彼氏は魔王様(後編)



「……ふぅ……」
 夏美はパタンと携帯を折りたたみ溜息を吐く。用件は済ませた。布石も打った。後は野となれ山となれ。
 さりとて一抹の不安は拭えない。そんな心境でいると。
「アリバイ工作は終わったのかい?」
「っ!?」
 ふいにかけられるのはデリカシーの欠片もない台詞。夏美は少し膨れ面で振り返り口を尖らせる。
「アリバイ工作って……人を犯罪者みたいに……」
「ははは。すまない。どうにも適切な言い回しが咄嗟には思い浮かばなくてね」
 そういって籐矢は軽く頭を掻くしぐさをする。それから続けて尋ねる。
「で、どちら宛だったのかな?先程の電話は」
「家には『友達の家に泊り込みで勉強教えて貰う』って……後、その友達に口裏合わせをちょっと……」
 籐矢に尋ねられて夏美は正直に告白する。そして自分で言ってみて気づく。
 これはアリバイ工作以外のなにものでもないことに。
「…………………」
 押し黙る。穴があったら入りたい。いやむしろ今直ぐ掘って埋まりたい。
 そんな心持ちの夏美に籐矢は軽く息を吐いて声をかける。
「まあ方便というのも大切だよ。人間関係を円滑にするにはね」
「……うん……」
 夏美は頷く。それを見て籐矢は微笑む。そしてガチャリとドアノブにかけた手を回す。
 開かれる扉。そして促すような籐矢の視線。
「………………………」
 そうして視線に促されるままに、夏美は籐矢の後に続くようにその部屋へ足を踏み入れた。




 ふわふわとした感触を夏美は背中で感じていた。ふかふかのベッドの上にくっつけられた背。
 柔らかな敷布団が伸びた背筋を包み込む。それはとても柔らかな感触。
「ほあぁ……」
 そしてベッドだけではなく夏美の頭の中もふわふわしていた。まるで無重力。
 身体の重心が行き場をなくしあちこち彷徨う。そんな錯覚さえ覚えながら夏美はひとりごちる。
(本当にしちゃうんだ……あたし……このまま……深崎君と……)
 これから自分達がなすこと。それが夏美の脳裏に漠然とよぎる。どこか他人事のような気分だった。
 それぐらいに実感がなかった。気がついたらそんな成り行きになっていた。
「んっ……」
 けれど刹那、夏美の胸はきゅんと締め付けられる。とくん。とくん。鼓動がときめいている。
 これは決して他人事などではない。そのことを脈打つ心臓が教えてくれる。
(あたし……やっぱドキドキしてる……どうしようもないくらいに……)
 これから来るものへの期待と不安。それに包まれながら夏美はまどろむ。それはなんとも不思議な気分。
 憧れと恐れ。好奇心と躊躇い。心地よさと居心地の悪さを同時に感じる混沌とした感情。
 初めて経験する。だから多分としかいえない。けれどこの気持ちを表す言葉を夏美は知っていた。
「橋本さん」
「っ!」
 ふいに呼ばれる。刹那、夏美は身を起こす。そしておぎおぎとしながら視線を動かす。
 そこにあるのは夏美にとってはもう見慣れた顔。深崎籐矢の飄々とした微笑みだった。
「どうにも意識があちらの世界にいってたみたいだからね。ちゃんと戻ってこられたかい?」
「……う、うん……」
 どことなく胡散臭さがつきまとう籐矢の笑み。それを向けられながら夏美はただ頷き煩悶とする。
 ことに及ぶ前に籐矢に言いたいこと。聞きたいこと。夏美にはいくらでもあった。
 けれどそれらはどれも言葉という形をなす前に夏美の中で砂のようにこぼれ落ちてしまう。
 それでもなんとかその欠片を拾い集めて夏美は籐矢に尋ねかける。
「あ、あのさ……深崎君」
「ん?どうしたのかな」
「……いや……別に……」
 そして尋ねかけて思い知る。この微笑の前になんの言葉も持ち合わせてはいないことを。 
 ただ頷いてしまう。ただ流されてしまう。それはさながら魔法のように。
(……ちょ……やだぁ………)
 ドキドキドキ。ここにきて心臓は煩いほどに鳴り響いてきた。きゅんとした締め付け。
 もう疑いようのないこの気持ち。夏美はほぼ確信していた。
(あたし恋してるんだ……深崎君に……)
 少しまえまで疑問形だった自分の気持ち。それが断定に変わったのを感じながら夏美は
 鼻腔をくすぐる息を間近に感じていた。



