レックス×アズリア 4



結局の所「恋人」なんていう甘く美しい名を持ったとしてもそこにいるのは「男」と「女」という他人でしかなく、子が何時か親の手を離れていくように、そこに出逢いがあり別れもあるのは誰しも同じことなのは分かっている。
それでもその手を離すタイミングを失ってしまったのなら、もう取り返しがつかないくらいにその手に依存してしまうのではないかと思うそれはやはり独占欲という名のエゴでしかないのだろうか。

「先生さん、さよならー」
「先生、また明日!」
「ああ、また明日」
そう言って元気良く手を振る生徒たちにレックスは笑顔を返す。
生徒たちを見送りながら空を見上げればそれは綺麗な茜色をしており、暖か味のあるその色は不思議と心を落ち着かせた。
一時でも永遠の愛を誓い合った人との別れを経験したあの日から、時は流れあの時負った心の傷も既に塞がりつつあり、笑顔も自然に作れるようになった。
――今でも心が痛まないといえば嘘になるかもしれない。
けれど幾ら「愛」だなんて甘美な響きを持つもので結ばれていたとしても、それは突き詰めれば曖昧なものでしかなく、二人の間には血の繋がりなんていう幻想もなければ同性のような気軽さもなかった事を考えればこうなるのは考えられない結末でもなかったのかもしれない。
そう言い聞かせて納得した。
冷静に考えれば今の自分を取り巻く環境だって十分すぎるほど幸せだ。
自分を必要としてくれる人がいて、居場所があって信頼できる仲間がいる。
昔どんなに望んでも手に入らなかった物を今は全て得ている。
これだけでもお釣りがくるくらいに幸せだというのに、これ以上を望むのは余りにも罪深いことだろう。
けれども思う。
一時の幸福や何れ覚める夢はその幸福感を鈍らせる不確定要素にしかならないのではないかと。
そんな事を考え過去の自分に嫉妬する惨めでいやらしい弱い心を捨てる為に、願いにも似た約束を篭めた指輪は落としたフリをして捨てた。

生徒に付き合い蓮を飛んでる間に池に落とした。
それを捨てる瞬間、切なさや哀しみが浮かぶかと思ったが心には何も浮かばなかったのが不思議だった。
けれど結局あの日の為に用意した新しい指輪だけは捨てられなかった。
高価な物だから捨てるのが勿体無い。売れば多少お金になるかもしれない。
そんな言い訳をした所でそれは未練以外の何物でもなく、そんな女々しい自分に反吐が出た。
「先生?」
「ん、何だい?」
独りその場に残っていたスバルが彼にしては珍しく遠慮しがちに声を掛けてきた。
それにもう一度笑顔を作って答えた。
「どこか、痛いのか…?」
「…そんなことはないよ。どうしてそう思うんだい?」
真っ直ぐに見つめてくるその瞳が心を見透かしてくるかのようで痛い。
けれど笑顔を崩すわけにはいかなかった。
他人に、況してや自分の教え子にそんな弱い自分を覚らせることなど絶対に出来なかった。
「だって…今の先生の笑顔、空っぽで凄く寂しいよ…。オイラ、そんな先生見てるの嫌だ…」
「!」
こういう時、子供は酷く敏感で残酷だと思う。
大人なら気付かない些細な変化や、気付いても気付かぬフリをする深い部分にまで無遠慮に踏み込んでくる。
そんな残酷さや無遠慮さを愛しく思うか疎ましく思うかは人によって違いはあるのだが。
「…そんな事ないよ。最近ウィルに会ってないからそう見えるのかもね。でも大丈夫だよ。
明日、ウィルが久しぶりにお休みだから会いに行ってくるんだ。帰ってきたらまた外の世界の話を沢山してあげるし、ちゃんとお土産だって買ってくるよ。
だからそんなに心配しなくとも大丈夫」
「…本当に?」
「本当だよ」
我ながら苦しい言い訳だとは思ったが年端のいかない子供を騙すのには十分だったように思う。
「先生…帰ってきたらまた元気になってるんだな?」
「うん。約束するよ。だからスバルも俺のことなんか気にしないでもっと頑張って勉強してミスミ様を喜ばせてあげような?」
