タケシー大好きビジュ 10



「ヒヒヒッ……ウィゼルさまほどのお方が、お一人で何の御用があってこんなところに?」
 ビジュは探るようにウィゼルに問いかけた。
「それは俺も訊きたいところだ。……砕けた魔剣を探してみれば、このようなところに出くわすとはな……。おかげで探して回る手間が省けたが……」
 そう言うとウィゼルは、ビジュの側で横たわるアティとベルフラウの姿に眼をやる。その表情からは感情は読めなかった。
 再びウィゼルはビジュに視線を戻す。
「まさか、お前があのツェリーヌの一撃を免れていようとはな」
「運が良かったみたいでしてねェ…イヒヒヒッ」
 ビジュがウィゼルの足元に碧の剣帝のカケラを投げる。
「ウィゼルさまもそいつをお探しで? ……だったらそいつはウィゼルさまに差し上げますよ。それで今は見逃してくれませんかねェ……?」
 ビジュにとって、それはもはや何の価値も無い物だった。そんな物で目の前の男が退いてくれるというのなら、それだけで充分だった。
 だが、ウィゼルは退かない。そしてハッキリとビジュに命ずる。
「……そこの女と娘も渡してもらう」
 その言葉にビジュは一瞬呆然とした表情を浮べた。
「いくらウィゼルさまの命令でもそいつは聞けねェなァ……ヒヒヒヒヒヒッ」
 元々ウィゼルも自分を殺しかけた無色の派閥の一員。そんな男の命令などにビジュは応じてやるつもりはなかった。
 ビジュが本性をウィゼルに見せ始めた。
「あのときだって散々帝国の軍人を殺してた手前ェが、まさか今さら、善人みてェに、こいつらを助けようって言うんじゃねェだろうな?」
「……」
 ウィゼルはビジュの問いに無言で答えた。
「だんまりかよ……。この女どもを俺がどうしようと、手前ェには関係ないだろうがよッ!?」
 ビジュが不快感をあらわにして叫ぶ。そんなビジュにウィゼルは再度宣告する。
「おとなしくそこの者たちを渡して立ち去るがいい」
「いやだって言ったらどうするんだよ?」
「……」
 今度のビジュ問いには、ウィゼルは腰元の剣の柄に手をかけることで答えた。
「……だろうなァ……イヒヒヒッ」
 ビジュはあきらめたように応えると、身体のいたるところに隠された投具の一つに手をやる。
 自分は目の前の男を相手にできるのだろうか。
 ビジュは瞬時に思考を張り巡らせる。
 ウィゼルはオルドレイクの傍らにいつもいた男だった。それだけオルドレイクから受ける信頼も厚く、実力もかなりのものなのだろう。
 ビジュにとってウィゼルの実力は未知数だった。
 だが、相手は今は一人。そして武器は剣。
 間合いを取りつつ攻撃を繰り返していけば、勝機は自分にあるとビジュは考えた。
「ヒヒヒヒッ……後悔させてやるぜェ」
「ふ……俺に勝てるつもりか?」
 ビジュから戦闘の意志を悟ったのか、ウィゼルから凄まじい闘気が放たれる。
「……っ!?」
 その闘気にビジュは足を一歩後ろに下げそうになるが、グッと堪えた。その闘気だけでもウィゼルの相当な実力が、ビジュに伝わってくる。
「お前のような男が俺を相手にできると思うておるのか?」
「く……ッ!なめやがって……くたばりなァ!!」
 纏わりつく相手の闘気を振り払うかのように、ビジュは大きく叫ぶと、身体を動かし、攻撃を仕掛けた。
 放たれたジョーカースローが的確にウィゼルの急所を狙う。だが、ウィゼルはそれを紙一重のところで回避すると、一瞬でビジュの懐まで踏み込み、腰の剣を横に抜き放った。
「ちっ!?」
 ウィゼルの素早さと繰り出される、そのあまりにも速い攻撃に、ビジュは一瞬驚愕の表情をつくる。しかし、ビジュもまたその一撃をすんでのところで避けてみせた。
 切っ先がビジュの目の前に突きつけられていた。突きつけられたウィゼルの剣は、鬼妖界シルターンのサムライが用いるカタナだった。