「んっ…………」
 二度目のキス。なんとなく感じるのは柔らかさだった。押し当てられた唇同士が柔らかく潰れあう。
 その中で舌の先っちょ同士がつんつんと突き合う。なんだかこそばゆい。けれど不快じゃない。
「…ぷはっ……あっ……」
 口を離しても数瞬、そのままぼんやりとしてしまっていた。我に帰る前に背中にも柔らかな感触。
 いつのまにか夏美の身体はベッドの上へ横たえられていた。
「あっ……ふぁ……」
 するりと解かれる胸元のリボン。そしてぷちんぷちん。セーラー服のボタンは外されていく。
 拡がっていく隙間。部屋の空気は少し冷たい。スースーする。なにかと思えばスカートも外されていた。
 露出する白の下着。ふいに見やる。すると目に映る。スポーツタイプのブラに収まる胸元が。
(やっぱ胸ちっちゃいな……あたし……)
 普段はあんまり気にしていないのだがやはりこういうときには意識してしまう。
 運動をする分にはこのぐらいで一向に構わないのだが、それでも憧れてしまう。
 もっと女性らしいふくよかさというものに。
「やっぱさ……男の子って…おっぱい大きい方が好きかな?」
 ふいに尋ねる。聞かれた籐矢は顎に手を当ててフムと頷くと。
「人それぞれじゃないかな?まあ僕はそう特別にこだわりがある方ではないけれど」
 あっさりとそう答える。どうやらこの籐矢に関しては貧乳もそうマイナス要素ではないようだ。
 プラス要素というわけでもないのだけれど。
「……そういうもんなんだ」
「そういうものだよ」
 そんな他愛もないやり取りになぜか落ち着かせられるのを夏美は感じる。
 いまだに胸がトクトクといっているけれども、それもむしろ心地よいくらいで。
「そろそろいいかな?橋本さん」
「う……うん……」
 籐矢からの求めにもすんなり頷いてしまう。もう少しドギマギとしたものを予想していた。
 少し拍子抜けで、それがかえって面白かったりもする。けれどそれに浸っている暇もなかった。
 スルリと伸びてきた籐矢の手が夏美の肌に触れる。さすり。軽く撫ぜる。夏美はふいに目を閉じた。
 引き締まるように少し身を硬くする。それを見て籐矢は鼻で軽く息を流す。
「緊張しているね。やっぱり」
「………………………」
 間近でそう呟かれて夏美は顔を朱にしてプルプルと震える。目を開けて少し恨みがましそうに籐矢を見る。
(わざわざ言わないでよ……そんなのあたしが一番わかってんだからさ……)
 夏美は胸中で呟く。実際に口にはしていないが顔色を見れば一目瞭然なのだろう。籐矢は苦笑する。
「はは。ごめん。ごめん。いや、実をいうと緊張しているのは僕も同じでね」
 絶対嘘だ。しれっと真顔で言う籐矢に夏美はそう思った。疑わしげに夏美は見つめる。
 籐矢は苦笑しながら鼻を鳴らす。すると夏美の手を掴む。
「っ!?」
 いきなりのことに夏美の表情は驚きに変わる。唖然とする間にぺとり。籐矢に掴まれた夏美の手は籐矢のある箇所に触れる。
「どうかな。けっこううるさく鳴ってるだろう?」
 トクントクン。そうして手のひら越しに伝わってきたのは籐矢の心音だった。剣道で鍛えられた胸板。
 そこに夏美の手は直に触れる。伝わる鼓動のペースは少し早め。夏美のそれと同じぐらいに。
「これでも一杯いっぱいでね。あまりそういう風には見えないかもしれないけれど」
 いかにもすました表情で、けれど動悸する心音を響かせながら籐矢は言う。いつもの胡散臭そうな笑顔。
 けれどその中身がちょっとだけ顔を出してる。夏美はクスリとする。
(そっか……そうだよね……深崎君もあたしと同じなんだよね……)
 考えてみれば当然かもしれない。籐矢とて歳相応の少年であるのだから。
 自分だけが戸惑っているわけじゃない。それが分かると夏美の心は少し軽くなる。
「少しは落ち着いたかい?」
「うん」
 だから素直に頷ける。頷くついでに夏美は訊く。
「優しく……してくれる?」
「努力はしよう」
 そう答える籐矢。夏美はその顔を見つめながらスッと全身の力を抜いた。任せられる。安心して。
 心の底からそう感じながら夏美は自分の身を籐矢に委ねる。



