孤島の極楽温泉ツアー 1



 青空が爽やかに広がる午後、風雷の郷・ミスミの屋敷からは温かな湯気がもうもうと立ち込めていた。
 正確には屋敷の裏、と言ったほうが正しいのかもしれない。
 そこは外面を積み重ねた石壁で覆われ、その中からはほのかな硫黄の匂いが漂う。
 アティ達は今日、ミスミからの誘いを受けてその場所に訪れることとなったのだ。
「――にしても、ジャキーニの奴らが温泉を掘り当てちまうとはなあ」
 うきうきとした面持ちで言ったのはカイルだ。
 目の前のジャキーニはその言葉に、満足そうに口の端を吊り上げる。
「ふふん。おぬしらがこうやって戦いの日々に疲れた体を癒せるのも、ひとえにワシらのおかげという事じゃ!感謝せいよ?」
「まあ、今回くらいはそう思っても悪かねぇな」
「……それがわらわの屋敷の埋蔵金目当てで地面を荒らしていた結果だったという事を除けばな」
「ッ!!」
 背後でつぶやくミスミの声に、ジャキーニはビクリと肩を震わせて振り返る。
 埋蔵金など埋まっているわけがなかろう、ミスミはそう言って溜め息をつくと、曇らせた美貌をすぐに笑顔へとすりかえた。
「しかし、結果よければすべて良しじゃ。……それに、島の者達よりも一足先に、この島の為にいつも戦ってくれておるおぬしらに温泉を楽しんで貰いたいと、こやつはわらわにそう言っておってな。なかなかいい所もあるものじゃと思うて、今回の所は目をつむってやる事にしたのじゃ」
「そ、その事は言わんでくれとあれほどっ!!」
 ミスミの言葉にジャキーニは頬を赤らめ、うろたえる。
 その様子に思わず笑みをこぼすアティ達の前で、目を伏せ、照れくさそうに髪の毛をかくジャキーニ。
 カイルはそんな彼をからかうようにひじでつついていた。
「でも……私達だけ先に温泉を楽しんだりしちゃっていいんでしょうか?なんだか悪い気がしますけど」
「気を遣うでない。里の者たちも、おぬしらに是非と言うておるしな」
 だがアティは困ったように眉をひそめ、口元に指を当てて唸っている。
 彼女のお人よしにも困ったものだと皆が苦笑するなか、その場にいたスカーレルがポンと手を打った。
「それじゃあ、せっかくだから護人達も誘ってみればどうかしら?彼らだっていつもアタシ達と一緒に戦ってるワケだし」
「それはいい考えかもしれませんね。皆で日々の疲れを癒すというのも悪くはありませんよ」
 スカーレルの意見にうなずくヤード。
 アティはしばらく黙っていたが、やがて口元の手を下ろすと、その顔にようやく笑顔を浮かべてみせた。
「――そうですね。皆さんの心遣いは素直に受け入れるべきです!護人の皆さんも誘って、今日は思いっきりくつろいじゃいましょう!」
「うむ、そうするといい。それにわらわの屋敷にも、今日はおぬしらの部屋を用意しておるのでな。旅行気分で羽を広げるとよかろう。というわけでほれ、脱衣所へ案内してやろう」
 そう言って歩き出すミスミに連れられて長い廊下を歩くなか、ふいにアティの肩に誰かの手が置かれた。
 温かい手。肩に目をやると、そこには彼女の見慣れた形の手が。
 ところどころに傷のあるそれは、カイルのものだった。
「なあ、先生よ」
 やけに嬉しそうな表情で背後からアティの顔を覗き込み、彼女の小さな肩を両手で掴む。
「どうしたんですか?カイルさん」
 首だけをそちらに向けるアティに、カイルはその耳元へ口を寄せる。無意識に吹きかけられる耳への吐息に彼女が頬を赤らめると、カイルは小さな声で囁きかけた。
「温泉に入ったらさ。カラダ、流しあいっこしようぜ?」
「――――ッ!」
 瞬間、アティの頬の赤らみは最高潮に達した。
「がッ!!」
 突然立ち止まったアティの頭にカイルは勢いよく顎をぶつけ、両手で顎を押さえながらうめく。
 アティは慌てて振り返ると、謝るでもなく、頬から湯気が吹き出そうなほどに顔を紅潮しながらカイルを見上げた。
「なッななな何言ってるんですか!!そんな、皆の前でそんな事できるわけが――」
「言っておくが……混浴の温泉は用意してはおらぬぞ」
 早口でまくしたてるアティの傍らで、ミスミが冷めた口調でつぶやく。
 すると、それまで困惑するアティにニヤニヤとした笑みを浮かべていたカイルの表情は、一瞬にして凍りついた。
 ――いや、そんな生易しい顔ではなかったかもしれない。
 絶望――、今のカイルの表情は、まさにそう形容するにふさわしい代物であった。
「……なっ……」
 半開きの口を震わせ、カイルはミスミを見つめる。
「なんだとこの野郎ォォ―――ッ!!混浴がねぇって、それはこの俺に対するささやかな嫌がらせか!?普通温泉イベントっつったら混浴が定番で、俺が温泉に入ったらアティが先に入ってたりして思わず赤面しながらも『背中、流しますね?』とか言ってくれつつ俺と流しあいっこし始めて、その時に俺がアティの背中にある傷を見つけて『これ……戦いでつくっちまったモンか?』『ご……ごめんなさい、カイルさん』『なんでお前が謝んだよ、バカ。どんなに傷ついたって……お前は綺麗だぜ』なんて甘い会話を交わしつつ濡れ場に突入して俺らが湯の中で愛し合いつつお互いが絶頂を迎えようとした矢先に誰かが入ってきて思わず俺達は都合よく置かれてた岩の陰に隠れつつもまだやり続けてて、そいつに気づかれるんじゃねぇかと気が気で仕方がないアティに俺が『声出すと気づかれちまうぜ?』とか言って対面座位で突き上げまくるような、そんな展開がお約束ってもんだろォ!?そんな期待をお前は初っ端から裏切るってのか!?」
 はあはあと息を切らせながらカイルは顔を上げる。

