ウィゼル×メイメイ・2



「御忠告ありがと。でもほら、ワタシってばあんまり長いこと真面目やってると中々戻れなくなっちゃうのよねぇ。それにお酒は明るく楽しく何も考えずに飲むのが一番だしぃ」
そうする事が彼への礼儀だとばかりに、メイメイもかつての返事そのままをウィゼルに返す。
視線が絡み合う。するとメイメイは、ウィゼルの頬に微かな掠り傷があるのを見つけた。
驚異的な見切を持つ彼がたとえ一筋であろうと手傷を負うのは珍しい。好奇心に囁かれ、彼女は尋ねる。
「どうしたのウィゼル、貴方が怪我したところなんて久しぶりに見たわ。ひょっとして寝てる最中にぶつけたりした?」
「これか。此処に来る途中、或る男と出会ってしまってな。それだけの話だ」
ウィゼルは他人の言葉の一を聴き十を知る男である。しかしそれ故に己も十を語るのに一しか用いろうとしない。元来饒舌では無い事も手伝って、彼との会話には洞察力と彼への理解が要る。
だがメイメイもまた、言葉の裏に隠された意味を汲み取る事には長けていた。

「成る程ね……で、どうだったの? 彼の拳は」
「悪く無い。あの若僧の魂の熱さそのものがよく伝わってくる拳だった。あれを除いて他にあの剣の皮鉄となれる者はおるまい」
柔らかい芯鉄と硬い皮鉄。この二種類の鋼を用いて作られるシルターンのカタナは、いかなる衝撃にも折れず、曲がらない。
魔剣の主が心に選び、彼女という芯を護る男に、ウィゼルは賞賛を送った。
「もしあれが刃を担うのであれば……夫婦剣が打てたかもしれんな。相応しい者に打てる武器が無い事を悔やむのは久方ぶりよ」
「貴方がそれだけ素直に人を褒めるところなんて初めて見たわぁ。明日は槍が降ったりしないでしょうね」
その気になれば明日どころか一年後の天気さえ星詠む事のできる慧眼を持ちながら、メイメイは手で庇を作り空模様を覗く真似をする。
彼女の視線の先には、光を湛える月。ウィゼルも彼女に倣い、宵の宝石を見入る。

暫しの静寂が、辺りを満たす。
嘯々と啼く風さえ、この場を荒らすのはあまりにも惜しいと息を潜めて行く。

月見の酒を飲み始めてからずっと置かれていた、二つ目の御猪口に酒を注ぐ。
未だ立ち続けるウィゼルに、腰を下ろしたままのメイメイが手にした杯をすっと差し出した。
「ほら、貴方もぼーっと突っ立ってないで。駆けつけ三杯とは言わないけど、せめて一献くらいしなさいな」
自分の酒が減るのを気にしてか割と控えめな提案。
そんな彼女の言をやんわりと辞し、ウィゼルは館の庭へと飛び降りた。
「その前に、一つ頼まれてくれないか。叶うのであれば今一度“彼”と仕合いたい。喚んで欲しいのだ」
「あらまあ……今日は珍しい事ばかり起こる日ね。お願い事なんて、どういう風の吹き回しなのかしら」
「どうやら若僧の熱に絆されたようでな。己がどの位置まで来たのか確かめたくなった。自分でもらしくないと驚いている」
ウィゼルに差し出した酒を自分で呷り、すとんと庭に降り立つ。大分飲んでいる筈なのにその足はしっかりと大地を踏みしめた。

「いいわ、ワタシも貴方達の仕合を肴に出来るなら喜んで召喚しちゃう。こんな贅沢滅多に出来るモンじゃないしね〜」
そう言うと、さしたる呪文の詠唱すら無いまま、周囲の空間が歪み出した。