 それは切り裂くことを目的とした、極めて鋭い刃を持つ武器。回避できなければ命は無かったかもしれない。
 ウィゼルの刃が美しくも妖しく光る。
「ほう……」
 必殺の一撃を避けて見せた、そのビジュの俊敏さにウィゼルは意外そうな顔をして感心する。
 お互いの脚の素早さと動きの俊敏さをビジュとウィゼルは、この最初の両者の一撃で理解し合った。
 ―-それはほぼ互角。
「少しはできるようだな……。だが、お前は俺に勝てぬ」
 次はウィゼルから攻撃を仕掛けてきた。次々と斬撃が繰り出される。だが、ビジュもその一撃一撃を俊敏に次々と巧みにかわす。
「なめるんじゃねェ!!」
 ウィゼルの攻撃をしのぎつつ、ビジュもまた投具を相手に放ち続けた。しかし、お互いの素早さが同じである以上、ビジュはウィゼルとの間合いを十分に取ることができないでいた。
 後退しつつ攻撃するビジュとそれに向かって踏み込みつつ攻撃していくウィゼル。
 ウィゼルの重い一撃とビジュの細かな攻撃が交錯し合う。
 しかし、回避できなければ致命的な一撃であっても、それを当てることができないウィゼルに対して、深い傷を与えられないではいるが、ひたすらに攻めたてるビジュの投具による攻撃は、確実にウィゼルの身体に細かな傷を残していった。
 ビジュは戦闘において飛び交う矢や、銃弾を完全に見切ることができる眼を持っていることに対して、ウィゼルにはそれがなかった。
 そこにこのような戦闘の差が生まれていたのだ。
 次々と迫る投具の刃を見切ることは、さすがのウィゼルにも困難を極めていた。
 いける!
 ――-そうビジュが確信したときだった。
「大した動きだ。だが、そのような玩具で俺を止められると思うておるのか?」
 ウィゼルが冷たい声でビジュに言い放った。自分の確信を覆すようなウィゼルの一言に、ビジュは動揺が走った。
「何を言ってやがるッ!?」
 攻撃をしながらビジュは後退を続けた。
 またウィゼルが踏み込んでくる、そうビジュは予測した。ビジュは次のウィゼルの一撃を読む。
 しかし、ウィゼルがビジュに踏み込んでくることはなかった。その動きは止まり、剣も鞘に収められ、ウィゼルは奇妙な構えをしてみせる。
「……っ!?」
 ウィゼルのとる不可解な行動とその余裕がビジュには理解できなかった。
 やっとウィゼルとの間合いがとれたというのに、ビジュは自分に迫る危機感を拭えない。
「な、何のつもりだ……?」
「見せてやろう……イスラの小僧さえも退けた、我が居合いの技を……」
 居合い――。
 ウィゼルの言葉の中にあった、その一つの単語に、ビジュはハッとした表情をつくる。
 このウィゼルがとった行動も、あの構えも次の絶対的な一撃の予備動作なのかもしれないということに、ビジュは気づいたのだった。
 帝国軍にいた頃にビジュは聞いたことがあった。
 居合いとは、鬼妖界シルターンの剣士、サムライが用いる特殊な剣法。特殊な構えと精神の集中によって、刃に己の意を走らせて放つ一撃。達人ともなれば、硬度や距離さえも無視して、目標を切断してのけるというほどの技だ。
 その話が本当であるならば、今やっとできた自分と相手とのこの間合いさえも、まったく無意味なものであることをビジュは悟った。
 まさか、この男がその居合いの使い手だとでもいうのか――。
「さらばだ……」
 ――全ての答えが次の瞬間にビジュに示された。
 抜く手も見せずに、ウィゼルの刃が一閃した。凄まじい剣風が巻き起こり、その一閃は光と共に前方のビジュを切り裂いたのだった。
「がッああああァァッ!!」
 ビジュの口から苦痛の悲鳴が上がった。その叫びが暁の丘に響き渡る。
「言ったであろう……お前は俺に勝てぬ、と」
 薄れていく意識の中でビジュはそんな冷たいウィゼルの言葉が聞こえた。