「…分かった。それじゃオイラももう帰るよ。帰ってきたら話、沢山聞かせてくれよな!」
「ああ。楽しみにしててくれよ!」
あまり納得していないようだったが取り合えずこの場を去ってくれたことに安堵を覚えながらレックスは明日のことを考え苦笑いを浮かべた。
明日久しぶりに会う教え子にもこんな風に責められるのかと考えるとまた苦い思いをしなくてはならないのかもしれない…と少しだけ気が重くなった。

「いや、もう本当に式場も衣装も間に合って良かった。急な決定だったから無理かもしれないと思っていたんですがねぇ…」
「ええ、本当に。あとは式の日を待つばかりですな」
「これも天がこのご縁を祝福して下さっている証かもしれませんね」
軽い談笑を交えながらも全てが予め決められいたかのように着々と話は進んでいく。
余程この話が上手く纏まって欲しいのか、家での態度が考えられないような父親の腰の低い態度にアズリアは心の中で乾いた笑いを浮かべた。
もう全てがどうでもいい。
他の男に抱かれる覚悟だってもう決めた。
心がなくともこうして家の都合のいい人形であれば自分は必要とされる。
それだけあれば十分じゃないか。
自分の存在意義を認めてくれる場所があって、自分を必要としてくれる人間がいる。
――たとえ自分の人格が認められなかったとしても。
哀しむ必要も嘆く必要もどこにもない。
本来なら誰かを想うことすら許されていない自分を一時でも愛してくれる人がいて、自分もその人を愛することができた。
一瞬であったとしてもそんな奇跡みたいな幸福感を味わえたのだ。それで十分だ。
そんな事すら知らずに死んでしまった弟のことを考えれば今の自分の現状は如何に幸福かと言い聞かせる。
守ってやれなかった大切な弟。
その命を奪ってしまった代償はこの身をかけて償おうと思う。
「アズリアさん?どうかなさいましたか?」
「あ…いえ、何でも…ありません……」
自分の顔を覗き込んでくる男に慣れない敬語で返事を返す。
近い内に自分と他人ではない関係になり、そして自分の体を抱きその種を植え付けるであろう男。
育ちの良さを感じさせる丁寧な言葉遣いが噛み合わない、大柄で筋肉質な体型の無骨な軍人という印象が強いその男のことを好きか嫌いかで聞かれれば恐らく自分は嫌いではないと答えるだろう。
しかし嫌いではないからといって好きかと聞かれればそれはまた別の話ということになる。
特に恋愛感情といった意味での好き嫌いならば好きという言葉を出すには余りに不似合いな相手だと思う。
こういった不器用なタイプは嫌いではなかったが、出逢ったタイミングも立場も悪すぎた。
目の前の男と何度か二人で会って話したり、出掛けたりもした。
嫌悪感を抱くことはなかったが好意を抱くこともない。
どうでもいいと言い切ってしまえばそれまでだが、それでも自分の体に触れると考えるとどうしようもない抵抗を覚えた。
この男と話すときの堅苦しい言葉遣いも、妙に張り詰めた空気も息苦しくて仕方なかった。
けれど何れその息苦しさにも慣れ、その空気が当たり前となるのだろう。
まだこの身が幸福という甘い蜜で溢れていたあの頃、この幸せが永遠のものであると愚かに錯覚したかのように。
そこまで考えてまた心に乾いた笑みを浮かべる。
忘れると決めたはずなのにこうしてまたあの姿を浮かべる自分はなんて未練がましく浅ましい人間なのだと罵りを向ける。
自分で傷つけて捨てた癖に。
それなのに未だに指輪を捨てられずにいるし、過去に男がいたことも誰にも話せずにいる。
昔の男だと、笑い飛ばせずにいる浅ましい自分に嫌悪感を覚える。
「彼女の気分も優れないようですし、今日はこの辺にしておきましょうか」
その言葉と共に目の前の男が席を立つ。
それと同時に隣に座っていた父親も立ち上がりへコヘコとした態度で挨拶をする。
その姿は実に滑稽だ。今の自分のように。
「それではまた明日。ああ、アズリアさん。明日は本部の方へいらっしゃるんでしょう?