「…………」

 だがしかし、すでにそこには誰一人として残ってはいなかった。
「ってオイ!人が話してる最中に勝手に行くんじゃねぇ!!」
 鼻息を荒げながら叫ぶカイル。
 その時、背後で自分のコートを軽く引っぱる者がいる事にようやく気づいた。
 振り返るとそこには――……。
「……わかる。わかるよアンタの気持ち。実は俺も、たまたま温泉に入ったらその場面に居合わせちゃって、ドキドキしながら気づかない振りして二人の声に耳を傾けてる展開を……」
「…………」
 溢れ出る鼻血を手で押さえながら言うナップに、カイルは無言でその頭を力強く撫でつけていた。


「貴女の所のバカ船長……相変わらずね」
 脱衣所にて、落ち着きのある静かな声でアティに声をかけたのはアルディラだった。
「ば……バカって言わないでください」
 目を伏せて引きつった面持ちでつぶやくアティに、アルディラはふぅ、と小さく溜め息をつく。
「クノンがオウキーニにいい鍋をプレゼントしたいっていうから、ミスミに尋ねようとここに来てみれば……彼が一人で廊下で叫んでるのを偶然目にしちゃうなんてね。……ああ、でもナップもいたかしら」
「アティ様。私達の故郷・ロレイラルには温泉というものが存在しておらず、それに関するデータは残念ながら持ち合わせておりません。よろしくご指導のほどを」
 無駄のない動きでてきぱきと服を脱ぎ始めるクノンを目に、アティは身構えるほどのものでは、と苦笑する。
「…………」
 その横で脱ぎ散らかすように服を籠の中へ放り込んでいるのは、ソノラだった。
 自分の胸を見下ろしながら、時たまアティやアルディラのほうに目をやると、悲しげに溜め息をついている。
「いいなぁ……みんな胸があって」
 アティは当然のこと、アルディラにも、その整ったプロポーションにふさわしい形の胸が誇らしげに揺れている。アルディラのほうはそれほど大きいというほどでもないが、ソノラは胸に関しては大抵の女性に羨望の眼差しを向けたくなってしまうらしい。
 しゅんと落ち込むソノラを見つめながら、アルディラはしばらく顎に指を当てて考え込むと、口元に軽く笑みを浮かべた。
「そういえば……胸って揉むと大きくなるってよく言うわね」
 そう言って視線を向けた先は、アティの豊かな胸だ。
「なっ、なんでそこで私を見るんです!?」
「アルディラ様。アティ様はカイル様に胸を揉まれ続けたせいで、あのような成長を遂げる事ができたのでしょうか」
 そう言うクノンの表情は真剣そのものだ。
 看護用ロボットである彼女は人体の仕組みに詳しいといえど、ロレイラルの世界ではそのような俗説は聞いたことがなかったらしい。興味津々という風に身を乗り出し、アティに詰め寄る。
「胸を揉まれた――たったそれだけの事で胸が大きくなるというのですか?アティ様」
「しっ、知りませんよそんなの!!」
 頬を真っ赤に染めながら、アティは首を横に振ってあとずさる。
「あーっ!ズルイよ先生!秘密はよくないよ!?」
「知りませんってばぁ!もう許してくださいよーっ!!」


「はぁーっ……。極楽極楽っと」
 タオルを頭に乗せたまま、カイルはゆったりと温泉の心地よさに目を細めていた。
 酒の入った銚子と盃を乗せた盆が水面を泳いでいる。
 ヤードの前に浮かぶ盆には何故か緑茶の入った湯呑みが乗せられており、それはあまりにも奇妙な光景であった。
「ええ……最高ですね」