 この島に着てからというもの、ビジュは記憶の底に閉じ込めていたものを次々と思い出していった。
 ――忘れ去ろうとした、あの日々を。
 それがビジュの心を掻き乱していた。
 きっかけはあの船の中でアティと出会ったことだったかもしれない。
 しかし、ツェリーヌの召喚術に死に掛けたとき、またはベルフラウとアティの二人を眺めていたとき、あるいはもっとさまざまな場面でも、何かがビジュの記憶の底に触れてきた。
 そして今また、ウィゼルの一撃で意識を失いかける中、忘れ去った記憶にビジュは還っていた。
 ――あの運命の日に。

 目の前で仲間が倒れている。
 その親友である剣士は男の手から、握られた愛用だった銃を取ると、胸元で手を組んでやる。
「これで俺たちの部隊は三人だけになってしまったな……」
 男は後ろにたつビジュと仲間の召喚兵に声を掛けた。
「あァ……」
 ビジュがうわ言のように呟くと、その言葉に頷く。
 自分がここに残るという決断をしなかったら、目の前で静かに眠る仲間も、こんなところで倒れることは無かったのかもしれない。ビジュの心には後悔と罪悪感が過ぎっていた。
「そんな顔するな、ビジュ。あいつは後悔なんかしてないさ……」
 目の前の男はそうビジュを励ますと、自分の剣をビジュに差し出す。
 鬼妖界シルターンのサムライが用いる剣、カタナのような柄を持った、珍しい形の剣だった。
「……何だ、こいつは?」
 ビジュは差し出された剣に困惑を示した。
「お前の剣、もうボロボロだぞ。そんな武器でどうやって戦う?」
 男の言うとおりだった。ビジュが手に持つ剣は、もう何人もの敵と斬り合う間に刃が折れ、元の形を留めてはいなかった。
 だが、そんなビジュの剣とは対照的に、男の剣は何度戦いを経ても、幾人もの敵を斬り倒そうとも、刃毀れ一つしてはいなかった。
「こいつを使え。安物の剣とは違うぞ」
 ビジュは知っていた。目の前の剣士は代々帝国の軍人を輩出している家系であり、この剣もまた代々受け継がれていく、家宝のような物だということを。
 酒の場だったが、自分が剣を受け継いだということを嬉しそうに漏らした、目の前の男をビジュは鮮明に覚えていた。
 この剣が、どこであったか有名な海上都市で特別に造られた物だという話も聞いていた。
 そんな仲間の大事なものだからこそ、さすがのビジュも遠慮をして、その剣を持とうと手が出せない。
「いいのかよ……大切な物なんだろ?」
「気にするな、ビジュ。仲間一人の命より大切なものなんてない」
 男が言う、その仲間一人の命は、自分の命を指していることをビジュは理解していた。
 投具も尽き、剣は折れ、その上ビジュには召喚術の心得すらなかった。
 確かにこのままでは自分の身を守ることすらできない。
 ビジュは男の心遣いに感謝しつつ、その剣を手にした。
「すまねえ……しばらく貸してもらうぜ。……だけど、手前はどうやって戦うんだよ?」
「俺にはこいつがある」
 そう言って男は、よく使い古された銃を手にするとビジュに応えてみせる。倒れた仲間の遺品だった。
「もうしばらく、こいつにも一緒に戦ってもらうさ」
 男はそう言って最後にもう一度だけ、倒れた仲間を目にすると二度と振り返ることはなかった。
 ビジュもそれを黙って見つめていた。

「ゲレレ!ゲレーッ!」
 突然の上空からの奇妙な鳴き声にビジュたちは我に返った。仲間が偵察に召喚していたサプレスの精霊、タケシーの鳴き声だった。
「敵が来るぞ!」
 召喚兵の鋭いささやき。
 偵察により、自分達の前方には大きな敵部隊があることは察知していたが、敵兵がいつの間にか背後まで回っていたことまでは、さすがのビジュたちも気がつけなかった。
 前へ逃げることができない以上、後方からやってくるこの敵兵たちを退くしかない。
「見張りのつもりが見張られていたみたいだな……!」
 召喚兵が皮肉交じりに言いながら、召喚術を唱える準備に入った。
「三人だけだとっ!?……囮か……?」
 やってきた敵兵の中から驚きの声が上がる。
 だが、ビジュたちは自分たちが、囮のような使い捨ての駒ではないということを信じていた。
「俺たちは囮などではない!」
 だからこそ、仲間たちからも、そう否定の声が上がるのだ。 
 それが帝国軍のある一部隊、その最後の戦いの始まりだった。

