孤島の極楽温泉ツアー 2



「……なにこれ」
 アティの後ろに立つ謎の竹筒を目に、ソノラはおもむろにそれに近づいていく。
 しかしその竹筒は水面でピクリと動き、そそくさとその場から離れていこうとする。
 筒の先端からは、水中に沈んでいるらしき『本体』の呼吸が繰り返され、荒々しい息を吐き出していた。
「アルディラ様。これは……」
 クノンの言葉に、アルディラはそれを見つめながら口元を引きつらせていた。
 ……いつだったか。敵に気づかれる事なく忍び寄る方法として、竹筒を咥えて水中に潜るというものがあった気がする。
 それをおこなうのは確かシルターンの……。
「……シノビ」
 ぷつりと、アルディラの脳内で何かが切れる音が聞こえた。
「キュウマぁッ!!貴方がこんなくだらない事をする男だとは思わなかったわ!見損なったわよ!!」
 勢いよく立ち上がり叫ぶ彼女に、水中のそれは驚いたのかゴボッと息を漏らす。慌てて息を吸い込もうと思ったのか、竹筒から息をつぐ呼吸音が一瞬聞こえたが、怒りの形相を浮かべたアルディラに、その筒は素早く奪い取られてしまった。

 ゴボッ、ゴボゴボゴボッ!!

 奪い取られた筒を取り戻そうとそれは手を伸ばすが、目配せしたアルディラに応じたクノンが水中のその頭を押さえ込み、ぐいぐいと両手で沈めていく。
「ちょ、ちょっとアルディラ!そんな事したらキュウマさんが呼吸困難に陥っちゃいますよ!?」
「大丈夫よ。彼は腐ってもシノビだもの。いざとなったらうつせみの術で逃げる事ぐらいできるわ」
 慌てふためくアティの横で、奪い取った筒を弄びながらアルディラは「ここにはホント、ロクでもない男しかいないわね」と溜め息混じりにつぶやく。
 しかし、クノンに押さえつけられている「キュウマ」は一向に忍術を使って逃げる気配をみせようとしない。
「アルディラ様。このままでは呼吸機能が停止する恐れが」
「術を使って逃げないという事は、まだまだ余裕って事でしょう。バカにしてくれるわね」
「はあ」
 頭をなおも押さえ込みながら、アルディラの言葉にクノンは相槌を打つ。
「で、でも逃げられるのならこんなに抵抗はしていないでしょう!?」
 確かに。水中の「キュウマ」は顔を地に突っ伏した状態でバタバタと手足を動かし、もがいているようだ。その姿は見えてはいないが、激しく揺れる水面からはその抵抗する様子が見て取れる。
「……あ、あのさ、アルディラ」
 その光景を眺めていたソノラが、ぽつりと言葉をもらす。
「なに?」
「確かにそこの覗き魔は竹筒を使って水中で呼吸してたみたいだけど……それが『シノビ』だって証拠はないんじゃあ……」
「…………」
 アルディラの目元がわずかにひくついた。
 クノンの下の人物の動きはすでに弱々しく衰え、その抵抗も陰りを見せ始めている。
 つう、とアルディラの頬を冷たい汗が伝った。
「――クノン!手を離しなさい!!」
「はい」
 叫んだ彼女に、クノンは両手を離す。
 ……だが、クノンに沈められていたそれは、一向に水面から起き上がる気配はない。
 しかし、そう思った矢先、その人物の頭らしきものが濁り湯から姿を見せ始めた。
「よ、よかった。まだ意識があったんだぁ」
 安堵に胸を撫で下ろすソノラ。
 みるみるその人物は姿を見せていく。
 頭の頂点。後頭部。首。背中――……。

