 夏美は目を丸くする。
「よくできた生徒には先生から”よくがんばったで賞”をあげよう」
「深崎君……子供じゃないんだから……」
 普段は大人びた籐矢が時折みせる無邪気さ。それに夏美はこの一ヶ月の交際で慣れてきていた。
 なんだかほっとさせられる。籐矢を自分に身近な存在に思うことができて。
(なんかいいなあ……こういう感じ) 
 たぶん好きなんだと思う。籐矢のことが。その好意を恋と言うにはまだ少し自信が足りないけれど。
(こうやって……このまま深崎君と付き合うのも……いいかもしんない)
 籐矢に向けられる夏美の好意のベクトルは着実にそのスカラー量を増やしている。
 軽く微笑みながら夏美は籐矢を見る。おそらく彼も同じような顔をしているだろうと思って。
「橋本さん」
「ん?」
 すると籐矢は夏美に声をかける。いつもの飄々とした物腰から芯を伴った意思のようなものを見せて。
「やっぱりご褒美をあげよう。受け取って貰えるかどうかは君次第だけれどね」
「……え?」
 口調自体はさっきまでとそうは変わらない。しかし違うものがある。夏美はそれを感じる。
(……深崎君の目……あのときと同じ……)
 夏美をとらえる籐矢の視線。どんな言葉よりも雄弁で、とらえたものを決して離さない。
 そんな魔力を感じさせる。それは夏美が籐矢に最初に告白されたときと同じ。
「YESだったら目を閉じて、NOだったら首を横に振ってもらえないかい?」
「っ!?」
 夏美は硬直する。その言葉を脳よりも先に身体が理解してしまったらしい。
 後からじわじわときいてくる。このシチュエーションはおそらく。
(……それって……まさか……まさか!)
 夏美はそれほどに鈍感ではなかった。一般的な同年代の少女と同じぐらいの感性は所有している。
(アレ……のことだよね?アレしていいか……その…あたしに聞いているんだよね?)
 すぐに察しはついた。籐矢が何を要求しているのかは。夏美はまごつく。返事を出来ずに。
(ちょ、ちょっと待ってよ!深崎君……)
 そう言いたかった。けれど口はただパクつくばかり。そんな様子の夏美に籐矢は言う。
「制限時間は設けないよ」
 籐矢はそう言って軽く笑みながら夏美を見つめる。また雄弁な視線。思わず目を背けたい。
 そうする手段は二者択一。目を閉じるか。顔をそらすか。

(決められない……決められないよ……そんなの……)
 ふってわいた選択。当惑する夏美の頭の中はぐるぐると回転する。YESならば前進。
 NOならば現状維持。はたして自分はどちらを望むのか。夏美は自分に問いかける。
(まだ早い……と思う……)
 頭の中で顔をちらつかせるのはNO。まだ早い。もう少しこのままでいたい。
 今の友達以上恋人未満な関係を維持していたい。それは偽らざる夏美の気持ち。
(でも……でもぉ……)
 けれど今より先に進んでもみたい。それもまた夏美の本当の気持ち。背反した二つの感情。
 それらが夏美の中で混沌に溶け合う。どちらを望むのか。どちらを選ぶのか。
(決められない……やっぱり決められないよぉ……)
 延々と続く倒錯に夏美は音をあげる。涙目になりかけていた。けれど籐矢の視線は相変わらず。
 ねちっこくていやらしい。けれどそこか穏やかで優しい。そんな視線だった。逃れたい。
 逃れるためには選ぶしかない、YESか。NOか。
(……深崎君……)
 泣きそうな目で籐矢を見つめる。彼はなにも言わない。ずるい。こんな過酷な選択を人に強いておきながら。
(やっぱり……ここはNOかな)
 少しだけ頭が冷えて理性がNOを要求する。そうだ。今はまだこのままでいい。
 その方がお互いにとって多分ベスト。焦る必要はない。
(そっか。そうだよね)
 すると気分が楽になった。なにも無理に背伸びすることはない。
 選択はやはりNO。夏美は顔を背けようとして
 その前にふいに覗いてしまった。籐矢の視線。あの雄弁な視線を。
「……………………………っ!」
 刹那、時間が止まった。ドクン。聞こえる心臓の音。なんだか耳がよく利く。
 聴覚だけでない。視覚以外の五感は全部。
(どうして……)
 自問する。どうしてそうしたのかと。分からない。強いて言うならさせられたのだ。誰あろう。彼に。
(…………………………………)
 そして静止して数秒。彼はご丁寧に待ってくれていた。自分の選択がただのはずみではないと思い知らせるかのように。
「YES……ということでいいんだね?」
 律儀に尋ねてもくれる。こくん。顎をひく。その仕草を確かめてからそっと引いた顎に手が添えられる。
 軽い鼻息。鼻腔をくすぐる。ちょっとした緊張。5cmの距離。そして……
「これでお試し期間は終了だね」
 そう呟くと籐矢は、じっと自分を待ち受ける夏美の唇に自分のそれをそっと押し当てるのだった。


 続く

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