 ずず、と茶をすすりながら答えるヤードは、自分がいかに不自然な行動をおこなっているかを理解していないらしい。
「それにしても、何てムサ苦しい状況だこりゃあ!?男四人!!酒を酌み交わしたって盛り上がるもんも盛り上がらねぇよ!!」
「贅沢言わないのカイル。こうやってゆっくりできるだけでもありがたいと思わなくちゃ」
 そう言ってスカーレルは盃に酒をつぎ、ぐいっとあおる。
 温泉に浸かっていたために体温が上昇していた事もあってか、酒の回りは思ったよりも早いらしい。
 酒の酔いにほんのりと頬を染めながら、スカーレルは盃の酒を飲み干すと同時に大きく息を吐いた。
「はぁっ……、この一杯が最高なのよねぇ」
「オヤジくせぇ事言ってんじゃねぇよ……。あーあ、何か温泉ならではのハプニングなんてのは起こらないもんかねぇ」
 ぶくぶくと口元まで湯の中に浸かり、カイルはがっくりと肩を落とす。
 そんな彼のそばにそろそろと近づいていったのはナップだった。
「なあ、カイルッ」
 ナップは歳に似合わないニヤニヤとした表情を浮かべると、カイルの腕を引っぱった。海賊一家と過ごすうちに船長の悪い所に感化されてしまったのか、もともとこういう性格だったのかは分からないが、この少年がこれから先純粋な心を持って育っていく望みは果てしなく薄いだろう。
「おう、なんだ?やっぱりお前も男だらけの温泉は嫌だってか?」
 自分の考えに賛同してくれたのがこんな少年だけという事に一瞬悲しさを覚えたが、この際文句は言っていられない。くしゃくしゃとナップの頭を撫でながら笑う。
「あのさ、何も面白い事が起こるのは同じ湯船の中だけってワケじゃないだろ?」
「え?」
 ナップの言葉に、カイルはしばらくのあいだ黙り込む。
 しかし次の瞬間、何かに閃いたかのように目を見開くと、派手な水音を立ててその場から勢いよく立ち上がった。
「そうだ、女湯!!」
 瞳を輝かせながらカイルは拳を握り締めると、さっそくというように温泉から飛び出し、男湯と女湯を隔てる仕切りの板へと体を張り付かせる。
「……カイルさん。覗きはよくありませんよ」
 背後でヤードが注意を促すが、カイルは板から体を離そうとはしない。
「覗きなんかしねぇって。……やっぱよ、女湯っつったら、女同士ならではの会話ってあるだろ?胸が大きいだとか、誰が誰を好きだとか……」
「む、胸ッ……?」
 思わず身を乗り出すヤードを引きつった顔で止めるスカーレル。
「そんな事で盛り上がれるような歳じゃないでしょ、アタシ達は……」
「で、ですがスカーレル!やはりこういうイベントは温泉ならではのアレというかッ……!!」
 これだから、と肩をすくめるスカーレルは再び盃に酒をつぎ始める。
 もともと酒が好きだった彼は、この里で作られたシルターン風の酒をとても気に入っていた。帝国でこれと同じようなものを飲んだ事はあったが、やはり本場の味とは比べものにならないものだ、と感心する。
「…………」
 二杯目、三杯目とスカーレルは酒をあおっていった。
「女湯……あんま声が聞こえねぇなあ……」
「耳のくっつけ方が甘いんだよカイルは!もっとぴったりと!」
「……こ、こうか?」
 ナップのアドバイスらしき言葉に、カイルは眉をひそめながらも耳を仕切り板へと密着させる。
 何ゆえそこまで盗聴もどきの行為に必死になってしまうのかは、カイル本人でなければわからない事であった。