「何とかやりすごしたみたいだな……」
 ビジュがあたりを見渡すと背後を振り返って言った。
 たった三人という人数を相手に手間取り、そして、そんな囮かもしれない者たちを相手に時間を掛けることが、敵の兵たちの戦いに焦りを招いたのだった。運良く、敵兵たちの個々の実力が低く、数も少ないこともあったが、そこをビジュたちは上手く切り崩していった。
 だが状況は変わらない。
「本隊はまだなのか……」
 悲劇が起こったのは、その直後だった。
「ビジュッ!」
 不意に仲間の召喚兵の叫びが飛んだ。同時にビジュの背中に何かがぶつかってくる。
 突き飛ばされた格好のビジュは一歩前によろめき、体勢を立て直して背後を振り返る。
「お、おいっ!?」
 召喚兵の軍服の胸元が赤く染まり、その輪が急速に広がっていく。
「大丈夫……だ――」
 起き上がろうと男はそのまま力を失って地に伏した。
「ゲレレッ!」
 タケシーが悲鳴のような鳴き声を上げて男に飛んでいく。
「くそ!まだいたのか!?」
 仲間の剣士がそう悲痛な声を上げた。

 ビジュは射線から敵の銃使いの位置を探し当てると、その方向へ疾風のごとく駆けた。
 敵を倒したビジュが戻ってくると、タケシーが仰向けに倒れた男の上をグルグルと回っていた。
「おい……」
 ビジュの問いにタケシーは悲しい鳴き声を上げるだけだった。サプレスの精霊であるタケシーには人の魂の輝きが見える。しかし、今このタケシーに見えるのものは、急速に失われていく自分の主の魂の輝きだけだった。
「ゲレッ!ゲレッ!ゲレーッ!」
「は、ははっ……このままじゃ、おまえ、……はぐれになっちまうかもしれなよ、な――」
 男はそう口にすると、自分を悲しげに見つめる召喚獣のために送還術を唱え始めた。その詠唱は苦しさからか、途切れ途切れなものだった。普段は数秒かからない詠唱が、長く長く唱えられる。
「今まで、あり、がとよ……」
「ゲレレ……」
 召喚士は、長い間自分に仕えてくれた召喚獣に最後にそんな別れを告げた。
 男の手に握られた、紫色のサモナイト石にタケシーは帰っていった。
 だが、男は握る手の力が入らないのか、そのサモナイト石を緩んだ手からこぼれ落とす。
 ―-―しかしビジュの掌がその落下を防いだ。
「おっと!……大事なもんなんだろ?しっかり握ってろよ」
「へ、へへ……すまん――。ちょっとの間……持ってて、くれよ。……無くすなよ?」
 ビジュが黙って頷く。
 重苦しい沈黙が流れた……。

 だがそんな重い沈黙も、前方からくる新たな敵の気配によって破かれた。
 おそらく、あの大きな部隊が動き出したのだろう。
 仲間の剣士がビジュと倒れた仲間を交互に見つめると、覚悟したように声を上げる。
「ビジュッ!そいつを運んで逃げろ!!」
「な……いきなり何を言ってやがる!?」
 突然、自分に向って逃げろという仲間にビジュは戸惑った。
「行け!そいつはもう戦えない……お前が連れて、避難させるんだ!」
「馬鹿言ってんじゃねえ!手前だって、もう戦えないだろ! 弾もないのにどうやって戦うんだよッ!?」
 男の銃にはもう一発の弾も込められていないことを、ビジュは気付いていた。それにビジュも仲間を置いて、この場から逃げ出す気などなかった。
「……本来のやり方で戦うのさ」
 男はそう冷静な口調で言うと、倒れた敵兵から剣を拾い上げると、それをビジュに構えてみせる。そんな男の余裕のある仕草がビジュを苛立たせた。
「だが、一人で戦うのは無茶だぜッ!?」
「お前はあのとき、たった一人でも残ろうとした……俺も同じだ。俺にも守りたいものがある――」
 男がそう口にするとビジュは言葉を無くした。
 目の前の男は自分と同じなのだ。
 仲間を連れて逃げるか、残って敵を食い止めるか、今はその役回りが違うだけで。
「それに旧王国のやつらに言ってやりたいのさ」
 そう言って男はニヤリと笑った。それは倒れていった部隊の仲間と親友のことを思ってかもしれない。
「……帝国軍人をなめるなってな」
「俺だって戦っ……」
 ビジュも残って敵を食い止めたかった。
 だが、迫る敵の気配が、選択の議論をしている間もないことを伝えていた。
「そいつを……頼んだぞ」
 男はそう言って、ビジュに背を向けた。
 もう目で姿を確認できるほどに敵は近づいていた。
 そしてビジュに最後の声を掛けた。
「走れッ!!」
 仲間の剣士は敵に向かって駆け出して行った。二度と振り返ることなく……。
「……ちくしょうがッ!!!!」
 脈が弱々しくなっていく仲間を肩に担ぎ上げ、ビジュもまた男を振り返ることなく、駆け出した。