 薄い布地だった。こんなときだからこそ余計に夏美はそう思う。侵入を許す隙だらけだ。
「……ふぁ……あっふ……ふっ……あっ……」
 指先はスルリと入りこんできた。くちゅ。くちゅ。軽く掻きたてる。探るように。
 第一関節。秘裂をスッとなぞる。少し進んで第二間接。入り口付近の肉を擦る。
「んっ……んくっ……んっ……」
 入り込む指。一本。二本。ときに重なり、ときにバラバラにクレバスを弄る。
 走り抜けるゾクゾク感。夏美は喘ぎ声を噛み殺す。
「……さて」
 そんな夏美とは対照的に籐矢は冷静に分析していた。より効果的なポイントそこはどこか。
 いくつか候補にあたりをつけて試してみる。
「んっ!!」
 ビンゴ。ひときわ強い反応を示す夏美に籐矢は得心する。そうと分かればこっちのもの。
 籐矢の指先は的確な打突を夏美に繰り替えす。
「ひあっ!……くうっ!やっ……深崎君…ちょっ…はうっ!」
 断続的に与え続けられる刺激に夏美はたまらずに喘ぐ。制止をかけようにも遮られる。
 執拗に続く指先の責めによって。
「ひぁぁ!らめぇぇ……やめ……くひっ!ひじわふぅぅぅ!!」
「ははは。駄目だよ橋本さん。準備運動はきちんとこなさないとね」
 涙目の夏美に対し籐矢微笑んで言う。
(前言撤回!やっぱ悪魔!深崎君の大悪魔ぁぁぁ!!)
 ねちっこく続く攻め。ぐちゅ。ぐちゅ。夏美の膣内は良いように弄ばれている。その都度、夏美は喘ぐ。
 そんな夏美の様子に本当に嬉しそうに微笑む籐矢。やはり悪魔。むしろ魔王である。
「らめへぇぇぇ!!いっひゃうぅぅう!あたひ……いっひゃうぅぅうう!」
「うんうん。喜ばしいことだよ。期待通りの反応で」
 と勝手に頷きながら弄る手は休めない。くにくに。開いてるほうの手でも夏美を弄る。本当に鬼畜なやっちゃ。
「ひあっ……ひあぁぁぁぁああああ!!」
 そうして老練の域にさえ達した指技の前に夏美は容易く果てる。ぷしゅうう。鯨の潮吹きのように愛液を噴出して。


「ほう。これは盛大だね。まあどのみち後でみんな洗濯するから関係ないけれど」
 しれっと呟く籐矢。夏美から滴る液汁はシーツに染みをつくっていた。丁度お漏らしのように。
「あっ……あぁ……あぁぁあぁ……」 
 顔から涙を、秘所から愛液を垂らしながら夏美は震えていた。羞恥、それと身を突き抜ける快感に。
「おや。ベトベトだね。もう意味をなさないな。これは」
「嫌ぁぁ!脱がさないでぇぇええ!やぁぁああ!変態!深崎君の鬼畜っ!」
 愛液にまみれ濡れる夏美のパンツ。それを籐矢は器用に脱がす。
 抵抗して足をバタつかせる夏美だったがそれが返って逆効果だったりする。
「ひっく……ひぐぅ……恥ずか…しいよぉ……」
 剥き出しにされて夏美は顔を手で押さえる。陰毛も薄くほんのりと薄ピンク色をした夏美の肉裂。
 それが籐矢の視線に晒される。視られている。というか視姦されている。
「ひんっ!!」
 露わになった秘肉を籐矢はむにっと摘む。そしてとろとろに滲む愛液を満遍なく指先で塗りつける。
「やぁぁぁぁっ!やぁぁぁぁっ!嫌ぁぁぁぁっ!」
 この期に及んで襲い来る羞恥心。耐え切れそうになかった。夏美はおおげさに叫ぶ。
 片方の手で顔を押さえながら、もう片方で籐矢を制しようとする。
 けれどその手はいとも簡単に払われてくにくにと敏感な箇所を弄られる。
「ひあぁぁぁああ!!あひあぁぁぁぁああ!!」
 一度イったばかりの身体を再度弄られる。夏美が受ける刺激は最初のとき以上だった。
 快楽神経が敏感になっている。触れられる。それだけで体がゾクッと震える。
 にちゃにちゃと耳に響く音もいやらしい。くにゅくにゅ。入っている。籐矢の指が。
 夏美の膣に。二本ばかり重ねくにくにと動く。夏美の急所を確かめるように。
「あひっ……ひあぅ…ぅぁ……あくぅぅ……んぁぁ……」
 執拗に責められ続けて夏美はおそろしくしまりのない顔をしていた。顔に力が入らない。
 頬の筋肉が緩む。涙も涎もともに垂れだす。それは夏美の脳が快楽に浸された証。
(駄目ぇ……おかしくなっちゃう……あたし…おかしくなっちゃうよぉ……)
 かつてない悦楽の波に夏美は溺れかけていた。溶かされてしまう。このまま身も心も。
 頭の中はもう真っ白だった。なにも考えられない。この悦びだけをただ感じていたいと。
「ひあっ!あひあっ!あうぁぁぁあああっ!!」
 そうして迎えた二度目のオルガズム。最初のとき以上の愛液の噴水をたてながら夏美は果てる。