「――揉むと大きくなるっていうのは本当よ?」
「そ、それくらい私だって知ってますよ。だって実際……」
「あら、ウブな顔して結構やるじゃない」
「か、からかわないでくださいっ」
「ふふっ、それじゃあ……揉んでもっと大きくしてあげようかしら」
「そんな!これ以上……あッ、やめっ……」
「うふふ……体のほうは素直みたいね」
「き、聞こえてるんでしょう?カイルさんっ!わ、私を助けっ……!」
「無駄よ。彼は助けになんてこないわ。――それにほら、ちょっと揉んだだけでこんなに……」
「あッ、やっやめっ……」


「…………」
 カイルとナップの額からは汗が滲み出ていた。
 それは温泉の熱気によるものではない。
「……俺の視界から見えてねぇからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ……」
 握り締めたカイルの拳に血管が浮かび上がる。

「――さっきから気色悪い会話を繰り広げてんじゃねぇよお前らッ!!」
 
「……カ、カイルさん。助けてください、この酔っ払いが……」
「ふ……ふふふっ。オカマの手コキでこんなに大きくしちゃうなんて……恥ずかしくってお婿の貰い手もなくなっちゃうわね」
 カイルが叫んで振り返った先には――酔っ払いのオカマと地味な男がもつれ合う醜態が晒されていた。


「何だかうるさいねわ、男湯のほう……。どうして男っていうのはああも無駄に騒ぎたがるのかしら」
 仕切り板の向こう側から聞こえる騒動を耳にし、呆れたようにアルディラはつぶやく。
 そんな彼女の腕を慣れた手つきで揉みほぐしながら、クノンは静かに首を横に振ってみせた。
「彼らの行動は無駄ではありません、アルディラ様。あれはおそらく、こちら側の女湯に対して芽生えた欲求を押さえる為の反動かと」
「……余計に嫌だわ」
 せっかく疲れを癒す為に温泉に浸かったというのに、これではかえって精神的な疲労を抱えて帰ることになってしまうのではないのか。そう考え、額に指を当てて気だるそうに目を伏せるアルディラ。

「ええ、まったくですね。知的で美しい女性のおっしゃる事はすべて真実――私はそう思いますよ。子種を蒔くしか能のない下等な雄猿どもには、それを否定する権利もなければ資格もありません」