「……ビジュ……」
 もうどれくらい走っただろうか。召喚兵がビジュに背中で弱々しくささやいた。
「俺を……置いていけ――おまえ、まで――」
「馬鹿を言うんじゃねえ!じきに仲間が来る――」
 ビジュの声に男はかすかに微笑んだ。
「そうか……そうだよな」
 ビジュはそんな男の返事に満足そうに笑むと会話を続けた。
「それに、あいつに任されちまったからな。手前のこと」
「へへ……迷惑かけるな――」
 ビジュの首筋にかかっていた息も切れ切れになっていく。ビジュの背中で男の体が急速に冷たくなっていくのが感じられる。
「お前と残って――俺たち、良かったよ――」
 もうどんな会話していたのか、ビジュにはわからなかった。最後はそんな言葉で男の声はとぎれた。
「おい、もう少しだ。もう少しだ……」
 ビジュは何度も何度も、そう繰り返し続けた。だが、無駄でしかなかった。本隊の助けも来ることなく、敵が再びビジュの目の前に現れた頃には、最後の仲間の一人は帰らぬ人となっていた。
 ――ただの捨てゴマだったんだ!!囮だよ、敵を欺くための!
 戦場を去っていったあの兵士の叫びがビジュの耳に残っていた。
 ビジュの手には紫色のサモナイト石と一本の剣だけが残っていた――。


 夢はそれで終わった。
 倒れていたビジュの意識は急激に覚醒した。光を失いかけた眼にまた力強さが戻る。
 ウィゼルの居合いを受けて、間もない時間だった。
 だが、ビジュにはとても長い、長い間、夢を見ていたように感じた。
 昔を思い出すと、ビジュは決まって気分が酷く悪くなる。
 後悔、絶望、憤怒、憎悪……。
 そんなあらゆる負の感情が入り混じった、最低の気分だ。
 だが、不思議なことに今のビジュの心は悲しみしかない。
「……ちっ!……何なんだよ」
 ビジュはそう呻くように呟いた。
 もう既に息は無いものと思った相手の口から言葉がこぼれ出した、その驚きからウィゼルは振り返る。
「……まさか、俺の居合いまでも免れるとはな」
 ビジュはそんなウィゼルの言葉を受けながら、再び立ち上がった。ウィゼルの居合いの傷は深いが致命的なものではなかった。
 ビジュの胸元の居合いの切り口から一つのサモナイト石が零れ落ちた。
 ――それはサプレスの紫色のサモナイト石だった。
「それがお前の命を守ったか……」
 碧の賢帝、紅の暴君、使い手の意志を体現する魔剣というものは、その元はサモナイト石と同じである。ならばサモナイト石もまた、それを持つ者の心の強さで、その強度が増すことがあったとしてもおかしいことではない。
 だが精錬され、武器となった魔剣と、ただの鉱石でしかないサモナイト石は決定的に違う。
「俺の居合いを防ぎきるほどの硬度……。よほどお前の心が強かったのか――」
 あるいは、よほどの思いがその石に詰まっていたのか――。
 ウィゼルは考え深げに、落ちたサモナイト石を見つめていた。
 ビジュは無意識の内に、そのウィゼルの視線の先にある石を拾い上げると、再び大事そうに胸元にしまった。そして、そのまま自分がいつも携えていた剣の柄に手をかける。
 その剣はあの日以来、一度も抜いてはいない剣だった。
 ――いや、ビジュには抜けなかったのだ。
 抜こうとすると決まって激しい吐き気がビジュを襲ったのだ。
 ビジュはそんな、役に立たなくなったこの剣を何度も捨てようと思った。
 しかし、ビジュにはそれもできなかった……。
 抜けないのに、いつも側に置いておかないと気がすまないのだ。
「何でだろうなァ……」
 今のビジュには何故か、この剣を抜けるような気がしたのだった。
「ふ……面白い。お前は剣も使えるのか」
 そのビジュの行動を再戦の意志ととらえたのか、ウィゼルは再び己の剣を構えて向かい合う。
「……こいつと一緒なら……」
 呻くようにそう言葉にすると、ビジュは剣を抜き放った。
 一振りの刃が風を切って閃く。
 手入れもろくにされていなかったはずのその剣の刀身は、あの日と変わらない輝きを見せる。
 ウィゼルはその剣の輝きに眼を奪われた。
「ほう……良い武器だ……」
 だが、ウィゼルにはその輝きの美しさと共に、その剣は悲しみを湛えていることに気がついた。
 ビジュは切っ先をウィゼルに突きつける。先ほどまでとは違う、無言のビジュの気迫に、ウィゼルも闘気を放ち、ビジュに迫る。
「……」
 二人の男は再び刃を交えて対峠した。
 ビジュは自分の傷から、そう長い間戦うことはできないと悟った。
 渾身の一撃で決める――。
 そうビジュは決断したのだった。