「はぁ…はぁ……あっ……はっ……あ…うぁ……」
 自身の愛液で汚れたシーツ。その上に夏美は大の字になってはりついている。
 全身に力が入らない。もうぴくりとも動けそうにない。さながら標本の昆虫のように。
(あたしもう駄目……あたま…溶けてる……)
 自分の心も身体も、もう既に自分のものでなくなっている。そのことを夏美は感じる。
 ならば誰のもの?それは言うまでもない。所有者はすぐ目の前にいる。
「これだけ慣らしておけば問題なさそうだね」
 にっこりと微笑むその笑顔。神の使いかはたまた大魔王か。決して抗えない。
 そんな存在として籐矢は夏美の前に君臨していた。言うなれば今の夏美は彼への供物。
 けっして強要されているわけでもないのに捧げずにはいられない。そんな魔力の持ち主。
「それじゃあそろそろ本番といこうか」
 そう呟かれた瞬間、夏美は僅かに反応する。ああ、ついにやって来たのだと。感慨深く息を吐く。
 迷いがないわけではない。恐れはそれこそ十二分にある。けれどそれらを一気に断ち切ってしまう力。
 そんな力に自分がすっかりとらわれていることを夏美は感じた。
(本当にしちゃうんだ……このまま……)
 前にもした自問。今度は実感をともなって。これからする。籐矢とセックスを。
 ふいに頭に浮かぶのはYES or NO. けれど実際の答えは一つしかない。
 どうあがこうとYESを選ばされる。そんな予感が夏美にはある。
「あっ…………」
 するり。籐矢が下を脱ぐ。露わになるシンボル。夏美の想像よりも逞しいものだった。
(……本当に入るのかな……あんなの……あたしの中に……)
 処女の夏美にしては当然の疑問。少しだけ不安になる。だがそれさえも見通していたのかそっと耳元で囁かれる。
「大丈夫だよ」
「っ…………………」
 そう言われると信じる以外の行動は封じられてしまう。やはり彼は性質の悪い悪魔だ。夏美はそう思った。
(結局……あたしが持ってる選択肢……なしくずしにみんな持ってっちゃうんだもん)
 そんな悪魔に目をつけられたこと。不運に思わないでもないが不快ではない。魅入られるということ。
 その意味を夏美は自分の身で持って今、思い知っている。
「んっ……」
 夏美は目を閉じた。それ籐矢が決めたYESのサイン。それを確認して籐矢はそっと顔を寄せる。
 ふわり。そんな感じに柔らかく重なる唇。そうしてもう一箇所。接触しあう互いの一部と一部。
 ゆっくり。ゆっくりと夏美の内に押し込まれていく。ビクンと震える夏美。それを籐矢は抱きしめる。
(…うあぁぁ……ぁぁぁ……ぁ……)
 言葉もなかった。なにかが身体の中に染み込んでいく。奥の方まで。
(入ってる……入ってるよぉ……あたしの中に深崎君が……) 
 痛みはあまり感じない。十分な前戯ゆえか。多分それだけではない。虜にされているから。
 橋本夏美は深崎籐矢にその心の芯まで。
(深崎君……)
 そうして行為を終えるまでの長い刹那、夏美はその身を籐矢に預け続けた。