メイメイの足元にこの世界では凡そ馴染みの無い八卦の陣が浮かぶ。鈍く赤光を放ちながら明滅するそれは、本来上からそそぐ光とは逆にメイメイを照らし、ありえない影を映す。
光を影に、秩序を混沌に、常世を幽世に。あらゆる理を逆しまに変え、希代の占師が空を捻じ曲げる。
遂に空は耐え切れず、硝子が砕ける様な音を立ててひび割れた。
割れた空の向こうに見えるのは、リィンバウムとは異なる空気。
闇を貫き異界の気を身に纏い、一柱の武神が顕現する。
獅子を思わせる髪。カタナと呼ぶには大きすぎる片刃剣。そして額に見えるのは彼の出自を明らかに語る双角。
肩膝を地についた姿勢で現れた鬼は、見た目通りの太く重い声で告げる。
「……アノヨウニ乱雑ナ術デ我ヲ式ニ出来ル程ノ神通力ヲ持ツ者……召喚主ハ貴様ダト思ッテイタゾ、女」
「にゃはははは。お褒めに預かり恐悦至極ですわ、ゴウセツ殿」
「フン。誰モ褒メテナドオラヌ」
メイメイの言葉を受け流し、鬼神将ゴウセツが愛用の剛剣を肩に担いだ。

メイメイによって喚び出された鬼神は、刀傷の走る双眸をウィゼルへと向ける。
「久シイナ、無角ノ剣士。ソノ方ガ求ム武ノ具現ハ果タセタノカ?」
「いや。刹那にこれこそと思える一振りは数あれど、未だ完を成す事は無い。生の短き人の身で辿り着くには遠い道だ」
「ソウカ。鬼妖界ニハ貴様ヨリ長命ノ種ナド幾ラデモイルガ、貴様ノヨウナ志ヲ持ツ者ハ少ナイ。カクモ世ノ中トハ儘ナラヌモノヨナ」
「儘ならぬからこそ価値のある道。頂の見える山など、登っても意味が無かろう」
「フ。違イナイ」


最後に見た時と変わらぬ男の物言いに、ゴウセツは口元を歪めた。数多の悪鬼を打ち倒してきた顔は、子供が見たら泣き出すような、とても笑顔とは思えないものであったが。
一頻りの挨拶が済むと、やがてゴウセツの眼にこちらこそ本来のものであろう、苛烈な光が灯った。
「サテ……我ガ喚バレ、ソシテ無角ノ剣士ガイル。トナレバ目的ハ一ツダナ」
「毎度の事だけど悪いわねぇ。シルターンにこの人在りとまで云われた伝説の剣士にこんなお願いするなんて」
「ヨイ。気ニスルナ、実ヲ言エバ昨今ノ平穏ニハ些カ退屈シテイタノダ。余興トハイエ刃ヲ打チ合エル者ト仕合ウノハ吝カデハナイ」
「あらぁ、それならこれからはじゃんじゃん喚んじゃおうかしら。力仕事とかはやっぱり男手あった方が助かるしぃ」
「……主ヨ、貴様ハ我ガ末席トハイエ神ノ座ニ在ルトイウ事ヲ自覚シテイルノカ?」
「俺がこいつに無理を言って喚んでもらったのだ。こいつの無礼は俺が代わって詫びよう」
「フム。ソノ詫ビトヤラハ、貴様ノ剣ヲ楽シマセテモラウ事デ受ケ取ロウ」

ゴウセツの体に気が漲った。
世界が変わる。
瞬き一つの間に、周囲は剣気で満たされた。
辺りの生き物全て、獣、鳥、塵芥の如き羽虫から果ては物言わぬ草木までもが同じ一字を胸に抱く。

――斬、と。

動けば斬られるし、震えれば斬られる。そして鳴けば斬られ、啼けば斬られるだろう。呼吸さえ許されてはいないと錯覚するのも決して過ちではない。
この首筋に刃を置かれたかの様な剣気の中、もし――もし動ける者がいるとするならば。
それはあらゆる恐れを打ち砕く無双の勇か、無窮の果てに心を置いた不動の精神を持つ者に他ならない。
そしてゴウセツの目の前に相対する剣士は、比類なき勇を持つ者であった。


抜刀。
無言のまま構えるのは正眼。
担い手の心を映した刀身は、為すがまま月影に濡れる。
己の剣気を受けてなお毛筋程の乱れも無いその構えに満足したのか、ウィゼルを追いゴウセツが構える。
人の手では持ち上げる事さえ困難であろうと思われる剣を、まるで小枝を振るかの如くに片腕で一度大きく薙ぐ。
そのまま空いた手を軽く添え、半身となって刀身を隠した姿勢で固定。