私も明日は本部の方へ用事があるので帰る際は是非声を掛けて下さい。式の前に少しでもお互いのことを知っておきたいですし」
「―…分かりました」
お互いの事を知ってどうなるというのか。
そこに愛は存在しないというのに。
政略結婚といういやらしい事実を嘘で固めた綺麗な響きを持つ感情で塗り潰そうとでもいうのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。利害関係に感情を持ち込むなど愚かにも程がある。
そんなことを思ったが口にはしなかった。代わりに笑った。あの人のように。
けれど上手く笑えた自信はない。

「全く、あれだけにやけ面晒しておいて結局逃げられたんですか。カッコ悪いことこの上ないですね。今の貴方は酷く滑稽です」
「―…相変わらず見事な毒舌で…。いや、全くもって仰るとおりですよ」
久方ぶりに会って早々自分の教え子に見事に言葉で切り捨てられ、レックスは苦笑いを返すしかなかった。
この教え子にだけは一生口では敵わない気がしていて今から先がとても不安だ。
「笑わないで下さい。今の貴方の笑いは痛々しくて見てるこっちが不愉快です。…で、原因は何です? あれだけ幸せボケしてた貴方達が別れるなんて余程の事があったんでしょう?
言いたくないなら話さなくとも結構ですが、僕にはそれを知る権利があると思いたいですね」
ウィルの鋭い言葉にほんの少しだけ沈黙が流れた。少し間を置いてゆっくりと言葉が紡がれる。
「―…残念だけど、君が望んでいるような物語みたいな盛大な事件もなければ特別な原因もないよ。
ただ、時が経つにつれお互いの心が離れていった結果。でもさ、こういうのだけは仕方ないと思うよ。寂しいことだけど、人の気持ちなんて変わって当然だしどんなに望もうとも他人を自分のものになんてできない以上は心が離れていくのは自然なことだよ。俺たちは、お互いを想い合うには距離が離れすぎていたんだ」
「…本当に、それでいいんですか?」
続けられたウィルの言葉は指輪と共に捨てたと思っていた醜い欲望を思い出させて返す言葉を失くさせた。
それでいい、と割り切ったはずなのに他人に言われるとその意志が早くも崩れてしまいそうになるほど自分の心は脆かったのかと実感して嫌気が差す。
「…これで良かったと、思ってるよ。彼女が幸せになってくれるならそれでいいって思ってるし、俺も早くいい人探さなきゃなって思ってる。取り合えずウィルに先越されない様に頑張らないとな。
ウィルは頭もいいし顔も俺なんかより全然良いから学校でもモテるだろ?」
「はぐらかさないで下さい!…もういいです。僕も貴方たち二人の問題を深く詮索するほど無粋ではないですし、この話題は終わりにしましょう。貴方が、それでいいと言うなら僕はそれで納得します。
それは貴方自身の問題で僕が口出しすることではないですし。ただそれでも僕は、今の貴方は何時もの貴方らしくなくて酷く寂しい人間のように思いますけどね」
ウィルの言葉にレックスは笑う。その瞳に寂しさを残したまま自嘲気味に。
「―…ごめん。そして、ありがとう」
もうどちらが先生か分らないなと心の中で笑う。
知らない間に、ついこの間まで子供だったこの教え子は、とても大人に近くなっていたのだ。
厳しい言葉の裏に優しさや思い遣りを隠すこの子は、痛い所を避けて逃げてばかりいる自分より余程大人だ。
教え子にすら心配をかけさせる自分はなんて情けないんだろうと胸が軋む。
結局の所自分は何時まで経っても大人になれていないんじゃないかと思う。
体はもう大人なのに心はいつまで経っても大人になれないでいる。けれど子供のままでいられるような純粋さはない。
じゃあ自分は一体何なのかと問う。子供のままじゃいられないのに大人にもなれない。
中途半端で曖昧な存在。誰もが皆こんな不安や切なさを持て余していたりするのだろうか。
「…このまま僕の部屋に居ても気分は晴れませんし、外に買出しにでも行きましょう。島のみんなにお土産でも買うんでしょう?付き合いますよ、今日は一日休みですし。
全く、貴方は何時まで経っても世話が焼けて仕方ないですね」
「あ、はは…そうだね、うん。お土産…買わないといけないもんな。じゃあ今日は一日中ウィルに付き合って貰おうかな。ウィル、可愛いから並んで歩いたらお似合いのカップルに見られるかもね?」
「…つまらない冗談は相手の怒りを買うだけだと思いますよ? 貴方、悪意のない余計な一言で女性を怒らせて平手打ち食らったり水ぶっかけられたりするタイプでしょう?
