カイル×アティ



 目覚めて最初に見たものは、日に焼けた浅黒い肌と、その肌の色とは対照的なまでに白い包帯だった。
 部屋の中を照らす窓からの光は間違いなく明け方の曙光で、そうまぶしくはないものの、アティは少し目を細めた。
 そうして幾度か瞬きを繰り返し、その包帯が肩に巻かれた物で、彼女自身が巻いたのだとようやく思い出す。けれど、右肩に包帯を巻かれているのは目覚めた彼女ではない。彼女の隣でまだ深い眠りの中にいる彼の方だ。
 広く厚い胸に抱かれ、彼の右肩を枕に眠りにつくのは同じ夜を過ごした時の習慣のようなもの。普段であれば、先に起きてしまった朝は彼が起きるまでそのままおとなしくしているか、もう一度心地よい眠りに戻ってしまうかのどちらかなのだが、その朝の彼女は違った。
 そのまま眠り込んでしまいそうな心地よさから自分を引き剥がし、疲労にも似た一夜の余韻が響く体をなんとか起こしたのは、よりによってその包帯を巻いた肩を自分が枕にしていると気がついたから。仮にも怪我をしている肩を枕にしているなど、と焦って体を起こそうとするものの、全身にまだ残っている昨夜の余韻がそれを拒む。
 体を起こすまでに吐息を幾つかこぼし、それでもどうにか起き上がる。体を起こして寝台の上に横座りになった時、かけられていた薄手の毛布が彼女の細い肩から滑り落ち、朝焼けのやわらかな光の中、陶器のようにすべらかで白い肌があらわになる。紅玉(ルビー)と紅瑪瑙(カーネリアン)を溶かし込んだような長く紅い髪がその白い肌を縁取るように覆い、夜陰にまぎれて落とされたいくつもの紅い花をそっと隠す。
 彼にはまだ目覚める気配がない。
 そのことにほっと安心し、包帯を巻いたカイルの右肩に触れる。
 昨夜、この包帯を巻いたのは今までその肩を枕にしていたアティ自身で、包帯の下にある傷は彼女の身代わりになったようなものだった。
 指先だけで右肩に触れた後、眠りを邪魔することのない優しい光に照らされるカイルの頬に触れ、額に落ちかかる前髪の下にそのまま指を滑らせる。静かに手のひらで触れた彼の額は熱を持っている様子もなく、傷からの発熱がないことに、安堵のあまりにアティは思わず微笑む。
 この様子なら大丈夫。もう少し、寝かせてあげなきゃ。
 心の中でそう呟いて、彼の上に一枚しかない毛布をかけ直す。つい先ほどまで二人で分け合っていた温もりを彼に与えて、なるべく物音を立てないようにアティは寝台の上から降りようとした。かすかにきしむ寝台の音にも一瞬どきりとし、そのたびに彼の寝顔をうかがったが、幸いなことに彼は寝入ったままである。
 寝台の上から部屋を見渡すと、絨毯の上の少し離れた場所に、昨夜身につけていた服を見つけることが出来た。しかし、その服は昨夜彼の手で引き剥がされた時のままで置き去りにされていて、取りに行くにはほんの数歩ではあるが歩かなくてはならなかった。
 誰も見てはいないものの、何もまとわない姿で部屋の中を歩くことに頬を赤らめた彼女の瞳に、寝台のすぐ下に脱ぎ捨てられた彼のシャツが映る。自然と手が伸び、寝台の上に座ったままそのシャツを拾い上げ、アティはそれに腕を通した。
 大柄なカイルのシャツは彼女の細い体が中で泳いでしまうほどで、ボタンを留めるのもわずらわしく、彼女はそのまま寝台から降りた。
 シャツの下に入っていた長い髪を首筋からかきあげるようにたくしあげ、寝乱れた跡もなくまっすぐなその髪をゆっくりと背に下ろす。その刹那、男に愛されることを知った女の体の優美な曲線が、白いシャツの下から朝陽に透けて浮かび上がる。長い髪がシャツの上から背を覆い、その髪を揺らして彼女は大きな張り出し窓へと歩み寄った。交差する白い足の間には、ひときわ強く残された花の跡が忍びやかに咲いている。
 窓越しに外を眺めると、水平線上に太陽が現れるまでにはもう少し時間があるようだった。立ったままでいるのも気だるく、アティは張り出し窓の窓辺にそのまま腰を下ろした。
 体を斜めにむけて肩を預けるように窓に寄りかかり、静かな夜明けの海に目を向けて、彼女はそのまま瞳を閉じた。