風が止んだ。
それは、嵐の前の凪に等しい。
矢は番えられ、弓は引き絞られた。後は放たれる瞬間を待つのみ。

「……鬼神将ゴウセツ、イザ…………参ルッ!!」
鬼が吼えた。

瀑布。
言い換えるならば、それが一番相応しい言葉ではないだろうか。
斬る、突く、薙ぐ、払う、打つ。
止まらない。
豪の刃は周囲を巻き込み、木を削り大地を穿ち、それでも勢いは衰えず。
唸りを上げて走る刃が風を裂き、獅子吼にも似た叫びを上げる。竜巻だと説明した方が幾らも説得力があるだろう。これが斬撃の音などと一体誰が想像できようか。
全てがウィゼルの命を刈らんと断命の光を持って放たれる。
この暴風に立ち向かうには、人はあまりに非力。
一撃たりとて受ければ、脆弱な腕は砕け命の火は吹き消されるに違いない。
だというのにウィゼルはまだ、生きていた。


「憤ッ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされる刃。
ウィゼルは手にしたカタナで受け――ない。
触れ合う瞬間、下方への力に横から軽く手を添えるように、滑らかな反りを巧みに使い“流す”。
力に劣るウィゼルは、同様にして全ての斬撃をいなし、針の先よりも細い剣嵐の隙間を渡っていた。
逸らしきった一撃に、一瞬の隙。

――踏み込むか。否、誘いだ。出れば斬られる

紙一重の命の綱渡りを耐えに耐え、漸く見つけ出した千載一遇の好機とも思える隙。
この鬼神と多少なりとも仕合う資格のある者を百として、九十までがこの隙を掴むまでに至らず散り、残りの九はここでつい攻勢へと回り呆気なく終わるところである。
恐ろしいまでの冷静さであった。
大きく後ろへ飛び退き間合いを取る。案の定、ゴウセツは追ってこなかった。

「腕ヲ上ゲタヨウダナ……フフ、ヤハリ貴様トノ舞ハ心躍ル! 無角ノ身デソノ域ニマデ達スル者ナドソウハイマイテ!」
「それも貴殿の手加減があってこその話だ。神なる貴殿が本気で斬ろうと思えば最初の一刀で俺は二つになっている」
「式デアル今ハ本来ノ幾許モ力ハ出セヌ、大シタ手加減ナドシテオラン。トハイエココマデ力ヲ発揮出来ル主トイウノモ滅多ニオラヌガナ。凡夫ガ我ヲ喚ンデイタラ逆ニ我ガ貴様ニ斬ラレテイタダロウ」
ちらりと脇へ目を移す。
メイメイは自分に視線が向けられたのに気付き、何時の間に持ってきたのか新たな徳利を手ににこりと笑った。

――不可思議な女だ。星詠みの才だけで無くあらゆる召喚の術にも通じ、未だ俺が初めて出逢った時の儘の姿形とは

そんな思いがふと頭を過ぎる。この場には関係の無い事だと軽く頭を振ると、泡沫のようなその思いは何処へと消えていった。
訪れた僅かな休息。激流に磨耗した精神力を明鏡止水の心で立て直す。
すると手にした愛用の蓮の声が聞こえてきた。

「……すまぬ、鬼神の将よ。俺の未熟がこいつに余計な負担をかけてしまっていたようだ。申し訳ないが、次の一刀で今回は幕にして頂けぬだろうか」
カタナは黙して何も語らない。だが鋼の語る声を聞き、内に秘める魂の光を見る事が出来る彼が言うならば、それは真の話なのだろう。
そうでなくともあれだけの剣戟を披露したのだ。いくらウィゼルが卓越した剣の腕を持っていても完全に威力を殺せる訳では無い。寧ろ途中で折れなかった事の方が奇跡である。
カタナと担い手、両方が揃っていたからこその魂震う剣舞であった。
「残念ダガ仕方アルマイ。貴様ノ剣ヲ想ウ心ニコソ我ハ感銘シタノダカラナ……デハ無角ノ剣士、貴様ノ一刀如何ニ?」
ゴウセツが問う。受けるのか、それとも己の命を狙うか。
問いに対するウィゼルの応えは――

静かにカタナを鞘へと納める。
目を閉じ、腰溜めの位へ。自己が消えていく。唯、剣を振るうそれだけの為に。
無念無想の境地、鏡と化した心は一点の曇り無く相手を捉え心までも合わせ全てを手中にした時、初めて振るわれる神速の剣。
「……面白イ、修羅羅刹デサエ恐レ道ヲ開ケル我ニ居ヲ合セルト言ウカ。貴様ニ角有ラバ我ノ退屈ハ無カッタダロウニ。真ッ事無角ニシテオクニハ惜シイ男ヨ」
牙を剥き出し心底愉快そうにゴウセツが笑う。
「ナラバ合セテミヨ無角ノ剣士! 我ハソノ天晴レナル心ヲ試ソウゾ!」