けど、そんなことしても笑顔一つで許される辺り得な人種ですよね。その辺は今後の為に見習ってもいいかもしれません」
「いや…そんな所見習われてもなぁ……」
今度は自然と苦笑いが浮かんだ。今は、自分を気遣う教え子の優しさに甘えようと思う。
そうすることが今の自分の精一杯のこの子へ対する思いやりであると思うから。
久方ぶりに心からの笑みを浮かべながら二人は軍学校寮の部屋を後にする。
その先の運命の皮肉ともいえるような未来を知ることもないままに。

人の人生が予め全て決まってるとして、それを運命と呼ぶならばそれはとても残酷であることが多い。
こうならなければいい、こうなって欲しくない。そんなことが現実になるなんてよくあることだ。
例えばそれは嫌いな人間と席が隣にならなければいいなんていうささやかなものから、浮気がバレて修羅場中の夫婦の元へ愛人が殴りこんでくるなどという重いものまで時と場合に応じて様々な形となって現れる。
そうして、そういった事態は大抵は最悪のタイミングで巡ってくるのだ。
「…アズリアさん、聞いてます?」
「―…え?…あ、何でしょう……?」
自分の隣を歩く男に突然話しかけられアズリアは驚きに目を見開きながら答えた。
「いえ、ぼんやりとされているようでしたのでどうなさったのかなと」
「…すみません、最近は睡眠不足で……」
そんなのは嘘だった。けれど本当のことは決して言えなかったから嘘を吐くしかなかった。
きっと、この男は今までずっと自分に話しかけていてくれたのだろう。
しかしその言葉は耳に入ってもすり抜けていくだけだった。
どうでもいい言葉。心に届かず流れていく声。
それはあの人に出逢う前にずっと聞いていた音に似ていた。
顔を上げれば視界に軍本部とその隣に聳える軍学校の建物、そしてその横に寄り添うように建つ学生寮が鮮明に映る。
人生で一番幸せで大切だった時を過ごした場所。
それを見るのは今でも少し辛い。
鈍く甘い痛みが胸を過ぎる。その痛みは感傷と呼べるほど綺麗なものではないように思う。
胸を擽る痛みを抱えながら好きでもない男に肩を抱かれ、好きであった男と昔並んで歩いた道を歩く。
その肩に乗る手への不快感からか美化された過去への憧憬からかは分らなかったが言葉が詰るような感覚に襲われる。
肩を抱かれたまま、少年少女である学生と大人である軍人が交わる門への道を歩く。
耳障りな声を聞き流しながらも、もうきっとあのアルサックの木を見ることはできないだろうな、と思った。
彼と出逢って、再会を果たした場所。
そこで過ごした時の中の自分はまだ女ではなかった。
少女という曖昧で高潔であった刹那な時間の中で彼もまた男ではなく少年であった。
手を繋ぐ事すら気恥ずかしくて、好きだなんて言葉は絶対に口に出来なかった。
もう純粋だったあの頃には戻れない。どんなに願ったって時間はあの頃へ帰ることはない。
大好きだった学生服はもう着れない。
純粋な好意を持ち得たあの頃、結婚は好きな相手と幸せになる為にするものだと信じていた。
今はもうそんな甘い夢は見れない。
結婚なんて綺麗な言葉と美しい衣装で誤魔化しているだけで、それは結局の所子供を産んで育てるだけの取り敢えずのシステムでしかない。
あの頃は口にするのも憚れたセックスだってそうだ。
好きな相手と心から結ばれて愛の結晶を産むなんて言えば聞こえはいいが、実際愛がなくたって男と女は繋がれるし今は金で簡単に買う事だってできる。
少女だった頃憧れていた極彩色の物たちは触れてみればそれは冷たいグレーをチープな金メッキで隠した醜いものでしかなかった。
それでもあの人の側でならそれすらも輝いて見えるのが不思議だった。
妥協や諦めを覚え、灰色に染まっていく現実の中で唯一鮮やかな色を持ったまま残ったもの。
今は胸を締め付けるだけのものでしかないそれが、あの頃は全てだった。
それまで男と女はお互いの欲望の対象物でしかなく、愛だなんていうあやふやなもので繋がれることなんて絶対にないんだろうと思っていた。
だから女になるのが怖かった。女に変わっていく体も、澱んだ欲望を持つようになる心も嫌で仕方なかった。