「…………」

 あきらかに場違いだと思われる『声』に、アティ達は静まる。
 少し高めの、落ち着いてはいるが何故か妙に鼻にかかる声色。
 彼女達は首をその声が聞こえた方向に向け、ゆっくりと振り返った。
「やあ、身も心も魂もお美しいお嬢さんがた。私もご一緒させて頂いていますよ?」
「――って、どうして貴方がここにいるんですかフレイズさんッ!?」
 その背後には、いつの間にやら石造りの縁にひじを乗せ、ゆったりと湯に浸かるフレイズの姿があった。
 濁り湯のおかげでお互いの体は見えてはいないが、突然の事に女性陣は慌てて彼から距離をとろうと中腰で後退していく。
「ははは、この程度の事で恥ずかしがられるとは可愛らしい」
「いや、アンタのやってる事が異常なのよ!ここって女湯だよ!?フレイズは男じゃん!!」
 すかさず突っ込みを入れるソノラに対し、フレイズは困ったような笑みを浮かべて肩をすくめる。
「お嬢さん?私は男である以前に『天使』なのですよ。その私があんな汚らしい男共の浸かった湯に体を沈めでもしたら、神に浄化されしこの身が堕天使へと変貌するやも――」

 ゴッ!!

 笑顔で語るフレイズの頭部に風呂桶が命中したのはその時であった。
 さらに一つ、また一つと風呂桶は彼のもとへと降り注ぐ。
「うわ、あいたッ!な、何ですかお嬢さん!?乱暴はよくな……」
 翼を広げてその身を覆うが、風呂桶は次々とフレイズ目掛けて飛んできている。彼は思い切って風呂桶のやってくる方へと振り返った。

 バシッ!!

 それと同時に、彼の顔面に茶色のタワシが突き刺さる。
「うがぁ――――ッッ!!!私の美貌がぁッ!!」
「何が美貌だ、このエロ天使が!!」
 やや上のほうから聞こえるその声に振り返ると、そこには仕切り板の屋根によじ登り、肩に風呂桶を積むカイルの姿があった。
 下半身は一応タオルで隠してはいるが、もともとたいした大きさではないタオルは、彼の下半身を隠すには多少きわどいものがある。
「俺らの浸かった湯が汚ねぇだと!?女湯に堂々と入るだけでは飽き足らず、俺らの悪口まで言うたぁいい根性してるじゃねぇか!!」
 フレイズは顔に突き刺さったトゲを抜き取ると、大声でわめくカイルを無言で見据える。そのこめかみには青筋が浮かび上がり、痙攣を起こしていた。
「仕方ないでしょう、汚いのですから!仮に私が堕天使へと変貌せずとも、この純白の羽が、そちらの湯で黄ばみでもしたらどうなさるおつもりです!?クリーニング代は貴方がたの命で支払って頂きますよ!?」
「あーあ、安心しろ!黄ばむ前に俺がお前の羽をむしり取ってやるからよ!!」
「ヒッ!!何て野蛮な!!これだから人間のオスは……」
 二人の凄まじい口論に口を挟めるものは、この場には存在しない。
 もはや堂々と女湯に男が二人も侵入しているという事態にすら、彼女達は気づく事ができなかった。
「……温泉というものは大変にぎやかですね、アルディラ様」
 相変わらずいつもと変わりない調子でクノンが言う。だが当のアルディラはがっくりとうな垂れたまま、無言で重い溜め息を吐いていた。
 ふとその時、クノンの視界に何か見慣れぬものが映る。
「……?」
 何か筒のようなものが、水面から顔を覗かせている。温泉の一部なのだろうか。
 だが彼女の目から見て、それは特に気に留めるほどのものではないと判断されたのか、クノンはその後すぐに視線をアルディラへと切り換えていた。