「ってこれ起き上がってんじゃなくて浮かび上がってんじゃん!!!」

 浮かび上がった体はそのままぐるりと反転し、空を見上げる。
「!!」
 その正体に、アティは驚愕の表情を浮かべた。

 ――短めの黒髪に、起伏に乏しい胸。白目を剥き、湯で鼻血が顔中に広がったその顔。
 それはまぎれもなく……。
「――アズリアじゃないですかッ!?」
 呼吸困難に陥り、壮絶な苦しみを味わっていたはずの彼女の顔は、なぜか異様なまでに幸せな笑みを浮かべている。ソノラが存在に気づくまでに、アティの背後で何をおこなっていたのか。
 それは本人のみが知る事だ。
 ――しかし、死人に口なし。
「勝手に殺すなッ!!私はまだ死なんぞ!!」
 ぐるりと白目が回転し、目蓋の中でスロットの如く黒目が下りた。
 意識の覚醒したアズリアは水中で地を蹴ると、背後へ向けて高々と飛び、一回転するとしなやかに両足を地面へと下ろす。体を覆うバスタオルの裾がひらりと揺れた。
 バスタオルの隅にかかれている『帝国温泉』という文字は、学生時代の修学旅行で訪れた先の旅館の名前だ。おそらくあの時に勝手に備品を着服したのだろう。物持ちのいい女だ。
「……久し振りだな、アティ。砂浜で相撲を一戦交えて以来だな」
 濡れた髪をかきあげ、流し目で冷たい笑みを浮かべるアズリア。
 状況が状況でなければ、学生時代のアズリアファンの後輩達が卒倒しそうなほどの華麗な仕草。
 だが常識離れした彼女の存在を前にしては、さすがのフレイズさえも無言のまま口を半開きにし、唖然と彼女を見つめていた。
「出やがったなこのイカレ軍人!!テメェまで女湯に忍び込みに来やがるとはな……」
 カイルは乗っていた屋根から飛び降りると、つかつかとアズリアの方へ歩み寄る。
「いえ、むしろアズリアは女性ですし、何もこんな方法で忍び込む必要なんてなかった気がするんですが……」
「……え?」
 アティの言葉に、驚いたように首をかしげたのはアズリアだった。
 しばらく口を開きながら空を見上げると、突然ハッと息をのむ。
「そういえばそうだった!私も女だ!」
「って忘れてたのかよ!!」
「……くっ……!」
 カイルが思わず突っ込むが、アズリアは彼の存在など気にも留めず、頭を抱えてうずくまる。
 アティの入浴を覗くという願望ばかりが先走り、自分が女の身である事を完全に忘れてしまっていた。
 男ばかりの軍の中で生活していた事が原因だったのか。妖精の少女に温泉に誘われた直後、必死になって呼吸用の手ごろな竹を探し回ったあの苦労はなんだったのだろう。
 そういえば、今日は朝食中に部下につられて盛大なゲップをやらかしてしまった。近くに座っていたビジュが、食欲を減退させられ果てしなく迷惑そうな表情を浮かべていた事を思い出す。
「フッ……自分が女であることを忘れてしまうとはな。……アティ。どうやら、私は芯から軍人になってしまったらしい」
「いや、軍じゃなくて、お前自身にもともと問題があるんじゃねぇの――」
 
 ドッ!!

「がはッ!」
 手近にあったフレイズを投げつけ、アズリアはカイルの言葉をさえぎる。
 カイルに覆い被さるフレイズは、一糸まとわぬ姿で唸っている。そんな彼に蹴りを入れて上からどかすと、カイルは再びアズリアに向き直った。
「……ど、どうして私はこのような扱いばかりを……」
 フレイズはやけにつややかなお尻を突き出しながら体をくの字に折り曲げ、蹴られた腹の痛みに苦悶の表情を浮かべている。
「おい変態女!事あるごとに俺らの休日を邪魔しにきやがって!いいか、アティは俺の女なんだ、テメェはお呼びじゃねぇんだよ!」
「カ、カイルさんっ」
 俺の女、という言葉に全員が反応し、アティに視線を向ける。
 だがその視線が二人の熱愛を冷やかすものでもなければ羨望の眼差しでもないというのがとてつもなく悲しい。アティは女湯で恥ずかしげもなく喚くこの男が自分の恋人だという事を、この場ではどうしても認めたくない気がした。
「アティが――貴様の女、か。フン」
 思いのほか、アズリアは彼の言葉にも冷静さを保ったままでいる。しかもその口元には笑みさえ浮かべていた。
 アズリアは目を伏せて静かに含み笑いをもらすと、再び目蓋を開いた。
「――調子に乗るなよ低脳色欲煩悩男ッ!!貴様の存在はカイルという名の男ではない!カイルという名のついた器にぶら下がっている肉棒――それが貴様の本体なのだろう!?」
 そう叫んでビシッと指先をカイルの股間へ向けるアズリア。その指は小刻みに震えている。

「……何言ってんだ?お前」
 突然の意味不明な彼女の発言にカイルは口を開いたまま眉をひそめるが、アズリアはその指を口元で左右に振ってみせると、チッチッと軽く舌を鳴らす。
「フフッ……覚悟していろ。貴様の『肉棒船長』の異名とも今日でおさらばだ」
「名乗ってねぇよ、んな異名!!」
 意味ありげな笑みを浮かべながら、アズリアはいつもの彼女では考えられないような潔さで背を向けると、そのまま脱衣所へと足を運んでいった。
「……な、何なんだよアイツは?」
「彼女は学生時代からああいう人でしたからね」
 冷めた目で顔を引きつらせるカイルの横で、アティは相変わらず呑気な笑顔で答えていた。