でも今にして思えばそれはお互いに同じだったのだろう。
純真な少女であった頃から大切にし続けた綺麗な想いを穢れた欲望で汚したくないと、どんなに強く願ってはいても一度触れ合ってしまえばそれはいとも簡単に崩れ、そこに居たのはあの頃恋焦がれた少年少女ではなく一人の男と女だった。
それでも、あの頃指先に触れることさえ躊躇われたその体は温かくて、もうどうしようもなくなってしまった。
もう自分のことを愛してるかどうかなんてどうでもよくて、ただその与えられる快楽に甘い声を上げた。
そして生まれて初めて感じる痛みと快楽の先にあったのは薄汚れた大人の欲望ではなく、少女の頃に憧れた綺麗なままの幸福だった。
純粋な想いは灰色の世界に投げ込まれようともその形を変えることなく輝き続けていた。
それを信じたかった。
大人になってもずっと変わらずにあり続けるのだと信じていたかった。
そう願った想いは結局お互いの心をより深く傷つけるものにしかならなかったのだが。
「…矢張り、具合が優れないのですか?」
「―…あ、いえ…すみませ……っ!?」
聞き流していた声がいきなり近くで聞こえ、アズリアは思わず俯いていた顔を上げた。
上げなければ良かったと後悔した時にはもう遅かった。
「…な、ん…で……」
思わず声が出た。
「…アズリアさん?」
近かったその声すら遠くなる。
視界に映る鮮明な紅。それに交わる漆黒。それを引き立てる白い肌に蒼の双眸。
一番会いたくなかったその背中。
心臓が、跳ねる。
呼吸が止まる。
体中が痺れる。
指先が震える。
胸が潰れる。
心が壊れる。
振り向いたその貌と目が、合う。
視界から体中を愛しさが侵食する。
もう声を絞り出すことすら出来ない。
その姿を見た。それだけなのに。
「―…貴女は…」
「…お知り合い、ですか?」
立ち竦むレックスとアズリアを後目に、真っ先に声を上げたウィルの言葉にアズリアの肩を抱く男は返答を返す。
そのまま自分の腕の中の婚約者を見ればただひたすら言葉を失い、少年の隣に立つ男を見つめるばかりで最早周りの存在など忘れ去ったかのような態度である。
その視線の先にいる男にしても、
言葉を失くし立ち尽くすばかりでその顔には信じられないという言葉が浮かんでいるようにすら見える。
徒事ではないない二人の様子を見れば、何も知らない他人の目から見てもこの二人の間に因果な絆があることなど明らかだ。
「知り合いも何もこの二人は…」
「ウィル!!」
強い声が言葉を遮った。荒く響くそれに、先に言葉を発した幼い体がビクリと震えた。
一瞬の間を経て、その声の主は穏やかな笑顔を作ると同時に落ち着いた口調で話し出す。
「…彼女とは学生時代に良き学友として一緒に勉学に励んだ仲です。彼女はとても優秀で俺は何時も助けられてばかりでしたが…。
永らく連絡を取り合っていなかったのですが、偶然とはいえこうしてまた再会できたことを嬉しく思っています」
荒い声を発した同じ人物とは思えないほどに穏やかなその態度に、問を発した男も微笑を返す。
「ああ、そうでしたか。それでは今は矢張り軍属の方に? 差し支えなければ所属部隊などをお教え頂ければ嬉しく思います。
これから彼女の夫となる身としては彼女の交友関係なども知っておきたいですし。あ、宜しければこちらをどうぞ。今さっき本部の同僚に配ってきた所なんですが予備が丁度余っていましたので」
そう言って懐から差し出されたそれは一通の封筒であり、その裏側には今肩を抱き合う両人とその両親の名前が書かれてあった。
その封じ目は「寿」の文字が入ったシールで止められており、それだけで中を見なくともその正体は分った。
「本当に急な話で申し訳ないのですが都合が合えば是非ご友人をお誘い合わせの上、ご参加下さい。
身内のみの簡素なものでお恥ずかしい限りなのですが新たな人生に門出ともいえる日をご友人にも祝福してもらえる方が、彼女も嬉しいでしょうし」
「―……お誘い、ありがとうございます」
レックスは無理矢理声を絞り出した後ギリっと奥歯を噛み締める。
それでも表面上は平静を装おうと努めた。
封筒を受け取るその手が震えないよう全神経を集中させる。
そんな様をアズリアは茫然と見つめる。