「まったく……、せっかくの温泉でまで騒がなくったっていいじゃない。若いからってあんまり暴走ばっかするのはよくないわよ、カイルぅ?」
 そういうスカーレル自身もすっかりハメを外したように酒をあおり、その口調はろれつが回らなくなり始めていた。何を思ったのかヤードの緑茶で酒を割り、さらにそれを喉へと流し込んでいく。
「ス、スカーレル!何て事をするんですか!?酒をお茶で割るなんて、邪道にもほどがあります」
「うるさいわね手コキ」
「うわあああッ!!思い出させないでください!!」
 ヤードは髪をかきむしると、青ざめたまま絶望の眼差しを水面へ向ける。
 ……酔っ払いのオカマの手コキで勃ってしまった男の顔が、目の前に揺れている。
「……の、脳内変換しなさい、ヤード!あれはアティさんの手だったんだ。アティさんの……」
 すでに、男湯、女湯ともにとても正常と呼べる状況ではなくなっていた。
 ――そんな温泉の様子を、隅のほうで密かに見物している人物が一人。
「俺達は……こんな馬鹿な連中と必死になってやり合っているというのか……?」
 大きな体に浅黒い肌。逞しいその身をたっぷりと湯に浸しながら、引きつった面持ちで彼らの様子を眺めていたのは、ギャレオだった。
「……あら、貴方は帝国軍の副隊長サンじゃないの」
 彼のつぶやきでようやくその存在に気づいたスカーレルは、多少驚きつつも、酔いの心地よさに笑顔を浮かべながらギャレオに話し掛ける。
「な、なんでオッサンがここにいるんだよ!?」
 ナップは慌てて周囲を見回す。が、彼の仲間が隠れている気配はない。
「心配するな。部下は連れてきてはいない。俺達がたまたま偵察でこの辺を歩いていたら、妖精の娘に『兵隊さん、せっかくだから温泉に寄ってくですよぅ』と言われてな」
 そう言ってギャレオは湯を手の平にすくい、バシャバシャと顔を洗う。ヤードはその時、ナップとギャレオが並ぶと何気に親子のように見えることに気づいてしまったが、あえて何も言わずにいた。
「ところでさっき、『俺達』って言ったわよね?それって……」
 スカーレルの言葉に、のんびりとくつろいでいたギャレオの表情が固まる。
 彼の言わんとする事を察し、ギャレオは低くうなると眉間にしわを寄せ、目を伏せた。
「……ああ、来ておられるさ。もちろん」
 ちらりと女湯の方へ視線を向け、すぐさまそれを戻すギャレオの額には汗が伝っている。
 その言葉にスカーレルはそう、とうなずくと、仕切り板の屋根に目をやる。
 そこには相変わらずカイルが座っていた。相変わらずフレイズと罵倒しあっているようだ。
 

「だいたいテメェみたいな八方美人のナンパ野郎が、女に相手にされるわけがねぇだろ!?この変態天使が!!」
「おっしゃいましたね?では仮に私が変態天使だとすれば、貴方はそれを遥かに上回るのではないですか!?所構わずアティさんに欲情しているでしょうに!!レベルアップしてクラスチェンジしてごらんなさい、今の貴方なら、きっとクラス名の欄にはこう書かれてあるはずです。『 肉 棒 船 長 』と!!」
「んなワケあるかぁッ!!」
 戦場と化した温泉に顎まで浸かりながら、アティは苦笑を浮かべて二人のやり取りを眺めていた。
 彼女自身も内心カイルと二人で温泉に入りたいという淡い願いを抱いていたのだが、現実はそう上手くはいかない。ロマンチックどころか、ゆっくりと温泉を楽しむ事すら不可能となってしまった今、願う事はとりあえず、二人の耳障りな口論を早々に打ち止めにして欲しいというものだけだった。
 とりあえず風呂桶がこちらに飛んできては困ると、アティは後ろへ下がる。
 その時、彼女の背中に誰かの体がぶつかった。
「あっ、ごめんなさい」
 慌てて振り返るが、不思議な事にそこには誰も見当たらない。
「……?」
 おかしい。たしかに人の体にぶつかる感触だったのだが。
「……ねえ、先生」
 ソノラの声に振り向くと、彼女は人差し指をアティの後方へと向けている。
 その時、ぷくぷく、とアティの背後で泡音が聞こえた。
「!?」
 慌てて後ろに目をやると――濁った水面から一本の竹筒が顔を出し、そこにはうっすらと人影らしきものが揺れていた……。


つづく

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