「ふぅ……しばらくはどこかで時間でも潰すか。ギャレオが出てくるのも待たなければならないしな」
 脱衣所で軍服を身にまといながら、アズリアはつぶやく。
 ここの所まともに体など洗う事ができなかった彼女にとって、今回の温泉はまさに、シルターン風に言えば地獄に仏といえる代物だった。
 しかも至近距離でアティの裸体を拝む事ができたのだ。これで一か月分の燃料補給ができた。しばらくはアティの裸体を夢に見ながら安らかな眠りを楽しむ事ができるだろう。
 ――ふいにアズリアは棚に入っている他人の衣類に目をやる。
 すると、白い服やら黄色い服のあいだに置かれている赤い服が視界に映りこんだ。
 ……アティのものだ。
「…………」
 ごくり、とアズリアの喉が鳴る。
「い、いかん!何を考えているんだ私は!?」
 慌てて視線を彼女の服から床へと向ける。
 ――しかし、そこには更に。
「ウホッ!」
 純白のフリルがあしらわれた華やかなパンティ。それはアティの服が置かれている棚の、ちょうど真下に落ちていた。
 我を忘れ、反射的にアズリアはそれに飛びつく。
 パンティを両手で持つと、すかさず左右に広げてみる。大きめのフリルで目立つようなデザインにも関わらず、その白さが清廉な雰囲気を保っている。まさにアティが履くにふさわしい下着だ。
「……あぁ……」
 恍惚とした眼差しを向け、艶やかな溜め息をもらすアズリア。
「さっぱりしたねーっ」
 しかしその時、突然背後の扉が開き、バスタオルに身を包んだアティ達が温泉から上がってきてしまった。
「ッ!!」
 アズリアはとっさに手に持っていた下着を隠そうとするが、いい場所が見つからない。
 下着を持っているところを見られでもしたら、アティに言い訳のしようがない。アズリアの背中を、焦りの汗が伝う。
「――どうしたんですか?アズリア」
 彼女の声に、アズリアの肩がビクリと震える。かがめていた首を持ち上げると、アズリアはしばらくためらいながらも、おもむろにアティに振り返った。

「……んぅっ……?」

 不自然なまでに膨らんだアズリアの頬。
 まるでおたふくのような間抜け面に、背後のソノラとアルディラは凍りついていた。
「な、何やってるんですか?アズリア」
「んーっ、んんっ」
 ぶんぶんと首を横に振り、膨らんだ頬に不自然な笑みを浮かべると、アズリアはその場を一目散に立ち去っていった。
 ――彼女の飛び出していったドアを眺めながら、ソノラはアティに視線を投げかける。
「先生、さっきのあの人、様子が変じゃなかった?」
「う〜ん……。あっ、何か美味しいものを独り占めして食べてたんでしょうか?もう、アズリアったら!」
 不満気に頬を膨らませるアティに、ソノラは違うでしょ、と冷静に否定した。
 ……ある意味、正解だったのかもしれないが。
「やれやれ……ひどく元気なお嬢さんでしたね」
 疲れきった声で温泉から上がってきたのはフレイズだった。
 さも当たり前のように、腰にタオル一枚という姿で、髪の毛と体から雫を零しながらペタペタと歩いてくる。
「ちょっとフレイズ!アンタ、着替えまで女子更衣室でやってたわけ!?」
「もちろんですよ。あんな男共と一緒に服を脱ぎ着するなんてまっぴらごめんです」
 そう言いながら鼻歌まじりに服を手に取るフレイズ。
「だ、だからって、ちょっとは躊躇してみせなよ……」
 完全に開き直っている彼に、呆れたようにソノラがつぶやく。
 まだ下心丸出しの様子をみせないだけマシではあるが、これが彼にとって当然の行為とされているのもたまったものではない。
「……カイルといいアズリアといい、このフレイズといい……、アティ、貴女の周りにはどうしてこうも変な連中ばかりが集まってくるの?」
 本日何回目の溜め息だろう。アルディラは大きな溜め息をつくと、がくりと壁にもたれかかった。
「アルディラ様」
「……なに?」
「アルディラ様は、その中には含まれてはおられないのですか?」
「……それ、どういう意味……?」


「……やってしまった」
 盗んでしまった……アティの下着を。
 両手に広がる純白の下着を前に、アズリアの鼓動は激しく脈打っていた。
 愛する人の物を断りなしに盗んでしまった事に罪悪感が芽生えていないといえば嘘になる。
 しかし、今はそれよりも彼女の下着を手に入れた事に至福の喜びを感じていたかった。
「すまないアティ……!代わりといっては何だが、このパンティは私が一生大事にするからな!!」


 一方その頃、女子更衣室ではフレイズが珍しく額に汗を浮かべながら、周囲を見回していた。
「どうしたんですか?フレイズさん」
「ないっ……私の下着がないぃッ!?」


つづく

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