これから人生を共にする好きでもない男と未だに未練を捨てきれない男が今目の前に居る。
振り解けない腕と、触れたくとも触れられない手。
偶然にしてはできすぎている。
もしあの時彼と再会したことを運命と呼べるならこれもその運命というものの一部だろうか。
だとしたらそれは力無き人間を弄ぶ性質の悪い物に違いない。
そう思い込む以外にこんな拷問のような時間に耐えなければならないことを納得する術を持たなかった。
願うべくは、光を湛えたその目が今の滑稽な自分の姿を映さないでいて欲しいということのみ。
それなのに、視線が一瞬でも合えばまるで目の奥から溢れ出るかのように電流にも似た熱が体中を巡る。
甘い切なさを伴って。
「…それじゃあ、俺達、用事があるんでこの辺で失礼しますね。
式は…都合が合えば友人を呼んで参加させて頂きます。それでは。二人の行く末に光があることを祈っています」
「ちょっ……貴方!」
そういい終わるや否やレックスは何かを言いかけたウィルの腕を強引に引き、道を引き返す。
その腕に引き摺られながらもウィルは納得していないのかそこに佇む二人を無言できつく睨む。
その眼が自分を責めている気がしてアズリアは逃げるかのように顔を背けることしかできなかった。

「どういうつもりですか、貴方は!」
腕を引かれるままに早足で自分の部屋へと戻ったと同時にウィルは激しい怒声を上げた。
普段年齢の割に落ち着き払っている彼にしては珍しく感情を剥き出しにした態度だ。
「あのままでいいと本当に思ってるんですか!? 封筒に書かれた名前と彼女の態度を見ればあれが政略結婚以外何物でもないことぐらい貴方にだって分ったでしょう!
なのにどうして貴方はそんなにも落ち着いていられるんです!?」
「―…本当に、そう見えた?」
「…どういうことです?」
低く暗いレックスの声にウィルは怪訝な態度を返す。
ウィルの目にはレックスは酷く落ち着いているように見えた。それの何処が違うというのか。
そんなウィルを見ながらレックスはずっとポケットに突っ込んだままであった利き手をそっと目の前に差し出す。
「…これは」
差し出されたその手は余りに強く握り締められていたせいか爪が深く食い込んでおり、鮮血が滲んでいた。
「…ずっと、震えててこっちの手使えなかった。今、君がいて本当に良かったと思ってるよ。そうじゃなきゃ俺、たぶんあの人の事ボコボコにしてたから…」
その言葉を終えるとレックスは顔を伏せる。そしてそのまま言葉を続けた。
「…相手の幸せを祈って潔く身を引くとか、何も求めずに優しく見守るだとか…そういうのが本当の愛の形だって頭では分ってはいるんだよ……でもっ…なんかもうどうしようもなくて…っ!」
好きな相手が幸せならそれでいいなんて嘘だ。
フラれた相手の幸せを黙って祈れる聖人君子のような人間などいるのだろうか。
人である以上誰もが皆多かれ少なかれ自分勝手なことに変わりはない。
それなのに、自らの幸せを考えない強い人間なんてこの世に存在するのだろうか。
――どうして人はこんなにも弱いのだろう。
人は皆旅人なのだとどこかの詩人は言った。
ならばその旅人は人生という名の長い旅路の果てに一体何を見、何を得るのだろう。
沢山の嘘や偽りを抱えて、それでも人は強く綺麗な生き物だと笑えるのだろうか。
こんなドロドロした醜い気持ちですら愛という美しい響きを付けられるのなら、それは少年少女の憧れる綺麗な物ではなく大人の薄汚れたエゴでしかないのではないだろうか。
「…馬鹿な人ですね」
語尾が震えたその声にウィルは先程までの怒気を無くし、優しく微笑む。
「今の貴方はみっともないけど、それでも僕はそんな貴方が羨ましいと思いますよ」
優しいその声は思い遣りに満ち溢れている。
「相手の都合を考えられなくなるほどの強い想いは褒められた物ではないけれど、それでもそれ程深く想える相手を見つけられて、その想いに忠実に生きれる貴方が僕はとても羨ましい…」
何時か自分もそんな相手が見つけられるだろうか。
醜態を晒してでも、それでも最後まで信じきることが出来るほど強く愛することができる人間。
そんな人に出逢えて結ばれたならそれはきっととても幸せだろうと思う。