 反吐を吐くという言葉をそのまま表情にしたかのように、たちが悪いとカイルが評した別の海賊の襲撃を受けたのはつい昨日のこと。
 穏やかな航海の最中に突如として受けた襲撃ではあったが、自分たちが襲ったのが近海では無敗を誇るカイル一家だと知ると、相手方は明らかにうろたえ、戦意をなくした。
 無用の流血を好まず、相手が逃げるのであれば追わないと言い切ったカイルだったが、その一瞬の隙をつかれてしまった。
 甲板での戦いをよそに、船尾からひそかにこの船に乗り込んだ敵方の数人が、カイルたちから離れた船尾近くで事態の推移を見守っていたアティを標的としたのである。
 初めて間近でみる海賊同士の戦いに目を奪われていたせいか、普段であれば確実に気がつくはずの気配に、彼女は完全に背後を取られてしまうまで全く気がつかなかった。
 気がついたのは、こちらを見たカイルが、怒号に等しい声で彼女の名を呼んだ時。
 振り返った視界の中で不吉な光をひらめかせていた半月刀の一撃をかわせたのは、カイルの叫びとそれまでの戦闘経験の賜物だろう。
 おそらくは人質として彼女を捕らえるつもりだったのか、数人がかりで襲いかかってきた海賊たちの斬撃をかわすことで精一杯のアティの目に再び半月刀の刃が迫った瞬間、刃と彼女の間に見慣れた背中が割り込んだ。それがカイルの背だと悟ったその時、半月刀の斬撃は彼が掲げた右腕の手甲と衝突して鈍い音をたてた。
 利き腕の手甲で一撃を受け止めたカイルだったが、それゆえに相手の手元が狂った。彼女を背にかばい、不利な姿勢にならざるを得ない彼の右肩を、はじき返された半月刀が運悪くなで斬るようにかすめた。
 血に染まる彼の右肩にアティが息をのむより早く、そんな傷など受けなかったかのように、完全に間合いを読みきったカイルの右腕が容赦なく目前の敵に叩き込まれていた。
 遅れること数瞬、駆けつけたスカーレルの剣がもう一人を鮮やかに切り裂き、ほぼ同時にソノラの銃の弾丸が狙いをあやまることなく残る一人の腕を撃ち抜いていた。
 一度は見逃すと言ったカイルだったが、彼のその後の怒りは凄まじいものだった。
 アティの手前、命までは取らなかったが、特に背後から彼女を襲った三人に関しては、無表情で海に放り込めと言ったきりだった。
 彼の肩の傷を気遣う彼女に、自分よりも他の奴らを先に手当てしてやってくれと言い、簡単な止血ばかりをしてカイルは戦意を失った残りの海賊に淡々とここから立ち去るように告げた。その無言の迫力と怒りのすさまじさは、表情のなさと静かな低い声だからこそ、襲撃者たちを震え上がらせた。
 その後、結局アティがカイルの手当てを出来たのは、夜半も過ぎた頃だった。
 出血はあったがそう深い傷ではなく、彼女がどうしてもと言って施した応急手当が功を奏したのか、血も完全に止まっていた。
 それでもしばらくは右腕が思うように動かせないのは事実で、治癒の召喚術を使おうかと言い出したアティに、カイルはやめろと言った。
 俺の油断が招いたことだ。このままでいい。
 そう告げるカイルの心境を、アティはおぼろにではあったが察することが出来た。
 彼が悔いているのは、おそらくは自分の油断が原因で彼女を危険にさらしたこと。駆けつけるのが半歩でも遅れていたならば、彼女は今頃敵の刃を受けて倒れていたかもしれず、その油断を自分に戒め、一時でも長く痛みとして残すことをカイルは選んだのだと。
 手当てをする間、二人は無言だった。
 最後に包帯を巻き終わった後、アティはその肩にそっと顔を伏せた。
 …ごめんなさい。
 そう小さく呟いた彼女の髪を、彼の左手がぎこちなく撫でた。
 彼が油断したと言うのであれば、それは彼女も同様の過ちを犯したのだ。普段であれば気がつくはずの敵の気配を察することが出来ず、こうやって彼を傷つけた。致命傷などとはほど遠いとはいえ、現に彼は彼女の身代わりになって傷を負ってしまった。
 涙をにじませるアティの顔をどこか困ったような表情で覗きこんでいたカイルだったが、その手がふと彼女の首筋に触れた。
 そこにはあったのは、一筋の乾いた血の線。
 もう少し深く刃が彼女のその喉に入っていたならば、致命傷にもなりえた傷。
 かわしきれなくて、かすっただけだからと説明する彼女の言葉が終わるか終わらないかというその時、無骨な指が首筋にかかる紅い髪をかきあげ、口づけを落としていた。
 いたわるようなものではなく、何かを欲するような強いその行為にびくりとアティが背を揺らすと、彼はそのまま彼女を座っていた絨毯の上に組み伏せた。
 怪我をしているのに、という抵抗など無きに等しいものだった。
 殺伐とした戦いの後で抱きしめる肌を欲して血がたぎっていたのか。
 紙一重のような確率で無事だった彼女の命を確かめたかったのか。
 いつにない性急さで肌を暴いていくカイルの手に、抗うすべもなかった。
 何度彼を受け入れて、何度目に意識を手放したのか覚えていない。
 ただ、されるがままに彼の熱を体の奥深くまで受け入れて、幾度も繰り返される律動に体を揺らされ、彼女の名を耳元で呼ぶ彼の声に嬌声で応えた。
 ひんやりとした窓ガラスに体を預けているにもかかわらず、昨夜のことを思い出すと肌が火照りだす。
 思い出すまいと固く目を閉じたアティの耳に、重い何かが床を踏みしめる音が聞こえたのはその時。
 え、と目を開けた時には、張り出し窓に座った彼女を閉じ込めるかのように、たくましい二本の腕が窓ガラスとその体とで強固な檻を作り出していた。
 夜陰にまぎれて彼女の名を呼んでいた低い声と同じものが彼女の耳に滑り込む。
「…黙って抜け出すんじゃねえ」


つづく

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