 ビジュとウィゼルは彼我の距離を測りながらジリジリと互いに回り始めた。このままの間合いではどちらも攻撃ができない。もう一歩、いや、半歩踏み込む必要があった。互いにその機会をうかがっているのである。
 ウィゼルの構えは上段。対してビジュは下段で半身に構えている。
 眼に見えぬ二つの殺気が両者の間でぶつかり合ったせいだというのか、地面に落ちた木の葉がカサッと小さな音を立てて揺れた。
 刹那、ウィゼルが動いた。同時にビジュも足を滑らせるように踏み込む。
 互いの剣が風を切った。
 横から薙ぎ払われるかと思われたビジュの剣は一瞬翻り、ウィゼルの頭をめがけて天に駆け抜けた。
 ウィゼルの左からビジュの剣が迫る。
 顔を逸らしながら、ウィゼルは己の剣をビジュの顔めがけて叩き落した。
 上下から刃が交叉した一瞬、ビジュの剣が駆け抜けた宙を鮮血が迸った。かわしきれなかったウィゼルの左の頬が深く斬られたのだ。
「ぬうっ……!」
 ウィゼルから苦悶の声が上がる。
 だが、膝を折って地面に伏したのはビジュの方であった。
「ぐ……っ」
 ウィゼルの一撃はまたも致命的なものではなかったが、今度こそビジュの動きを封じるには充分なものだった。
「……いい技量だな。……そして良い武器を持っている」
「……」
 ビジュは睨みながら、そんなウィゼルの言葉を無言で返す。
「惜しむべくは、やはり先の傷か。今の戦いが最初にできたのであれば、俺の相手もできたかもしれん」
 何故、今まで剣を抜かなかった――?
 そうビジュに訊くことを、ウィゼルはしなかった。
 何故なら、ウィゼルには全てを察することができていたからだ。
 聞こえていたのだ。悲しげに鳴く、ビジュが持つ剣の声が――。
「俺の命を奪わなかったのは同情か? それとも、俺を殺すことで、その大事な武器を汚したくないからか?」
 苦痛を堪えたビジュの問いにウィゼルは答える。
「その両方だ。……今のお前は俺がこの武器で斬るに値しない」
 カタナ鞘に収めると、今度はウィゼルがビジュに問いかけた。
「……それにお前もここで全てが終わってしまいたくはなかろう?」
「なるほどな。わかったぜ……。だが、感謝はしねェ……。必ず後悔させてやるぞ……」
 ビジュはようやく立ち上がり、振り向いた。
 ウィゼルの頬からは深く抉るような傷が走り、どす黒い血が流れ落ちている。もう、その傷跡は消えないかもしれない。だが、それでもウィゼルはビジュに問いかけた。
「お前の名を聞いておこう」
 ウィゼルはようやく自分が、目の前の男の名前を知らないことに気がついた。
 イスラについてまわるだけの小物、ただそれだけ……。
 ウィゼルはビジュをそう見ていたのだ、今までは――。
「……ビジュ」
 ビジュは振り返ることなく答えた。
「ビジュよ、その武器と真に向き合えるようになってみせろ……」
 ウィゼルは真っ直ぐにビジュの背を見つめながら、そんな言葉を投げかけた。
 その言葉に、ビジュは一瞬息を飲むような仕草をする。
 そしてそのままウィゼルを二度と振り返ることもなく、去って行った……。


つづく

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