それが逃避という名の快楽でしかなかったとしても、そこにある純粋な想いはきっと嘘ではないから。
そんなことを思いながらウィルは運命という名の奔流に必死に足掻く目の前にいる自分の教師を優しく見つめる。
その先の幸福を祈りながら。

なんで。どうして。
アズリアはレックスとウィルが去った後そんな言葉を頭の中で繰り返した。
結局、その姿を見ても声を出すことすら出来なかった。
それでも、その声に。眼差しに。反応してしまう自分がいる。
それまでどうでも良かった肩に置かれた手に吐き気を覚えるほどの嫌悪感を持つほどに。
あのまま再会することなく時が流れていれば、自分はきっとほんの少しの嫌悪感を抱きつつも全てを諦めて家の道具になれたはずだ。
ようやく心の無くした人形になれると思っていたのに、また抑えきれない熱い想いを目覚めさせてしまった。
一瞬の邂逅。それだけなのに全身の細胞が息を吹き返した。
死装束のような白い花嫁衣裳が先に待つ今、そんなものを思い出しても苦しいだけなのに。
あの後虚ろな心のまま家へと帰ったのを覚えている。
だからきっと気付かなかったのだ。
隣で歩く男の目に狂気じみた暗い色が宿っていたことに。
一瞬の様な再会の、あの時の空気を求めるかのように捨てられずにいた指輪をそっと嵌めてみる。
嵌らなければ諦めもつくのに、簡素なそれはすんなりと指へと落ち鈍く輝く。
もう少しすればその指には別の輝きが宿るというのに、その眩しさに泣きそうになった。
どうして現実はこうも上手くいかないんだろう。
どうして心なんてものを持って生まれてきたんだろう。
愛しさも性欲も、体と切り離してしまえたのならもっと楽に生きられたのだろうに。
そんな不毛なことを思い、涙を耐えた。
顔を覆う手に輝く、リングが外せない。
「それは、あの男から貰ったものですか?」
「っ!?」
ノックもなしに部屋に入られアズリアは思わずベッドから跳ね起きる。
しかし、その腕を強引に押さえつけられ再びベッドに押し倒された。
「…一体何のつもり、だ……?」
「それはこちらの台詞です」
あまりのことに敬語を使う余裕すら忘れた言葉に冷たい声と強い力が返ってきた。
昼間の穏やかな態度とは全く違う、冷たい眼差しと獣の様な顔と自分を押さえつける力の強さに恐怖を覚える。
強靭な肉体から生まれる力に抗う術を持たず、
小動物が捕食者に怯えるかのように身を小さくして相手の様子を窺うことしか出来ない。
「…最初から様子がおかしいとは思っていたんですよ。親同士が決めた婚約だから乗り気じゃなくとも仕方ないとは思っていたのですが、それにしては反応が淡白でしたからね。けれどそれも他に男がいたと考えれば不思議じゃありませんね。
今日の貴女とあの男の反応を見てれば誰だって気付きますよ」
「そんな…あいつとはそんなんじゃ……」
彼を巻き込む事だけは避けなければ。そう考えて咄嗟に嘘を吐いた。
目の前の男が嘲う。下卑たその笑いは昼の顔とは全く別人のように見える。
「じゃあ、この指輪は捨てても構いませんね?」
「あっ…!」
そう言って指に嵌った指輪はあっさりと取り上げられる。
そしてその男はそれを持ったまま窓枠へと向かう。
その行動の意図を察して飛び出したが遅かった。
「やめて!お願い…それだけはっ…!」
だってもうそれしか繋がりがないんだ。
それ以外にこの手に残った物はなかったんだ。
たとえ幸せになれなくともそれさえあれば生きていけると、そう思っていたんだ。
だから、お願い。
けれど叫びと駆け寄った体を無視してその指輪は無情にも窓の外へと放り投げられる。
急いで目で追ってもそれは闇に紛れて見えなくなっていた。
「そ、んな……」
大切な思い出は無残にも投げ捨てられた。
そのことが心を壊すかのように鋭い痛みとなって胸に突き刺さる。
目の前が絶望という暗闇で染まる。
「これで…貴女の言葉が嘘だと証明できましたね」
男は満足そうな笑みを浮かべると虚ろな目をしたままのアズリアを抱き上げ、ベッドに投げ出す。
「っ、あ…!」
「可愛い顔して男を誑し込むのは得意なんですね。あの男もこの体で悦ばせてあげてたんでしょう?