「…………」
ゴウセツの言葉はもうウィゼルに届いていない。
心は奥深く。
鎮め。
鎮め。
鎮め。
鎮。





自分の言葉さえ消える果て。
其処に、鏡はあった。
森羅万象を映すこの鏡さえあれば、侍は全てを斬る。
そう、映るもの全てだ。それが例え、神の如き相手であろうと。

ゴウセツが構えた。
じりじりと間合いを詰める。先程の荒れ狂う剣魔の影などどこにもない。
見抜いていた。
相手はもう、見つけそして映している。
不用意に踏み込めば、自分の最速の一撃をもってしても、その刃が届く前に相手のカタナが己の首筋に叩き込まれるだろう。
それが居合。侍の秘奥。
脚が止まった。
ここが境界。この先は彼の領域だ。
後は、彼の鏡に曇りが出来るのを待てばいい。
神でも無い限り、無念無想などが続けられる筈は無い。
彼が鏡を手放した瞬間、この刃を彼の首の寸前で止め、そして今宵の宴は終わりを迎える。
それが鬼神の描いた脚本だった。

――境を我に見出された時点で貴様の負けよ。聊か拍子抜けす……


感じたそれは、異質。


違う。
目の前の男も分かっていたのだ。自分の境界が見破られる事は。

ならば。
彼の者が狙うのはその先、自分の領域を超えた――――


次の瞬間、鞘走り光と化した必殺の迅剣が疾る。
ありえない。
斬撃が、刃を離れゴウセツを襲う――――!

ウィゼルの居合。
無心の鏡に相手を捉え、それを断つ。
そこまでならば“唯の”秘剣だ。
剣の頂を知り、自らの手でその頂に刺さる一振りを創らんとする彼が、その位置で満足する道理は無い。
彼は、他人の及ばぬ修練の果てに、もう一枚の鏡を手に入れた。
二枚の鏡、向かい合わせたそれらは互いを中に映し、限りなく増え、伸びていく。
絶える事無き鏡の前に、距離は意味を為さない。
何故ならそれは無限に連なっていくのだから。
そう、彼の“居合斬り”は“絶”を手に入れたのだ。

「…………ふわぁ。いやはや、すんごいモノ見ちゃったわねぇ」
手から杯が落ちている事も忘れ、驚嘆の声がメイメイから漏れた。
目の前には、微動だにしない二人。
まるで召喚術の様に空間を捻じ曲げ光が疾った。
ゴウセツにとってそれが驚愕だったというのは離れていたメイメイにも感じた。
まさか、間合いを無視した一刀が飛んでくるとは。
しかも神なる速さで。
文字通り晴天の霹靂である。今は夜だが。
この位置から漸く今になって何が起きたのか理解できたのだ。
当事者であったゴウセツが無傷でウィゼルの居合いを凌いだ動きはそれこそ武神にのみ為せる業だった。

「驚イタゾ。マサカアノヨウナ居合ヲ隠シ持ッテイタトハナ。アト少シ気付クノガ遅レテイタラ危ナカッタ」
「やはり貴殿には通じなかったか。さらにあと一枚鏡があれば、死角からでさえ斬れるのだが」
「強欲ナ男ダ。我ヲ心胆寒カラシメタトイウダケデハ足リヌカ」
今度こそ二人の刃は納められた。
ぱちぱちと、たった一人の惜しみない賞賛の拍が鳴らされる。
「すごいわねぇ……見ててドキドキしちゃったわよ。特に最後の!」
「我モ十分ニ楽シメタ。人ハ少ナイガ良イ宴デアッタゾ」
ゴウセツの言葉が鍵となったのか、彼を取り巻くシルターンの気配が薄くなっていく。
次第に消えゆくゴウセツに、メイメイは酒瓶を投げて寄越した。
「はい、これ。あっちでお仲間と呑んでね〜。今夜のお礼ってことで♪」
「貴様ガ酒ヲ他人ニ譲ルトハ。槍ガ降ル予兆デハアルマイナ?」
どこかで聞いたような言葉と野太い笑い声を残し、高潔な鬼神に於いて異端とも思える程気さくな武人は還っていった。


続く

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