「……………………………」
 夏美はしばらく無言だった。行為を終えてぽっと火照るのは身体。なにをするにも身体に心が追いつかない。
「どうだったかな。ご感想は?」
 そんな夏美に籐矢は不躾に聞いてくる。しれっとした真顔で。こいつ絶対わざとだ。夏美は確信する。
「っ…………………………」
 夏美は少しぶすっとした顔をする。結局、最初から最後まで彼のペースだった。自分はされるがまま。
 それは面白くない。面白くないはずなのに。
(言えるわけないじゃない。あれがすっごく気持ちよかっただなんて……)
 最高に気持ちよかった。それは天にも昇る心地だった。けれどそれを言ってしまうとなんだか負けたような
 気分になるので絶対に言わない。かわりに呟く。
「絶対……初めてじゃないよね……深崎君って」
 行為を経て得た率直な感想。あまりにも籐矢は手馴れていた。夏美にもそれがわかる。
「ねえ?キミはいったいどれだけの女の子を泣かしてきたのかな?正直に教えてよ。あたしに」
「………はは………それはまあ……トップシークレットということで……」
 思わぬ反撃に籐矢はたじろく。冷や汗が見える。彼には珍しい仕草だ。
「あたし嫌だからね。この先、深崎君の昔の彼女とかが出てきてお昼のドラマみたいな修羅場なんて」
「大丈夫だよ。そういうことはまずないから」
 どこか確信を含んだ調子で籐矢は言う。
「たぶんね」
 そして言いながら微笑む。どこか寂しげとも懐かしげともとれる色を浮かべながら。
 そんな籐矢を夏美はしばらくジト目で見やるが次の問を尋ねる。
「深崎君ってあたしのどこを好きになったの?」
 それはこの一ヶ月、夏美が抱き続けていた疑問だった。
 ナニまで済ませた後で尋ねるのもなんだがこの際、ついでに聞いてみる。
「なかなかに答えにくい問いかけだね」
「うん。でも答えて」
 問われてみてこれは仕方ないと籐矢は溜息を吐く。そして答える。
「本当にきっかけは他愛もないことだよ。橋本さんと僕が前に付き合ってた女の子が少し似ている感じがしてね」
 そこまで言って一拍。少しだけ間をおいてから籐矢は続ける。
「自分では吹っ切ったつもりではいてもやはりひきずっていんだろうね。最初に声をかけたきっかけはつまりはそれでね」
 籐矢は語る。その表情に嘘はないと夏美は感じる。



「そんなに好きだったんだ。そのあたしに似てるって娘のこと……」
「まあね」
 少し困ったように頭を掻く籐矢。いつもの飄々とした物腰から垣間見える歳相応の彼自身。
 籐矢の胸に手を当てたときの鼓動の音。夏美は思い出す。
「今でもその娘のこと好き?できればよりとか戻したい?」
 夏美の問いかけは続く。その問いかけに籐矢は
「好きか嫌いかと聞かれれば好きとしか答えようがないよ。けれどよりを戻したいとは思わないね」
「なんで?」
「君は馬鹿か?」
 尋ね返す夏美に籐矢はまるでどこぞの眼鏡兄弟子のような口調で即答する。馬鹿と言われ夏美は一瞬、
 ムッとする。けれどすぐに気づいた。ぴっと指し示す指先。籐矢が自分を。
「あ……」
 ぽかんと夏美は口を開ける。そんな夏美にやれやれと籐矢は答える。
「いくら僕でもそこまで節操なしじゃないよ。彼女は彼女。橋本さんは橋本さんだしね」
「…………そうだね。ごめん」
 夏美は素直に謝った。確かにそれは失礼だっただろう。籐矢に対しても。籐矢の昔の彼女に対しても。
 そして自分自身に対しても。
「まあそんなことを言ってはみても引きずってはいるよ。そう本意な別れではなかったからね」
 すると今度は籐矢が溜息づく。溜息づきながら曰く。
「あるいは僕こそ橋本さんに失礼なことをしているのではないかと感じることもあるよ」
 それは偽らざる籐矢の心情の吐露だった。それに対し夏美は
「別にいいよ。そんなの」
 そうあっさりと答える。
「昔の話でしょ。その娘はその娘。あたしはあたしなんだしさ。あたしだって前に好きだった
 人とかいないわけじゃないし。まあ、深崎君みたいにつきあったりとかはしてないけどさ」
 あっけらかんと夏美は言う。籐矢は自分の問に正直に答えてくれた。それだけで十分だと。
「それに深崎君……確信犯でしょ?あたしなら絶対そう言うだろうって……」
「う……」
 図星だった。まあ夏美のこういう性格を見極めていなければそんな不用意な話はしないわけで。
「まあいいけどさ……その代わりといっちゃなんだけど……」
 そう言って、夏美は少しはにかみながらそして告げる。
「これからももっと色々と聞かせてね。あたし、深崎……じゃなくて籐矢君のこともっと知りたいからさ」
 繰り出されるのは弾けるような笑顔。不覚にも当てられていた。籐矢の方が。
「ああ、分かったよ。夏美さん」
 籐矢も答えた。いつもどおりの胡散臭い笑顔。その頬らへんをほんのりと染めながら。
(君は怒るだろうか。それとも悲しむだろうか。すまない。だけどこれが僕の選んだ道だから)
 彼女と離れ元の世界で生きるという自分の選択。間違っていたとは思わない。けれど未練はあった。
 だがその未練を籐矢は今、断ち切る。そして籐矢は追憶の中のくせ毛の少女に別れを告げた。


 〜fin〜

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