…もうすぐ結婚をするというのにいい度胸ですね」
「ち、ちが…」
ベッドに打ち付けられた衝撃に耐え、顔を顰めながらも否定の言葉を発するアズリアの体はまた圧倒的な力でねじ伏せられる。
その力の強さ。狂気を宿した笑み。それは人ではないような気味の悪さがあって恐怖を覚える。体が竦む。
「ふざけるなぁああ!!」
「いやぁあああ!!」
両腕を片手で押さえ込まれ、空いたほうの手で衣服を剥かれ裸にされる。
怖い。助けて。誰か。
「やぁあああ!…すけて…助けて、レックス!!」
「ハッ、あんな男の名前、呼んだ所で無駄なことは知っているでしょうに」
「やめっ…いっ……あぁぁぁ!!」
愛撫とは呼べない強い力で胸を揉まれる。
痛い。苦しい。気持ち悪い。
全身が嫌悪感を示す。けれど強い力で押さえ込まれてる今抵抗する術はない。
「お願い…やめ……いやあぁあ!」
「今更何抵抗してるんですか。婚約が決まった時点でこうなることは覚悟してたことでしょう? 私たちの使命は一日も早く双方の血を引く子を成すことなんですから」
覚悟はしていた。
それでも心に決めていた覚悟と現実では大きすぎるほどの隔たりがあった。
そしてあの姿を見てしまったから、決心が鈍ってしまった。
覚悟なんて言葉、簡単に吹き飛ぶくらいに今はどうしようもない嫌悪感しか感じない。
「…ひっ…あ…嫌……」
カチカチという音共に目の前に現れるグロテスクな凶器にアズリアは身動ぎ逃げようとする。
屹立した男のそれを初めて見るわけではなかったが今眼前に晒されているそれは恐怖の対象以外の何物でもない。
それが今から自分の体を貫くと考えると、嫌悪感と恐怖でガタガタと全身に震えが走る。
「あ…いやっ…やめてぇっ!」
無理矢理脚を開かされ、ろくに濡らされてもいないそこに押し当てられた化け物に悲鳴を上げる。
しかしアズリアの抵抗も空しく凶悪な大きさを持つそれはアズリアの中へと侵入を果たす。
「ああ……ぁ…嫌ぁぁあああ!!」
アズリアの叫びも空しく突き入れられたそれは根元まで強引にねじ込まれる。
吐き気と嫌悪感で涙が浮く。
「うぅ……ひぁ…あぁぁ……」
ゴリゴリと内壁を擦り、性器内をかき回すそれに泣き叫ぶことでしか抵抗できない。
そんなささやかな抵抗ですらその行為を加速させる要素にしかならないというのに。
「はぅ…あっ……ぉ…ね、がい…抜いてぇっ…!」
「こんなに締め付けてくるのにまだそんな事言うんですか」
「ひあっ!あ…くぅぅ…あぁぁ!」
惨めに懇願するアズリアを嘲うかのように中で蠢く狂獣はその動きを早める。
奥に突き上げられる度悲鳴と共に絶望が胸に湧く。
自分の体が汚れていく感覚に涙が止まらない。
「はうっ!…ぅああ……やぁ……」
苦渋に耐え、ただひたすら嗚咽にも似た声を漏らすしかないアズリアに残酷な言葉が浴びせられる。
「…っ…そろそろ、いきますよ」
「い、いやぁっ…!それだけは…やめ……あぁ!」
思うが侭に膣内を蹂躙し、自分の中でビクンビクンと跳ねるそれにアズリアは拒絶を示すがそれは非情に無視される。
妊娠の二文字が恐怖と共に頭に巡る。
瞬間、微かな呻き声と共に膨れ上がった中のものから熱い迸りが放たれ胎内を犯す。
「あ、あぁっ!い…やあぁぁああ!!」
熱い液体が自分の中に広がっていくのを感じながらアズリアはすすり泣いた。
完全に自分は汚れてしまった。
もうあの人に愛してもらう資格すら失った。
その事実に涙が止まらない。
しかしそんなアズリアに掛けられた言葉は更に彼女を追い詰めるものでしかなかった。
「これで終わりじゃありませんよ。貴女は私の妻になる人間なんですからきちんと最後まで夫を満足させて下さい」
そう言ってまた腰を動かし始める。
その全てをねじ伏せる強引な力の前にアズリアは何度も犯されながら、ただ泣きながら悲鳴を上げ続けることしかできなかった。


つづく

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